とらいあんぐるハート3 To a you side 第六楽章 星たちの血の悦び 第三十ニ話
第二の依頼「ファリンの捜索」、その手掛かりを得る為に次に俺が向かったのは学び舎だった。
風芽丘学園――高町恭也達が通う学校。以前来校した事があるが、良い思い出ではないので割愛。
同じ敷地内に海鳴中央という別の私立学校もあるマンモス学園で、自然豊かな広い土地に建てられている。
校門越しに見える校舎は今授業中なのか、両校共に人の姿は見えない。
広いグラウンドもこの雨では使用出来ず、人っ子一人見当たらなかった。
「よし……チャンスだな」
授業参観や学校見学が目的ではない、あくまで知人との接触のみ。ファリンの顎写真を見せて、目撃情報を求める。
対象者は風芽丘側の高町恭也に美由希、神咲那美。海鳴中央側の城島晶――同じ学園に通っている事は、四月の花見で確認済み。
……そういえば、花見の場所取りや参加メンバーと段取りしたのも俺だ。くうう、六月の今なら金取れたのに!
同じ学園の月村忍は現在休学中、鳳蓮飛は心臓手術後のリハビリでまだ入院している。
下校時を狙うのが一番リスクは少ないが、何しろ時間が無い。せめて手掛かりだけでも早く手に入れなければ。
左右を確認して、俺は雨の中校門に向かってダッシュ。素早く校門を潜っ――
「そこの君! ちょっと待ちなさい!!」
学園内へ一歩踏み出したその瞬間、校門脇の駐輪場付近から静止がかかる。まだ一歩しか足を踏み入れていないのに!?
運が無いにも程があるが、俺の悪運は折り紙付き。運命とはどれほど非情なのか、先月で身に染みている。
いちいち反応せず、知らん顔で一目散に駆け抜ける。
「剣道着の君、うちの学校の生徒じゃないでしょう!? 止まって!!」
少し子供っぽさの残る、女性の叫び。実に聞き覚えのある声だった。少なくとも味方ではない。
鼻を鳴らして走る。捕まえられるなら捕まえてみろ。こんな雨の中傘も差さずに追跡が出来るのか、日和見な教師め。
たとえ一ヶ月の入院で足腰は弱っても、俺の自慢の脚はまだ健在だぜ。
「つかまえた」
「あれー!? 貴様、教壇に立つ身でずぶ濡れになってもいいのか!」
「ジャージだもん。君こそ剣道着でブラブラと――あっ、高町さん家のヤンキー君! そうでしょう!?」
「誰がヤンキーだ!? 今時の子供には分からんわ!」
「先生相手に、剣道部員の格好で騙そうとしても無駄だよ」
「しまった、大人しく部員のフリすればよかった。こんな体育教師すぐ騙せたのに」
「もう、この子は!」
桜咲く四月の日、お花見に誘う為知人に会いにこの学校へ来た事がある。
その時不幸な事故により学校で騒ぎを起こしてしまい、俺を叱り付けたのがこの教師である。
――そうそう、あの時も綺堂さくらが関連している。因果は巡るのだろうか?
