とらいあんぐるハート3 To a you side 第六楽章 星たちの血の悦び 第六十六話
                               
                                
	
  
 
 人間、慣れとは恐ろしいものだ。死闘の果ての気絶でも何度も繰り返していれば、身体が覚えていくらしい。 
 
苦痛や疲労が限界を超えれば精神が休眠状態に入り、肉体を少しずつ癒していく。起きたら、また戦えるように。 
 
肉体に流れる血が活性化して傷を回復させ、精神に宿る魂が疲労や苦痛を和らげる。 
 
そして目覚めた時には――記憶を蘇らせて、意識を覚醒させる。 
  
「――、ここは……?」 
 
「よかった、目が覚めたのね」 
  
 疲労に震える重い瞼を必死でこじ開けると、心配げな表情をした女性が俺を見下ろしていた。 
 
高潔な血筋を象徴する髪、瞳から深い知性と母性を感じ取れる美しい顔立ち――綺堂さくら。 
 
愛らしい唇から安堵の息が漏れて、彼女の確かな呼吸が感じられた。 
  
「綺堂、アンタがどうして……ぐっ!?」 
 
「まだ手を動かしては駄目よ。利き腕は骨まで壊れていたのだから、回復には時間がかかるわ」 
  
 上半身を起こそうとすると、腕から脳髄まで響く痛みが走る。両腕を見下ろすと、酷い状態だった。 
 
切り裂かれた腕は包帯で固定されており、利き腕に至っては手の平までテーピングを含めて丁寧な処置が施されていた。 
 
剣道着は脱がされており、寝巻き代わりに白い包帯。血と薬の匂いが身体に染み付いている。 
  
「忍から連絡があったの。なのはちゃん、だったかしら? あの娘が忍の家に連絡してくれたのよ。 
公園で倒れていた貴方の怪我の状態を見て、急ぎ忍の家まで運んだの。 
 
病院で診てもらう必要はあるけど、それよりもまず貴方の手を最低限治療しないと――元通りにはなりそうになかったから」 
  
 ナイフ技術に卓越した襲撃者、遥か格上の相手を退けるだけで精一杯だった。なのはが月村達に連絡を取り、俺を運んでくれたらしい。 
 
アンティーク家具にシックな煉瓦造りの暖炉のある部屋、豪華絢爛なベットに俺は寝かされていた。 
 
竹刀を握るだけで奇跡的だった壊れた腕、力を込めるだけの荒っぽい剣では敵は倒せなかっただろう。 
 
"一眼二足三胆四力"――皮肉にも腕が壊れた状態だからこそ体現出来た、腕力に頼らない剣法。 
 
レイジングハートやミヤには感謝が尽きない。 
  
「……一族には医術に優れた者がいて。至急長に頼み込んで来て頂いたの。出来うる限りの秘術を使って頂いたわ。 
 
その方の診断によると……貴方の腕は……」 
 
「――あの時竹刀を握った感覚で何となく分かってる。素直に教えてくれ」 
 
 
「……か、完治する見込みは、低いと……っ……本当に、ごめんなさい…… 
  
まさか、こんな事になるなんて……!」 
 
「おいおい、あんたが泣くんだよ。普通は逆だろう」 
 
「ごめんなさい……ごめんなさい……」 
  
 ファリンの暴走で深手を負い、月村を守る為に癒える事のない傷をつけられた。その引き金となったのは、依頼をした綺堂さくら。 
 
大金を手に入れられる才能も、権力を取り扱う器もある女性。高嶺の花である女傑が、責任の重さに潰されかけている。 
 
不謹慎かもしれないが、俺は涙を見せた綺堂を可愛いと思った。綺麗な女性ではなく、可愛い女の子のように見えたのだ。 
  
