とらいあんぐるハート3 To a you side 第六楽章 星たちの血の悦び 最終話
7月。海鳴大学病院を一時退院、海外にある病院へ移送される事になった。あくまで名目上の話、手続きも全て書類関連のみ。
嘘偽りを並べたのではなく、真実を語らないだけ。最後まで人を騙し裏切って、俺は病院から出ていく事になった。
見送ってくれたのも、主治医であるフィリス・矢沢だけ。裏切り者にはお似合いの末路だった。
「良介さんの剣は預かっておきます。必ず、取りに来て下さいね」
「ああ、本当にお前には世話になった。ありがとう」
「良介さんに、笑顔なんて似合いませんよ。早く元気になって、私を困らせるくらいになって下さい」
――あれから、那美は見舞いには来なくなった。彼女の気持ちはもう、俺の心には届かない。
自分が独りになったのだと思い知らされても、俺は何も感じなかった。毎日腹いっぱいご飯を食べて、グッスリ眠った。
所詮、俺は人情のない男。女一人くらいフッても、何にも思わない。悩んでは――いけない。
怪我はしているが、俺はもう元気だというのに……フィリスに気遣われてしまう。こいつには、最後まで頭が上がらなかった。
病院には直接、さくらが車で迎えに来てくれた。何処にも立ち寄らず、直接海外まで行くつもりだ。
情を移してはいけない。この町からずっと出ていきたいと思っていたんだ、笑って行かないと。
「貴方の荷物は全部アリサが準備して、空港で待っているわ。
何もなければ車を出すけれど――忘れものは、ない?」
彼女はやはり、大人だった。気遣いを強制せず、非人情であっても俺の意思を尊重してくれる。
今日の出発を、俺は誰にも伝えなかった。関係者には毎日のように聞かれたのだが、俺は曖昧に言葉を濁した。
同居人であるはやてにだけは、伝えてある。あいつにだけは、嘘はつかないと決めたのだ。
別れを告げても、あいつは泣かなかった。
『良介の部屋はそのままにしとくから、はよ直して帰っておいで』
『この国より海外のほうが居心地がいいかも知れないから、そのまま向こうに住み着くかもな』
『そやったら、追い掛けるわ。この足を治して、自分で歩いて迎えに行く』
俺の手と同様に、あいつの足は治る見込みは殆ど無い。リハビリも今だ効果はなく、毎日毎日苦しみながら立とうとしている。
無茶はせず、無理を重ねる。医者や看護師の注意をきちんと聞いて、自分の限界に挑み続けている。
はやての強い姿勢は、守護騎士も感銘を受けたようだった。新しい主を見習って、彼らも新しい人生を模索している。
「忘れ物なんて、何も無いよ。自分の荷物はちゃんと、持っている」
「桜の……枝、かしら? 竹刀の代わりにするつもりなの」
「俺の原点、やっと思い出したんだ」
病院の庭で拾った枝を、大切に握りしめる。海鳴町へ着いた時、最初に手にした剣。見栄えの悪い、木の枝。
爺さんとの戦闘で折れてしまい、代わりに託されたのが竹刀だった。人を守る高町の剣、持ち続けることは叶わなかった。
この町で戦い続けて強くなったつもりだけど、先月俺は負けに負けた。もう一度俺は、自分自身を見直さなければならない。
こんな細い枝で人を傷付ける事は出来ないけれど――今の俺には、お似合いだと思う。
機内への持ち込みは問題ないとの事で、俺はさくらの車に乗る。この町ともお別れ、今日限りで出て行く。
こんな小さな町、車を出せば一瞬だろう。過去を振り返る隙がないのは、ありがたかった。
思い出したく、なかった。負けて出て行くなんて、自分を惨めにするだけだ。
「良介」
「えっ――ええっ!?」
後部座席でも、バックミラーは見える。曇のない鏡に写っている光景に、愕然とした。
脚部にローラスケートを装着したクイント・ナカジマが、高町なのはを抱えて猛スピードでこちらに向かって走っている。
運転手のさくらも唖然とした顔をしている。そりゃそうだ、車に追いつく速度なんてありえないだろう!?