「君、またうちの学校に悪さをしに来たの? こりないなー」
「偏見だ、先公がそんな事言っていいのか!? グレるぞ、こら!」
「暴れないの! ほら、来なさい」
「のおおおお〜〜〜、何だこの力は……!」
細い女の腕にありえない力で引き摺られて、なす術も無く海鳴中央側の校舎の中へ。
海鳴中央校舎内を経由して、「生徒相談室」とネームプレートが取り付けられた部屋へ連れ込まれた。問答無用である。
抗議や抵抗をする前に、視界がふんわりとした布で遮られた。
「濡れたままだと風邪を引くよ、使いなさい」
触ってみると、洗い立ての白いスポーツタオル。よくよく見ると先生もずぶ濡れだが、顔は笑っていた。
毒気が抜かれた感じで、俺は大人しく濡れた顔や髪を拭く。喫茶店から学校まで、雨の中徒歩で歩いて来たので濡れ鼠だった。
傘がないから自棄になったのではない。日本の雨には風情がある、旅生活では雨は天敵であり味方だった。肌寒さも時には愛しいものだ。
風邪を引くようなヤワな身体ではないが、傷付いているのは事実。剣道着を脱いで、室内に一時的に干させて貰う。
図々しい態度だが、女教師はむしろ微笑ましく思えたようだ。先程まで不機嫌な顔もニコニコしている。
遠慮のない態度が子供のように思われたのかもしれない、面白くないが不快ではなかった。
「この袋、中はお菓子……? こんなに濡らしてもったいない!? 食べ物は粗末にしちゃ駄目だよ!」
「なるほど、ならば食べていいぞ。先生へのお土産だ」
「……え"っ!?」
「食べ物は粗末にしては駄目だと、たった今先生が仰いました!」
「う、うん、嘘は駄目だよね……」
いや、俺も食べるけどね。桃子が気遣って雨でも大丈夫なように、袋の中は丁寧にシュークリームを包んでくれている。
無事な中身を見せると怒られたが、桃子自慢のお菓子を食べさせて一気に機嫌を直させた。家庭の味は心を優しくしてくれる。
――二人っきりの生徒相談室、簡素だが居住まいの良い空間を演出している。生徒を安心させる場を調和しているのだろう。
体育教師も濡れたジャージを脱いで、シャツ一枚に。水に濡れた肌が布越しに見えた。
瑞々しさを加えた身体がハッキリと自己主張しており、膨らんだ胸が女性であることを強烈に主張していた。
「ふふふ、健全な男だねー。先生に興味があるのかな〜?」
「いや、全然。体育教師にしたって、随分鍛えられているものだと見てただけ。
ただ筋トレしているだけじゃないだろう、その身体」
「う、嘘……ゴツゴツしてる? 女らしくない?」
「もう婚期は過ぎてるだろ、諦めろ」
――殴られた。電光石火の一撃に、目から火花が飛び散る。怪我人に何て事しやがる!
誘惑する気は全然ないのだろうが、無関心なのも気に入らないらしい。女とは複雑な生き物だ。
鷹城唯子――城島達が世話になっている先生。綺堂さくらが綺麗なら、この先生は可愛らしいという言葉が似合っている。
ポニーテールの女教師は肩書き通りの元気な体育会系だった。
「怪しい人が学校の周りをうろついていると通報があったので、待ち構えていたら君だったなんて……
他の先生なら注意どころではすまなかったよ!」
「あ、雨の中張っていたのかアンタ……授業をしろよ、普通に……
それにしてもおかしいな、俺がこの学校の前に来たのは五分ほど前だぞ?」
「傘も差さずに剣道着姿で校門の前をうろうろしていたら、誰でも怪しいと思います!」
日本的な服装なのに異端児扱いとは、どういう世の中なんだ。古き良き日本は死んでしまった!
