とらいあんぐるハート3 To a you side 第六楽章 星たちの血の悦び 第四十ニ話
――大切な人を守りたいと思う気持ち。受け入れ難くも、理解出来てしまう感情。
先月のジュエルシード事件で一度喪った、存在。アリサがこの世を去った時、病院で叱咤してくれたのは月村だった。
高町恭也と、月村忍。この二人がいなければ、俺に今の平穏は無い。
アリサを取り戻す手段を見出せないまま、剣を血に染める道を選んだだろう。
綺堂さくらが頭を下げて頼んだ、二つの命を守る仕事。俺が頷いたのは――言葉にし辛い気持ちが、心を動かしたのかもしれない。
「侍君、もう少し建設的に考えようよ。生きていれば、この先私個人から仕事を頼む事がきっとあると思う。
侍君なら私も安心して頼めるし、報酬だって勿論それなりに弾むよ」
「なるほど。お前自身はどうしようもない奴だけど、金持ちではあるもんな。
将来性を見込んで人間関係を築いておくのも、金を持てる人間となるのは必要かもな・・・・・・っち、仕方が無い。守ってやるか」
「ありがと。遠慮なく盾にしてやるからね、この野郎」
「――貴方達の関係がどうも理解できないわ、私には」
そして、一番の理由はお金。俗物というなかれ、この世界で生きていくには必要なのだ。
俺としても義理や人情ではない方が、他人を守り易い。他人を守る事が自分の利益に繋がる、それならば戦える。
恭也や美由希、なのはやフェイト、クロノやリンディ。他人の為に戦える人間がどれほど強いのか、俺は知っている。
それでも、彼らのような崇高な理念で剣は振るえない。あくまで、俺は俺の為に戦う。
そんな生き方しか出来ず、自ら望んで歩んでいる。護衛という役割も、自らの為に課しているだけだ。
「侍君……さくらから事情は聞いたよ。ファリンの事――本当に、ごめんなさい。
ノエルも侍君に謝りたいと言っているのだけど、会ってくれるかな?」
「お前らが恐縮する必要はないんだけど……まあ、いいよ。
しばらく一緒に戦う事になるからな、後腐れない方がいい。話をしようか」
綺堂の車に寝かせていたファリンは、綺堂の仲介で月村に引き渡しを行った。
顔のない写真一枚で始まった人捜しの仕事は、正式に終了した事になる。仕事の報酬も即日で支払われる。
護衛に必要となる経費も、綺堂の好意と謝罪を含めて前払いしてくれるらしい。収入額が今から楽しみでならない。
その辺の手続きはアリサと事前に話し合っているそうなので、任せておいた。
――肝心の金を、自分以外の誰かに預けている。アリサを信頼している自分に、苦笑いしてしまう。
そして、俺達は月村の別荘へ。綺堂は月村に、今日までの経緯を説明中。テーブルクロスの少女ファリンは、手当てを行うべく別室。
俺は別荘の客室で案内され、一旦休ませて貰う事になった。昨晩は廃墟での死闘もあって、ちゃんと眠っていない。
客室のシンプルなデザインのソファーは実に寝心地が良く、安心して俺は身体を休めた。
――六月より始まった、新しい人間との関係。刃を交えない戦いに、まだ勝利の道も見出せない。
八神はやてとの、新しい家族生活。守護騎士達との冷戦。ファリンとの死闘。月村忍とすずかの護衛。
奪われた、紅いジェエルシード。プロジェクト「F.A.T.E」の遺産。月村忍の血。神咲那美の魂。改竄された夜天の魔導書。
プレシア・テスタロッサの事件は終わりを告げたが、事件が結び付けた人間の因縁はまだ断ち切れていない。
他人との関係なんぞ、本当にロクでもない。何時からこんな事になったのか、もう思い出せない――
こんな町に来るのではなかったとも思うのだが、心の奥底では後悔はしていなかった。
海鳴町を辿らない旅路の先に、もう魅力は感じられない。この町の空気に毒されたのだろう、きっと。
「爺さん。俺はもう、あんたと同じ道は歩めないのだろうな」
春に起きた通り魔事件――大勢の他人に慕われた高名な剣士が、凶行に走った。
他人の好意に背を向けて、孤高の理念を貫いた老剣士。奴は強く、そして独りぼっちだった。
