とらいあんぐるハート3 To a you side 第七楽章 暁は光と闇とを分かつ 第八十八話





 クリスチーナ・ボルドィレフは、眠らない。姉のディアーナ・ボルドィレフが、自分の妹について語ってくれた。マフィアとして生まれた少女に、安らぎはなかったのだと。

普段の言動や行動から本国でもよく誤解されていたそうだが、クリスチーナは殺し屋ではない。"殺人姫"はあくまでも異名。あの子の本質はロシアンマフィアである。

暴力を生業とし、脅迫を言動に、悪辣を基本とする人生。天使のように愛らしく、悪魔のように恐ろしい存在。気分のままに人を壊し、笑顔を振りまいて人を蹴落としていく。

それゆえに敵は数知れず、味方は誰一人いない。姉は肩入れできず、父は振り向かず。孤独を寝床にする生き方は隙の一つも許さず、誰にも心を開かない。

銃を片手に風呂に入り、目と舌で毒を分析して食事を慎重に食べ、寝床に入っても最低限の意識を残して目を閉じる。敵を認識すれば、それが誰であろうと破壊する。


隙のない少女に隙を伺うやり方では、永遠に勝てない。


「100回以上失敗した時点でそれくらい気付こうよ、侍君」

「うるさいよ」


 丸裸の背中を洗わせてご満悦の少女にタオルを振り下ろしたが、硬い石鹸をぶつけられてノックアウト。泡だらけの俺の顔を見て、あの子は大笑い。

俺のベットで口から涎を垂らして爆睡する少女に拳を容赦なく振り下ろしたが、枕を顔面にぶつけられてノックアウト。鼻血を出した俺の顔を見て、あの子は大笑い。

俺が片手で作った不出来なおにぎりを大口開けて幸せそうに頬張る少女に顔面パンチしたが、口から吐き出した米をぶつけられてノックアウト。米粒だらけの顔を見て、あの子は大笑い。


二十四時間、全く隙がなかった。


「……侍君の前では、むしろ隙だらけのように見えるんだけど」

「なるほど、敢えて隙を見せて誘っているのか!」

「ううん、単純に隙だらけ」

「おい、フォローしろよ」


 奇襲は諦めて正々堂々と挑んでも、結局返り討ち。殺し合いを申し込むと嬉々として承諾して、実戦。無様に地面に転がる俺を踏みつけて、勝利のガッツポーズ。

十七年間野原でチャンバラゴッコをしていた俺と、十五年間裏社会で殺し合いをしていたクリスチーナ。実力に彼我が生じて当然であった。

その上、クリスチーナ・ボルドィレフは夜の一族。人間を遥かに凌駕する身体能力に加えて、ロシアンマフィアの血が芳醇な才能を与えている。あらゆる意味で、勝てなかった。

師匠にも警告されたが、一日や二日の訓練ではどうにもならない。何しろあの子は俺と戦っている間にも、強くなっていく。差は開いていくばかりで、埋められないのだ。


ならば、勝つにはどうすればいいのか――


「大体、何でお前が来ているんだ。俺は妹さんを呼んだんだ」

「はいはい。すずか、交代しよ」

「失礼します」


 クリスチーナ・ボルドィレフには、苦手とする存在が二人いる。俺の師匠である御神美沙斗と、俺の護衛である月村すずか。この二人だけは、あの子は露骨に嫌っていた。

ディアーナの護衛でもある師匠を嫌う理由は、明確である。クリスチーナよりも、師匠が強い。あの人は世界最高峰の純然たる剣士、自分よりも強い人間を嫌うのは当然である。

比べて、月村すずかは実力ではクリスチーナには劣る。才能面では決して負けてはいないのだが、現時点でもあの子は妹さんを嫌っているのに排除しようとはしない。

クリスチーナは俺に対して過剰なアプローチをしないのは、月村すずかが護衛についているからだ。そこに、活路はきっとある。


こうした俺の推論を聞かせた上で、妹さんに意見を求める。妹さんはしばし考えた上で、口を開いた。


「私という存在を、認識できないからです」

「"認識"……?」

「恐らく、クリスチーナ・ボルドィレフは"感覚"に特化した夜の一族です。驚異的な身体能力の高さに目を奪われがちですが、あの子の本質はそこにあります。
十五年間生き延びられたのも、敵意を敏感に感じて危機を回避してきたからです。敵の気配だけではなく、敵から感じ取れる敵意や殺意から敵の行動を予測するのです」

