とらいあんぐるハート3 To a you side 第七楽章 暁は光と闇とを分かつ 第九十五話
――膝をついた。
異世界の技術を危険だと指摘しながら、自分の目的を果たす為に積極的に使用している。全くもって、その通りだった。自覚していながら、目を逸らしていた真実。
月村すずか、ファリン・K・エーアリヒカイト、ローゼ、ガジェットドローン。技術の結晶体である彼女達を味方にして、思う存分有効活用していた。言い逃れは、出来ない。
彼女達は人間だと、主張しても無駄だろう。自分自身、そうは思っていない。明確な答えもない上に、クローン技術の是非について言い争いになるだけだ。
敗北だった。敵に屈した。これはもう――決定的だった。
「……それでも、俺はお前の提案は受け入れられない。協力は、出来ない」
「貴方が、わたくしの技術を使用した証拠も沢山揃えているのですよ。何でしたらこの場で王女様に伺いましょうか、貴方との関係を」
月村すずかは、宮本良介の護衛である。カレンは恐らく初日にこの事実が発覚した時から、この決着を思い描いていたのだろう。だから始終、余裕だったのだ。結局、俺は弄ばれていただけ。
手に、汗が滲んでいる。平静に努めていたのだが、敗北して緊張の糸が切れた。手汗を握ったまま、ゆっくりと立ち上がる。圧倒的不利に、目眩までした。息を、吐いた。
敗北を認めているのに、俺は戦おうとしている。希望は見えないのに、絶望に屈していない。俺のブザマな姿は権力者達の目にはさぞ滑稽で、奇異に見えているだろう。
完全に負けたのに戦うのは勇敢ではない、ただの愚行だ。勝ち目はないのに敵に立ち向かう行為を、世間一般では無駄な努力というのだろう。神様だって笑うだろうけど、戦うのを止めてやらない。
敗北よりも怖いものがある。勝てなくても譲れないものがある。絶望よりもっと苦しいものがある。完全に負けても生きているのなら、抗い続ける。
強者と弱者、天才と凡人の差はきっとそこにある。敗北して何もかも失って、世界中から笑われて、他人に馬鹿にされて――無力に、膝をついたとしても。
流した涙の数だけ、強くなれるんだ。
「もう、おやめ下さい。見苦しくてみてられませんわ。わたくしをこれ以上、失望させないで下さいな」
「俺はあんたの期待に応える為に、戦っているんじゃない」
「――っ」
ヴィータ。
シグナム。
シャマル。
ザフィーラ。
那美。
あいつらが居る限り、俺は絶対に俯かない。
「この技術が危険だという理由で、あんたに協力しないのではない」
前言を、完全に覆す。簡単に白旗を上げた俺に、カレンは怪訝な顔をする。ならば何故戦おうとするのか、理由も理屈も分からないのだろう。明確な根拠なんて、無いのだから。
負けはもう認めている。妹さんやローゼを、他人を受け入れた時点で敗北は確定的、異世界の技術を潰すのは不可能となったのだ。もはや、彼女の野望を阻止できない。
俺は、世界を救うヒーローにはなれなかった。異世界の技術はやがて、この世界を大きく変革させてしまうだろう。どんな世界になるのは、もう分からない。
皆が愛する世界を、俺は守ることが出来なかった。六月と同じく、俺は最後まで大事なものを守れなかったのだ――
「では、どのような理由があって協力を拒むのでしょうか? まさかこの会議の場で、個人の感情を持ち出すつもりではないでしょうね」
「気に入らないというのも立派な理由だと思うだが、そうじゃない。そもそもこの技術、研究していくのは無理だ」
「何度も言わせないで下さいな。欠陥については、貴方の協力があれば確実に改善できます」
「違う。率直に言わせてもらうけど、あんたは今研究資金がないだろう。自分の口座をちゃんと確認しているか、経済王」
「! やはり、貴方はカイザーと……!?」
「申し訳ありません、姉さん。貴女の口座は全て、凍結させて頂きました」
この瞬間を待っていたと、興奮気味にカイザー・ウィリアムズが立ち上がって宣言する。多分あの台詞も噛まないように、事前に練習してきたんだろうな。
