とらいあんぐるハート3 To a you side 第八楽章 戦争レクイエム 第十三話
レンから預かった手紙、渡りに船というか今日の正午クイント・ナカジマと会う約束をしていた。彼女は時空管理局局員、義理堅い女なので預ければ必ずクロノに渡してくれるだろう。
預かった白い封筒を、手に取って見つめる。人間関係に、ひいては俺自身に着実に変化が訪れている。二ヶ月前ならば、絶対こんな大切な手紙を俺には預けなかっただろう。
下衆な勘繰りで自分の興味を満たすべく、昔の俺なら勝手に手紙を読んでいた。そして俺なら必ず盗み読みすると、レンも看破していたに違いない。そんなあの子が、託してくれた。
なるほど――自分が変われば、他人もまた自分への接し方を変えてくれる。そこから関係にも、新しい変化が生まれる。面白いもんだな、他人というのは。
「とはいえ、取り巻く環境が変わると問題もまた出てくるもんだな。どうしたもんか」
「変わらず今も警護に付いています、剣士さん」
先月より俺の護衛役となった妹さんが、警護の"声"を聞き取った。夜の一族が手配したチームが、完全警護体制で日夜俺の周辺を厳重に守ってくれている。
二十四時間監視されているのと変わらないが、鬱陶しさは感じない。先月海外でマフィアやテロリストと戦ったのだ、事件は解決しても火種はまだ燻ったままだ。
ロシアンマフィアのボスを倒し、テロ組織を半ば壊滅に追いやったのだ。国際的犯罪組織が日本人一人に倒されたとあっては、連中も黙ってはいられない。日本とはいえ、安全ではないのだ。
その点に不満はないのだが、代わりに新しい問題が生まれてしまった。この町は国境だけではなく、世界線も超えているのだ。
「連絡を取る程度ならかまわないんだが、一度ローゼを連れて異世界へ行かないといけないんだよな。突然この世界から姿を消したら、護衛チームが混乱してしまう。
すぐにカレン達に連絡が行って、世界中を大捜索しかねないからな」
「――剣士さん。私は、このまま護衛に付いていてもよろしいでしょうか?」
「あっ、そうか。妹さんはジュエルシード事件どころか異世界も全然知らないんだったな。何だかずっと、一緒にいる気がするよ」
妹さん、月村すずかと出逢ったのはジュエルシード事件後の六月。妹さん本人は異世界の技術より生み出されたクローン人間だが、異世界そのものは知らない。
俺の護衛となって二ヶ月、正確には一ヶ月半余り。人間関係はまだまだ浅いのだが、この子はいつも傍にいる気がしていた。それほどまでに、存在が馴染んでいる。
プロ中のプロである護衛チームとは別の意味で、妹さんは気配を感じさせない。夜の女王に相応しき存在感はあるのだが、この子が纏う空気には深い安心感を与えてくれるのだ。
このまま彼女を連れて行けば、異世界の複雑な事情に巻き込んでしまう。その事実をハッキリと認識した上で、俺は告げた。
「クイントから何か聞いているかもしれないけど、実は色々とややこしい事件に巻き込まれているんだ。力を貸してくれ、妹さん」
「……はい。お任せ下さい、剣士さん」
いつも通りの良い返答だが、心なしか胸を張っているように見える。感情表現をあまりしない子だが、心はきちんと持っている。何だか、可愛らしかった。
俺からの承諾を得た妹さんは早速、提案をしてきた。
「私は剣士さんの護衛として、カレン・ウィリアムズ様とディアーナ・ボルドィレフ様より警護チームからの連携協力を受けております。
剣士さんの今後の活動に支障が生じるのであれば、私から護衛チームへ話を通してきます」
「それはありがたいけど――連中が納得してくれるかな」
「あらかじめ時間を決めた上で、連絡を常に取れる状態にしておけば問題はないでしょう。話し合ってきますので、少しお待ち下さい」
「ありがとう。待ち合わせの店で待っているよ」
妹さんに待ち合わせ時刻とその後の予定を伝えて、護衛チームへの連絡をお願いする。一任した少女はすぐに行動に移し、雑踏の中に消えて行った。
目の届かないところへ行ってしまったが、"声"の届く範囲には居る。俺にもし危険が近付ければ、すぐさま戻って来て危険を排除するだろう。あの子がいる限り、奇襲も何も怖くはない。
クイント・ナカジマとの待ち合わせは、商店街にある一軒のお蕎麦屋さん。伝統的といえば聞こえはいいが、二階建ての古風なお店だった。
仮にも若い女なんだから小洒落たレストランで食べればいいのに、異世界人の分際で日本食を大層好んでいるらしい。行きつけの店なのだと、自慢されてしまった。
