Ground over 第三章 -水神の巫女様- その8 状況
---------------------------------------------------------------------
「・・・・だ、大体判ってもらえたかな?」
「・・・・・・」
恐る恐る顔を覗き込むが、対する氷室さんは全くの無表情だった。
まあ、こんな話信じられないのも無理はないか。
俺は疲弊した身体と精神をそのままに、室内の天井を仰ぎ見る・・・・
あの時――
キキョウが召還したのは水神ではなく、俺達の世界にいた「氷室 巴」という女性だった。
勿論水神に縁も何もない、俺や葵と同じ平凡な大学生の筈である。
俺や葵は氷室さんについてを知っているので、キキョウの召還が失敗したのだとすぐに分かった。
だが、何も知らない町の人達からすればそうは思わない。
今まで見た事もない(とは思う)召還儀式を見て、光の渦の中から召還された女性。
容姿は美しく、来ている服は黒のドレスという凡そ一般人には着れない高貴な服装。
人々が水神に所縁のある者だと誤解するのは、むしろ当然だったのかもしれない。
水神が人に化けたのだと言う人もいたが、大抵の人々の認識として水神に仕える巫女なのだと判断された。
お陰で狂ったように氷室さんを拝み続ける人達を何とか退散させるのに、俺達は必死になったのだ。
そして何とか追っ払った俺たちは、ここ町長の家へと戻って来ていた。
町長もキキョウの失敗で召還された氷室さんをすっかり信望してしまい、しきりに恐縮していたのが少し面白かった。
で、今は客室にて全員が集合して話し合いをしている。
「信じられないのも無理はないとは思う。
俺もこの世界に来た当初は自分の目を疑ったし、夢か何かだとも思ったから」
この町で起きている事件で最も関係がなく、それでいて最もとばっちりを受けた女性。
事の原因はキキョウにあるのだが、失敗を身を持って味わったのにも関わらずもう一度召還をやらせた俺にだって責任がないとは言えない。
何より、事はもう起こってしまった。
例え原因がどうであれ、氷室さんはこの世界に来てしまっている。
そして・・・・・やり直しも尻拭いも出来ない。
今すぐ元の世界へ戻すのが何よりやらなければいけない事なのだと分かっているのに、この場にいる誰にもそれを実行する手立てはない。
俺たちがいたあの世界へ帰る、それは俺が誰よりも望んでいる事なのだ。
でも――出来ない。
出来るのなら、とっくの昔にやっている。
考えれば考える程気が重くなるが、それでも俺は全ての事実を氷室さんに説明した。
隠していても何も解決はしない。
俺は対面に座って俯いている氷室さんに、何とかひるまずに話を続ける。
「でも、まぎれもなくこの世界は確固として存在している。
価値観も違えば、生活基準もまるで違う。
何より許せないのが、人類の未来を支える科学技術がなくて、魔法とかいうあやふやな力がある事だ」
きっぱりと言った俺に、それまで黙っていた葵が俺の隣に立つ。
「何を言うんだ、友よ。素晴らしいではないか。
我々の想像を越える遥かなる力がこの世界を支えているんだぞ!」
「その遥かなる力のせいで、今の俺達が悩んでるんだろうが!」
大体この世界がどうであろうと、俺は別に何も関係はない。
無理やり召還されてからというのも、苦労の耐えない毎日ばかり続いているからな・・・・
嘆いていても仕方はないのだが。
俺は気を取り直して、氷室さんに視線を向ける。
「ど、どうかな・・・?
何か分からない事とかあれば質問してくれてかまわないけど」
初めから終わりまで丁寧に説明したのだが、氷室さんは至って無反応のままだった。
急に泣き出されたり、派手にショックを受けられても困るが、何の反応もないと逆にどうすればいいのか分からなくなる。
俺は長い沈黙にいたたまれなくなって、氷室さんの反応を伺った。
恐らく今の彼女は相当混乱しているとは思う。
何しろ急に連れて来られ、訳の分からない所へ飛ばされたかと思えば、周りに知る者は誰もいない。
その上、町の人々からは巫女様だの大勢に拝まれる。
普段非常時に慣れている俺や葵でも混乱したのだ、女性の氷室さんはもっと悩むだろう。
っと思っていたのだが、予想外な反応を見せる。
「・・・幾つか質問・・・よろしいですか・・・」
「え?あ、ああ、どうぞ」
氷室さんの声に明るさも暗さもない。
まるで世間話でもするかのように、淡々とした口調で話し始める。
「・・・ありがとうございます・・・・・では・・・・・
・・・天城さんと皆瀬さんが大学を休まれていたのも・・・こちらにいらっしゃったからですか・・?」
大学、懐かしい言葉である。
毎日通っていた筈の学校なのに、今ではひどく遠く感じられた。
そういえばこの世界にやって来たのは大学帰りだったっけな・・・・・
ん?
「・・・あれ?