再起はない。爺さんはこのまま死んでいくだろう、冷たい牢獄の中で一人で。
あの老剣士は、強かった。あの剣こそ孤独の剣士には相応しいのだと分かっていながら――俺は一度も、振っていない。
今もこうして温かいソファーに寝そべり、他人との関係に思いを馳せている。
強くなっているのか、弱くなっているのか、まだ実感は持てない。
「宮本様、食事の御用意が整いました」
「ああ、ノエルか。入ってくれていいぞ」
「失礼します」
深刻に悩む事は性に合わず、いつの間にか眠っていたらしい――ドアのノックで、目覚めた。
客室の窓から外を一瞥するが、穏やかな日差しには恵まれなかった。濁った空は明るさを見せない。
乱れた髪を手櫛で直して入室を促すと、畏まった様子でメイド服を着た女性が扉を開けた。
「……宮本様。この度はファリンが多大な御迷惑をおかけいたしました事を深くお詫び申し上げます。
本当に、申し訳ありませんでした。
本来貴方様の下へ直接御詫びに伺わなければならないのに、このような――」
「責任を感じるのは分かるけど、もういいよ。怪我の治療費も貰えるし、綺堂にも頭を下げて貰った。
この程度の怪我、もう慣れっこだからな。気にしないでくれ」
逆恨みに等しい理由で襲われて腹は立っているが、ノエルや綺堂を責めても仕方がない。
ファリン個人に対しては昨晩決着をつけたので、これ以上蒸し返すつもりもない。人間関係による揉め事はウンザリだった。
美麗な顔を曇らせて頭を下げるメイドに、俺は苦笑して言葉をかけてやった。ノエルは何も悪くない。
ノエルはそれでも申し訳なさそうにしていたが、やがて顔を上げて俺に感謝の眼差しを向ける。
「寛大な措置、ありがとうございます。忍お嬢様とすずかお嬢様の護衛も引き受けて下さったと、お聞きしています。
私もさくらお嬢様と同じ気持ちです。宮本様ならばお嬢様方を御守りして頂けると、勝手ながら確信しております」
「・・・・・・あくまでも金の為であって、月村本人にさほどの情はないぞ」
「それでも、私は宮本様が護衛役で安心しております。どうぞ宜しく御願い致します」
彫像のように美しく整った、大人の女性。媚びを含まぬ美は冷たさを感じさせるが、その声色はとても温かい。
水晶のように透き通った瞳には柔らかな感情が浮かんでおり、薄っすら微笑んでいる。
初めて向けられた心からの微笑は、無骨な俺でも見惚れる魅力が在った。綺麗な女性とは、このような存在を言うのであろう。
俺らしくもない詩人めいた感傷だが、この笑顔だけでも仕事を引き受けて良かったと思えた。反則だぞ、ノエル……
「身辺警護は引き受けるが、私生活の面倒まで見切れないからな。ノエルに任せるぞ、その辺は」
「はい、御任せ下さい。御嬢様方の御世話は私の職務であり、生きる理由です」
「お、大袈裟な奴だな……そこまで胸を張れる仕事なのか、メイドは」
「勿論です。こうして宮本様とも御縁となり、御嬢様に使える事が出来た喜びを感じております」
赤の他人を立てる人生、俺には想像外の生き方である。主の為に自分を殺して生きる事に、意味があるのだろうか?
それでも忍の為に生きるノエルや、俺に尽くしてくれるアリサを見ていると、その人生を否定する事は出来そうになかった。
忠誠より生まれる強さは、並大抵のものではない。アリサは俺の為に一度、命を捨てたのだから。
「それで、宮本様。心苦しい限りですが、貴方様に御願いしたい事があります。
実はファリンが目を覚ましまして……是非とも、貴方に御詫びをしたいと言っております。会って頂けませんか?」
「……」
雨降って地固まると言うが、喧嘩の後の仲直りでファリンとの関係が一新されるとはとても思えない。
ノエルが説得すれば、確かに誤解は解ける。逆に言うと、ノエルに言われなければ俺への敵意が揺るがないのだ。
綺堂の話が本当ならば、ファリンは主がいなければ自分の存在理由が無くなる。主の一言で左右される人生を、送っているのだ。
主の為に生きる人生――ノエルやアリサと同じなのに、否定的に感じるのは主体性が無い為なのか、それとも……?
