とらいあんぐるハート3 To a you side 第六楽章 星たちの血の悦び 第二話
五月雨の季節、水無月。
からりと晴れ上がっていた五月の空は時と共に流れ、陰鬱な梅雨空が重く淀んでいる。
今日の空模様は人の心を映し出しているかのように、曖昧に見えた。
モノトーンな曇りの日、俺は一ヶ月間過ごした海鳴大学病院より退院する。
「本当に御世話になりました、フィリス先生」
「いいえ、アリサちゃんが毎日良介さんの御見舞いに来てくれたからですよ。
本当なら数ヶ月は治療が必要な怪我だったのに――怪我の治りも驚くほど早かったの。
きっと、アリサちゃんの気持ちが通じたのね」
雨が降りそうな不安定な天気もなんのその、微笑ましい挨拶を交わす看護人達。
毎日俺の面倒を見てくれたメイドと医者が、お互いに礼を向け合っていた。
――病院関係者が目を見張るほどの、回復力。
全身大火傷に胸部及び鼻の骨折、食い千切った右腕の血管に攻撃魔法による大打撲。
激戦の末の肉体的疲労に、事件における精神的疲労――高名な海鳴大学病院でも前例の少ない重傷患者だった俺。
骨折の修復だけでも場合によっては数ヶ月を要するのに、たった一ヶ月で完治は脅威を通り越して・・・・・・異常だ。
異世界の発達した医療技術に、優れた魔導師の手で施された回復魔法。
先月別れを告げた時空管理局スタッフやユーノの適切な処置が無ければ、俺は今でもベットの上で痛みに喘いでいただろう。
フィリスもその辺の事情は知っているのに、アリサの献身を讃えるとは優しい女である。
柔和な美貌に優しい微笑を浮かべる女医を見て、俺は苦笑するしかない。
「ほら、良介もちゃんと挨拶しなさい。何度も迷惑かけたんだから」
「痛っ――腕を強く握るな! まだ少し痛むんだぞ!?」
何だかんだ言いつつも、まだ完治はしていない。
ジュエルシード事件は悩まされてばかりだったので、解決後知恵熱で寝込む始末だ。
一ヶ月間入院して疲労は完全に回復、献身な看護と治療で心身共に一応癒えた。
少なくとも目に見える負傷は無く、火傷や傷でボロボロだった身体も綺麗に治っている。
ただ食い千切った血管や骨折による負傷は、退院を迎えた今日も身体に痛手を残していた。
(月村に、那美。結局、お礼も満足に言えてないな・・・・・・)
フィリスには話していない、脅威の回復要素。
月村忍の血液と、神咲那美の魂――
供給された美女の血は今も俺の身体を濃厚に満たし、蓄積された痛みを熱く洗い流す浄化作用を持っている。
神聖な巫女の癒しの力は俺の芯を優しく覆い、母親に抱かれているような温もりを与える。
一ヶ月でこうして元気に外へ出られたのは、自分の命を削って助けてくれた二人のお陰だ。
礼を言いたかったのだが・・・・・・入院中、二人には殆ど会えなかった。
月村は事件解決の報を聞いた途端海外旅行、那美は運悪く俺の寝ている時間に見舞いに来る始末。
――偶然、なのだろうか?
血の秘密を聞きたいのに当人はおらず、魂の片割れは狙っているかのように話し合えない。
別に二人が居なくても寂しくも何とも無いが、俺の人生に既に強い影響を与えているのだ。
この回復力は、絶対に元々俺に備わっていた自然治癒力ではない。
しかも腹が立つことに――テレビや映画でありがちな、肉体や精神力の向上は全然これっぽっちも無い。
一ヶ月間怪我で寝込んでいて、修行どころか身体も動かしていない。
身体は当然の如く鈍りに鈍っており、折角激戦で掴んだ手応えは消えてしまっている。
強制的な融合の酷使で筋肉及び神経疲労、頭の中で十日以上最大ボリュームの除夜の鐘が鳴り止まず。
妖精さん計測によると、魔力は一ヶ月前と同じく108。
身体は鈍重、心は病みあがり、魔力は進歩なし――今日階段下りるだけで息切れしました、あっはっは。
・・・・・・。
・・・・・・。
・・・・・・。
・・・・・・五月より弱くなってるじゃねえかぁぁぁぁぁぁぁ!!!!
