とらいあんぐるハート3 To a you side 第六楽章 星たちの血の悦び 第七十二話







 俺が不本意な事をやらされる場合、最近こいつの一言から始まる。


「すずかはどうするの?」


「藪から棒に、どうした」

「すずかよ、すずか。あたしの友達。あたしの抱き枕をどうするつもりなのよ」

「友達を抱き枕とか言ってるし!?」

「あんたは知らないでしょうけど、すずかの肌ってすごく綺麗ですべすべなのよ!
ぎゅっと抱きしめた時の柔らかさもたまらないわ……」

「お前の肌はアザラシのようにザラザラだもんな」

「このこのこのこのっ……!」

「だああっ!? 頬擦りするな、暑苦しい!」


 ムキになって抱きついて来る女の子を、無理やり引き剥がす。

手を怪我しているのをいい事に、頬をスリスリしやがって……


「大体お前はあの子を友達だと思っていても、向こうはお前のこと何とも思ってないかもしれないぞ」

「失礼な奴ね! あたしとすずかは出逢った時から親友なの。これは運命なのよ」

「ただの思い込み――分かった、分かったから、果物ナイフを突きつけるな!?」


 入院生活が始まって何日も過ぎ、6月も下旬に差し掛かっているが、今日も生憎の空模様。

海鳴の自然に恵みの雨が降り続き、青く茂った草木も濡れて重く垂れている。

湿気が高く鬱陶しい日に無駄に元気なのは、主人の為に林檎の皮を向いているメイドだけだ。


「そんなに会いたいなら、お前から本人に直接連絡を取ればいいだろ」

「会いに行くと約束したのはあんたでしょう。怪我した良介を差し置いて会いになんて行けないわよ」

「……お前はこの厳戒態勢で会いに行けると思ってるのか?」

「……あたしの頭脳が全力で警戒を訴えているわ」


 ほれ見ろ。不可能を可能とする魔法使いでも、お節介なお医者様には勝てない。

脱走の前科がある上に、一ヶ月経たずに大怪我して再入院。こんな患者を海鳴大学病院側も安穏と放置したりはしない。

完治の難しい怪我を負ってフィリスも絶対安静宣言を出し、一日に三回は様子を見に来る。

病院関係者全員にお願いして回ったのか、医者やナースの目も鷹のように鋭い。中庭に出るのも人の目がある。

月村家まで訪ねるのは困難極まりなかった。


「それにさくらの話だと、俺が倒した男から確かな証言を得られたらしいからな。
黒幕まで繋がる証拠があれば、一族による親族会議で訴えて権力も剥奪される。

尻に火がついた状態で、妹さんに手を出す余裕はないだろう。俺の仕事は終わりだ」

「……追い詰められているから、逆に危ないと思うけど……」

「うん?」

「何でもない。それよりも――いつから名前で呼ぶようになったの?」

「ああ、さくらか。本人がそう呼べってさ、ようやく俺も認められたんだぞ」

「さくらさんが、良介を……そっか……うん、そうよね……!」

「何だ、急にニヤニヤして」

「べ、べっつにー! 良介は、あたしが認めてやった人だもん。
さくらさんほどの人に認められるのは、当然よ。そのくらいの事、ちゃんと分かってたんだから!」


 おすまし顔をしているが、頬が緩んでいる。りんごの皮を剥く手付きもどこか弾んでいた。

自分が認められたわけでもないのに、何がそんなに嬉しいのか、さっぱり分からない。

嫉妬でもするのかと思ったがそんな気配は微塵もなく、可憐な少女は優しくリンゴを剥いてくれた。


「話は大体分かったけど、現状まだ安全になった訳じゃないんでしょう。すずかは大丈夫なの?」

「俺が大怪我して仕事が出来なくなったから、新しく護衛を雇うらしい」

「……切り替えが早いわね……姪の命がかかっているから、仕方が無いとはいえ」


 夜の一族との契約は断ったからな、むしろ当然の処置だろう。

実際の俺が戦ったあの刺客は、月村――ちっ――忍の腕を狙っていた。脅しにしてもえげつない手段だ。


「新しい護衛ね……忍さんやすずかはどう思っているのかしら?」

「そんなの――」



「やっほー、侍君。今日は素敵な話を持ってきたよー」



「――この脳天気に直接聞いてみろ」


 再会してからというもの、俺の病室に毎日入り浸っている暇な女。