「妹さんが"声"を聞いて相手を見聞するのと同じく、クリスチーナは相手を"感じて"読み取っているのか?」

「はい。ですので、気配を感じ取れない私を警戒していると推測されます」

「なるほど……それで寝ている間でも、意識より先に体が動くのか」


 睡眠中脳は休んでいるが、血は流れている。感覚に特化した夜の一族の血が気配を感じ取り、身体を動かすのだ。休眠する脳からではなく、血が直接身体に命令を出す。

身体能力の高さも血の祝福によるものであれば、俺の断空剣すら簡単に覚えられたのも頷ける。見聞きするだけではなく、相手の行動を感じ取って自分の技として刻むのだ。


そうなると、とんでもない事実が発覚する。


「ということは、クリスチーナに完全な隙が生じるのは――」

「彼女の血が止まった瞬間――つまり、クリスチーナ・ボルドィレフが死亡した時です」


 死ぬまであの子に隙など生まれない、自分が出した結論に血の気が引いた。実力では絶対に勝てない、隙を見つけるにはあの子を殺すしかない。生による勝利は、ありえない。

一体、どうすればいいんだ。世界会議はまもなく、再開される。それまでにクリスチーナの血を奪えなければ、あの子はロシアに帰ってしまう。

ディアーナのように血を奪うのを諦める事は、出来ない。ディアーナとクリスチーナとの明確な違いは、理性と感情。クリスチーナは、まだ子供なのだ。


もしも俺が諦めたら、クリスチーナは捨てられたと思うだろう。ロシアンマフィアにおいて裏切りは死、あの子は必ず俺を殺しにかかる。


そもそもクリスチーナが殺人をやめたのは、第一の標的は俺と確定させているからだ。だからこそ、俺を殺したくないのでマフィアのボスを捨ててしまった。

クリスチーナから血を奪えなければ、元の木阿弥となってしまう。再びあの子は殺人姫となり、俺を殺してディアーナを排除するだろう。

この同居生活の全てが、台無しになってしまう。あの子に関しては絶対、妥協は許されない。


「……俺の師匠は、マグレで勝てと言っていた」

「"まぐれ"とは、偶然が起こす結果。偶然の好運にめぐまれる事、です」

「つまり、神頼みという事か。ふむ」

「何か、思い付かれたのですか?」

「いや、気付いただけだ。俺はどうやら――まだ、甘えていたらしい」


 不思議そうな顔をする妹さんに、俺は自嘲気味に笑った。自分が、情けなかった。















 夕飯を食べる前に、俺はクリスチーナに決闘を申し込んだ。ご飯を食べてからと渋るクリスチーナを、俺は無理矢理外に連れ出す。いつになく強引なやり方に、クリスチーナは目を丸くする。