俺は御世話になったフィリス・矢沢大先生様に、満面の笑みを見せる。
「一ヶ月間の手厚い看護、本当にありがとう御座いました。
扉にイギリス製の施錠、屈強な警備員に守られて、狭い個室の中で心から入院生活を堪能しましたとも。
窓の外の美しい景色は、今も僕の心に描かれております。
ところでフィリス先生は、監禁という言葉をご存知ですか?」
「脱走という言葉の意味ならよく知ってますよ、良介さん」
ええい、ああ言えばこう言う女だな! 一ヶ月間はちゃんと大人しくしていただろ!?
つーか、トイレ行くにも警備員とフィリスの許可が要るっておかしいだろ!
お陰様で、外出許可の窓口――病院側より派遣された警備主任米吉さんや、ナースコールのお姉さんとすっかり仲良くなったわ!?
あの連中用件だけ素直に受け答えすればいいものを、下世話な世間話をいちいち話題に出してくる。
海鳴大学病院bPの美人女医フィリスや毎日付き添う可憐なメイドのアリサ、毎日入れ替わりでやってくる知り合いについて――
どいつもこいつもレベルの高い方々であるだけに、彼らの興味は尽きないらしい。
無視すればいいのだが・・・・・・修行どころか身体を動かす事全般禁止ともなれば、病院なんて暇で退屈で仕方ない。
一人っきりの時間は大好きなのだが、消毒液臭い病院の中でボケッとしていると脳が腐ってくる。
出会いやその後の関係を渋々語っている内に、知人程度にはなった。
警備員や看護士の体験談や苦労話なんぞ聞きたくも無いのに、世間にまみれた苦労人達は涙ながらに語ってくれる。
疲れ果てた入院患者に世間の苦労を聞かせるな。退院したくなくなるわ!
あの妙にフレンドリーな看護士達に絶対余計な事を喋ったであろう、友達100人計画推進者は入院中の俺について語る。
「窓の外と言えば――良介さんに、絵の趣味があったのには驚きました。
病室に置かれているメモ帳とエンピツで、風景画を描かれるなんて――
本当に良かったんですか、私が頂いても・・・・・・?」
「捨てるつもりだったから、別にいいよ。あんな暇潰しに大袈裟な奴」
「良介の旅の荷物にもあったわ。
何処にでもある手帳にエンピツで、綺麗に描いていたからびっくりした。
・・・・・・ねえ、良介」
「はいはい、給料代わりに好きなのをやるよ」
「ほ、本当に!? 後から返せって言っても返さないからね!」
何がそんなに嬉しいのか、アリサもフィリスも喜びに頬を染めている。
――念の為に言っておくが、絵に対する特別なこだわりは無い。
誰かに影響されたとか、特別なキッカケがあったとか、ドラマティックな事は何一つなく、本当に旅の暇潰しで始めたのだ。
日本を一人旅して回っていた俺だが、時折足止めを食らう事もあった。
長雨や台風などの自然の驚異、交通事故や工事や道路警戒の封鎖等による人為的理由――そして、心惹かれる世界の美しさ。
そうした足を止める理由があった時、その場その場の景色を絵に描いていたのだ。
高価な画材道具の一切を使用しない、手慰めなエンピツ描き。
世界にこだわりを求めず、自然であろうと、動物であろうと――人であろうと、描き止めた。
自分で言うのもなんだが才能なんて無く、最初なんて幼稚園児レベルの下手糞さだった。
アリサやフィリスが何やら褒めているが、何年も描いていれば誰でも自然に上手くなる。
この町に辿り着くまでの剣と同様――ただ無闇に目的も無く、描いていただけだった。
病室の窓の外を描いていたのは、単純に暇だったからである。
――心境の変化によって描ける絵は違うものだと、気付けたけど。
「別れの餞別にはちとケチだが、まあ礼代わりに受け取っておいてくれ。
色々と世話になったな――それじゃあ、元気で」
――君の行く道は 希望へと続く
空にまた 日が昇るとき
若者はまた 歩き始める――
見えない明日へ、俺達は歩き始める。
「口笛を吹いて、さり気なく去ろうとしないで下さいね」
背を向けて颯爽と別れを告げる俺に、躊躇の欠片も無く小さな手が俺の肩の上に乗る。
力も何も籠められていない筈なのだが、振り払う事は何故か出来なかった。
渋々向き直ると、フィリスは笑顔で告げてくる。
「確かに退院許可を出しましたが、良介さんの怪我はまだ完全に治っていません。しばらくは通院してもらいます。
6月3日、また病院へいらして下さいね」
「明後日じゃねえか!? 絶対、治ってねえよ!