女とは――他人とは、本当に不思議だ。意外な面を沢山見せてくれる。 
  
「俺は仮にも剣士だぞ、戦いで怪我するなんて日常茶飯事だ。このくらいの覚悟は出来ている」 
  
 正確に言えば、覚悟を決めたのは先月――奇跡の宝石ジュエルシードが生み出した、修羅場の数々を通じて腹が据わった。 
 
自分の想像を超える怪物が、この世にはウヨウヨいる。世界の国境を越えれば、魔法なんてものまで存在する。 
 
自虐するつもりはないが、己の非力を知った以上覚悟を決めなくてはならなかった。逃げる事だけは、やめたから。 
  
「アンタが傷を負わせたんじゃないんだ。責めたところでどうしようもない。 
それより、俺が倒したあの男はどうしたんだ?」 
 
「……警察に届ける前に、彼の持つ情報を全て提供してもらうつもりよ。力ずくでも」 
  
 炎のような怒りと、氷のような殺意――可憐な声なのに、背筋が凍った。やはり、この女は只者ではない。 
 
月村を襲った襲撃者はチンピラ連中とは格が違う。素直に話すとは思えないが、綺堂も手加減しないだろう。 
 
あの男が明らかに誰かに雇われていた。差し向けた黒幕の情報が掴めれば、追い込む事も出来る。 
  
「貴方の手、まだ治る可能性は残されているらしいわ。とにかく、これだけは約束して欲しいの。 
 
決して――利き腕で、剣を握らない事。これ以上無茶をすれば、本当に取り返しがつかなくなる。 
 
私も世界中を回ってでも、貴方を治す手段を探すわ。だからそれまで、絶対に無理をしないで」 
  
 握るなと言われれば余計に握りたくなるが、綺堂の目は真剣だった。反論を許さない迫力がある。 
 
フィリスのようにからかったら、本気で怒りそうだ。俺は無言で頷いた。 
  
――名家に生まれた綺堂でも知らない世界を、俺は知っている。彼らに相談してみよう。 
  
「斬られた手の方は、問題なく完治するわ。傷も残らないから安心して。 
両腕を含め、貴方の怪我にかかる費用の全てを負担させて頂くわ。償いにもならないけど、これぐらいはさせてほしいの」 
 
「俺にとってはありがたい話だけど……そんなに早く治るのか、この手?」 
  
 巨人兵の大剣や魔女の魔法で攻撃された訳でないにしろ、ナイフで抉られた傷だ。それほど早く治る筈がない。 
 
利き腕にしても骨まで踏み砕かれたのだ。手の形に戻っているだけでも、奇跡を越えて気持ち悪さを感じる。 
 
部屋から見える窓の外は暗闇――綺堂の口振りや俺の身体の状態から察して、戦いがあった日の深夜だろう。 
  
そもそも医者に頼らずに治療が行える、月村の一族とは……? 
  
「……忍から貴方に、話があるの。貴方が今感じている疑問への答えにもなる。 
貴方も疲れているだろうから、後日でもかまわないわ。聞いてもらえる?」 
 
「生憎と、傷が痛くて眠れそうにない。今、聞くよ。どうせあの馬鹿、別室で待ち構えているんだろう」 
 
「貴方の事を心配して、ずっと泣いていたのよ。連れて来るから、待ってて。 
お腹が空いているでしょうから、何か用意させるわ」 
 
「水でいい、飯を食う気分じゃねえ。そういえば、なのはの奴は――」 
 
「泣き疲れて眠っているわ、貴方を随分心配していたのよ。 
あの娘の家には私から連絡して、今はすずかの部屋で一緒に寝かせているわ。ファリンがついているから安心して。 
 
