とらいあんぐるハート3 To a you side 第六楽章 星たちの血の悦び 第六十八話
"想いを、解き放て"――それが、最後に遺されていた記憶だった。
緊急手術より一夜明けた今日、俺は病院のベットで寝かされていた。
全身に刻まれた傷、顔や手足には打撲による傷痕まで残っている。
特に酷いのは、両腕。片手は刃物で斬り裂かれており、血管まで傷つけられて出血が酷かったらしい。
そして、利き腕は――元通りになるかどうかも、分からない。
それほど厳しい戦いだったという事だろうか、記憶にも残らないほどに。
主治医となったフィリス・矢沢が俺の身内の者を呼んで、別室で怪我の具合を説明している。
フィリスは俺に、今の状態を全て隠さずに話してくれた。俺より医者がショックを受けている事に苦笑せざるを得ない。
利き腕と記憶、肉体と精神に刻まれた完治が難しい傷。最善は尽くす、フィリスは身内の連中にもそう約束してくれるのだろう。
これほどの痛手を被ったのに、何も憶えていないのは勿体無く思う。犯人の顔すら、憶えていないのだ。
それに以前の事についても、ハッキリしない事があって――
――控えめなノック。ひとまず考えるのをやめて、入室を促した。
入ってきたのは、一人の女の子。未成熟だが、利発的な目をした美少女だった。
気の強さを感じさせる顔立ちだが、横たわる俺を見て神妙な表情で話しかけてくる。
「良介、フィリス先生から聞いたわよ。怪我は大丈夫……?
……あたしの事、ちゃんと覚えてる……?」
「誰だ、お前」
少女の顔から、血の気が引いた。驚愕に目を見開いて、足がよろけてフラフラと後ずさる。
全身を小刻みに震わせたかと思うと、瞳をキツく尖らせて、俺の胸元に飛び込んできた。
「何言っているのよ!? あたしよ、あたし! いつも一緒にいたじゃない!?
ふざけんじゃないわよ、あんたがあたしをメイドにしたのよ!
勝手に生き返らせておいて……好きにさせておいて、忘れちゃうなんてどういうつもりよ!!」
「あー、うるさい、うるさい。耳元でガミガミ怒鳴るな、アリサ」
「いっ――今、アリサって……覚えているの、あたしの事!?」
「自分のメイドを忘れる訳ねえだろ、馬鹿」
「馬鹿はあんたよーー!!」
「うげっ!?」
電光石火の速さで、アリサの右ストレートが頬に炸裂する。怪我人相手にも容赦しない奴だな!?
それだけではすまさず、ポカポカと何度も拳を握って殴ってくる。ぽろぽろと零しながら、涙の数だけ。
……涙を拭いてやれない、この手が少しもどかしかった。
「もう、タチの悪い冗談はやめなさいよ!? ビックリしたじゃない!」
「怪我人の俺より暗い顔をしていたから、ちょっと和ませてやろうと……」
「余計に落ち込むわよ、あんな事を言われたら!」
「ほう、可愛い事を言うじゃないか。俺に忘れられたのが、そんなに悲しかったのか」
「あっ!? うっ……は、はやて達を呼んでくる! さっきみたいな冗談はなしよ、いいわね!!」
耳まで真っ赤にして、慌てて病室を飛び出して行った。元幽霊なのに、感情豊かな奴である。
フィリスもそうだが、アリサの事もちゃんと覚えている。6月から正式に一緒に住んでいる、八神はやての事も。
ただあいつの家に住むようになってから、自分が何をしていたのかよく覚えていない。
アリサに仕事をしろと言われて、大金を稼げるような人間になる為に、仕事とか色々やっていたような――
う〜ん……はやて達に聞いてみればいいか。特に拘る事でもない。
自分自身の事さえ覚えていれば、他人の事を忘れていても別に問題はない。
「やっぱりミヤが一緒にいてあげるべきでしたぁ……ふえ〜ん〜〜〜〜!!
リョウスケ、安心して下さい。こうなったらミヤが絶対の絶対に回復魔法を覚えて、リョウスケの手を治してみせるです!
シャマルに24時間、魔法の特訓してもらうですぅ!」
「24時間も!? 私が死んじゃうわ、ミヤちゃん!」
「リョウスケを助けてくれなかったから、ザフィーラも叱っておきました!