「俺に謝りたいと思っているのはノエルであって、ファリンではないじゃないだろう?」
「そのような事はありません! あの娘は本当に、貴方を襲った事を――」
「ノエルの気持ちはよく分かった。本人が会いたいのならば、会ってやるよ。個人の意思を尊重する」
「……申し訳ありません。お心遣いに感謝します」
冷静沈着なメイドも、自分の妹には弱いようだ。心苦しさが顔に出ていて、俺もやりづらい。
やはりノエルに説き伏せられて、ファリンは改め直しただけのようだ。謝罪する気持ちはあっても、意思は無いのだろう。
操り人形に頭を下げられて、誠意を感じる人間などいない。事情を知っているのならば、尚更の事だ。
――結局ファリンは自分から俺に会いに来ず、ノエルは申し訳なさそうに俺を食堂へ案内する。
最近の世の中親に歯向かう人間は多いが、親の言いなりに生きる子供もまた問題だろう。自立してこそ、人間なのだから。
ノエルの苦渋は伝わっても、俺にはどうしようもなかった。生まれた時から独りで生きる人間に、自立以外の選択など無い。
食堂に通じる扉を前に、ノエルは立ち止って俺を振り返る。
「こちらにて、忍お嬢様とすずかお嬢様がお待ちです。ファリンは別室に控えております」
「ノエルは月村に、ファリンは妹さんに付いているんだろう。綺堂から話は聞いている」
再三の念押しでピンと来た。他人の心なんぞ知りたくもないが、俺だって察する事は出来る。
ノエルが心配しているのはファリンの存在そのものもそうだが、あのガキの俺への態度だろう。
無礼千万は勿論の事だが、あの殺人メイドは態度以前の問題がある。
俺が投げやりに頷くと、ノエルは一礼して――扉を開けた。
「忍お嬢様、すずかお嬢様。宮本様をお連れいたしました」
開放感と適度な広さが心地良い別荘、豊かな自然環境に恵まれた建物は食堂も立派なものだった。
パブリックなワンルーム空間、プライベートな時間を満喫出来る内観が広がっている。
そして洋風な食卓に彩を添える、二つの華――
「ご苦労様、ノエル。
――ほら、すずか。彼が私の話していた、侍君だよ。御挨拶して」
「……はい、お姉様」
長い髪と大人びた美しい外見、部屋服でも些かの衰えもしない美女――月村忍。
護衛対象である姉に促される形で、一人の少女が歩み出る。
「お初にお目にかかります。月村すずかと申します。どうぞよろしく御願いします」
黒のドレスに、艶を帯びる美しい長髪――
丈の長いスカートから伸びた足は、黒のストッキングに包まれている。
美しさの中に背徳的な魅力を感じさせる少女、月村すずか。
その瞳は漆黒――盲目と錯覚しそうになる、底なしの闇。
丁寧な挨拶と仕草から、何の感情も感じさせない。俺への嫌悪も好意も、何もかも。
無関心などと言うレベルでは済まされない、冷え切った眼差し。俺を見ているようで、映していない。
マリオネットのメイドが使えるのは、美しくも哀しい人形だった。
――爺さんの狂気よりも深い、孤独。
親に捨てられたフェイト・テスタロッサとは、次元が違う。
この少女には絶望すら感じされない。ただ、無感情だった……
「どう、侍君。私の妹、可愛いでしょう?」
「確かに、不細工ではないな。何故お前が偉そうなのか、分からんが」
「ふっふっふ、認めたね。すずかが可愛いと! 侍君の負けだよ」
「勝ち負けの意味が分からんわ」
「先月、言っていたでしょう? 子供の頃の私は可愛くないって!」
「あー、確かに言ったような気がするけど……」
山の中で倒れていた俺を救ってくれた、月村。
屋敷で手当てをしてくれた時に、子供の頃の話になったのは覚えている。
その時に可愛げのないガキだったのだろうと笑ってやったが……根に持たれていたようだ。
血の繋がりがあるからといって、妹自慢で勝敗を決めるとは愚かな女である。
「容姿が似ていない姉妹なんぞ、腐るほどいるだろう。
妹がどれほど可愛い子供でも、姉のお前のようになるとは限らない」
「そんな事は無いよ。私もすずかのように、可愛い子供だったんだよ」
「あほか。そもそも――
月村と、すずかは、違う存在だろう? 同じ人間には絶対にならねえよ」
「――っ」
小馬鹿にしてやった俺の言葉に、何故かすずかが反応した。
極端な態度には出ていない。瞬き一つ分の、微かな心の揺れ――
妹の態度の変化に、姉がむしろ大きな戸惑いを見せる。月村は目を見開いて……微笑んだ。
「……うん、そうだよね。私と、すずかは違う。侍君の目には違う人間に見えているよね」
「一緒だったら気持ち悪いわ。良かったな、妹。姉に似なくて」
「――ノエル。侍君に熱いコーヒー、ぶっ掛けて」
「かしこまりました」
えっ、命令を受諾するの!? 先程までの殊勝な態度は何処へ行った!