事実は小説より奇なり、クイントはあっさり追いついて後部座席の窓をコンコン叩く。怖すぎて、窓を開けてしまった。
「リョウスケ、お母さんに内緒で何処へ行くのかな〜?」
「のおおおおお、首、首がしまってる!? 何故、今日出て行く事を知っている!」
「息子が何にも話してくれないから、先生を問い詰めたの。間に合ってよかったわ」
「何でローラースケートで間に合うんだよ!? おかしいだろ、色々と!」
ちなみに、車は今も車道を走っている。日常ではありえない事態に、さくらが車を停めるべきか悩んでしまっているのだ。正解である。
周囲に目立ちまくりだが、どうせ俺は出ていくのでもう気にしない事にする。
俺の母親を名乗り出る女性は、しみったれな事は一切言わなかった。代わりに、背中を叩く。
「しっかりやって来なさい。何があっても、お母さんは味方になってあげるから」
「あんたに頼らなくてもやれるさ。あんたの周囲にも、認めさせてやると言っただろう」
「よし――それでこそ、私の息子だ!」
人の髪の毛をグシャグシャと乱暴に、クイントは頭を撫でる。大きな手のひら、気恥ずかしさを感じさせる。
温かい手の感触は6月で傷ついた心に触れて、目頭が熱くなる。アリサが死んだ時、桃子が支えてくれた事を思い出してしまった。
彼女の娘であるなのはが見送りに来た事も、運命のように思える。なのはは、ポロポロ涙を零す。
「お、おにーちゃん、わたし、何にも守れなくて……おにーちゃんの、手……」
時空管理局からの要請と、自分自身の意思で俺の護衛役となったなのは。俺を護れず手が動かなくなった事を、今も悔やんでいる。
敵はプロだったから仕方がなかった、なんて言わない。お前のおかげで手だけで済んだ、とも言わない。
妹に、気を使う兄貴なんていない。
「なのは、約束しろ」
「約束……?」
「俺がいない間、この町を守ってくれ。俺も、世界を取れるくらいに強くなるから」
そのまま窓を閉めて、さくらに車を飛ばすように頼む。少し迷ったようだが、さくらは何も言わずに運転速度を高める。
見る見るうちにあいつらと距離を離し、やがて見えなくなった。遠ざかっていくなのはは、泣きながらも必死で頷いていたように見える。
誰かを守るなんて、俺の性に合わない。それこそ他人を助けるのが大好きな、魔法少女がやればいい。
「……貴方は本当に、酷い人ね。小さな子供に、町一つを託すなんて」
「あいつならきっと、やり遂げるさ」
あいつは誰も守れず、俺は誰にも勝てなかった。けれど、俺達は負け犬のまま終わるつもりはない。
何度負けたって、最後は勝てばいい。生きている限り、なんどでもやり直せる。諦めなければ。
俺とあいつは血は繋がっていないけど――諦めの悪さだけは、そっくりだ。
綺堂や月村が名家だというのは、分かりきっていた。忍やすずか、さくらがお金持ちのお嬢様である事も。
歴史に名高い夜の一族が世界を影から動かす権力を持つ事も、話を聞いて想像くらいはしていた。金の力というのを、理解したくて。
とはいえ、まさか――プライベートジェットの旅になるとは、夢にも思っていなかった。
「綺堂家の小型ジェットよ。プライベート機だから、怪我人の貴方でも快適な空の旅を楽しめるわ」
「そ、それはどうも……」
「面倒なセキュリティーチェックもないから、安心して。手続きだけ簡単に済ませてくるから、忍達と少し待っててね」
空の旅の究極の選択肢、プライベートジェット。自分の足で全国を渡り歩いた一人旅が、時間の無駄のように思えてしまった。
関係者だけを載せて羽ばたく、白の小型ジェット機。訓練を積んだ優秀なパイロットが操縦し、安全な空の旅を約束してくれる。
コンパクトながら快適な空間が用意されており、高級感に溢れた機内で大空を自由に羽ばたく開放感を楽しめるとの事。
手続きも名前の確認程度で済むらしく、既に死人であるアリサも国外へと旅立てる。
「ア、アリサ……これって、飛行機代とか幾らになるんだ?」
「もし小型ジェットをチャーターするとなると、百万円以上はかかるわね」
百円玉を拾って喜んでいた当時の自分に、泣けてくる。百万円とか、想像もつかない金額だった。
経済には詳しいアリサも金の持つ力を見せられて、感銘を受けているようだった。白の小型ジェット機を、吸い寄せられるように見ている。
この飛行機に乗って、俺は世界へと飛び出す。舞台の大きさに、身震いしそうだった。
「……不思議ね」
「何が?」