暖簾をくぐると、テーブルはほぼ満席だった。お昼時というより、テーブルの数そのものが少ない。田舎の蕎麦屋さんなので客自体少ないのかもしれない、というのは失礼かもしれないが。
ともあれ店員さんに案内されて、一つだけ開いていたテーブル席に座る。正午まで後十分、備え付けのメニューを広げてクイントを待つことにした。
異世界人であるクイントと夜の一族の妹さんとの、お昼ごはん。あの二人が美味そうに蕎麦を啜っているのを想像すると、妙な笑いがこみ上げてくる。
「――よお、兄さん。ここ、開いているか?」
覗き込んでいたメニューから、顔を上げる。中年の男性が一人、男臭い笑みを浮かべて俺に断りを入れてくる。この辺りでは見かけない顔であった。
渋い趣味だがよく似合う服装をしており、思慮深さを感じさせる顔立ちをしている。深く刻まれた皺も、年季の入った白髪も、大木の年輪を思わせる年季があった。
店内を見渡すとテーブル席は確かに満席だが、カウンター側は思いっきり空いている。何故案内の店員はカウンターを進めず、強引に相席を求めたのか。
俺の視線に気付いたのか、中年男性は苦笑いを浮かべた。
「この町には今日来たばかりでな、男一人の旅行客なんだよ。昼飯をカウンターで一人食うのも味気ねえし、付き合ってくれねえか兄さん」
「……悪いが、もうすぐ連れが――」
男一人で旅、という点が俺の言葉を途中で止めてしまった。年配の男が一人で旅に出ている、その心境は如何なるものであるのか。事情は知らないが、何となく想像は出来た。
この男性、不幸な気配は全然しない。孤独という言葉も、正直似合わない。一人で今までずっと生きていたとも思えない。こういう顔は、一人では決して作れないものだ。
日本を旅して、海外に出て、多くの人達を見てきた。だからこそ分かる。この男は絶対に、俺のようなつまらない生き方をしていない。誠実に、着実に、生きている。だから、男らしい。
そのような男が、一人で蕎麦を啜らせるなんて無粋であろう。袖振り合うも他生の縁、こういう大人になりたいのなら縁を大事にしよう。
「連れがもうすぐしたら来るんだが、それでもよければどうぞ」
「すまねえな。邪魔になったら、席を移るからよ」
本当に嬉しそうに笑って、俺の対面に座った。物好きな男に、俺まで口元が綻んでしまう。この男、俺の今の姿を目にしながらも食事の席の相手に選んだ。だからこそ、興味が湧いた。
何しろ今の俺は剣道着な上に、リスティにボコられて顔や首にガーゼや包帯を巻いている。手酷くやられたので、顔なんてボコボコだった。唇も切れて、酷い状態になっている。
蕎麦屋の店員はプロらしく愛想笑いを絶やさなかったが、他の客には悪い意味で目立っている。そのせいか、"サムライ"だとは思われていない。腫れ上がった顔で、分かるはずもないが。
「手打ちの蕎麦か、いいな。お姉さん、俺は蕎麦の大盛りと天ぷら盛り合わせのセット。こっちの兄さんも、同じもので」
「おい、頼んでないぞ!?」
「強引に相席を頼んだんだ、奢らせてくれ」
「いやいや、俺が先に頼んでいたらどうするんだよ」
「テーブルの上に水がなかったからな」
ちっ、目ざとい上に強引な男だな。もし注文した後に水が来る店だったらどうするんだ、と聞きたかったが不毛なのでやめておいた。こういうタイプは、自分の目利きに自信を持っている。
それに俺には珍しく、他人のペースに巻き込まれる事に不快を感じなかった。強引なお誘いも、悪い気はしない。若い頃はきっと、女にはモテたのだろうな。
こういう空気を持っている男は出世できる。今の俺にはこうした他人を惹きつける空気なんて持っていないが、これから先他人と生きていくのならば自分をこうして改善していなければならない。
男はおしぼりで手を拭いて、汗を拭う。
「日差しは強いが風が気持ちいいな、この町は」
「自然に恵まれているからな。夏真っ盛りで毎日くそ暑いけど、まだ此処は過ごしやすい方だよ」
「兄さんはこの町の人かい?」
「何だ、そう思っていたから声をかけたんじゃないのか」
「見た目の印象だが、この町に馴染もうとしている雰囲気が感じられるよ」
旅行客だから、旅する者の空気は感じ取れるのか。馴染もうとしている、確かに言い当て妙だった。何時まで滞在するか決めていないが、先行きは確実に長くなるだろう。
それでもこうして他人から見れば、俺はまだ町には完全には馴染んでいないようだ。というよりも、今の俺だから浮いて見えているのかもしれない。
少なくとも、この町の関係者全員に疎まれてしまっている。
「俺もあんたと同じ、旅行者だ。旅の当ては無かったんだが、今はこの町でやり直すつもりでいる」
「へえ、珍しいな。当てもなく旅するなんざ、楽しくもねえだろうに」