……ふふ。すっかり正義の味方に変身したわね、あの娘」 
  
 貴方のおかげだと嬉しげに微笑んで、綺堂は静かに退室する。変身とは映画館で買ったライダー仮面の事だろう、気に入ったらしい。 
 
豪奢で落ち着かないベットに横になり、包帯が巻かされた自分の両手を見つめる。 
  
斬られた腕と、壊れた腕――日常生活にも不自由する大怪我なのに、困っているのはフィリスやアリサへの言い訳のみ。 
  
この怪我を見たら二人とも怒るだろう、真剣に。そして、心から悲しんでくれるに違いない。 
 
自分の未来より他人の顔色を気にするなんて、本当にどうかしている。こうして心を落ち着けても、悲観する気にはなれないのだ。 
 
何とかなるという、楽観的な精神論じゃない。何とかしてみせようという、挑戦めいた根性論。 
 
枷ではなく試練だと受け止められるのは、自分の中で世界が広がったからだろう。可能性が増えた事が、純粋に嬉しい。 
 
剣を取って旅に出て、本当によかった。自分がどれほど凡庸で、深い傷を負っても、立ち向かえる心を育めたのだから。 
  
――控えめなノック。入室を促すと、負った傷の代わりに守れた少女が顔を見せた。 
  
彼女を連れて来た綺堂も一緒に入室。冷たい水の入ったコップを渡してくれた。 
  
「……怪我の事は、さくらに聞いたよ。侍君、私――」 
 
 
「うむ、こうなったのは間違いなくお前の責任だな。全財産を譲り渡して、俺に許しを請え」 
  
 俺の言葉を聞いて、綺堂が目を丸くする。まさか月村本人を責め立てるとは、夢にも思っていなかったのだろう。 
 
甘いな、綺堂。俺は他人を思い遣る心なんぞ持っていないのだ。この女に遠慮なんぞしない。 
  
「なっ、何でそんな安次郎みたいな事――!? 
 
……う、ううん、そうだよね……私、そのくらいの事、侍君に……ぅっ……」 
  
 反射的に反論しようとするが、俺の両腕の酷い怪我の具合を見て月村は唇を震わせて座り込んだ。 
 
異性を魅了する美貌も青褪めていて台無しだった。今までずっと泣いていたのか、目も腫れていて酷い有様である。 
 
そんな女に鞭を打とうと、俺の心は全く痛まない。 
  
だってこいつは、月村忍なのだから。 
  
「綺堂が責任を感じる事なんてないんだよ。お前が全部悪いんだからな、反省しろよ。 
そうそう、今朝は俺の首を噛みやがったな。まずは土下座して謝ってもらおうか、月村」 
 
「……折角、謝ろうとしたのに……この人はーーーーー!!」 
 
「いたたたっ!? こ、こら、怪我人相手に枕で殴りつけるな!?」 
 
「侍君の、バカ、バカ、バカ、バカーーーーー!」 
  
 悲しみに曇っていた顔に一気に血の気が戻り、月村はベットの枕を取り上げて俺を殴り付ける。 
 
綺堂は慌てて月村を止めようとするが、殴られる俺の顔を見て何故か笑い出した。何ゆえに!? 
 
 
月村は涙をポロポロ流しながら、叩いて、泣いて、叩いて、泣いて――そして、笑った。 
  
「……本当に馬鹿だよ、侍君……私を責める権利があるのに……」 
 
「今、責めているじゃねえか。死んで俺に詫びろ」 
 
「嫌でーす、もう…… 
 
……こんな馬鹿な人、世界中探したって一人しかいないよ……」 
  
 瞳を涙で滲ませているが、血の気が戻った月村は悔しいが綺麗だった。いつもとは違う熱い眼差しで、俺を情熱的に見つめている。 
 
真っ直ぐに見られると落ち着かないのだが、悲壮感を漂わせるよりはマシだった。 
 
剣が振れなくなるハンディを背負って、落ち込みたくなるのは当の本人だろう。周りに悩まれても、気が滅入るだけだ。 
 
気にしていない訳ではないが、剣を諦めるつもりはない。やる気が削がれる顔を見せるのはやめて欲しい。 
 
誰にでも愛想の良い女ではないが、俺を相手に顔色を伺うような真似はしないでほしい。殴りたくなる。 
  
「……今朝は本当にごめんね、侍君。それに今日の事も……ずっと探し回ってくれたんだよね」 
 
「不本意ではあったけどな。ノエルとも連絡がつかないし、お前は男に連れ去られるし、何やってんだ」 
 
「連れ去られる? 遊びに誘われただけだよ。その時にノエルも帰したの。 
すごく心配してくれたんだけど、ノエルも最近負担をかけすぎて、きちんと看てあげられなかったから」 
 