カレン・ウィリアムズの戦力が資金にあるというのならば、その資金源を絶てばいい。補給路を狙うのは、戦国においては常套手段。別段、頭脳が冴えた作戦ではない。
社会の教科書にも載っているありきたりな戦略だが、効果が高いからこそ手垢がつくほど使用されている。
アメリカの経済界で世界に名を馳せた大企業と戦い続けているカレンがこの程度の策を見破れない筈がなく、俺とカイザーとのつながりまで看過していた。
「お前如きがわたくしの資金を絶った? 実に愚かしい過信ね。お前が操作介入に出た時点で、こちらに動きは筒抜けだったのよ。
王子様の入れ知恵なのでしょうけど、肝心のわたくしに気付かれるようでは何の意味もない。この大事な局面で王子様の足を引っ張るなんて、お前には本当に愛想が尽きたわ」
――何故か自分が攻撃されたことより、俺の作戦をミスった事をカレンは激しく怒っていた。お願いしますから、スタンスを明確にして下さい。
「幾つもの手段を講じたつもりですが……貴女には全てお見通しだったのですね。僕の動きを知りながら、貴女は敢えて見過ごしていた」
「本来ならばわたくしに反逆したお前を破産するまで追い詰めるのですが、王子様に血を差し上げたのならお前はあの方の身内に等しい。
不本意ではありますが偽装工作を施して資金は移し、お前自身は放置しました。彼に感謝しなさいな」
やはりカレンはこちらの動きを読んだ上で、俺達の暗躍を見過ごしていた。口座の凍結を見せかけて俺達に勝利を確信させた上で、この決着の場で潰すつもりだったのだ。
カイザーと、目を合わせる。一転して追い詰められても彼は揺るぎもせずに、確信に満ちた瞳で深く頷いた。血で繋がっている俺達は、言葉を必要としない。
あいつも、敗北を乗り越えたようだ。カイザーは遂に、やり遂げたのだ。
「姉さん、貴女が移した口座についてはきちんと確認されたのですか?」
「――それは、どういう意味ですの……?」
「カイザーが今ハッキリ言ったじゃないか。あんたの口座を"全て"、凍結したと」
意味を理解したのか、カレンは会議机を両手で叩いて立ち上がった。携帯電話を取り出してすぐに口座を確認しないあたり、氷室とは違う器の大きさを感じさせる。醜態を、晒さない。
カレンに自分の戦略を完璧に見抜かれると、俺も見抜いていた。俺ごときが考える戦略なんて、それこそカレンが幼稚園児時代に思いつけるだろう。頭の出来が、違いすぎる。
だがカレンはこの戦略の効果は分かっていても、本質というものをちゃんと理解していない。
「ありえないですわ……カイザーがわたくしの口座を凍結するなんて。動きは完全に、分かっていました。落ち度はありません」
「そうですね、今の僕では貴女に到底及ばない。今まで僕はその事実をどうしても認められず、ずっと燻っておりました。
姉さん。僕は"兄上"と出逢い、兄上の戦いを見て、分かったんです。たとえ負けると分かっていても――
戦おうとしない限り、敗者にさえなれないのだと。僕は夜の一族、貴女に飼われるだけの家畜ではない」
「っ……自分が偉くなったつもりですか? 所詮敗者には何も与えられない、ただ失うのみ。惨めな負け犬になり下がるだけですわ」
「敗北を知らない人間の、見当外れな感想だな。敗北を知った人間にしか出来ない、戦い方というものがある」
「この子に何を吹き込んだのですか、貴方は! 一体どうやって、わたくしの口座を凍結できたのです!?」
「私だよ、カレン」
「! お父様……!?」
「私の権限により、お前の資金は全て使えないようにした。実の息子に延々と説教をされては、私も重い腰を上げない訳にもいくまい。
カレン、私が間違えていた。お前という娘を持って、我が家はこれまでにない繁栄を見せた。だからといって、お前の専横を許していい理由にはならないんだ。
"家族だからこそ理解だけを求めず、向き合わなければならない"――カイザーにその言葉を伝えて親子で話をさせて、私を根気強く説得したのは彼だ」
「何と――ウィリアムズ家の当主を、アメリカを動かしたというのか、君は!?」
