とらいあんぐるハート3 To a you side 第六楽章 星たちの血の悦び 第七十四話
再入院にあたって、今朝病院の先生から怪我の具合について正式に説明があった。
まず利き腕、完治はほぼ絶望的。切断や義手も検討される大怪我で、無理に握れば手としては機能しなくなると脅された。
もう片方の手は裂傷が酷く、当分無理は出来ない。動かすだけで精一杯、剣なんてもっての外。
身体にも打撲や切り裂かれた傷があるが、何より先月からの度重なるダメージが響いており、当分は絶対安静。
病院から一歩も出るなと言われており、退院からたった半月で包帯だらけになった。
脳に異常は見られないが、引き続き定期的な検査とカウセリングが必要との事。記憶喪失に加えて認識不能の疑い、当然の処置だった。
従って、再入院。剣は取り上げられ、仕事も失った。新しい人生はスタートの時点で、大きく躓いた。
先生に家族を呼んで話がしたいと言われて――正直、戸惑った。
「……家族って何なんですかね、先生」
「どういう意味だね」
「家族なんて上等なものはいないけど、家族のように扱ってくれる連中がいる。でも血の繋がりはないし、身内でもない。
それに一人一人、接し方も違う。誰一人、同じ奴がいない。拒絶するのは簡単だけど、受け入れるなら別々にしなければならない」
「医師としての経験で言わせてもらうけど、君のような患者の皆さんから信頼を得るのはとても難しいんだ。
好かれる事を当たり前だとは思わない事だ。血の繋がった家族でも絶対ではない」
この病院の先生は人格者が揃っているらしい。一応礼を言って、診察室を後にする。
六月に入って周囲を取り巻く環境が変わり、人間関係に変化が見え始めてきた。
今まで剣を振って過ごしてきた日々――毎日積み重ねてきた剣の時間がすっぽり空いて、時間にも余裕が出来ている。
少し前なら剣を振れない事に多大な苦痛を感じていたが、今はそれほどでもない。空いている時間も、持て余してはいない。
剣への情熱はむしろ前以上に高まっているが、皆が心配するほど悲観はしていない。剣を握れなくても、やれる事はある。
――他人へのお節介なんて、柄じゃねえけどな。
「アリサちゃんのカウセリングですか……?」
「悪い夢にうなされて眠れない夜が多いんだ、あいつ」
面会開始時間までは一人、まだ誰も見舞いには来ていない。外科で先生と話した後、俺はフィリスの診察室を訪ねる。
かねてから気になっていたアリサの悪夢について、専門家の意見を聞きたかった。
――生前の事から説明、アリサの境遇から死に至るまでの短い生を語った。
具体的な事実は話さなかったが、心の病気にかかった患者を看る先生は何となく察しがついたらしい。
悲痛な表情を浮かべて、親身に相談に乗ってくれた。
「……お話はよく分かりました。私を信用して話してくれた以上、何とか力になりたいと思っています。
精神的外傷はその人の心に強い衝撃を与え、恐怖や無力感などの強い感情的反応を伴います。
外傷的体験がフラッシュバックしたり、夢の中で再演されたりする症例もあるんです。
その結果不眠に悩まされたり、ちょっとした事で過剰な警戒状態に陥ってしまう事もあります」
映画館で男達に絡まれていた時、すずかを庇うアリサは強がってはいたが震えていた。
そういえばアリサが人前で男と話しているのを、ほとんど見た事がない。せいぜい恭也か、ジジイ共くらいだ。
生まれ変わって克服したような顔をしているが、心の傷は今も深く刻まれているのかもしれない。
「男の人に限った事ではありません。当時の事を思い出す起因となるものでも、心が苦痛を訴えるケースもあります。
患者さんのお辛い気持ちを思うと、人としての尊厳を踏み躙る犯罪は許せません」
「……治す方法はないのか?」