「? ノエル、どこか身体の具合でも悪いのか?」 
 
「ファリンの事でずっと悩んでいて、精神的に――ね」 
  
 納得。主に忠実とはいえ、ちょっとした思い込みで人を襲うような奴だ。姉としての気苦労もあったのだろう。 
 
最近は改造人間のヒーローに憧れて正義に目覚めたが、屋敷の住民である月村姉妹にも気を配らないといけない。 
 
俺が護衛で雇われたとはいえ、ノエルにとって精神的な負担が大きかったのも頷ける。 
  
……そう思うと納得はいくのだが、どこか根本的に間違えている気がする。理由は分からないが。 
  
「ノエルの体調が悪いのなら、尚更お前が一緒に居てやるべきだろう。メイドを放置して、遊びに行くなよ」 
 
「……うん、私の我侭で迷惑かけちゃった……色々悩んじゃって」 
 
「何を?」 
 
「――侍君、聞いてくれるかな? 私の――私達の、一族の事。 
侍君の仕事にも関係する事なんだけど、それよりも……侍君本人に、私から打ち明けたいの」 
  
 自分の身元を話す事は簡単なようで、勇気がいる。少なからず、自分自身をさらけ出さなければならないのだから。 
 
まして、月村忍は社交的な性格ではない。他人との間に壁を作り、明確な距離を置いて孤立した人生を送っている。 
 
そんな人間が自ら、自分の全てを見せようとしている。自分を優先する俺だからこそ、月村の覚悟を強く感じられた。 
 
茶化さず頷くと、月村は意を決して語り始める。唯一の理解者である、綺堂に見守られながら。 
 
  
「私やすずか、さくらはヨーロッパを発祥とする家系の生まれで、『夜の一族』と呼ばれているの」 
 
「夜の……?」 
 
「古来からの呼び名は『吸血種』――人の生き血を糧とする、吸血鬼の一族。それが私達、闇の華族」 
 
  
 今朝首筋に刻まれた傷が、不意に痛む。あれは、俺の血を啜ろうとした吸血行為だったのだ。 
 
悪寒を感じて咄嗟に突き飛ばしたのは、命の危険を感じたからだろう。理性ではなく、俺の本能が危機を訴えたのだ。 
 
固唾を呑む俺を見て、綺堂は目を伏せるが月村は話すのを止めなかった。 
  
「私達一族は普通の人間よりも優れた生命力があり、夜の血統のみ潜在する特別な能力を持っているの。 
 
人外と恐れられる異常な力や並外れた強い感覚、そして――脅威の、再生回復能力。 
 
性別は関係なく、女性でも高性能な肉体を与えられるの。能力の差は、血の濃度。純潔に近いほど、絶対的な力が備わる。 
この身体を支えるのは、人の血。体内で生成される栄養価として、定期的に生き血を飲まなければ生きて行けないの」 
  
 人知を超えた特別な存在、夜の民。月村忍は己を誇る事なく、汚らわしさすら感じている様子だった。 
 
綺堂も表面上平静を保っているが、見ているだけで辛そうに見える。人とは違う身体とは、彼女達にとって案外不便なのかもしれない。 
 
ヒトを栄養とするのだ、確かに普通の人間からすれば本能的な恐怖を感じるだろう。 
 
俺にとっては驚きはあれど、忌避は感じたりはしない。剣士である以上、他人を傷つけて生きていかなければいけないのだから。 
  
「今日私を襲った犯人も、同族の人間。戦った侍君なら分かると思うけど、すごく強かったでしょう? 
あの男でも、血は薄いんだよ。多分安次郎が小金を出して雇ったんだと思う」 
  