「王子様、貴方という人は……お父様まで!?」
長やカレンのみならず、会議場にいる世界のVIP達が驚愕の眼差しで俺を見る。何を大袈裟に言っているんだ、こいつら。大富豪であろうと、一人の人間じゃねえか。
ウィリアムズ家の家庭事情を察したのは、世界会議中である。独走する姉、姉を恐れる弟、娘に頭が上がらない父。他人を受け入れたからこそ、他人の事情が少しは見えるようになった。
別段、特別でもない。今時こんな家庭は、世界中何処にでもあるだろう。カレン・ウィリアムズという女が、あまりにも際立っているだけ。
それでも、カレン・ウィリアムズはまだ当主ではない。俺はその事実のみ着目して、父親を実の息子であるカイザーに説得させたのだ。
本当に呆れ返るほど、凡庸な戦略だった。
「……どいつも、こいつも……男というのは、使えない人間ばかり……」
「あんたが金に固執するのは、男女平等とは言い難い経済界でのし上がるには金が必要だからだろう」
「それの何がいけないのですか? 金よりも大切なものがあるなんて、金の価値がわからない貧乏人の戯言ですわ」
「誰も否定なんてしていない。あんたの論理で言えば、今金のないあんたに協力はできないと言っているんだ。自分のルールに、あんたは屈したんだよ」
「今のところは、ですわ。金など、またすぐに集められる。お父様が直々に口座を凍結しようと、わたくしが本国に戻ればすぐに解除出来ますもの。
今のアメリカは貴方よりもわたくしに従って動くのですよ、お父様」
そう、これは窮余の策でしかない。カレンはアメリカ経済の頂点に君臨している。彼女は本当に、男という存在そのものを乗り越えて王となったのだ。
何という、恐ろしい女なのか。あらゆる策を講じても、あらゆる弁を尽くしても、彼女には勝てなかった。彼女ならば技術なんて使わなくても、長になれただろう。
だからこそ、誰も彼女を止められない。誰もついていけない。強すぎるがゆえに――孤高となってしまった。
実の娘から冷酷に宣言されて、父親は言葉を失ってしまう。競争社会では、親子にまで上下関係を強いてしまうのだろうか。
アメリカという大国を動かしても、彼女は止められない。カイザーも父親も縋るような目で、俺を見ている。分かっている、後は任せてくれ。
今の俺は、敗北であろうと止められない。
「だったらそれが何だと言うんだ、カレン」
「? ですから、金など幾らでも用意は――」
「まだ分かっていないらしいな。確かに俺は負けてしまったが、あんたにだってもう勝ち目はないんだぜ」
周囲を見渡す、カレンだけではない。ドイツ、ロシア、フランス、イギリス――主要各国、誰一人として俺の真意が理解できていなかった。敗北というものを、知らない人達。
決定的に敗北したはずの男が堂々と振る舞っているのを、訝しげな目で見ている。それが虚勢だというのは、笑いを堪えているアリサだけが分かっていた。怖いんだぞ、本当に。
さくらや忍は俺の意図こそ分かってはいないが、何かやるつもりだと興奮と期待に満ちた目で続きを促している。一応期待してくれているのだ、スポンサーには応えるべきか。
さあ、決着をつけよう。
「この世界会議で夜の一族の後継者を決めるのかどうか、俺は何度も念押ししたぞ」
「ええ、だからこそわたくしは技術の推進を提案したのですわ」
「あんたは"今"、金がないんだ。後で絶対金を用意できるから今認めてくれと言われて、応じる馬鹿が居ると思うのか?
夜の一族の未来を決めるこの会議で、空手形なんて切れるはずがないだろう。あんたはもう、資格を失ったんだ」
「それは、貧乏人だからですわ! わたくしには確たる実績と、今後の確かな見積もりも立てております。
クローン技術も、最新型自動人形生産法も、成功例をお見せしました。貴方だって、技術を使ったではありませんか!」
「出処が不確かなんだぞ、この技術。加えて、欠陥もある。おまけに研究施設まで壊されて、挙句の果てに金がないときている。
確かな見積もりとやらを見せられるのであれば、せめて技術の出処をハッキリさせてもらおうか?
