とらいあんぐるハート3 To a you side 第八楽章 戦争レクイエム 第五話
どうやら、絶望には種類と数があるらしい。何度味わっても少しも慣れず、同じ苦痛ではないので常にもがき苦しむ。この感覚に慣れてしまったその時、人は死ぬのだろう。
深さも違う。まるで底なし沼、絶望に落ちる度に飲み込まれて深く沈んでいく。抵抗しなければ、そのまま落ち続ける。どれほど経験を重ねても、落ちてしまえば沈むしかない。
こんなにも苦しいのに、助かる術は無いに等しい。だからこそ絶望、少しでも救いがあれば希望に変わってしまう。絶望とはただ、苦しみ続けるしかないのだ。
今まで救ってくれた人達は、全員絶望に飲み込まれて死んでいった。
(――あいつに斬られたのか、俺は)
真夏の夜、ベンチに寝転がって夜空を見上げる。動く体力も気力もなく、負傷した身体を放置して天を見つめる。星もない空は、闇が広がるばかりであった。
闇に映し出されるのは、高町美由希の笑顔。俺という人間を斬った事実を、無邪気に喜んでいた。剣士ならではの達成感に、身体を震わせていた。
高町美由希の人を守る剣が俺という敵を斬った、大切な家族を守るために。この日この時この瞬間に、彼女の剣は成就したのだ。俺を斬るために、彼女は剣を磨いていた。
彼女は間違いなく、俺を殺すつもりだった。その事実に打ちのめされて、俺は抵抗する意思を奪われた。剣もなく、剣を振る意思もない剣士は、ただ斬られるのみ。
信じていた人間に斬られるという絶望、真正面から堂々と死ねと宣言された苦痛。再び剣を振り上げた高町美由希に、甘美な死の誘惑を感じていた。これで、楽になれると。
多分そう思ったからこそ、俺は――
「どうしたの、その怪我!?」
静かな住宅街、人っ子一人いない児童公園。暑い夜に好んで歩き回る人間などいない筈だが、どこでも一人は物好きがいるものらしい。
血を流して倒れている俺を見るなり、顔色を変えて女性が走り寄ってくる。苦笑するしかない。この町で、一人になりたいと思ってなれた試しがなかった。
どういう偶然か、それとも抗えない宿命なのか。子供が一人になりたいと思った時、真っ先に駆け付ける種類の人間がやって来た。
「クイントか――ただいま」
「ジッとしていなさい、今すぐ救急車を呼ぶわ」
「心遣いはありがたいが、呼ばないでくれ」
「何を言っているの!? 斬られたんでしょう、この傷。傷は浅いけど、放置は出来ないわ」
「救急車を呼べない理由くらい察してくれよ、時空管理局捜査官」
「!?」
「なんだ、やっぱり管理局員だったのか。プロだったら、ポーカーフェイスくらいしろよ」
「……まったく、生意気言っちゃって」
ギュッと俺の鼻頭を掴んで、クイント・ナカジマは困ったように微笑む。正体がバレた時空管理局員の対処は的確で、素早かった。
警察も救急車も呼ばずに、驚くほど手際良く傷の手当をしてくれる。傷の具合もおおよそ分かるのか、傷の度合いを確かめて安堵の息を吐いた。
この街に帰って、人のぬくもりを感じられたのは久しぶりのように思える。痛みはすぐに引いていった。
心に刻まれた裂傷だけが、血を流し続けている。
「改めて、自己紹介したほうがいいかしら」
「いいよ、別に。俺の中では、何も変わらない」
「誤解しないで欲しいのだけれど、養子縁組は決して任務や義務からではないわ。最初は確かに、君を守れなかった責任からの申し出でもあったけど――
今は私個人の意志として、君に私の息子になってほしいの。君を、心から愛しているのよ」
「……このタイミングで、聞きたくはなかったな」
家族だと思っていた人間に、俺は先程斬られた。家族だと思っているのは今、そして思っていなかった間に破局は訪れていた。
高町桃子、高町恭也、高町美由希、高町なのは、城島晶、鳳蓮飛、フィアッセ・クリステラ。あれほど優しく、逞しかった家族は、崩壊していた。
どんな家族にも、絶対はない。人間関係なんて、簡単に壊れてしまう。昔の自分の価値観が、正に証明されてしまった。クズだと斬り捨てた昔の自分が、今の家族を壊したのだ。
家族になろうと、思わなければよかったのだろうか。少なくとも今、苦しまずには済んだだろう。
「何があったのか、聞かせてくれる」
「他人の人間関係に深入りすると、ろくな事にならないぞ」
「人によるけど、本当に他人だと思っているなら口出しするつもりはないわ」
「……たく」
愚痴めいた事を言うのは嫌いだが、自分一人で抱えておくのは限界だった。どのみち一人ではどうにもならないし、何をしようとどうにもならないかもしれないのだ。
話すこと自体は、それほど長くはかからなかった。過程なんてどうでもよく、俺が突きつけられたのは結果だけ。全てが手遅れだという、どうにもならない事実のみ。