最低でも一週間は間を開けろよ!」
「一週間なんてとんでもないです!? そんなに死にたいんですか!」
「え、俺そんなに崖っぷちなの!?」
「良介さんを一週間も放っておいたら、また大怪我するに決まってます。
二日間だけでも、私の目の届かない所で何をするか――心配で、すごく胸が痛むんです」
「凄まじく信頼が無いですね、俺!」
冗談や皮肉で言っているならぶん殴るが、フィリスの表情は真剣そのもの。
嘘偽り無い純真な瞳が、不安に曇っている。
初めてお遣いに出る子供より心配されている俺って、一体何者なんだ。
「アリサ、この過保護なドクターに一言言ってやれ」
「これからも良介を宜しくお願いします、先生」
「信じてくれよー!?」
世界の経済に鋭い視点を向けるより、頼り甲斐のある御主人様に目を向けやがれ。
真剣に頭を下げるアリサに、俺は心底ウンザリした。
精神疲労で怪我が爛れる前に、とっととこんな病院オサラバしよう。
病院玄関で繰り広げる喜劇に幕を閉じようとすると、フィリスが苦笑して、
「ごめんなさい、少しふざけてしまいましたね。
でも――本当に、自分の身体は大切にしてください。
貴方はもう、独りではないんです。
アリサちゃんも、はやてちゃんも・・・・・・フィアッセ達も、貴方を大切に思っているんです。
他人への心遣いを強制はしませんが、心の何処かで気に留めてほしい――私はそう願っています」
緊張に満ちた死闘の連続、深手を負う度にフィリスもまた心を痛めていたのか。
俺が弱くて自分すら満足に守れず、命を顧みる余裕も無く何度も倒れ伏す。
フィリスはそんな俺の生き方を少しでも変える為に、友人を増やそうとしている。
自分と他人を結ぶ絆は――俺を傷つける茨となるか、俺を救う命綱となるか。
確かな事は一つ、フィリスが選ぶ人間に無益な存在など在りはしないという事。
俺の隣に居る少女の為に、自ら救いに出向いてくれた事を俺は絶対に忘れない。
「何か御困り事があれば、相談して下さい。些細な事でも構いません。
今日で貴方はこの病院を離れますが――貴方はいつまでも、私の患者さんです。
退院、おめでとうございます」
私の大切な患者――何度も聞いているのに、何度聞かされても心が震わされる。
回復を喜ぶ嘘偽りない気持ちが、何より傷付いた身体に温かく染み渡った。
ありがとう、小さくだが感謝を口にしただけでも、俺はこの病院で少し変わったのかもしれないな。
どんよりした曇り空だが、気分は悪くなかった。
アリサを連れて病院から出ようとする俺に、フィリスは最後に伝える。
「そうだ――良介さん。6月4日は何の日か、御存知ですか?」
「・・・・・・まさか3日に続いて、4日も来いとか言う気か?
毎日病院に来させるつもりなら、入院していた方が手間がかからないんですけど」
「違います! ――やっぱり知らなかったんですね」
頬に手を当てて、フィリスは小さく嘆息する。
疑問符を頭に浮かべていると、隣に立つメイドが俺の袖を引っ張る。
「ミヤから聞いてなかったの? 6月4日ははやての誕生日よ」
八神はやての誕生日――6月4日。
俺はその日、新たな運命と出逢う。
<続く>
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