現代に生きる侍に向かって怪しい人物とは失礼な――いや、待て。俺とは限らないだろう。
先程喫茶店で、フィアッセも騒いでいたじゃないか。厚手のコートを着た怪しい人物がいると。
――あの監視員、何時の間に尾行を再会したんだ? 厄介な。
こうも行く先々で騒ぎになっていたのでは、おちおち人探しも出来ない。
監視体制が解けないが、せめてあの格好を何とかさせよう。幸いにも、奴の主八神はやては俺の全面的な味方。
はやてに着替えるように言わせれば、素直に従うだろう。別に理不尽な命令ではないのだから。
「……ところで、ヤンキー君。貴方に対して先生は、とても怒っています。何故だか分かりますか?」
「その名前は確定なのかよ!? 差別用語なんだぞ、一応!」
「答えなさい!」
「大丈夫だって。先公の腕力でいざとなれば、男をホテルに連れ込んで――」
――投げ飛ばされた。椅子の上で一回転という前代未聞の経験に、痛みより眩暈を感じた。
冗談が通じない年頃らしい、二十代の女はこれだから怖い。
これで桃子やリンディより年下なのだから、改めて女性の神秘に驚かされる。
唯子は唯子で充分可愛いんだけどな。
「いちち……学校への不法侵入だろ?」
「違います!」
違うの!? だったらどうして怒っているんだ、貴様。婚期なんて冗談に決まってるだろう。
どうして怒っているのか、こっちが聞きたいぐらいだ。
俺の戸惑いを余所に、熱血教師は相談室のテーブルを叩く。
「先々月、君に提出してもらった反省文の事です!」
「反省文? ……ああ、そういえばそんなものがあったな」
とぼけているのではない、本気で忘れていたのだ。
若者が二ヶ月前の事くらいで忘れているのは問題だが、俺の人生に常識は当て嵌まらない。
何しろ先月は価値観を根こそぎ引っ繰り返される大事件があったのだ、二ヶ月前が遠い昔に思える。
脳みそをこねくり回して、古い記憶を辿っていく――
「恭也達がうるさいから渋々書いて、城島に頼んで提出して貰った筈だぞ。何か問題あるのか?」
「やっぱり嫌々書いたんだ……君ね、文の最後にゴメンナサイを付ければいいというものではないの!
一文一文にゴメンナサイゴメンナサイの連続で、先生気が遠くなりかけたんだよ!?
職員室で読んでいてついウトウトしちゃって、教頭先生に怒られたんだから!」
「それは明らかにお前が悪いだろう!?」
「君に問題があるんです! 大体なんですか、先生に向かってその言葉遣いは!」
「……それ、言いたかっただけだろ?」
「教師になって幾星霜、やっと言えたよ――って、ち、違うよ!? 憧れてなんてないから!
――先生はね、君が憎くてこんなに怒っているんじゃないの。
ヤンキー君の事が心配だからこそ、敢えて心を鬼にして叱っているんだよ」
……うわ、こいつ。フィリスとは違う意味で天然だ。昭和世代の化石教師だ。今時誰も言わんわ、そんな台詞。
フィリスは医者としての使命感、唯子は教師としての義務感で俺を説教している。
その根底にあるのは職務への尊き信念と、本人が気付かない真心にある。
――こういう人種は厄介だ、本気で他人の事を思い遣っているのだから。純粋な優しさは邪念では掃えない。
口に出して言ってはならない事を、ここまで真剣かつ嬉しそうに言われると怒る気力も無くなる。
「教育熱心なのはいいけど、自分の生徒だけにしてくれ。俺は部外者だ」
「……晶に聞いたけど、ヤンキー君は学校に行ってないんでしょう?
それが悪い事だとは言わないけど――勉強なり仕事なり、若い頃は努力する事を覚えないと駄目な大人になるよ」
「生憎だが、心配は無用だ。何しろ今日は仕事で、この学校に来たんだからな」
この話の流れに乗って、身の潔白を証明しよう。いい加減悪態ついてばかりだと、警察に突き出される。
俺は干した剣道着から写真を一枚取り出して、テーブルの上に置く。
先公は怪訝な顔で手に取り、そっと覗き込んだ。
「この写真がどうかしたの……? 顔がちゃんと写ってないよ」
「その写真の娘を探しているんだ。
顔が写ってないので正直捜索も難航していてな……警察も相手にしてくれないんだ」
「写真はこれだけなの? それは警察だって探しようがないよー。
名前とか住所とか、何か手掛かりは無いの?」
「何にも無い。訳ありの女の子でね、至急見つけ出さないといけないんだが、正直立ち往生していてな――
アンタを含めて何人か顔見知りが何人かいる、この学校を訪ねて来たんだ。
授業中校舎に無断で立ち入ったのは謝るけど、万が一学校を見に来ていて逃げられたら困ると思ったんだ」
「話は分かったけど……今度から職員室を訪ねて来なさい。
君はこの学校の生徒じゃないけど――
――ううん、違う。そうじゃないよ、唯子。貴方は先生でしょう!
