とらいあんぐるハート3 To a you side 第七楽章 暁は光と闇とを分かつ 第六話
世界のベスト20にランクされる名門ホテル、宿泊料はともかく建物自体は高くない。エレベーターは使わず、階段を上る。
金持ちがわざわざ自分の足で苦労して階段なんて上らない、という庶民の偏見が意外に通じて自分でもビックリした。
宿泊客どころか、ホテルの従業員ともすれ違わずに階段を上り、目的の階が見えてきたところで足を止める。
次の階は最上階、マンシュタイン家が宿泊しているロイヤルスイートルーム。
最上階の造りがどうなっているのか分からないが、今は大事な時期だ。マンシュタイン家が専有しているだろう。
家族水入らずなんて、絶対にありえない。護衛も数揃えている。月村家の護衛を務めた俺とは別格の、本物が。
"下手をすれば、その場でズドンやな"
そう語る月村安次郎の表情は真剣そのものだった。何より奴自身の態度が、真実を物語っている。
俺が忍や妹さんの護衛をしていた頃、安次郎は我が物顔で月村家を訪問していた。さくらに脅されようと、姪の財産を付け狙い続けた。
そんな傲岸不遜な男が、借りてきた猫のように大人しく順番を待っている。何時間待たされようと、文句一つ言わない。
日本を代表する権力者達がお目通りも叶わない、ドイツの名門貴族。俺の態度一つで、国際問題にまで発展するかもしれない。
「行くぞ」
躊躇いは一瞬、腰にぶら下げた剣も抜かずに階段を上る。今更悩むくらいなら、海鳴町を旅立ったりはしない。
身の程は弁えている。俺のような何も持たない人間に、マンシュタイン家がわざわざ会う筈がない。
アポイントを取るどころか、百年待っても声一つかけられない。欧州の覇者達にとって、俺は1という数字でしかない。
居場所を突き止められただけでも、奇跡に等しい。どれほど強引であっても、機会は自分自身で作ってみせる。
自分を売り込むにはどうすればいいのか、考え続ける。利き腕が壊れた剣士を護衛に雇う物好きはいない。
月村すずかというカードは、絶対に使わない。だったら、夜の一族を知る"人間"として――!?
「えっ……?」
階段を上っていた筈なのに、下っている。自分の意思とは反して、身体が後退していた。
階上を見上げる。最上階へと続く扉、開いている――不自然に。中途半端に開いた扉の周囲に、誰もいない。
冷や汗が流れ、白い包帯が巻かれた利き腕が痛みを発する。使えないのに、感覚だけが残っている。
俺は達人ではない、気配を感じる事なんて出来やしない。修羅場を潜って磨かれたのは、己自身の感覚。
命すら危うい危険を知り、危機を訴える感覚が未然に知らせてくれる。この先を行けば、危ないと。
「…‥俺の事がばれた――訳でもなさそうだな。行ってみるしかないか」
安全を考えて引き返す事は出来るが、やり直しが利かない。ドゥーエの言う通り、普通の人間にはチャンスなんて訪れない。
己の人生を誇る経歴も、己を証明する強さもありはしない。腕も壊れて剣が振るえない俺が唯一持っているのは、自分自身の命しかない。
他に取り得があれば、機会を与えてくれるのなら、大人しく引き返す。でも今の俺には、本当に何もないのだ。
自分の人生を無駄に過ごしたとは思っていないが、勉強も就職も何もしなかったのは事実なのだ。
サラリーマンだって、出世する為に自分の寿命を削って頑張っている。何もしないで何もかも得ようとなんて、虫が良すぎる。
頭の中で鳴り響く警報を振り切って、階段を駆け上がる。半端に開いている扉を――
「!? う、が――っ!」
堪らず、膝を付く。立ち上がろうとしても力が入らず、持ち歩いていた旅行鞄を落としてしまう。
猛烈な目眩、鼻を焼く異臭、肺を捻られる息苦しさ。心臓だけが異様に高鳴り、全身が麻痺して動かない。
一階登っただけなのに、空気の密度がまるで違う。酸素ではなく、別の何かが最上階全体を覆っていた。
声が出ない。涎が口から垂れ流れ、耳から血が出て、目から涙が溢れ出る。呼吸が……出来ない。
視界が暗転して、瞼が落ちていく。睡眠ではなく、永眠。眠れば、死ぬ。こんな所で、死ん、で――
「たまる、かぁぁぁぁぁ!!!」
口から白い泡を無様に吐きながら、強引に身体を反転。反動で首から吊り下げていた包帯が浮き上がり、そのまま床に激突した。
目から火花が飛び散るような、痛み。破壊された利き腕を自分で床に叩きつけ、激痛に悶えながら意識を覚醒させる。
鋭い刺激が緩慢に冷たくなっていた身体に、熱を与える。何の解決にもなっていないが、何もせずに死ぬのは御免だ。
ロイヤルスイートルームへの扉が、半端に開いているのも分かる。ドアの間に人が倒れていれば、扉だって閉まらない。
最上階は、死体の山だった。護衛と思われる男達が全員、床に臥していて動かない。生死すら、不明。
痛みで意識は保てても、呼吸が出来なければどのみち死ぬ。息を吐こうとしても、空気が重く喉の奥で押さえ付けられる。
いや――これは、空気じゃない。もっと別の、何か。重苦しい敵意、凍てつく殺意、肌を焼く魔力――魔力?
