Ground over 第六章 スーパー・インフェクション その6 疫病
人は、いずれ死ぬ。英雄であろうと、科学者であろうと、人として生まれた以上滅びは必ず来る。
誰もが理解していながら、必死で目を逸らしている。忙しない現実に埋もれさせて、他人事のような顔をして生きている。
決して、他人事ではないのに――自分だけではなく、自分の大切な人だっていずれはこの世から去ってしまう。
昨日の夜、人が死んだ。泊まっていた宿の主、会ったばかりの他人。明日になれば別れ、多分二度と会う事はなかった。
そんな人間が死んだ。自ら命を絶って、この世を去ってしまった。俺は消え去った命を、他人事のように見送ろうとしている。
自己嫌悪は感じない。人間多かれ少なかれ、誰だってそんなものだ。
でも――せめて同じ村に住んでいる人間くらいは悲しんでほしいと思うのは、我侭だろうか?
「よくある事なのですじゃ、旅のお方」
「人の死が、珍しくない……?」
自殺した宿主の遺体を引き取りに来たのは、この村の村長さんだった。宿主は独り身だったらしい。
天涯孤独の死、誰にも看取られずに死んでしまった。この老人も村長としての義務で来たようだ。
主のいなくなった宿の一階で、古びたテーブル席に腰掛けて俺達は事情を聞く。
「左様、先日も村の者が一人自ら命を絶ってしまった。何も口にせず、そのまま眠るように死んだ者もおる。
こう立て続けでは、滅入る気持ちすら失せる」
生気の抜けた老人、まるでミイラのように身体も心も朽ち果てている。溜め息ばかりが重かった。
茶の一杯でも飲みたかったが、入れてくれる者は死んだ。体を休める憩いの家も、やがて荒廃していくのだろう。
白髪の老人に、葵が静かに問い掛ける。
「自殺者の続出――この村で一体、何が起きているのですか?」
葵を窘めたかった。村の事情を聞くということは、深入りする事に他ならない。
盗賊団や長雨、アリスの時のように俺達の旅に支障が出る事態ではないのだ。
死体を丁重に引き渡して、さっさと立ち去ればいい。苦情を出さないだけでも、感謝して欲しいくらいだ。
それでも耳を傾けてしまったのは、人の死が科学では覆せないからだろうか……?
「……この村は今、病に侵されておるのじゃ」
「病……? もしかして、疫病ですか!?」
ギョッとする。トランスレーターで「疫病」という単語が翻訳されるのか多少気になったが通じたらしい。
死人が出た村の長が、重々しく頷いた――
俺は葵の襟首を掴んで、村長に一言断って戦術的撤退を行う。
一階に並ぶ部屋の奥まで葵を引き摺って、あらゆる感情を堪らえて言った。
「お前、昨日の夜死体に触ったか?」
「現場を確保するべく、手を触れないようにしておいた。しかしだな、友よ」
「今回ばかりはお前の我侭を聞かないからな。即刻、出て行くぞ」
家から出てこようとしない村人達、増えていく自殺者、村全体の閉塞感――その全てが、「病」というキーワードに結び付く。
この異世界に限った話ではない。異国の地への旅で最も注意しなければならないのは病原菌だ。
個人のみならず、国家そのものが徹底的に取り締まっている。病は、人を殺す力を持つからだ。
「村長の話を最後まで聞いてからでも遅くはないぞ」
「全部聞いてどうするんだ。盗賊やモンスターと違って、病原菌なんて退治できないぞ」
「此処は異世界だぞ、友よ。我らが知っていて、彼らが知らない病が存在するかもしれない。
対処療法を教えるだけでも改善に向かう可能性もある」
「空気感染する病原菌だってある。長く滞在するのは危険だ」
「それほどの感染力があれば、一晩過ごした我らは手遅れだろう。今のところ、誰にも異常は出ていない。
詳しい話を聞かなければ、万が一の事があった場合対処しようがないぞ」
葵の言うことはもっともだった。なまじ正論なだけに、葵に諭されてしまって悔しくも思うが。
疫病、流行病。いずれにしても、科学者に解決出来る分野ではない。
専門的な知識に加えて、特別な施設も必要になる。マスクもない身では手に負えなかった。
ひとまず内輪揉めはやめて、二人して村長に平謝りして元のテーブル席に着く。
「お前さん方がそのように驚くのも無理はない。こうして年寄りの話を聞いてくれるだけでも、ありがたい。
気休めかも知れぬが、今まで外から来た人が感染した話は聞かぬ。
大抵は素通りか、一晩過ごして元気に去っていきおったわい」