「確たる治療法はありませんが、アリサちゃんの傷を治す特効薬はありますよ」
「あるのかよ!? 何だ、教えてくれ」
「良介さんです」
「お、俺……?」
自分を指さすと、フィリスは微笑んで頷いた。綺麗なシルバーブロンドの髪が揺れる。
「辛い経験をしたアリサちゃんが今も元気に笑う事が出来るのは、良介さんがいるからです。
傷をつけられた事実は消えないかもしれませんが、良介さんを好きな気持ちが心の傷の痛みを和らげてくれます。
悪い夢も、フラッシュバックも――現実に在る、強い想いには勝てません。
アリサちゃんにとっての本当の奇跡は、良介さんという男の人に恋をした事なんですよ」
恐怖症になるほどの辛い経験をしながら、また男を好きになれた事が奇跡だと、専門家は語る。
フィリスほどの女性にそこまで言われると少しくすぐったいが、悪い気分ではない。
アリサのカウセリングを約束してくれた上で、フィリスは今後のアドバイスをしてくれた。
「精神的外傷の治療には、患者さんの自己肯定的な意味付けが必要となります」
「ようするに、自分が必要とされているという事を実感させる訳か」
「だからといって露骨に優しくしては駄目ですよ。アリサちゃんは賢い子ですから、気付かれてしまいます。
良介さんが気遣うのであって、気遣われてはいけません。良介さんは特に態度に出やすいので、注意して下さいね」
「悪かったな!」
身体に大きな傷を追った俺と、心に大きな傷を抱えたアリサ。感知する術は、どちらもない。
それでもくじけずにいられるのは、お互いの存在がある為。傍にいる人間の存在――
大事にしているつもりはないが、居なければ困る。傍にいて当然の存在を、はたして何と呼ぶのか?
相談事を終えて退室、色々考えながら病院の廊下を歩いていると、
「あっ、良介! 今、検査の帰り?」
「アリサ――そうか、もう面会の時間か。随分話し込んでしまったな」
洗濯した着替え類や頼んでいた日常類などを入れた袋を持って、アリサがこちらへと歩み寄ってくる。
意外と甲斐甲斐しく、アリサは見舞いにやって来る。これで仕事を疎かにしていないのだから、大したものだ。
アリサはちょっと得意げに、袋を持ち上げて見せる。
「病院のご飯は味気ないでしょう。お弁当を作ってきてあげたわよ」
「制作者によっては地獄を見るな」
「はやてにも手伝ってもらったわよ!」
蹴られた。怪我人に対して、なんて乱暴な奴だ。主を敬う気持ちが全くない。
アリサは今日も元気に怒っている。その横顔には憂いはまるでなく、今の第二の人生を謳歌していた。
気遣う必要もないかもしれないが、たまには優しく、優しく――優しく?
「アリサ」
「うん?」
「売店で、飴を買ってやろう」
「何よ、その露骨な優しさ!? また何かやったのね、正直に言えば怒らないから言いなさい!」
勘ぐられて、アリサに詰め寄られてしまった。ええい、人様の好意を思いっきり疑いやがって!
慣れないことはするもんじゃない……カウンセラーにはむかないと、自分の可能性の一つを今日閉ざした。
午後――手作り弁当を食べ終えて一息ついた頃、アリサから話があった。
売店で買ってやった飴をコロコロ舐めながら、メイドは一枚の写真を取り出して俺を見せる。
……文句いいつつ、結局買わせやがって……上機嫌で舐めてやがる。まあ、それはいいとして――
「……ネコ?」
「あんたの助手が持ってきた仕事よ。その子の飼い主を探してあげて」
「またそんなのか!? もっとまともな仕事はないのかよ!」
「学歴も経歴もなく、手も動かせない怪我人でも出来る仕事よ。ご主人様」
ニッコリ笑って反論を封じられ、ぐうの音も出ない。笑顔が可愛いだけに、余計にむかつく。
心の傷なんぞ楽勝で回復しているだろ、こいつ!