 修羅と化した老剣士と同じ空気を感じたのは、夜に生きる一族ならではの感覚か。 
 
あれほどのナイフ技術を見せた達人でも、夜の一族の中では下位に属するらしい。 
 
諸外国にも幅を利かせる夜の一族とは、俺の想像を超えた勢力であるのかもしれない。 
  
「だったらお前や綺堂にも、特別な力が備わっているのか?」 
 
「――私の目を見て、侍君」 
  
 正面から見つめる月村の瞳が、血に染まる。紅の双眸――太陽を直視するような強い煌きに、胸の奥まで射抜かれる。 
 
直接心に突き刺さる眼差し、目を逸らさずにいられたのは相手が"月村忍"だから。 
 
チビスケが何度も叱り付けた、つまらない見栄と意地。負けん気の強さが、月村を微笑みに誘った。 
  
「私を、怖がったりしないんだね……ヒトじゃないのに」 
 
「お前を怖いと思った事は一度もねえよ、自惚れるな。どうりで、人並みはずれた馬鹿だと――あいたっ!?」 
  
 噛み付かれた、なんて凶悪な女だ。多分こいつは一族の中でも、とびっきり凶悪な女なのだろうな。 
 
今朝と同じく首を噛まれているのに、今度は悪寒も何も感じない。殴りたい衝動に駆られるが、これはいつもの事だ。 
  
生き血を啜ろうと、夜の一族であろうと、月村忍は普通の人間――そんな奇麗事は、口にはしない。 
  
俺は博愛主義者ではない。血を飲む女なんて気持ち悪いと思う、当たり前だ。 
 
月村が万が一俺に印象を尋ねてきたら、素直に自分の感じた事を伝える。傷付こうが、知ったことではない。 
 
こいつは自分に否定されるのを覚悟して、打ち明けたのだ。嘘をついて優しいフリをするなんぞ、ただの恥知らずだ。  
  
「『月村』の家は一族の直系で日本でも有数の名家なんだけど、前当主とその妻が揃って事故死してしまったの。 
その為に一人娘だった忍が現当主となり、『綺堂』である私が身元保証人となったの。正式なものではないけれど」 
 
 
 死んだ両親の事を叔母である綺堂が話しても、月村は顔色一つ変えない。死んだ両親に、さほど思い入れはないらしい。 
 
話を聞くと子供の頃の月村は女らしさに欠けており、父親から厳しく躾けられていたらしい。 
 
母親は母親で自分の仕事だけに夢中で娘の事は放置、使用人は義務的に仕事をするだけ。月村はいつも一人ぼっちだった。 
 
家族の愛情を子供時代に味わう事ないまま、月村が9歳の頃に両親が自動車の事故で死んでしまった。 
  
――妹となるはずだった子供と、一緒に。 
  
「えっ、じゃあ――」 
 
「忍の両親は、生まれる前からその子の名前をすずかと決めていたそうなの」 
  
 本当の妹は名前を与えられた事も知らずに死んで、生まれた意味も知らない子供に妹の名前を授けられた。 
 
綺堂や月村にとって、その行為にはどういう意味があったのだろう……? 両親には、愛情の一片も与えられなかったのに。 
 
代償行為だと嘲笑うには、家族の意味をあまりにも知らなさ過ぎた。俺が一番、家族の愛を知らない。 
  
「独りになった私は、両親からの財産を全て受け継いだの。 
変な話だよね――思い出さえも残っていないのに、お金だけが沢山残っちゃった」 
 
「いらないなら俺に寄越せ、贅沢者」 
 
「侍君は厳しいね……でも残念、月村の家の財産を求めて、親戚一同が群がってきたの。 
同じ一族の身内なのに、顔も知らなかった人ばっかり――両親が死んで独りになった途端、お金欲しさにやって来たの。 
 
優しい言葉を沢山かけてくれたけど……全部、嘘。見せかけだと分かっちゃった、私も人でなしだったから。 
 
お金なんて興味がなかったから、ほとんど処分しちゃった――だってお金をあげたら、いなくなってくれるんだもん。 
私なんて、どうでもいいんだよ……」 
  
 親に育まれなかった人の心、一族の血が与えた人外の身体。月村忍は人として扱われず、生まれ育った。 
 
自分が化け物だと自覚出来る聡明さは、月村にとってむしろ苦痛だっただろう。深い孤独感が、他人との巨大な壁を作り上げた。 
 
夜の一族は血を啜る怪物であり、吸血鬼。人の世で事実を知られれば、迫害される危険もある。 
  
目障りなものは捨てられるのだ――生まれたばかりの俺を、ゴミ捨て場に捨てた親のように。 
  
「月村安次郎は、忍の財産に目をつけた親戚の一人。交渉して大方引き払ったんだけど、あの男だけがまだ執着している。 
忍から全てを奪いつくすまでは決して諦めない、貪欲な男よ。 
 
すずかが月村に引き取られて、一層固執するようになった。その理由も、もう分かるわよね……?」 
 
「……夜の一族の中でも、月村すずかは純血で生まれた存在。突然変異なのかどうかは分からないけど、遠い先祖に匹敵する資質がある。 
"血"を大事にする一族ならば、妹さんの存在は本当の意味で特別。 
 