その上で、採決しようじゃないか――俺とあんた、どちらが信用できるのか」
カレン、お前の弱点は強者であった事。いつでも勝てると思っているから、勝負というものを長いスパンで考えすぎてしまうのだ。
口座凍結の動きが発覚したのなら口座の移動なんて半端な真似をせず、その時点で金を集めるべきだった。いつでも可能と考えていたから、大事な今を逃してしまった。
自分が強者だと思っているから、他人というものを甘く見る。昔の自分がそうだったから、俺はカレンの考えが分かったのだ。
採決を取らなくても、分かったのだろう――カレンは、肩を落とした。
「一つ、伺ってもよろしいですか」
「何だ?」
「資金回収すれば研究は再開されて、技術を使った貴方は協力せざるを得なくなる。それは、貴方の決定的な敗北を意味しています。
いずれ必ず負けると分かっていて、貴方は何故今を戦うことが出来るのですか……? この上ない挫折感を感じていらっしゃるでしょうに」
カレンの言う通りである。俺は敗北を認めて、膝をついた。この先、俺はカレンに負けて、彼女に従うしかなくなる。負け犬として、鎖に繋がれる。
絶望を感じている。勝ちたかったのに、また勝てなかった。自分が惨めで仕方がない。一生勝てないのではないかと、不安に思えて仕方がない。
それでも、戦えたのは――
「今を大切に生きていくと、決めたからな」
そんな、ありきたりな信念でしかない。誰にでも言える、取るに足らないこの気持ち。ヒーローではない自分には、お似合いの生き方だった。
それでも大切なのは、自分がこんな気持ちを持てるようになった事だと思う。今を大切に生きている人達と、出会えたからだ。
そんな人達が、俺を待っていてくれるんだ。敗北したからといって、どうして今を疎かにできようか?
「――長い時間を生きているあんたらには、分からないかもしれないがな……」
不思議な事にこんなつまらない戯言を、氷室やアンジェラまで真面目に聞いていた。誰も何も反論せずに、静かに聞き入っている。
あるいは、悲しいのかもしれない。俺のこの考え方が理解されないことが、俺には悲しいのかもしれない。他人に理解なんて、望んでいなかったのにな。
カレンは瞳を閉じて、俺の言葉を聞いてくれていた。
「出来れば、斬るか斬られるかの侍の世界に身を置いているからと、言って欲しかったですわね」
「げっ、それもそうだ!?」
今度は、全員に笑われた。この吸血鬼共、許さん。俺が手を治した暁には、一人残らず斬ってやる。吸血鬼狩りに出てくれるぜ、この野郎。
自分が剣士であることを忘れて、何を真剣に恥ずかしいことを言っているのか。詩人じゃあるまいし、剣士として語ればよかったのに。赤っ恥かいてしまった。
美貌を憂いに曇らせて、カレンは美しい仕草で息を吐いた。
「やはりわたくしがこの先きちんとサポートして差し上げなければなりませんわね……困った御方。
長、彼が提唱した『技術の製造禁止及び撤廃』に賛同いたします。技術は破棄して、研究も凍結いたしましょう」
「なっ!? その点については負けを認めたじゃねえか、俺は!」
「いいえ、わたくしの負けですわ。この先の勝利を得られても、わたくしが惨めになるだけですわ。貴方には本当に、感服いたしました。
お約束通り、わたくしの血は差し上げます。どのみちこれで、目的は達せられそうですから」
「目的……? おいおい、まだなにか企んでいるのか!?」
「ご安心ください、貴方の仰る通りわたくしはもう長となる資格は失われました。ウィリアムズ家は、正式に辞退いたします。
我こそは、と思う方がいらっしゃるのならそろそろ名乗り出てはいかがですか?
もう、お分かりになられたでしょう。誰が、次の長に相応しい器を持っているのか」
暴挙に等しい、カレンの挑発。よりにもよって、火がついている火種に大量の油を撒き散らしやがった。妹さんを巻き込むつもりか!?
とはいえ日本の月村すずかは辞退している。ロシアとアメリカも、資格を失った。フランスは俺と同盟を組み、味方についてくれている。
となれば、後は――
「このまま隠居してくれると俺としてはありがたいんだがね、アンジェラ・ルーズヴェルト」
「――このアタシを名指しする意味を分かっているのかい、坊や」
「文句があるのなら、俺を黙らせてみろよ」
カレンには負けてしまったが、この女にだけは絶対に負けない。全部奪い取って、永遠に黙らせてやる。でなければ、ヴァイオラは夢にむかって羽ばたけない。
イギリスの女帝、アンジェラ・ルーズヴェルト。雌雄を決する時が来た。
<続く>
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