反省していましたから許してあげて下さい、リョウスケ」
「……あれはザフィーラが可哀想だと思うけどな……」
夜天の魔導書の妖精、ミヤ。守護騎士シャマルに、ヴィータ。シグナムとザフィーラは家の留守を任されているらしい。
プログラムで生み出された存在だが、静かだった病室を賑やかにしている。落ち込める空気でも無かった。
……それはそれで、ありがたい事かもしれないが。
「記憶の事もきっと何とかなります! リョウスケがはやてちゃんの事を覚えていてくれて、本当によかったですー!」
「そうやね。まだ一ヶ月足らずだけど、この春の思い出は、わたしの今までの人生の中でも一番大切な時間やから」
5月に起きた事件の数々は俺の人生の転機となったが、はやてにとっては人生の新しい始まりだったのかもしれない。
朝靄に包まれた公園で独り寂しく時を過ごしていた、車椅子の少女はもういない。
はやての周りには今、足代わりに支えてくれる家族がいる。繋がりはまだ薄くとも、共に過ごしてくれる人達が。
「良介、先月一緒に住もうと決めた時の約束を覚えてる?」
「――ははは、そういえばあの時も手を使えなかったな」
「ふふ、そうなんよ。良介はほんま、どこかぬけてるんよねー」
高町の家を出てはやての家に招かれた時、好奇心も手伝って一冊の本を手に取った。それが、夜天の魔導書。
魔導書とは露知らず頁を無理矢理開こうとして――手が抜けなくなったのだ。
両手を拘束された状態で困り果てた時、優しく励ましてくれたのが他ならぬ本の持ち主だった。
「"足使えへんわたしと、手使えへん良介。友達も、家族もおらん二人や。助け合っていこう"
今は家族も友達も出来たけど、あの約束はまだ有効やと思ってるんよ。
……わたしもな、今日から足のリハビリを始めようと思ってる。先生にもさっき、自分の意思を伝えてきた。
最近反応はあったとはいえ、足が完全に動く見込みは殆どないみたいや。努力も無駄になってしまうかもしれへん。
けど、わたしはやるよ。フェイトちゃんも、なのはちゃんも、アリサちゃんも、皆一生懸命頑張ってるんやから。
良介も、負けたらあかんよ。二人で一緒に、助け合っていくんや!」
下手な同情や慰めではなく、握り拳を作ってエールを送ってくれるはやて。奮い立たされる思いだった。
剣を握れなくても、出来る事は沢山ある。この町に留まったのも、可能性を見出すためだ。
「じゃあ改めて、約束しよう。指きり出来へんのが残念やけど」
「小指まで潰れているから……、……?」
「? どうしたん、急にポケっとして」
「……いや、別に……」
指きり、最近誰かと何か約束していたような気が……?
近頃人間関係が広がっていって、色々しがらみが出来たからな。何か約束させられた事でもあったのかもしれない。
ただ覚えているのと、覚えていない約束の区別なんてつけようがない。
気にする事でもないか――俺は自分の中で、区切りをつけた。
病気ではなく怪我で入院中なので、ずっとベットで安静にしている必要はない。
フィリスには剣をまた取り上げられた上に、無理はしないように厳命されていた。過保護な医者である。
アリサやはやて達は、一旦自宅に帰らせた。大怪我なので何も出来ないと、監視体制も解いてもらっている。
病院のロビーになるソファーに腰を下ろして、息を吐く。一人で落ち着きたかった。
ここなら、病院の外の世界がよく見える――
「――帰還命令!? 納得出来ません、理由を聞かせて下さい!」
「! あれは昨日の……?」
病院の玄関付近で、一人の女性が携帯電話片手に何やら口喧しく話している。
よく見ると随分変わった携帯電話で、近未来的なデザインをしている。最新型だろうか……?
大きな果物籠を持つ、藍色の髪の女――ゲームセンターの乱戦で、俺を連れ出してくれた中島だった。
「上層部からの通達……? ですが、報告したように被害が出ているんです!
はい、そうです……申し訳ありません、完全に私の判断ミスです。弁解はしません、ですが――」
「何を話しているんだ、あいつ。病院の前だぞ」
昨日は優しかったお姉さんが、今日は険しい顔をして電話相手に突っかかっている。
病院の外とはいえ玄関口、綺麗な容姿と合わさって目立っているのが、周りを気にする余裕もないらしい。
ロビーに見える患者はまばらで注意する者はいないようだが、何をそんなに白熱しているのやら。
「お願いします、続けさせて下さい! このままには出来ません!
……本局の方から……? 分かり、ました……いえ、責められるべきは私です。現場の検証報告書は、帰還次第提出致します。
彼のお見舞いをした後、撤収いたします。はい、本当に申し訳ありませんでした……」
電話を切り、重い溜息。豪胆な印象を持った女性が、ひどく気落ちしている。
遠目からでも分かる、陰鬱な表情。俺はソファーに寝そべって天井を見上げ、見ていないフリをした。
――夜中に一人泣いている母親を見たような、気まずさ。意味不明な感情だった。
「こーら、ちゃんとベットで寝ていないと駄目でしょう」
「……相変わらず馴れ馴れしいな、あんたは」
天井と俺との間に影がさし、ひょっこりと女が顔を出す。覗き込むその表情は、笑顔だった。
先程の光景は見なかった事にして、俺は上半身を起こす。どうしてそんなに気を使うのか、自分でも分からない。
手を使わずに気を配る俺の所作に、中島は顔を曇らせる。あれ、もしかして……?