それこそ月村の財産どころじゃない価値があるんだろうな、一族にとっては」 
  
 由緒正しい家の財産と、夜の一族の純潔種である娘の血。共に手に入れる事が出来れば、絶大な権力を握れる。 
 
吸血鬼としての強い能力だけでは、人を脅かせても世界を揺るがす事さえ出来ない。 
 
人外の存在がどれほど恐れられたところで、万物の霊長などと自惚れている人間の世界を支配する事は出来ない。 
 
この世の中で通用するのは剣でも、能力でもない――権威によって構成されている、権力だ。 
  
「吸血鬼の一族を統べる権威、それがあの男の狙いか」 
 
「安次郎さんは月村の財産に執着して、幼少時より現当主となった忍の生活を脅かしていたの。 
その頃はノエルもいたから強硬手段には出なかったんだけど……すずかが引き取られて、手口が荒っぽくなったの。 
 
――今日の刺客も忍を脅そうとしたのではなく、直接危害を加えようとした。暴力は何より、弱者の心を折る手段となるから」 
  
 家族の愛情を与えられず、広いだけの寂しい屋敷で、月村は同じ身内に嫌がらせをうけて生きてきた。ノエルの存在だけを、支えにして。 
 
夜の一族である事でも、月村にとっては重い負担でしかなかっただろう。弱者であれど、数を揃えれば強者は脅かされてしまう。 
 
月村忍が他人と距離を取っていたのは、自分が人とは違うのだと誰よりも自覚していたからだ。 
 
猿一匹が町中で暴れたぐらいで、ニュースになるくらいだ。ヒトの血を啜る吸血鬼ともなれば、保健所程度ではすまないだろう。 
  
嘘だとは、思わなかった。何よりの証拠が、自分の中に在る。 
  
「どうして俺に打ち明けようと思ったんだ? 今まで、誰にも話さなかった事なんだろう」 
 
「……侍君は先月の事、覚えてる? 山の中で倒れていた侍君を、私が見つけて介抱した時のこと」 
  
「! 大怪我していた俺を助ける為に――」 
  
「――そう、私の血を侍君に輸血した。あの時の侍君の怪我は本当に酷くて、生命の危機に脅かされていたの。 
だから限界ギリギリまで使って、何とか蘇生に成功した。 
 
夜の一族の血は特別で、普通の人には馴染まない。直系である私の血は劇薬そのもので、拒絶反応で死ぬ危険もあった。 
あの時侍君が助かったのは、本当に奇跡。でも夜の一族の血が身体に馴染んでしまった事が、問題なの。 
 
……侍君の、身体は……」 
  
「分かってたよ」 
  
「えっ……!?」 
 
「自分の身体だぞ、変化があれば気付く」 
  
 次元世界を揺るがす力を持つジュエルシードが起こした事件、俺が生き残れる戦場ではなかった。 
 
大魔導師プレシア、天才魔法少女フェイト・テスタロッサ、使い魔アルフ、巨人兵―― 
 
誰もが俺より遥か上の実力を持つ敵、戦えば敗北は明らか。戦う度に血を吐き、肉を引き裂かれ、骨を砕かれた。 
  
本当なら死んでいた筈のこの身を支えてくれたのが――他人が与えてくれた、生命の欠片だった。 
  
アリサ・ローウェルの命、神咲那美の魂、そして月村忍の血。出逢った人達の助力で、俺は生き延びる事が出来た。 
 
その結果だけが俺にとっては大切で、過程なんてどうでもいい。 
  
「いい機会だ、教えてくれ。俺は夜の一族に――吸血鬼になったのか?」 
 
「いいえ、違うわ。書物類などにある吸血鬼のイメージと夜の一族では、当たり前だけど異なる点があるの。 
一族の人間から血を吸われたり、逆に血を与えられたりしても、夜の住民となる訳ではない。 
吸血種と呼ばれていた始祖の時代では分からないけれど、現代に生きる吸血鬼にそんな力はないわ。 
繁殖する方法はあくまで人間と同じなの。一族の女は人間と結ばれ、認識して子を授かる。 
 
生殖には時期も大切なのだけど……今は置いておくわね。 
 
先程忍が説明したけれど、私たち夜の一族は優れた肉体再生能力を持ち、人よりはるかに長い寿命を持つの。 
その代わり吸血行動が身体の正常な発育に不可欠なのだけど、100年を超えた生の時間を与えられる。 
 