安心出来るほどの保証ではないが、鵜呑みにするしかない。次の町で全員医者に見てもらおう。
……ようやく波立っていた思考も落ち着いてきて、冷静に物事を考えられるようになってきた。
深く息を吐いて、今度は俺から積極的に聞いてみる事にした。
「先程言っていた、この村で蔓延している病とは?」
「病が流行りだした時期は、定かではない。気がつけば一人、また一人――
今や、村の働き手はほとんどおらん。このままでは……この村は終わりじゃよ」
「具体的に、どんな症状に襲われるんですか」
「最初に襲われるのは疲労、倦怠――気力が徐々に奪い取られてしまう。
家から出るのも辛くなり、やがては起き上がれなくなるのじゃ」
どんな病気にも半ば共通する初期症状、その中で衰弱が顕著に起きてしまうらしい。
生命力を病で削られたら、人間は簡単に衰えていく。人は決して、磐石な存在ではない。
宿主が自殺した理由も、病で生きる気力を奪われてしまったからかもしれない。
……その割に、顔色は悪くなかったような気がするのだが。
「痛みとか、熱は?」
「痛みはないようじゃ。だからこそ、この病は恐ろしいのじゃが。
発症した時期が明確ではないゆえ、儂らも気づくのは遅れてしもうた」
「痛みは、身体の異常を知らせるサイン――それがなければ、早期発見は難しいか」
悪性腫瘍なども臓器によっては、初期症状が極めて軽く発見が遅れるケースがある。
だからこそ定期的な検診が必要になるのだが、病院もないこの村では不可能だ。
自分のいた国の医療施設の充実さを、皮肉にも異世界の地で実感できた。
「何とかしたいのじゃが、この村にたった一人いる医者も首をひねっておる。
治療方法が見つからず、村は寂れていく一方じゃ」
「そこまで追い詰められているのなら、一刻も早く国に救援を求めたほうがいいですよ」
「聞いてはくれんよ。被害者の儂らでもこの病が何なのか、分かってはおらぬ。
国にとって重要でもない村の一つや二つ、潰れたところで見向きもせん」
感染ルートも、治療方法も全く分からない為、これはどうしようもない。
症状自体はそれほど驚異を感じないのが、余計に厄介さを増している。国に軽く扱われてしまうからだ。
せめて危険な症状だと証明出来れば、国を動かすことが出来るのだけど……難しいか。
「病死した死体を調べるとか、死に至る症状を洗い出すとかして、まずは国の認知を求めるのが第一かな」
「いや、死人は出ておらんよ」
「えっ……? さっき、働き手が殆どいなくなったと言ったじゃないですか」
「寝たきりになっただけじゃ、皆家で臥せっておる。
出ておる死者は自ら命を絶った者ばかりでな、嘆かわしい限りじゃ」
身体が弱っていくのに死なないとはまた、随分と変な病気である。
ウイルスなら特徴が出るだろうし、感染力も高いはず――と言い切れるほど医療知識がある訳ではないので、定かではないけど。
考え込んでいると、今度は葵が身を乗り出して訊ねる。
「寝込んでいるとの事ですが、身体に特別な異常は出ず気力だけが抜けている状態では?」
「病気じゃからの、本人に異常が出ていると言ってもよいじゃろう」
「友人知人のみならず、家族にも会いたくないと言っている?」
「ほう、よくお分かりじゃのう……その通りじゃ。一人で寝入っておる者が大半じゃ」
村長の返答に、葵は得心が言ったように頷いた。何なんだ、この質問は。
分からないからと言って葵に直接聞くのは、俺のプライドが許さない。これまでの質疑応答から、この病気を分析する。
感染時期やルートは不明。感染対象は村人、病名は無し。治療方法は不明、症状緩和にもいたっていない。
症状は極度の衰弱。生きる気力を失い、家の中で臥せったまま動けなくなる。家族にも知人にも合わず、一人で――
――あれ……? もしかして、この病気って――
「最後に質問。働き手が殆どいなくなったと言ってましたよね。
それは、この病気に侵された人達がもしかして……働きたくないとか言っていて?」
「そうなのじゃ、どうしたもんかのう」
「典型的な引き篭もりじゃねえか!?」
異世界で思いがけず発症していた現代病に、俺は堪らずテーブルをぶっ叩いた。
死なせてしまえ、そんな連中!
<続く>
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