「――酷い怪我ね……ほら、無理をしないで病室で休んでいなさい」
「もしかして、俺の見舞いに来たのか? 昨日の今日だぞ、何で知っている」
「高町なのはちゃん、あの子と私は個人的な知り合いなの。
この町に来たのは最近だけど、貴方の事はなのはちゃんから色々と聞いているわ。
……昨晩の事も、なのはちゃんに聞いたの。ゲームセンターで会った事を話したら、急に泣き出しちゃって……
私が問い詰めたの、怒らないであげてね」
同世代の友達は少ないのに、外人だの魔法少女だのよく分からん人脈を持つガキんちょである。
自分の護衛任務を言いふらすような奴ではないが、俺の怪我を心配するあまり涙が溢れ出てしまったのだろう。
――ん? なのはが護衛についていて、俺だけ怪我したのか? 戦いの邪魔になるからどかせたのかな。
「それにしたって、わざわざ見舞いに来なくてもよかったのに。大した事はねえよ」
「本当に?」
「……」
「ごめんなさい、無神経だったわ」
利き腕は手先が見えないほど、包帯が固く巻かれている。解いたら、形が崩れてしまうからだ。
切り裂かれたもう一つの腕は何とか動くが、痛みが酷い。刃物で切られた傷だと診断で分かっている。
手の自由が利かない。この先剣を握れるようになるかどうかも、分からない。
俺の怪我の状態を見て薄々察したのか、これ以上追求してこなかった。
「襲った犯人や襲われた理由を覚えていない? どんな些細な事でもいいの」
「本当に何も覚えていない。気付いたら、病院のベットの上だった」
「そう……時間的に見て、私と別れた後なのは間違いないわね……
……っ……、私が目を離してしまったから……っっ……!」
「おいおい、俺の見舞い品握り潰すつもりか!?」
籐の籠とはいえ、女の手でメキメキ嫌な音を立てられると怖い。怖すぎる。
ゲームセンターで俺を連れ出した時といい、相当な腕力を持っているな。庶民の女は逞しいもんだ。
「なのはが何て言ったのか分からんが、俺は別に落ち込んでねえよ。くよくよしても仕方ねえだろ」
「……よく言った、さすが男の子!」
「頭をぐりぐりするな!? 俺は子供か!」
「子供じゃない。生意気なのはいいけど、親を困らせてはダメよ」
「親なんぞ最初からいねえよ」
「いない……?」
「生まれてすぐに捨てられたからな、俺がどうなろうと困る家族なんてねえよ。気楽なもんだ」
カラカラと笑う。実際、気軽に生きているからな。自分のやりたい事をやっている。
家族のいない人間は不幸なんて、一方的な決め付けだ。家族さえ平気で殺す人間が、ゴロゴロこの世の中にはいるのに。
世の中の常識からはみ出して一人旅、不自由は多かったが旅に出たから手に入れられたものもある。
メイドも一人出来たからな、上出来だろう。
「良介さん、ここにいたんですね。入院の手続きをするので、部屋にいて下さいとあれほど――
ご、ごめんなさい、お見舞いの方が来られていたんですか」
書類を手にフィリスが説教でもしそうな雰囲気だったが、中島を見て頬を赤らめて頭を下げる。
丁度いいタイミングというべきか、怒られずにすんだ。
「お話の最中、失礼しました。良介さんの、ご家族の方ですか?」
「違うわ!? どこをどう見たら、血の繋がりを感じさせるんだよ!」
ええい、六月に入ってからというもの、家族にふれる奴が多いな。
フィリスには以前俺が孤児である事を話した筈なのに。たまに、天然な勘違いをするから困る。
過ちは正さなければならない。
「そうなんですか!? 雰囲気が似ていたので、つい……」
「――似ていますか? 私と、この子が」
「はい、気を悪くされたのならすみません。私の勝手な印象ですので、気になさらないで下さい。
お話の邪魔になりますから、一つだけ。昨晩の事は何か思い出しましたか?
リスティが事情を聴きに来ているので、私から説明をしておこうと思うのですが」
「救急車で運び込まれた以上、警察だって出張ってくるか。悪いけど、何も覚えていない」
自分が被害者だとピンと来ないが、両腕を刃物で切られたのだ。立派な刑事事件である。
民間協力のリスティがどこまで介入するのか分からないが、有能である事には違いない。素行は最悪だけど。
フィリスからリスティに説明してくれるのは、正直助かる。あの女と話すのは疲れる。
「――そういえば昨日誰かを捜していたみたいだけど、その子には会えたの?」
「? 俺が昨日誰かを……?」
待てよ、俺は昨日どうしてゲームセンターに行ったんだ? 金がかかるだけの道楽なんぞ、俺の趣味じゃない。
あんな所へ行ったせいで、俺を狙う連中に襲われたのだ。暇を潰すなら、音楽を聞くなりメールするなり出来るだろう。
誰かを捜していたのなら、一体誰を……?
「――さんを捜していたんじゃないですか?」
「えっ、誰だって?」
「――さんです。少しの間守る必要がある、必要になるからと帯剣の許可を求められたじゃないですか」
「守る……俺が、他人を? いや、それよりも名前をちゃんと教えてくれ。聞こえない」
「――、――、――さん、です! 耳元で言っているのに、もう……」
……違う。
……聞こえないんじゃない。
覚えられない。
聞いていても、認識出来ない。すぐに記憶が消える、そいつに関する何もかもが。
俺は、戦慄した。
<続く>
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