……貴方の身体を先程診察して頂いたのだけれど……一族の生命力が、貴方の身体に宿っている可能性が高い」 
 
「夜の一族特有の能力ではなく、人としての生命力が強くなったという事か」 
 
「極めて稀なケースよ。一族の直系である忍の血は人にとって劇薬そのもの、貴方の身体が持つ筈がない。 
私はその話を聞いて、貴方を初めて見直したわ。 
 
貴方の生きようとする精神力に……私達一族の血が、敬意を払った。貴方の命に祝福を与えたのだわ」 
 
「……でも、そのせいで……侍君には、辛い思いをさせる事になる…… 
長生きすることはね、必ずしもいい事ばかりじゃないんだよ。 
 
不老不死は人類の永遠の夢なんていう人がいるけれど、友達や恋人、家族が出来ても必ず先立たれてしまう事になる。 
生きていけばいくほど記憶だって薄れて、思い出もやがて消える。それは、とても残酷な事―― 
 
私達夜の一族はその宿命を背負って生きている。でも、普通の人間である侍君には関係がなかった。 
 
なの、私がした事で、侍君に重い宿命を背負わせてしまった……」 
  
 色々な事が、俺の中ではっきりと繋がっていった。綺堂さくらの採用試験から月村姉妹の護衛に至るまで、全ては必然だった。 
 
先月の事件の経緯を含めて、彼女達は見守っていたのだろう。そして、機会も伺っていた。 
 
全てを打ち明けるには、あまりにも重い秘密――今朝俺を誤って噛みそうになった事が、話す契機を生んでしまった。 
 
今日一日月村が俺に内緒で行動したのは、この事を話すべきかどうか一人で考えたかったからだろう。 
 
危険だと知りながら、ノエルが月村を苦渋の決断で一人にした事も頷ける。彼女も全てを知っていて、選択を委ねた。 
  
他人との間に壁を作っていたのは、他人からの情を信じられなかったから。 
他人との間に距離を置いていたのは、他人といずれ必ず決別する事を知っていたから。 
  
夜の一族の宿命と、幼少時における家族との問題。家庭の環境が、月村忍を他人から遠ざけた。 
 
彼女が俺に全てを話す気になったのは、俺が踏み込んだ事もあるが――俺自身が、彼女達に近しい存在となったから。 
 
だとしたら。 
  
「月村、綺堂。俺はな、お前らと出逢ってよかったと思っている」 
  
「……侍君?」 
 
「俺は生まれた時、親に捨てられた人間だ。ゴミ捨て場で産声を上げた。 
物心つく前からたらい回しにされて、居場所なんてなかった。はみ出し者が集まる孤児院で、育ったんだ。 
友達と呼べる奴もいなくて、うるさい大人に小突き回されて、散々な子供時代を過ごした。貧乏が当たり前で、一人が当然だった。 
 
でも、俺は自分が不幸だと思った事はない。捨てられた時から、自分の人生が始まったと思ってる。 
 
剣が好きになったのは、これが唯一他人と接する手段だった。チャンバラごっこで遊んだ事だけが、楽しい思い出だったんだ。 
物心ついて一人で旅を出たのだって、自分一人で生きられると思ったから。実際、生きてきたからな。 
お前のように、特別な理由があって避けていたんじゃない。俺は単に一人が好きなだけだったんだ」 
  
 不幸自慢をするつもりはない。不幸だなんて思っていないのだ、笑って話す事が出来る。 
 
気軽に生きてきた俺が出来るのは、変に思い悩んでいる女を励ましてやる事くらいだ。 
  
「孤独を望んでいたこんな俺が変わったのだとしたら、それはお前らのおかげだ。 
人間独りで生きていけるけど、独りってのは気軽だが意外につまらねえもんだ。それはお前らが一番、よく分かっているだろう? 
 