「ノラ猫の飼い主を探す仕事なんて金になるのか?」
「収入にはならないわ。晶と、晶の友達の2人からの依頼だから。
学生のお小遣いを貰っても額は知れているし、何よりお金を取られるのなら自分達で探すでしょう」
「どうしてタダ働きしなければならんのだ。断る」
「浅はかねー、目先の小銭に振り回されていたら大金なんて掴めないわよ」
俺の反論を予想していたのか、アリサはおすまし顔で人差し指を振る。
「この仕事で大切なのはお金ではなく、お金を持っている人達とのつながりなの。
書類上ではなく、良介本人の事を直接知ってもらう必要があるのよ。履歴では書けない面を、評価してもらうの。
そして、良介自身も評価される人間にならなければならない。その為の、一つ一つのステップよ。
猫探しの仕事もその一つ――物足りないと感じるのなら、それは良介自身に足りないものがあるという事よ」
「言い分は分からないでもないが……こんな事ばかりやってても、高が知れているだろう。
次に繋げられない連中がたむろしている世の中だぞ」
「次に繋げる機会を作るのが、あたしの仕事。あたしは世界で唯一人よ、良介」
無類の自信と信頼を俺に向けて、アリサは胸を張る。IQ200の天才少女、その才能は世界に匹敵する。
まだまだ成長過程ではあるが、少女は俺の為に試行錯誤してくれている。
「携帯電話やインターネットの普及で、学生のネットワークも多岐に渡っている。
晶は男女問わず人気者だし、晶の友達も可愛くてクラスメートから好かれている人よ。
学校は社会の縮図、特に今の子達は大人には理解出来ない問題も抱えている」
「他人が関わっていい事じゃねえだろ」
「それを決めるのは、依頼人。あたし達は選択肢を提供するだけよ。仕事を選ぶ権利も、あたし達にはある。
大切なのはその子とあたし達が、縁を持つ事なの」
所詮は、金のための仕事。金銭が絡めば法がうるさいし、個人個人の問題に決まった解決策はない。
都度悩まなければならないが……今は難しく考えるのはやめておこう。アリサの語っている事も、まだ展望でしかない。
ノラ猫の飼い主探し――両腕すら満足に使えない俺には、これくらいしか出来ないか。とはいえ、
「飼い主を探すのは百歩譲っていいとして、俺は病院から出られないんだぞ」
「何言ってるの。これだけ大きな病院なら、人も大勢いるでしょう」
「ほぼ全員他人じゃねえか!」
「仲良くしろと言ってるんじゃないの。猫を飼ってくれそうな人に、話しかけてみるのよ」
「ああ、その程度なら簡単だな」
「……そういう所は物怖じしないのよね、こいつ……幽霊であるあたしにも、気軽に話してたし……」
何やら口元を緩ませて、アリサがニヨニヨ呟いている。別に赤の他人と話すくらい、誰でも普通に出来るだろう。
世界中の人間に嫌われようと、何とも思わないからな。失敗にビビらなければ、どんな奴とでも話せる。
猫の写真を手に、大の大人が聞いて回るというのも変といえば変では――あれ……?
「……この写真の猫、どこかで見た事があるような……?」
「メス猫にまで知り合いがいるの、あんた」
「いてたまるか、そんなもの!? ネコなんぞどれも似たり寄ったりだしな……」
長い旅暮らし、ノラ犬やノラ猫の類なんぞ死ぬほど見ている。俺も宿無し、同類みたいなものだ。
ただこの写真の猫、ごく最近見かけた気がする。引っ掛かりを感じる以上、ただのノラ猫じゃないのか……?
薄茶毛の山猫――通り魔事件の時山で会ったのは小狐だし、うーん……駄目だ、思い出せん。
「失礼します」
「すずか!? 久しぶりね!」
礼儀正しく入室してきたお嬢さんに、アリサが失礼にも抱き着いた。餌を与えられた猫のような奴である。
ウェーブがかった長い髪の少女、月村すずか。傍には、正義の味方のお面をつけたメイドが控えている。病院内をその姿で歩くな。
まさか本当に、本人が直接来るとは思わなかった。昨日の今日だぞ……?
「遅くなりまして申し訳ありません、剣士さん。お約束通り、許可を貰って来ました」
「よく許可を出してくれたな……忍はともかく、さくらは反対しただろう」
「はい。仕事をしたいと申し出たら驚かされまして、剣士さんの護衛を願い出たら反対されました。
意味が分からないと言われましたので、一から説明しました」
そりゃ意味不明だろうよ!? 昨日まで護衛役だった人間を、今度は狙われている本人が守りたいというんだから!
