とらいあんぐるハート3 To a you side 第七楽章 暁は光と闇とを分かつ 第十七話
マラソンは、走っている間とても辛いけど――ゴールに辿り着けば、感動する。
一生懸命だったのならば、最下位でも報われる。他人に、何と言われようとも。
そんな誇らしい人生を送ろうと、決めたんだ。
――随分と長く眠っていたはずなのに、身体は貪欲に眠りを求めている。死ぬと分かっていても、睡眠欲を満たしたい。
ハッキリしているのは意識だけ、身体も心も疲れ果て、五感の全てが鈍っている。限度を過ぎれば、神経も痛みを発するのを止める。
安らぎに満ちた死よりも、生は苦しみに溢れている。生きる意味がなければ、躊躇なく死を選んでいただろう。
自分か、他人か。生か、死か――俺は、選択をした。
"俺の血を入れたのは失敗だったな、カーミラ・マンシュタイン"
"そ、そんな……人間が、私を支配するなんて!?"
重傷を負ったカーミラを救うべく、マンシュタイン家は瀕死に陥った俺の生き血を少女の体内に輸血した。
夜の一族の本質は血、過去より連なりし大きなる血統こそ彼らの誇りであり、血の恩恵を受けて人を超えた存在となった。
俺の血を体内に取り入れた事により、カーミラと俺との間に血の繋がりが生まれたのだ。
血こそが、彼ら自身を肯定する要素――流れる血の濃度が、存在の価値を決める。
人間と吸血鬼では、確かに圧倒的な能力の差がある。人間の人生は短く、長寿の彼らから見ればちっぽけな存在だろう。
だからといって、必ず人間が負けるとは限らない。俺の血がカーミラの血をねじ伏せて、彼女の意思を支配した。
こいつは、肝心な事を分かっていない。人の血だって、生命を燃やして赤く輝いている。
"主導権を握って、ようやくお前の血も俺の身体に完全に馴染んだよ。おかげで峠は超えられた、ありがとう"
"くぅぅ……夜の一族の事を、知っていたのか!"
以前忍の血を与えられて、重傷こそ負ったが何とか生き延びる事が出来た。夜の一族の血は馴染めば、身体を癒してくれる。
テロリストに胸を撃たれて死にかけたが、何とか意識は回復した。忍の時と、同じだ。
違うのは与えられた血の量と、相手との関係。支配した相手の血一滴だけでは、完全回復には程遠い。
俺はまだ、死の運命から逃れられていない。
"お、お前の心臓は確かに一度、止まったはずだ! 意識だってなかった、意思も消えかけていた!
なのにお前は最後まで、走り続けられた……何故!? 心はともかく、身体は絶対にもたない!"
"お前と違い、俺は独りじゃないんだよ"
俺を殺そうとした連中の唯一のミス、それは昏睡していた俺の傍で自分達の悪巧みを話していた事。
俺の指につけていたクラールヴィントが救難信号を送り、ミヤ達が助けに来てくれたのだ。
血を全部抜かれないように細工した上で、ミヤが必死で回復魔法をかけて俺の命を繋いでくれた。
意識もなく眠っていたのだが――お人好しの妖精の想いは、俺の血まで温かくしてくれた。
"仲間が救援に来ると分かっていたから、安心して戦えたとでも言うのか!? ふざけるな!"
"――お前はまだ、自分が負けた理由が分かっていないようだな"
血の繋がりを通じて、意思をぶつけ合い、主導権争いまでして、ようやくこいつの事を理解出来た。
海外に来てまで、人間関係に悩まされるとは。この世界で生きて行くのは、本当に難しい。
"お前には、何にも無いんだよ。生きていく理由も、死ぬ理由も、何にもありはしない。
何も無いから、戦い続ける事が出来ない。苦しくなったら、諦めてしまう"
"私は、貴様を殺すと誓った!"
"憎み続けられる強さもないのさ、お前には。心が折れそうになっても、支えるものがない"
"世迷言を――!"
"それが、この結果。諦めなかった俺に、屈してしまった。
夜の一族ならば、人間の血に屈する意味が分からない訳がない"
"私は、マンシュタインだぞ! 夜の一族を統べる資格を持つ、正統なる後継者だ!!"
過去の自分に向かって、俺はハッキリと言った。
"お前は――特別なんかじゃないんだよ"
"う、嘘だ……私が、私が……ああ、あああぁァァァァァァァーーーーーーーー!"
子供は現実を知って、大人になる。それが良い事なのか悪い事なのか、俺にも分からない。
大人達は己の限界を悟って、成長するのだという。でも限界を教える事がはたして、本人にとって良い事なのだろうか?