他人に触れる事で、分かる事が意外と多い。それによって変化が生まれるのなら、俺は歓迎するよ。 
親しくなれば面倒くさい事も色々増えるけど、それはもう諦めたよ。だるいとは思うけど、気分はそう悪くないからな。 
 
人生出会う事もあれば、別れる事だってある。生きていれば、当然の事じゃないか。 
 
別れたのなら、また出会えたらいい。旅ってのはそういうものなんだ、俺も最近分かった事だけど。 
お前らの血が俺を長い旅へと誘ってくれるのなら、俺は喜んで旅立つさ」 
  
 旅に出たから、俺はこの町に辿り着いた。鬱陶しい連中ばっかりだけど、自分が生きる意味にはなったと思う。 
 
この先も自分の知らない出会いがあるのなら、受け入れてみようとは思う。 
  
嫌なら拒めばいいさ――他人に好かれるのも嫌われるのも、自分次第なんだから。 
 
  
「月村。お前が思っているよりも、世界はずっと広くて――面白いぞ」 
 
  
「……うん」 
 
「だから何で泣くんだ、お前は……別に感動するような事、言ってないだろう」 
  
 月村忍も、綺堂さくらも、俺の事を助けてくれた。感謝こそすれ、恨むつもりはない。 
 
善意だけの施しなんて気味悪いし、信用出来ない。命の代償が長くも苦痛な人生だと言うのなら、乗り越えてみせる。 
  
これから始まる長い人生で、利き腕が動かなくなる――それは剣士にとって、地獄とも言える時間だろう。 
  
独りで立ち向かうのは難しいかもしれないが、俺には他人がいる。この傷を心配してくれる人達がいる。 
 
自分に出来る事なら自力で乗り越えて、どうしても無理なら自分の作った関係を生かしていくさ。難しい話じゃない。 
  
……それにしても夜の一族という特別な血であっても、能力は何も身につかなかったらしい。魔法といい、この手の力に本当に無縁だな。 
  
回復力は高まったのかもしれないが、劇的なものではない。実際、利き腕は壊れたまま。長生きなんて誇らしげに語れるスキルではない。 
 
法術はミヤがいないと使えないし、自分の願いは叶えられない。地道に剣で強くなるしかないらしい。 
 
その割に幽霊だの、魔導師だの、夜の一族だの、人外の連中とは縁があるのはどういう事だ。 
  
「忍、自分の思いを語ってくれた人に言うべき事があるでしょう。今度は貴方が、選ぶ時よ」 
 
「分かってる、私ももう逃げたりしない。 
 
――侍君。私から貴方に、契約したい事があるの」 
 
「……これ以上怪我人に、仕事を増やさないで欲しいんだけど」 
 
「仕事の話じゃないよ。私と侍君の、これからの関係について―― 
一族の者ではない人に私達夜の一族の秘密を打ち明けた時、その人と契約をするの。 
 
この先秘密を共有しあう為に、生涯を共とする関係を結ぶ」 
 
「そ、それって――」 
  
 月村忍は頬を赤らめて、想いに瞳を潤ませて自らの気持ちを口にする。 
  
「形は何でもいいの。家族でも、盟友でも――秘密を共有する関係として、自分達だけの絆と出来れば。 
  
私は……貴方と、恋人になりたい。愛で結ばれた関係に、したい。
  
  
秘密を共有出来ないのであれば、この契約は破棄となる。 
その時は私達夜の一族の事を全て忘れて、今まで通り自分の人生を生きていく事が出来る」 
 
「忘れると言われても……こんな話、そう簡単に」 
 
「忘れられるわ。夜の一族の力を使えば、完全に記憶を消去出来る。 
貴方とは一族との事以外でも関わりを持っているけれど、結び付きを断ち切る事は可能よ。 
私達一族はね、そうして世俗との深い干渉を避けてきたの。この人の世で、生きていく為に。 
 
急な話で悪いけど、貴方の意思を聞かせてもらえるかしら?」 
  
 月村忍は落ち着きなさそうにして、俺を見つめている。多分こうして、自分から他人と繋がろうとしたのは初めてなのだろう。 
 
告白には驚いたけど、月村の好意には薄々気付いていた。なのはやアリサが気付いていたのだ、直接関わっている俺が分からぬ筈はない。 
 
認めるのは抵抗があるけど――月村忍は、いい女だ。夜の一族とか関係なく、万人に愛される華を持っている。顔も身体も、心も美しい。 
 
一人が好きとか、他人との関係なんて鬱陶しいとか言う以前に―― 
  
答えは、決まっていた。
  
 
 
 
  
「お前と、特別な契約を結ぶつもりはない。俺の記憶を消せ」 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<続く> 
 
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