(プレ、シア……)
大魔導師と対峙した時のとてつもないプレッシャー、あの時感じた圧迫感に似ている。問答無用で、平伏したくなる。
絶望に染まった微笑みを浮かべる女性が脳裏に浮かび、歯を食いしばって自分の腕を叩きつける。死んで、たまるか!
プレシアに生きろと言っておきながら、俺が諦めて死ぬなんて許されない。あいつは世界すら敵に回して、願いを叶えようとしたんだ。
芋虫のように床を転がりながら、必死で腕を叩いて生死の境を何度も往復する。腕が血に染まっていき、床を濡らした。
自分自身の命が他人にはない唯一の取り柄、それを証明してやる。旅人の生き汚なさを、舐めるなよ。
必死で喘いでいると、床に落とした旅行鞄にぶつかってしまう。鞄は床を転がっていって、大きく開いた――
「リョウスケ!!」
鞄が、飛び上がった。重苦しい空気を吹き飛ばす、愛らしい少女の声が耳朶を打つ。
旅行鞄は空中を一回転して、中の荷物を溢れ出す。銀蒼色の髪の妖精、銀十字が刻まれた古書、獣耳を生やした少女――
可憐な妖精が両手をかざすと、自分の指につけていた指輪が輝き出した。湖の騎士シャマルのデバイス、"クラールヴィント"。
「静かなる風よ、癒しの恵みを運んで――"静かなる癒し"!」
「っ――ゲホ、ゲホッ!!」
柔らかな光に包まれた瞬間息苦しさが消えて、喉に詰まっていた呼気が飛び出した。涙を滲ませて、乱暴に呼吸をする。
傷ついた腕も回復して、出血も止まった。痛みも止まったので試しに腕を動かす努力をするが、利き腕は全然反応しない。
魔法でもやはり回復しないらしい。怪我は治せるが、壊れたものは直せない。通常の手段では、やはり元通りにはならないのだ。
……魔法が通常の手段とは言いたくないが、こいつらの存在はもっとどうかと思う。
「で、何でお前らがここにいる?」
「リョウスケが心配だったので、アリサ様とはやてちゃんにお願いして来たのです!」
感謝ではなく邪魔という意味で問い質したのだが、八神家のチビスケはえっへんと胸を張る。相変わらず、緊張感のない奴だった。
八神はやてが所有する夜天の魔導書より生み出された、蒼い妖精。ユニゾンデバイスの少女、ミヤ。
デバイスの主は海鳴町にいる車椅子の少女の筈なのだが、わざわざアリサに頼んで旅行鞄に潜んで付いてきたらしい。
どうりで、丁寧に鞄を持てとアリサがうるさく注意するはずだ。中に、こいつらが入っているのだから。
「主のはやてを海鳴町へ置き去りにしていいのか、お前。ヴィータ達が怒るぞ」
「はやてちゃんよりリョウスケの方が危ないと、ヴィータちゃんも、シグナムも、シャマルも、ザフィーラも皆言ってたですぅ」
「……」
全く、信用されてなかった。6月に頑張って交流したつもりだが、振り返ってみれば無様な顔ばかり見せていた気がする。
あいつらの事だから俺を気遣うというより、俺に死なれてはやてが悲しむ事を考慮してミヤを派遣したのだろう。
守護騎士達の許可が出ているのなら、クラールヴィントを起動させられるのも頷ける。おかげで、助かった。
ミヤが来たのは分かるのだが――
「どうして、夜天の魔導書まで一緒に持って来てるんだ。まさか、彼女も俺の事を心配して……?」
「お姉様と離ればなれになるのが悲しくて泣いていたら、一緒に来て下さったんです! えへへ、お姉様はやっぱり優しいですー!」
「……」
「毎晩、延々と泣かれた? 大変だな、あんたも……」
改竄されるよりも、夜泣きする妖精の方が大問題だったらしい。入院していて本当によかったと、今更ながらに思う。
守護騎士達との監視生活で、改竄に距離は関係ないと判明されたのだ。引き離しても意味はないと、彼らなりに結論付けたのだろう。
俺ではなく、ミヤに預けるという形。もし書に強制アクセスをすれば、シャマルのデバイスが俺の指を破壊する。
クラールヴィントが、海外にいる俺への監視。何処に逃げても、追跡されて殺される。書に、何も出来はしない。
「久遠は……分かった、分かった。怒らないから泣くな」
「……ぐす」
少女の頭を撫でる趣味はないので、嘆息して涙を拭いてやる。愛くるしい女の子の名は、久遠。正体は、まだ小さい子狐である。
鞄に隠れて一緒に来た理由を、いちいち聞くまでもない。人見知りする分、懐いてしまうと自分から擦り寄って来る。
俺が海外へ行くと聞いて、別れるのが嫌でついてきたのだろう。那美に内緒で来たのかどうか、後で聞いてみるとしよう。
重要なのは久遠がいることではなく――久遠が人間形態に、変身させられている事だ。