決闘方法はシンプル、参ったといった方が負け。単純なルールに、クリスチーナは空きっ腹を摩って面倒そうに頷いた。この瞬間、俺は自分の勝利を確信した。

後はほぼ、一方的な展開。何度も言ったが、勝ち目なんてない。偶然なんて、訪れない。真剣勝負は、実力の世界。幸運なんてそうそうある筈はなく、俺はノックダウンする。


クリスチーナはお腹を鳴らして、踵を返した。


「はい、終わり。あー、お腹空いた」

「ぐっ……待てよ。まだ、終わっていないぞ」

「勝負なんてもうついたよ、ウサギの負け。まだやるなら、ご飯を食べてからやろうよ」

「"まいった"と、言ったほうが負けだ。俺は、言っていない」

「えー、面倒臭いよ」


「この勝負で俺に勝ったら、クリスチーナの護衛に復帰する」


「えっ――ほ、本当? 本当に!?」

「約束する」

「ロシアに、一緒に来てくれる!?」

「ああ」

「やっ、やった‥…! ずっと、ず〜〜〜と、ウサギと一緒だー!!」


 飛び跳ねているクリスチーナに殴りかかるが、笑顔で軽快なステップを踏んで俺を投げ飛ばす。ディアーナの血で身体は何とか動くが、そもそも俺が弱いのでどうにもならない。

満面の笑顔で降参を訴えるクリスチーナに、俺は首だけ振って拒否する。背中を大地に豪快に叩き付けられて、息が詰まって声が出ない。凄まじい投げだった。

本来ならば激突させて、俺を殺す事だって出来た。そうしなかったのは、やはり俺を殺せない為。人間関係が、俺を救ってくれている。

他人の好意に縋っても、昔のように恥だとは思わない。この好意こそ俺が勝ち取ったものだと、師匠は誇ってくれたのだから。


「諦めなさい、ウサギ。クリスには、ぜっったい勝てないんだから」


 その言葉だけをよしとせず、肺を振り絞って息を吐いて反撃。足刀するが、逆に刈られて血が流れ出る。殺人姫の足捌きは、刃物にさえなり得る。

その後はほぼ一方的な展開だった。殴られ、蹴られ、投げ飛ばされて、引きずり回され、押し倒される。服が千切れ、髪が解けて、顔が泥と血に塗れる。

夕食時になっても来ない二人を気にして、別荘の住民が一人、また一人と、顔を出す。そんな彼女達に笑顔で手を振るクリスと、クリスに集中する俺。

全員が揃ったところで、クリスチーナはボロ屑のようになった俺を掴み上げる。


「参った、と言いなさい」

「い、嫌だ……」

「思いっきり、手加減してあげているのが分からないのかなー?」


 そのまま頭突きをするが、やり返されて額から血が流れる。外野が息を呑むが、誰一人声を上げようともしなかった。衝動的に、笑いがこみ上げる。

誰も、傷付いた俺を笑おうとしない。この前のように馬鹿にしたりも、賭け事に興じたりもしない。皆手も口も出さず、俺の戦いを見届ける。見守っていてくれる。


なんて生意気で――いい女達なのだろう……絶対に、勝たねばならない。


「参ったと、言いなさい」

「……」

「次に言わなければ、歯を折るよ」

「……っ」

「別に殺さなくても、人間は壊せるよ。髪を引き抜く、目を刳り抜く、鼻をへし折る、歯を壊す、耳を引き裂く、首を曲げる、足を磨り潰す――全部、経験済み。
ウサギの意思が固いのは、知ってる。でも、ウサギは絶対屈服するよ。