俺の知る人々は俺に関わって不幸となり、俺が原因で壊れてしまった。彼女達が与えてくれた優しさに、俺は最悪の形で返してしまったのだ。
取り返しはもう、つかない。
「それで、斬られた後はどうしたの? ここまで逃げてきたのかしら」
「誰かは知らないが、助けてくれた。美由希がそいつと戦っている間に、逃げてきたんだ」
高町美由希が再び剣を振り上げたその瞬間、俺の背後から何かが放たれた。正確な軌跡を描いたその攻撃を、美由希は咄嗟に一閃して弾き飛ばす。
その後は、よく覚えていない。剣戟が高らかに鳴る戦闘の隙に、逃げてきたのだと思う。ふらつきながらも走って、気が付けばこの公園で寝そべっていた。
あのまま斬られたら、きっと楽に死ねただろう。そう思った瞬間に、死ねなくなった。それは間違えていると、確信できた。惨めになるだけでも、必死で逃げた。
カーミラ、ディアーナ、クリスチーナ、カミーユ、ヴァイオラ、カレン。生きることを諦めるのは、彼女達が与えてくれた血の祝福を涜すことにほかならないから。
結局、誰が助けてくれたのか。少し考えれば分かることさえも放棄して、俺は絶望に浸っていた。過程も何もなく、残酷な結果のみ突きつけられて。
何も言わず、誰も責めず、話を聞き終えたクイント・ナカジマは自分の太ももをポンポン叩いた。
「リョウスケ、おいで。膝を貸してあげる」
「嫌だよ、いい大人が」
「どんなに大人になろうと、君は私の子供よ。誰も見てないんだから、遠慮せずに甘えなさい」
絶対に嫌だと、普段なら突っぱねていただろう。けれど今は、本当に疲れ果てていた。他人に甘えなけれならないほど、どうしようもなく落ち込んでしまっていた。
まさかこの歳で膝枕なんてする事になるとは思わなかったが、クイントの膝は柔らかくて温かった。俺を静かに見つめる彼女の目も優しく、愛おしげに頬を撫でてくれる。
何の解決にもなりはしないのに、心は信じられないほど落ち着いていく。家族を、仲間を散々不幸にしたあとなのに、俺は安らいでしまっていた。
クイントは話を聞いた後も、俺の事を決して責めたりはしなかった。
「リョウスケ、私と一緒に来ない?」
「家族になる話なら――」
「君の言う異世界に、私は家族と居を構えている。そこには私の家族が、大切な友人が、心を共にする仲間がいる。この町のように、優しい空気に満たされているわ。
行く場所がないのなら、私と一緒に行きましょう」
「……」
「何もかも捨てろと言っているのではないの。連れて行きたい人達がいるのなら、私が手続きしてあげるわ。何だったら、私の家族にならなくてもいい。
人間関係を全部精算して、新しく自分の人生をやり直すの」
「あいつらを――俺のせいでああなった連中を、見捨てろというのか」
「どうして、君一人が責められなければならないのかしら。君の死は君の責任ではないし、誤報が流れたのはマスメディア、もしくは流した人間の責任よ。
君の置かれていた状況は、ゼスト隊長やメガ――ルーテシアから聞いていたわ。だから、ハッキリと言える。この一連の悲劇は、君の責任じゃない。
なのに彼らは貴方一人に押し付けて、挙げ句の果てに殺そうとしたのよ。庇おうとしている君には悪いけど、私は警察を呼ぶべきだと思っている」
「――俺は」
「もう、どうにもならないわ。此処にいても何も出来ないし、するべきではない。これ以上関われば、君自身も不幸になってしまう」
クイント・ナカジマと一緒に異世界へ、新しい世界へと旅立つ。素晴らしい提案だった。今までの人間関係の全てが、一新される。
多分クイントも、俺だけを贔屓してくれてこう言っているのではない。彼女は、なのはとも通じている。となれば、高町家の今の事情も理解しているはずだ。
その上でここまで言ってくれているのは、本当にどうしようもないからだ。傷をこれ以上広げないために、せめて俺を逃がそうとしてくれている。
アリサやローゼについては、管理局側に事情も伝わっている。連れて行くことになっても問題はないだろう。妹さんについても、戸籍そのものがない。忍やさくらからも信頼は得ている。
俺と会うべきではなかったと、皆が言って疎んでいる。フィリスやフィアッセ、高町家はもう絶望的だ。俺がどう頑張っても、どんな改善も見込めないだろう。
もう何もかも、終わってしまった後なのだ。クイントの言う通りかもしれない。彼女と共に行けば、きっとやり直せる。
辛いことからも、逃げられる。俺はそれが悪いことだとは、思わない。
「ありがとう、クイント。気持ちは嬉しいよ」
「……、そういう言い方をされても私は嬉しくはないわね」
「断るつもりじゃないんだ。今はまだ、俺にその権利はないというだけ」
「あるわ、立派に。貴方は一生懸命、やったもの。海外に行ったのも傷の手当が目的、テロ事件に関わったのだって大勢の人達を救うためよ。誰にも批判される謂れはないわ」