台所へ向かおうとするノエルを慌てて止めると、月村が笑って命令を取り消してくれた。くそう、こいつめ。
高額な報酬さえ貰えれば、喜んで敵に差し出してやるのに。
「ところで、侍君」
「何だよ、月村」
「――その『月村』という呼び方、そろそろやめない?」
「人様に注文つけ――そうか、妹も月村だったな」
月村忍に、月村すずか。美人姉妹を分けるのに、苗字で呼ぶと区別出来ない。
お嬢様の我侭かと思ったが、至極真っ当な理由だったので承諾した。
所詮は他人、どう呼ぼうと俺の中で変化は訪れない。
「今回の仕事では、お前ら姉妹は雇い主だからな。注文があるなら受け付けてやるぞ」
「うんうん、いい心掛けだね。でも、やっぱり侍君に決めて欲しいなー」
「面倒な奴だな、たく……じゃあ、お嬢様と妹さんで」
「もう三ヶ月以上の関係なのに疎遠になってるよ、その呼び方!?」
チェンジ、チェンジ、とうるさい姉貴を無視する。これ以上深みに嵌るのは御免だ。
俺だって鈍くは無い。綺堂が採用試験を設けてまで月村の護衛役を見定めようとした意図は、薄々察している。
特に、月村すずかは一族でも特殊な存在。俺のような赤の他人を選ぶのには、相応の覚悟が必要だった筈だ。
赤の他人ではいられなくなるほどの、仕事――関われば、月村一族の秘密を少なからず知る事になる。
ただ守って終わるのならば、綺堂があれほど選定する筈が無い。プロを雇えば済む話だ。
月村が嫌がっても、命には代えられない。姪を可愛いと思うのならば尚の事、綺堂は非情にもなれる。
たかが仲が良いからといって、大怪我している俺を大金払ってまで雇ったりはしない。
理由があるのだ、必ず。俺個人に求めている、何かが――
それが何か、俺には分からない。ただ見定めるには、情は邪魔になる。
フェイトを傷付けた先月のような愚は二度と犯さない。その為にも、護衛役に徹してみせる。
「――わたしは」
「うん?」
「わたしは、何と御呼びすればよろしいですか?」
食堂の空気が変わる。騒いでいた月村も静まり、見守る姿勢になっていた。
漆黒のお嬢様が俺を静かに見上げている。その瞳に期待も不安も無い――
好奇心は欠片も見えず、ただ純粋に俺に対して質問をしていた。
自分の心に生まれた、疑問をそのままに。
「お前の呼びたいように、呼んでいいぞ」
――不思議な感覚だった。他人を知りたいという、気持ち。
感情豊かな人間に巡り会ってきたがゆえの、無関心への興味。俺に少しの興味も抱かない人間に、反応を求めている。
心を持たぬ、少女。感情の無い、表情。その底に何があるのか、俺は知りたくなった。
求められた問いをそのままに、少女は返答する。
「剣士さん」
「――剣士?」
「いけません、でしたか……?」
俺の名前は恐らく月村から聞いているだろう。だが、少女は敢えて違う呼び方を選んだ。
意味があるのか無いのか――恐らく、何も無い。見た目の印象と、姉の呼び方に合わせただけ。
特別でも何でもない、他人である証。この少女にとっては、人間も道具も同じ。記号でしかない。
俺は屈んで、少女の手を取った。
「よろしくな、妹さん」
「――はい、剣士さん」
握り返す手の温もりだけが、人間である証。手と手を取り合っても、心までは結ばれない。
見つめ合う視線は交わらず、気持ちは冷めている。それ故に気軽で、寂しい間柄。
無関心な、主従関係――孤独なお嬢様と剣士が、正式に契約を結んだ。
<続く>
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