だって――ウサギは、捨てられないでしょう。手に入れようとしている人間は、絶対に捨てられない」


 核心を突かれた。その通りだ。腕を治しに来たのに、体を壊す真似は出来ない。それは大いなる矛盾、張る意地を完全に間違えている。

月村忍とすずかが見ている。彼女達は口には出さないが、俺の利き腕が壊れた責任を感じている。だからこそ、他の誰よりも俺の回復を祈ってくれている。

他の皆だって、そうだ。彼女達が捧げてくれた血を、曲げる行為には出られない。俺はもう、捨てられないのだ。


他人を認めてしまった以上は、他人に決して目を背けられない。


「参ったと、言いなさい」

「――」

「そう――じゃあまず、歯から折るね。二、三本折れば少しは分かって――痛っ!?」


 やられたい放題だったのは、この為。クリスチーナの指が口に入ったその時に、思い切り齧る。そのまま千切ろうとはせず、口を開けて開放した。

噛み付きは有効な手段だが、生粋のマフィアには逆効果。強引に引き抜かれたら、俺の歯が折れてしまう。俺は歯で石も噛み砕けるが、クリスチーナの筋肉は引き裂けない。

それでも、効果はあった。クリスチーナの瞳が、怒りに燃える。


「お仕置きが、必要だね」

「やってみろ」


 憤慨していても、彼女は絶対に本気を出せない。本気を出せば、俺を簡単に殺せる。無意識であっても、彼女の血が制限をかけてしまう。

相手を殺したいほど怒っているのに、制限がかかってしまうのは逆効果。急激な制御は反動を生んで、彼女に絶大な負担をかける。


鎖に繋がれた、殺人姫――それでも、圧倒的だった。


「参った、と言ってよ!」

「ゴハッ!?」


 何度も、何度も、倒される。せめて拷問はされないように、必死で動き回る。その為クリスチーナには焦りが生じて、無駄な動きも多くなる。

でもそれはプロなら何とか見える隙でしか無く、素人から見ればアクションスターばりの洗練された暴力。一度も打撃を与えられずに、血は流れるばかり。

時間は、過ぎていく。そして、怪我も増えていく。けれど、意思は挫けない。


「ハァ、ハァ……ま、参ったと、言って」

「……っ……嫌、だ」

「言って……よ!!」


 外野は、誰も口を出さない。誰一人、引き上げない。皆、我慢強く見てくれていた。彼女達の確かな存在が、折れそうな俺を支えてくれていた。

日が暮れて、夜も更けて、闇に沈んで、日を跨いで。何度倒されただろう、何度死にかけただろう、どれほど傷を増やされたのだろう。どれほど、血を流したのだろう。

膨大な数の戦いを、繰り広げた。一度も、勝てなかった。何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、負け続けた。


千を超えた先に――"光"が、見えた。


息も絶え絶えだったクリスチーナが汗を拭い、朝日に目を細める。冷たい夜が終わり、長い時間が経過して見せた、初めての気の緩み。

「素人でも分かる」隙に、俺は顔を上げて仕掛ける。断空剣による、足の斬り捌き。血を流して、クリスチーナを地面に倒れた。そのままのしかかる。


マウントポジション、最後にして最大のチャンス。クリスチーナは、ただ驚いていた。


「な、何で……ウサギはこんなに、頑張れるの!?」

「この偶然が来るのを、ずっと待っていた。偶然が来るまで、我慢し続けた。今までは辛抱強く待てなかったけど、今日は来るまで戦う覚悟を決めて挑んだ。
それだけだよ。俺はそんなことさえも、しようとはしなかった。甘かった」

「そ、そんなの、ありえない! 来るかどうかも分からないのに、待てるはずがない!」

「俺には、見ていてくれる仲間がいる。そして、血を分けた家族がいる。支えてくれる、他人がいる。お前とは、違って」

「――ぐっ、この……!」


「そして何より、たっぷり体力をつけている」


「はっ……?」

「悪いな、クリスチーナ。実は俺、夕飯はもうガッツリ食べていたんだ。昼寝もしたから、徹夜になっても体力は持つ」

「ず、ずるいぃぃぃぃぃーーーーー!!」


 そのままクリスチーナを押さえ込んで、ヘッドバット。頭の頑丈さは向こうが上でも、姿勢が違う。何度も殴りつければ、鉄であっても傷くらいはつく。

自分の頭を竹刀に見立てて、何度も何度も叩きつける。降参なんて、求めない。そんな余裕はない。言葉ではなく、暴力で相手の戦意を奪う。余裕の無さも時には、弱者の強みとなり得る。

これこそ、"マフィア流"――クリスチーナは強者であるが故に、負ける。


「痛い、痛い、痛いぃぃぃ……やめて、ウサギ!?」

「っ、っ、っ!!」

「う、あああああぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜参った、参った、ごめんなさい、ごめんなさいぃぃぃぃーーー!!」


 聞かなかった。心を鬼にして、打ちのめした。クリスチーナの顔が涙でぐちゃぐちゃになっても、頭から血を流しても、俺は叩きつけるのを止めなかった。

今まで誰からも、一方的にやられたことなんてなかったのだろう。悲鳴は嗚咽に変わり、絶叫へと変化する。泣き喚く少女に、俺は情けをかけない。

これが、少女が今までしてきたことなのだから――言ったよな、クリスチーナ。


俺は、許さないと。


「ハァ、ハァ、ハァ、ゴフッ……ハァ、ハァ、ハァ……」

「……、……」


 顔中血まみれにして、クリスチーナは横たわっていた。もう声も出ず、か細い呼吸だけしてピクリとも動かない。激痛のあまり、気絶してしまった。

ボロキレのように転がった少女の襟首を掴んで、流れた血を啜る。ディアーナのように優しくもせず、荒々しく血を奪い取った。何の慈悲も、見せずに。


血を飲み終えて、俺はようやく――この言葉が、言えた。あまりにも、矛盾に満ちたこの言葉を。


「悪い事なんてしたらいけないんだよ、クリスチーナ」

「……」

「人を傷付けたら、駄目なんだ」


 俺は父親の代わりにはなれないけど、友達として遠慮なく言わせてもらうからな。

そう言うと、クリスチーナは目を閉じたまま――涙のような、血を流した。
















<続く>








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