首を振った。クイントの言いたいことは分かる。でもこの問題は、そういう話ではないのだ。誰に責任があるとか、関係がない。
海外に出て俺は自分の弱さを、そして人という存在の脆さを知った。人と人が繋がることで、あらゆる可能性が生まれる。それが良い結果ばかりとは限らない。
この問題は、俺という存在を通じた人間関係が起こした結果であるというだけ。過程は関係ない。俺と出逢って、彼女達の人生が狂ったのだ。
それはきっと、何処へ行こうと同じなのだ。
「仮にお前と一緒に新しい世界へ行っても、そこに人間がいる限り関係は生まれる。俺と関わって、また不幸になる人間が出てくるかもしれない」
「やめなさい、そんな風に考えるのは。貴方は疫病神ではないわ」
「違うんだ、クイント。今起きているこの問題を解決せずに、俺は何処へ行ってもやり直すことなんて出来ないんだよ。
だって――そこには、同じ人間がいるんだ。人間関係が、出来るんだ。今の俺は弱いから――どうしようもなく弱いから、人と繋がらないと生きていけない。
考えてみろよ。家族や仲間、友人を放り出した後で、俺はまた新しい人間関係を作れると思うのか。
あんたと――家族になれると、本気で思うのか?」
「……っ」
「海外に、国の外に出たから、分かるんだ。この町を出て、新しい場所へ行ったから、俺にはよく分かるんだ。
自分にだけ都合のいい理想郷なんて、何処にもありはしない」
逃げ出したその先に、天国なんてあるものか。家族や仲間を不幸にした人間が行く先は、地獄しかないんだ。何処に行こうと、何も変わりはしない。
顔を上げて、立ち上がる。斬られた傷は浅くても、痛んだ心の傷は深い。泣きたくなるほど絶望的で、神に縋りたくなるほどどうにもならない。
だから、戦うのをやめる理由にはならない。
「俺はこの町に残るよ」
「もうやり直せないわよ、きっと」
「うん。だからもう一度、新しく作る。今度こそ、俺は間違えない」
立ち上がり、よろけた足で歩き出す。闇は深く、見通しがきかない。何をどうすればいいのかも、分からない。頑張ってもきっと、どうしようもないのだろう。
それでも、諦めてなんてやるものか。絶望になんて、屈しない。どんな不幸が訪れても、やり直しが聞かないなんてことがあるものか。悲惨な結果でもあっても、努力は怠らない。
所詮才能のない、凡人なのだ。約束された幸福なんて、最初から無い。不幸なんて最初からの確定事項なんだ。悩むことじゃなかった。
俺は――"海鳴"の、人間だ。不幸でしかない他人との出逢いだなんて、断じて認めない。
「……強くなったわね。海外に行ったのは一ヶ月間なのに、本当に立派になった」
「俺がそう見えるのなら、立派にしてくれた人達が居たからだと思う。いい出会いを、したからだ」
「これだけは、覚えておいて。私はこの町で、君と出会えて本当に良かった。君と出会えたことを、心から誇らしく思ってる」
「うーん……その感想は、もうちょっと後に置いておいてくれ」
「……? どうしてよ」
――こいつ、今までの会話でちょっとは察してくれよ。自分で言うのは恥ずかしいんだよ、こんちきしょう。
そもそも、俺がお前と行くのを断った本当の理由だって分かるだろう。あー、くそ。言わなければいけないか。
足を止めて、渋々言ってやった。
「あのな、俺があんたと行くのを断ったのはどうしてだと思う」
「さっき、貴方が言ったじゃない。逃げ出しても――」
「それもあるけど、確かにあるけど……うがぁぁぁぁぁぁぁぁー! まだ、認められていないからだよ!!」
「――! あ、貴方、こんな時に、まさか!?」
「ゼスト・グライガンツとルーテシア・アルピーノ、お前の上司と同僚だろう。あいつらに認められるまで、あんたの家族になって異世界に移住する訳にはいかないだろう。
あんたとの約束だってちゃんと守るつもりだぜ、俺は」
「っ……馬鹿な子……こんなに苦しんでいるのに、私との約束を優先するなんて。ほんとにカッコイイ、さすが私の息子」
「うるせえよ」
運命がどんなに残酷なレールを敷いても、俺はもう神様や他の誰かのせいにはしない。自分のやったこと、自分のせいで起きたことにはちゃんと責任を取る。
俺はまだ大人にはなれていないし、簡単に割り切るのも無理だ。何だかんだ言っても逃げ出したいし、泣きたくなるほど落ち込んでいる。絶望だって、している。
希望なんて、何処にも見えやしない。どれほど足掻いても沼は底なし、沈んでいくばかり。そのまま沈んで、死ぬだけだ。
だから、それが何だというのか。
どれほどブザマで、かっこ悪くたって――俺は必死で、足掻いてやる。生きるってのは、そういうもんだ。
<続く>
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