さくらの狼狽ぶりと忍のはしゃぎぶりを容易く想像できて、頭が痛くなる。
後でさぞ文句を言われそうだが、メイドに全て押し付けよう。天才的な頭脳で回避してくれ。
「昨晩から本日の正午まで話し合いまして、ファリンを付ける事で今日は許可を貰えました。
剣士さんを守るべく、今日から護衛につかせて頂きます」
「今日だけの許可……?」
「そうです、明日についての許可はまた今晩願い出るつもりです。御安心下さい」
何ぞ、その無限ループ!? 正式に許可が出るまで、毎日毎日許可を貰いに行くつもりか!?
嫌がらせ以外の何ものでもないが、さくらの憤りは姪ではなく俺に向かってくるだろうな……くっそー!
携帯電話の電源はしばらく切っておいた方がいいかもしれない。
「ファリンは病室の前を、わたしは剣士さんの傍に控えています。よろしくお願い致します」
「……ライダーが門番していたら、誰も近づいてこない気がする」
「よかったじゃない、可愛い女の子二人に守られて」
お前の差し金だけどな、全部! シナリオを描いた張本人が、この展開を喜んで見守っている。
他人を拒む剣士と、他人には無関心な少女。二人だけでは、簡単に縁が切れてしまう。
蜘蛛の糸より細い縁を結び直したのが、アリサ。二人のとっての新しい関係を、築き上げた。
この関係がいつまで続くのか分からないが、今は様子をみるしかない。さくらが望んだ変化が出るまで。
……変化、すずかという人間の変化か……こういうのは、どうだろう?
「妹さん、猫を飼ってみる気はないか?」
「……猫さんですか?」
「この猫だ、可愛いだろう?」
写真を渡すと、妹さんは真剣に見つめている。すぐに否定されなかっただけ、関係は進展しているのかな。
動物を育てるのは情操教育にいいとか何とか、テレビや雑誌で見聞きした事がある。
まだ一度も見たことのない、月村すずかの感情――人に引き出すのが無理なら、あるいは……
「わたしは、剣士さんを守らなければなりません。猫さんのお世話は出来ません」
「甘い!」
「?」
「猫の世話も出来ない人間に、俺の面倒が見れると思っているのか!」
目を丸くするというレアな表情を見せる妹さんの後ろで、うちのメイドが勢い任せな発言だと呆れ顔。うるさいよ。
妹さんの家は経済的にも敷地面でも、猫一匹飼うのに何の問題もない。猫様の部屋を用意する事も余裕だ。
忍は面倒がるだろうが、ノエルはちゃんと面倒を見てくれると思う。通り魔事件でも、久遠の世話をしてくれたからな。
「――剣士さん、わたし……やってみます」
「おお、本当か!?」
「はい、わたしは猫さんを育てた経験が確かにありません。恥知らずな発言で失礼致しました。
剣士さんは、わたしの事を考えてくださったんですね……ありがとうございます。この機会を、大切にします」
……ノラ猫を押し付けただけなのに、感謝までされてしまった。ここまで真剣に頭を下げられると、誤解だと言いづらい。
気まずくなりそうなので、とりあえず実際に猫を見て決める事にした。
アリサに電話をかけさせて、夕刻に城島晶を病院の中庭に呼び出す。院内に動物を入れると、小うるさく言われるからな。
程なくして、猫様が到着した。
「さっすが、良さんですね。もう飼い主が見つかるなんて! 今日はどこに泊めるか、友達と悩んでたんすよ。
ほら、こいつがノラっす。雨の中濡れて、町中うろついていて可哀想になって……」
「ノラ猫にいちいち同情していたらキリがないぞ」
写真通りの山猫。髪の毛や耳、尻尾も薄茶色だが……その瞳は、深い青色をしている。珍しい瞳の猫だった。
この目で直接見て改めて思ったが、やはりどこかで見た気がする。
もっとよく見ようと、晶から猫を受け取って抱き上げた。片手なので、ちょっとやり辛いが。
"――ありがとう"
「えっ!?」
「急に何よ……?」
「い、いや――」
――日本の童話を思い出す。
人間に助けられた動物が恩義を感じ、人の意思と姿を持って恩返しにやって来る。そんな物語を――
まじまじと猫を見つめる。思い出した、思い出したけど……まさか、な。
――アリシア・テスタロッサの猫"リニス"によく似た猫が、俺の胸の中で可愛らしく鳴いた。
<続く>
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