そうだよ、先生なら若者を導かなければ駄目だもんね。君は私の生徒、決まり!」
「ええっ!?」
写真を強く握り締めて、何やら教育魂に燃えている唯子先生。はた迷惑という言葉を知らんのか、この町の住民は!
謎のサイドストーリーが展開されて、自分で奮起して更生を決めたらしい。
俺はそんなに不良に見えるのか……?
悪だという自覚はあるが、更生なんてどう見ても手遅れな顔をしているだろう。我ながら。
「この娘は君にとって大切な娘なんでしょう! 幼い頃別れた妹とか!? 先生も協力するからね!!」
「違うわ! 綺堂が探しているんだよ!」
あっ、しまった!? 依頼人の名前を言っちまった!
最近始めたこの仕事に名前もルールもないが、極めてまずい事を口走った気がする。
……まあ、いいか。出したのは名前だけだ、この体育教師が知っている筈がない。
依頼の中身さえバラさなければ、信頼を落とした事にはならない。事実が発覚する訳が無い。
「――えっ、綺……堂? 綺堂さくら!? さくらちゃんの知り合いなの、君!?」
「めーん!」
「はぅっ!?」
迫り来る先生に思わず手元の竹刀を振り下ろすと、いい感じに脳天直撃。パタリと、先生は倒れた。
油断大敵――というより、動揺していて隙だらけだった。俺も俺でつい反射的にやっちまったけど。
何にせよ、やばい。この女、どういう繋がりなのか綺堂を知っている。依頼人だとばれるのは非情にやばい。
もしも親しい仲なら、俺が依頼人の名前を口にした事が簡単に伝わってしまう。綺堂がそれを許すだろうか……?
――断じて許さない。これは試練だ、小さなミスでも命取り。謝罪など何の意味もなさない。
落ち着け、失敗は誰でもする。問題は後始末をどう付けるのか、起こしたミスにどう対処するのか――
綺堂さくらはそれらをふまえて、俺という人間をこの仕事を通じて見定めている。
ノエルの妹の捜索――これほど重要な案件を責任も無くやるような男を、絶対に認めない。
逆に言えばこの仕事を無事終えれば、綺堂はきっと俺という人間を評価してくれる。
それは、綺堂さくらに一歩近付くという事。彼女の信頼は宝石に勝る価値がある。
――今の俺に必要なもの。この身に才能が無いのなら、別の何かで満たせばいい。
それが金や強さよりも価値があるモノなら……最高じゃないか。
「気絶させたのは、結果的に良かったかもしれないな……態勢を立て直せる。
幸いにも、この学園には月村が在籍している。
綺堂じゃなくて、綺堂の姪が一緒に探している――こう修正しよう。休学の件と合わせれば納得するはずだ。
後はくれぐれも口外しないように、頼み込めばいい。
……城島晶に間を取り持ってもらうか。そろそろ休み時間だろう」
気絶している先公を椅子に寝かせた。これなら自然に寝ているように見えるだろう。
剣道着はまだ生乾き、校内で歩くには目立ち過ぎる。唯子の態度でこの学園には馴染まない格好だと分かった。
そうなると――
「――くそ、俺にこんな趣味は無いのに……」
ジャージの上下を着て、俺は生徒相談室をコッソリ出る。我が身を振り返るのは止めにしよう。
一刻も早く城島を見つけて、事情を説明せねばやばい。
――下着で寝ている唯子が目覚めれば、もっとまずい。
人肌の温もりが感じられるジャージの感覚に冷えた汗を流しながら、俺は校内を走る。
――自分に監視がついていることなんて、頭の片隅にも無かった。
<続く>
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