「何言っているんだ。自由気ままに一人旅だぜ、楽しいに決まっているじゃないか」
「若い連中にありがちな勘違いだな。自由ってのは、言うほど楽しいもんじゃねえよ」
俺の軽率を笑っている、という風には見えない。俺の言葉が真意ではないと察した上で、反論したのだ。本当は楽しいなんて思っていないんだろう、と逆に問い返された形だ。
男の言う通りだった。だが、素直に頷けるほど俺は大人ではなかった。
「自由に生きていけるのは、若者の特権だぜ」
「まっ、大人になれば自然と責任ってのが付きまとうからな」
子供の言い分に、大人の茶目っ気が返ってくる。ユーモアの分かる男というのは、話していてこうも楽しいのか。そういえば、年配の男とはこうした会話をしたことがなかったな。
何か近頃なのはのような子供からアンジェラのような老婆まで、年齢問わず女ばかりと話していたから新鮮だった。女というのは、どいつもこいつも一癖も二癖もあったからな。頭が痛いよ。
男と話していると、大盛りの蕎麦が運ばれてくる。手打ち蕎麦に天ぷら、ドイツでは食べられない本場の日本食だった。
「ソバもうめえが、ツユも絶品だな。しっかりしたコクがあって、ソバとの相性もいい」
「手打ちのソバはコシがあるから美味いんだ」
「俺の奢りだ、味わって食えよ」
「俺との相席だぞ、安いくらいだ」
言いやがる、と男は楽しそうに笑って蕎麦を啜った。他人との会話で何の裏もなく、興が乗るのは俺も楽しい。権力闘争に陰謀と、心の裏を読み合うような会議はしばらく御免だ。
男は実に美味そうに天ぷらまで平らげて、水を飲み干した。
「ところで、兄さんよ。その顔の怪我、一体どうしたんだ」
――最初から、聞きたかったのだろう。隙を伺っていたというより、食事の肴として話題に出した。そうする事で、軽い会話の一興となる。俺に、気を使ってくれたのだろう。
答えなくないのなら、そのままソバと一緒に啜って飲み込んでしまえばいい。そうしても良かったし、話すべきことでもない。見ず知らずの、人間には。
けれど――赤の他人だから、話せることだって世の中にはある。
「女に嫌われて、盛大に殴られちまった」
「……そうか」
傷が、痛んだ。男の一言が、耳に響いた。たった一言なのに、じんわりと胸に染みこんでくる。同情や憐憫ではなく、共感めいたものを感じられて悲しみが浮かんできてしまう。
何だか泣きそうになって、水を飲んだ。どうしてこうなったのだろう、分からない。フィリスも、リスティも、フィアッセも、不幸になっていい女ではなかった。
不幸にするつもりなんて、本当になかった――
「お前、いい男だな」
「何言ってんだ、あんた。女に殴られるような男だぞ」
「真剣だったから、顔が腫れるくらいに殴られたんだろう。女の拳だって、軽くはねえ。
どういう事情があったにせよ、どんな感情であろうと――真剣だったんだよ」
たとえ憎しみであろうと、これ以上無い拒絶であろうと、ぶつけた痛みは彼女の想いそのものだった。激しくも悲しい彼女の気持ちだけは、真剣だった。
男の言葉は決して、慰めではない。真剣だからこそ、嫌われた気持ちは心に辛くのしかかる。この男は本気で、俺の話を真剣に聞いてくれたのだ。
安易な同情や慰めよりも、気持ちは軽くなった。
「そんで嫌われちまったから、ここでしょんぼりか」
「馬鹿言うなよ。嫌われた後から、本番だろう」
「分かってるじゃねえか」
俺の答えが痛快だったのか、男は気持ちよく笑った。笑われちまったが、ここまで陽気に笑い飛ばされると、何だか落ち込んでいるのが馬鹿馬鹿しくなる。
リスティの奴、無抵抗なのをいいことに散々ボコりやがって。フィリスを絶対に起こして、あいつをびっくりさせてやる。見てろよ、奇跡でも何でも起こしてやるからな。
そうして男と過ごしていると、蕎麦屋に二人連れの客が訪れた。
「剣士さん、お待たせしました。今そこで先生とお会いしまして、一緒に参りました」
「ごめんなさい、待たせたわね――あら、もう"父さん"と一緒だったのね」
……は?
「父、さん……?」
「自己紹介が遅れたな。俺は"ゲンヤ・ナカジマ"、お前の親父だ。よろしくな」
お、お、お……おのれらぁぁぁぁぁぁぁ!!!
クイントといい、ルーテシアといい、こいつといい、異世界の人間はいちいち身分を隠して人を試さないと気が済まんのか!? そういう病気か!? 異世界の伝統か!?
もう何もかも疲れきって、俺はテーブルに突っ伏した。
<続く>
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