「あたしさ、あの廃ビルからずっと出たいと思ってた。自分が殺された事も自覚してて、無理な願いだと分かっていても。
暗く狭い部屋で、壊れた窓から外を見てて……自由な世界にずっと、憧れてた。
あの時の気持ちは多分、全てから解き放たれたい――未練を残さず、成仏したいという気持ちから生まれたのだと思うけど」
そこまで言って、アリサは振り返って俺を見上げる。柔らかな頬を薄く染めて、アリサは俺に微笑みかける。
恨み辛みも何も無い、幸福に満ちた眼差しで。
「叶わない夢が、アッサリ叶っちゃった。アンタと出会ってたった一ヶ月で、世界へと飛び立てる。
何もかも良介のおかげで、あたしは夢を叶えられた。生きるというのは、こんなにも素敵な事なのね。
いつ消えるのかビクビクしていたあたしが、馬鹿みたいに思えちゃう」
誘拐犯に殺された少女、命すら奪われてもアリサは全てを取り返す事が出来た。生きている事がただ嬉しく、心が満たされている。
助けるつもりなんぞ無かったけど――こいつを取り戻せてよかったと、本当に思う。奇跡は確かに、実現されたのだ。
今度は俺自身が、自分の夢を取り戻さなければならない。
「幸せに呆けている場合じゃねえぞ。海外は、戦場なんだ。しっかり役目を果たせよ、メイド」
「ご主人様の、望むがままに」
満面の笑みで、アリサは気取ってそう言った。一人でも味方がいれば、どんな戦場でも意気揚々と行けるというものだ。
久しぶりに二人で会話を楽しみ、アリサが準備してくれた旅行鞄を受け取る。アリサは、トランクを引っ張ってきた。
「どうして、旅行鞄とトランクを分けているんだ? 二人分の荷物なら、それほど多くはないだろう」
「手持ちの鞄も旅先では必要になると思って。貴重品も入っているから大切にしてね」
「ふ〜ん……まあいいや、お前持ってろ」
『――ぅん!?』
『――ぃです〜!』
「こ、こら! 鞄は乱暴に扱わないの!」
投げて渡すと、アリサは妙に慌てた顔をして鞄を受け取った。壊れ物が入っている訳でもなし、大層な奴である。
アリサは自分達の荷物を預けに、さくらの元へ。面倒な事は全て引き受けてくれるので、俺は楽でいい。
海外への、出立。間もなく、自分の国から出て行く――俺は今度こそ、勝てるのだろうか?
皆には強がりを言ったが、正直なところ不安はある。負けるのが怖いのではない、勝てない事に怯えている。
もはや、自分だけの問題ではない。那美の心を傷つけた以上、絶対に勝たなければならない。
自分の腕を治す手段は、この国にもあった。一人の少女が全てを捧げてまで、俺を癒そうとしてくれた。
俺は他人の純真な思いを踏み躙って、自分の願いに従った。好意を否定して、己の悪意を受け入れたのだ。
あいつは俺を許してくれたけど、傷付けてしまった事には変わりはない。今でもきっと、あの子の心は泣いている。
アリサのいう、未練。俺に、心残りはあるとすれば――
"外を見ろ"
顔を上げる。耳ではなく、頭に届いた声。夢の中で何度も聞いた、重みを帯びた冷徹な魔導書の意思。
彼女の声に導かれるように、俺は立ち上がって窓の外を見やる。
そこには、
彼女が、手を振っていた。
赤いドレスを着た、鉄槌の騎士。
白と緑の法衣を纏う、湖の騎士。
壮麗な甲冑を帯びた、剣の騎士。
強く美しき毛並を生やした、盾の守護獣。
騎士達に連れられて――神咲那美が、笑顔で手を振っている。
その微笑みに、何の曇りもなかった。
「……プログラムの、くせに……っ……人間みたいな、お節介を焼きやがって……」
距離が遠くて、本当によかった。目から流れ落ちるものを、見せずに済んだのだから。
本当に、容赦ない連中だ。最後の最後まで、厳しい。最後の最後まで、俺に試練を与えやがって。
彼らは、俺を見送りに来てくれたのではない。
――お前に気遣われる筋合いはない。自分の人生に、集中しろ――
新しい鎧は、生まれ変わった証。温かな微笑みは、乗り越えた証拠。なのに、俺だけが立ち止まっていてどうするのか?
負けてたまるか。今度こそ絶対に、勝つ。自分の誇りも夢も――剣も必ず、取り戻す。
ありがとうなんて、言わない。さようならも、必要ない。
俺は言わずに、そのまま彼らに背中を向けた。もはや、振り返る道はない。
何百倍もカッコよくなって、惚れ直させてやる。見ていろよ――
悲しみに濡れた梅雨は晴れて――空は、初夏の陽に照らし出されていた。
<第七楽章へ続く>
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