氷室さん、俺達の事どうして知っているの?」
名前はさっき自己紹介したので知っているのは当然にしても、何故同じ大学の者だと知っているんだ?
俺や葵が彼女の事を知っていたのは親しかったからではなく、彼女が大学で有名だったからだ。
氷室さんとこうして直接話をするのは、今日が初めての筈である。
思い返せば、召還後の対面でも俺の事を知っていたような素振りだった。
俺の疑問に、氷室さんは落ち着いた様子で答える。
「・・・授業で時折、お二人のお顔を見かけていましたから・・・」
見かけていたって、それだけで俺達二人を覚えていたのか!?
確かに大学で受講している総授業で同じ授業の場合もあるが、それにしても受講している人数は五十人を軽く超える。
ましてや異性である男子を覚えられるものなのだろうか?
自分で言うのも悲しいが、俺は彼女程目立つ容姿も華もない男である。
「記憶力、いいんだね。俺なんてよほど印象が濃くないと覚えられないよ」
俺の場合、印象がどうとかより自分の興味を優先する。
思考も何も合いそうにない人間はいつまでも覚えないだろうし、覚える気もない。
苦笑気味にそういう俺に、巴は俺と葵をちらりと見つめて言った。
「・・・よくお二人でお話されているのを耳にしますから・・・」
うっ、そういう覚えられ方はちょっと嫌だな・・・・
大学の授業中、葵共々教授に注意された事は一回や二回ではなかった。
ちなみに誤解しないように言っておくと、注意される原因はその殆どが葵一人の責任だ。
言ってみれば、一般的な会話とはかけ離れているのである。
戸惑う俺の隣で、葵は何故か満足そうに頷いた。
「ふむ、我々のエキゾチックな会話が氷室女史の印象に強く残っていたという事ですね」
「何がどうエキゾチックなのやら・・・」
堂々とした葵に、俺は呆れ果てて溜息を吐いた。
一方の彼女は俺達の様子を物珍しそうに見た後に声を出した。
「・・・あの・・・・」
「と、どうしたの?」
「・・・質問の答えを・・・・」
「え?あ!
氷室さんの記憶が正しかったら、俺たちが大学で見かけなくなかった頃からだと思う」
本題に戻っての質問に、きちんとした形で返答する俺。
俺たちがこの世界に呼び出される前の大学の授業にて、俺は彼女の姿を見ている。
その時からと考えれば俺達二人から姿を消したのは、氷室さんが俺達を見失った頃からだといえた。
氷室さんは納得したように口を閉ざした時、俺はふと閃く。
「途中で悪いけど、俺からも質問があるんだ。いいかな?」
「・・・はい。私の答えられる範囲から・・・・」
俺は心なしか緊張して、彼女へ身を乗り出した。
「氷室さんがこの世界にくる前、あっちでは何月何日だった?」
そう――
この世界へ俺と葵が来て、数週間が経過している。
元の世界へ帰れるかどうかという問題は取りあえず置いておいて、帰った後の問題がある。
何しろここの世界と元いた世界の時間の経過が同じとは限らない。
一日が二十四時間という概念も、一年が三百六十五日という概念も、向こうの世界の俺達の国の目安にすぎない。
時間の流れは同じである可能性もあれば、違う可能性だってあるのだ。
もしもこの世界の時間の流れが遅い場合、苦労して元の世界に戻れば見慣れない未来の光景を見る事になる。
当然大学だって留年どころか大学になりかねない上に、身元の捜索やらなんやらで苦労する羽目になってしまう。
心のどこかで不安になっていたその質問に、氷室さんは冷静に答えた。
「・・・七月二日です・・・」
「七月二日!?
一ヵ月半くらいか・・・・」
細かい修正はともかく、この世界で俺達が過ごしてきた時間とほぼ同じである。
もし百年とか経過していたら、流石の俺も泣きそうになっていただろう。
俺は胸を撫で下ろした。
もっとも、大学での容姿そのままに氷室さんがこの世界に来た時点である程度に見込みはあったのだが。
「・・・質問はもうよろしいですか?・・・」
「俺からはそれだけ。氷室さんはまだ質問はある?」
「・・はい・・・あの・・・」
「どうぞ」
俺は姿勢を正して、きちんと座り直す。
氷室さんは手を口にあてて少し考え込むが、やがて思い切ったように口を開く。
衝撃的な内容の発言をして――
「・・・もし私が帰りたくない、と言えばどうなりますか・・・?」
「帰りたくないって言うんなら・・・・
って、ええっ!?」
一瞬冗談かと思ったが、氷室さんの目はどこまでも真っ直ぐで真剣だった・・・・
<第四章 水神の巫女様 その9に続く>
-------------------------------------------------------------------
小説を読んでいただいてありがとうございました。
感想やご意見などを頂けるととても嬉しいです。
メールアドレスをお書き下されば、必ずお返事したいと思います。