少女はこんなにも、泣き叫んでいるのに――正しいことを言ったなんて、俺には思えなかった。
真っ白な部屋、窓一つのみの簡素な病室に、俺達二人は寝かされている。
集中治療室ではなく、単なる個室。見舞い客どころか病院関係者も来ない、隠蔽された空間。
俺の血を全部抜いて、カーミラに輸血する。おかしな話だが、その為に俺はギリギリまで生かされていた。
傷の手当と、最大限の延命措置――その全ては、カーミラ・マンシュタインを生かす為に。
"私を殺しなさい、人間。生き恥をさらすつもりはないわ"
少女が選んだのは、誇り高き死。生きる理由を全て失った少女が、最後に選んだのは死だった。
嫌になるほど、俺に似ている。己が特別ではないと分かった時、俺も同じく自暴自棄になったのだから。
"私が憎いのでしょう? 殺しなさい"
どうするべきか、悩むまでもない。俺はもう、自分の生き方を決めたのだから。
俺は重い瞼をこじ開けて、口から呼吸器、手から点滴、身体中につけられた医療器具を取り外す。
――猛烈な倦怠感。全身が痛みに引き攣り、傷んだ肺が痙攣して、激しく咳き込む。
ふらつくどころの話ではない。呼吸するだけで、疲労する。歯が勝手にガチガチ鳴って、視界が歪んだ。
自分の命なのに、自分一人で保つ事が出来ない。医療器具がなければ、生きていけない身。
フィリスが今の俺を見たら、顔を青くして集中治療室に縛り付けるだろう。そう思うと笑えて、少しだけ気持ちが楽になった。
「分かった。お前の願いを、叶えてやる」
ベットの上で眠るカーミラに施された延命処置の全てを、取り外した。医療機器が、異常を訴える。
俺を殺そうとした連中にも多分、異常は伝わるだろう。彼らが来る前に、急いで逃げなければならない。
俺はカーミラを背負って、真っ白なベットシーツを頭からかぶせる。
"待ちなさい。何をするつもり?"
"今すぐ逃げるんだよ。此処にいたら、俺が殺される"
"私をどうして連れていこうとしているの!? このまま放置しておけば、遠からず死ぬわ"
"お前を殺すなんて一言も言っていない。願いを叶えてやると、言ったんだ"
一晩中魔法をかけ続けて、疲労困憊で気絶しているミヤを掴んでポケットに――ちっ、やはり利き腕が動かない。
病室の窓を開ける。幸運か不運か、この病室は三階だった。高くも、そして低くもない位置。
この病院全体が敵の巣窟だと思っていい。病院内を歩くには、危険過ぎる。見つかれば、終わりだ。
"私は、殺せと言ったでしょう!"
"此処にいたら、生かされるんだぞ? お前の願いは叶えられない"
"お前だって、長くはないわ――どうしてそうまでして、抗おうとするの?"
今が5月、もしくは6月だったら、多分俺は諦めていた。それほどまでに、今の状況は絶望的だった。
自分一人では生きられない。助けを呼ぶこともできない。日本ですらない。仲間と呼べる人間も、傍にはいない。
そして何より――剣が、折れてしまった。俺はもう、剣士すらない。
"決めたからだよ"
"何を……?"
"懸命に生きると、決めたからだよ"
間もなく、俺は死ぬだろう。傷も治っておらず、息をするだけで目眩がする。その内、心臓が鼓動するだけで膝をつくだろう。
体力は全く、回復していない。どれほど眠っても、その全ては生かす為に使われる。回復には程遠い。
諦めた方がずっと、楽だった。そうしたいけれど――俺には、楽をするなんて許されないんだ。
俺は声に出して、カーミラと本音で話す。
「これ以上女を泣かせたら、俺は自分を許せねえよ」
"……"
生きてやる。絶対に生き延びて、成長するんだ。弱いからって、泣いているだけでは何も変わらない。
病室の窓から身を乗り出す。下は中庭、草木が生い茂っている。無事に飛び降りる事が出来れば、自然にまぎれて逃げられる。
大怪我した状態で三階から飛び降りたら、足から落ちても無事では済まない。多分、傷も盛大に開くだろう。
逃げても、何処へ行くのかはまだ分からない。カーミラを連れている以上、ロシアのマフィアには頼れない。
"一つだけ、生きる理由が見つかったわ"
"何だ?"
"お前を支配する――お前を私の下僕にして、必ず跪かせてあげる。日本の支配はそれからよ"
笑いが、こみ上げてきた。俺にはどうやら、人を見る目が全くないらしい。
こいつは、俺とは全然違う。庶民の俺とは生まれも育ちも違う、本物の貴族だ。
特別ではないのなら――特別になる。高貴なお姫様らしい、発想だった。
「しっかり掴まっていてくださいね、カーミラお嬢様」
"行きなさい、我が下僕"
眠りの森の姫君を背に、俺は窓から飛び降りた。死ぬのではなく、生きるために。
戦う理由も、武器もなくても、俺達はまだ生きている。生きているのならば、きっと理由も見つかる。
残された命が僅かでも、ゴールが死であっても――俺達は、走り出す。
<続く>
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