「ミヤ、お前クラールヴィントの力をかりれば回復魔法は使えるか?」
「はい、ミヤもリョウスケが入院している間一生懸命練習したですよー!」
「分かった。じゃあ、その辺に転がっている連中治療してやってくれ。久遠も、ミヤを手伝ってくれ」
「転がっている人――ふえええええ、何ですか、何ですかぁ、これは!?」
最上階のロイヤルスイートルーム、選ばれた人間のみ許される至福の空間が地獄絵図と化している。
倒れている者達はオシャレとは程遠い地味なスーツを着込んでおり、手に銃を持ったまま意識を失っていた。
さっきは冷静に観察する余裕はなかったが、身体が小刻みに痙攣していて、口から泡を吹いている。窒息死寸前だ。
――これに似た状態を一度、見た事がある。月村すずかとの戦闘時、追い詰められた彼女が発した戦意で病院関係者が倒れた。
痛々しい光景を目を逸らさず見つめていると、小さな唸り声が上がった。スキンヘッドの男が、身悶えしている。
「おい、何があっ――ちっ、日本語が分からないか。えーと……
"お前を助けに来た、大丈夫か"!?」
ドイツ語は使えないが、英語ならば簡単な会話は出来る。簡単と言っても、単にメールでやり取りする程度に。
フィリスの勧めで始めた、海外に住む女の子との文通。初めて出来たペンフレンドの手紙は英語で書かれていて、翻訳に苦労させられた。
テレビに出演する有名人なのだが、不思議と今でも文通は続いている。二ヶ月以上も続ければ、英語の文面も慣れる。
フィアッセやアリサに翻訳を手伝ってもらいながら、英語は教わっている。世界に通用する言語と言っていたし、もしかしたら――
「に、にほんじん、だべか……?」
「! 日本語が分かるのか!?」
「は、早く、逃げるだ……お、お嬢様に、ころされ……がはっ!」
「おい!? くそ、ミヤ、こいつに回復魔法を!」
貴族の社交場を思わせるロイヤルスイートを満たす、強烈な敵意。物々しい空気が、動物である久遠の本能を刺激して変身させたのだ。
人間を死に追いやる妖かしの気は、ロイヤルスイートルームの奥にある寝室の扉から放たれている。
護衛はあの部屋の主により、全員倒された。他ならぬ、護衛対象によって。
「リョウスケ、この人達早く手当てしないと死んでしまいます! で、でも、今のミヤの魔力では全員は――」
「俺にかけている魔法を解除して、他の人間に割り当てろ」
「そ、そんな事をしたら、今度はリョウスケが倒れてしまいますぅ!?」
「俺は大丈夫、もう慣れたよ」
嘘でもあり、本当でもある。慣れたのではなく、たった今から――克服する。
自分の分まで他の人間を助けるように指示するなんて、まるでなのは達みたいだ。そんな選択をした自分自身に、驚いてしまう。
何でだろう……? 自分より他人を優先した事に嫌悪より、嬉しく感じてしまう。俺もようやく、少しは変わったのだろうか?
この優しさは決して、本物ではない。他人に、与えられた感情だ。だけど、
人間をゴミクズのように扱う吸血鬼に感じるこの怒りは、本物だ。
――折角の機会を、不意にしてしまう。ドイツの名門貴族を敵に回して、会議になんて出れる筈がない。
短気で無鉄砲、考えなしの馬鹿な行動。だけど、この感情だけは――今までと同じではない。
「お前はデバイス、人を助ける事が仕事だろう。俺は剣士だ、人や化物を斬るのが本業だ。此処は任せる」
「……分かりました……、ミヤに任せて下さい! 久遠ちゃんとお姉様もいますし、絶対に何とかしてみせます!」
止めても無駄だと分かったのだろう、ミヤはしっかりと頷いてくれた。この旅行鞄のお守りは、本当に御利益があるらしい。
夜天の魔導書に飛び乗って、久遠と一緒に倒れている人々に駆け寄っていく。ミヤが離れた瞬間、指輪から光が消えた。
――呼吸は出来ない、けれど回復してくれた手足は動く。意識を失う前に、俺は寝室の扉を蹴破った。
「――!?」
アンティーク調の、キングサイズベッドが置かれたベッドルーム。天蓋付ベットで、優雅に寝そべっていた存在が起き上がる。
赤いバラと黒いレースの、豪華なドレス――花嫁衣裳を着飾った、美しき少女。
青髪に真紅の瞳、流麗に結ばれた唇。そして、背に生えた漆黒の羽。
マンシュタイン家の御令嬢、カーミラ・マンシュタイン――本物の吸血鬼との、御対面だった。
<続く>
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