学校がある日は放課後より直行、休日は面会時間の全てを俺と一緒に過ごしている。

忘れているようだから思い出すまで、と口実を設けて。真意を見破っている主治医は笑って許可を出している。

くっそー、患者の容態が悪化したらこの病院を訴えてやる。


「毎日見舞いに来るくせに、毎回手ぶらで来るなよ」

「ふふん、そう言うと思って今日はいい話を持ってきたよ」

「いい話……?」


 期待するなよ、アリサ。こいつの思い付きは大抵ロクでもない。

少なくとも、俺が喜ぶ話では絶対にない。そうに決まっている。

外は暗く大雨まで降っているのに、忍の顔は晴れやかで明るい。この前腕を切られかけたばかりなのに、ちっとも怯えていない。


「侍君さ、うちの専属ボディガードにならない?」

「専属……?」

「そうそう、今回はさくらに臨時で護衛に雇われていたよね。
今度は月村の家で侍君を雇いたいの。ノエルやファリンと一緒に、私とすずかを守って欲しい」

「俺の手は治る見込みもないんだぞ、仕事なんて務まらない。他の人間を雇えよ」

「私を守って負ったその怪我も、絶対治療法を探してみせる。今すぐじゃなくてもいいの。
心から信頼出来る人にしか務まらないの、この仕事は」

「俺はお前と――夜の一族と、契約はしなかった。そんな人間を雇うのか?」

「契約によって強制されたものではなく、信頼によって結ばれた関係がいい――
それを教えてくれたのは侍君でしょう。私はそんな侍君が大好きだし、大切な妹も任せられる。どうかな?

報酬は期待してくれていいよ、毎月それなりの額を提示出来る。アリサちゃんとも相談するし、金銭面をいい加減にはしない」

「お前は常日頃からそんなに誰かに恨まれているのか」

「人聞きが悪いよ!? 危険から守るというより、安心を与える仕事かな。侍君が傍にいれば、どんな事が起きても安心出来る。
アリサちゃんもそうだよね?」

「うっ……そこであたしに振りますか……忍さん、本気で……?」

「自分でもビックリするくらい、はまっちゃった。ごめん」

「謝らなくてもいいです――あ、あたしも、そうですし……」


 人間、変われば変わるものだ。頬を染めて微笑む忍は、驚くほど女の顔をしていた。

白い肌を朱に染めて、熱を帯びた声で想いを綴る。恋をすると、女はこれほど綺麗になるのか。

金になる仕事、報酬は確かに期待できる。守る対象が多少気に入らないけど、手さえ治れば引き受けても――



「――良介、この仕事引き受けたら忍さんのヒモになるけどいいの?」



「ア、アリサちゃん、しー!」

「おいこら!?」

「違うよ、侍君! その時は晴れて私とすずかの二人と結婚すれば、何の問題もなくなるよ」

「永久就職する気はねえ!」


 やばかった、危うく金に釣られるところだった。名参謀の絶妙な進言で思い止まる事が出来た。

もう少しだったのにー、と忍は唇を尖らせている。金に物を言わせるとは、マネートラップ恐るべし。

アリサは余裕の表情でシャリシャリとリンゴをつまんでいる。実に頼りになる女の子だった。


「侍君、私はお得な物件だよ。付き合って損はないと思う」

「ほほう、具体的にはどんなところが?」

「えーとね、最近下着を買いに行ってスリーサイズを測ったんだけど――」



「B91、W56、H89!? う、嘘をつくな!?」

「待って良介、あたしが調べてみる!

――うわっ、こんなにウェスト細いのに、この胸の大きさ……うう、何なのよこの差……」

「あはは、くすぐったいよアリサちゃん。どうかな侍君、ポイント高い? 侍君になら、私……」



 脳髄まで甘く痺れそうな告白、羞恥で顔を真っ赤にしながら必死に告白する忍に悶えそうになる。

俺でさえ、このありさまだ。同年代の男共なら、恭也であっても狼に変身するだろう。

外国人のフィアッセに並ぶ、スタイルの良さ。夜の一族が西洋の出なのも、納得出来る。


「ま、まあ、考えておこう……」

「何を考えるのよ、スケベ。あたしだって……頑張れるんだから……」

「お前こそ何を頑張るんだ、何を。病院で話すような内容か、これ」


 本当に手が治るのかまだ分からないので結局仕事の件は保留したが、忍は機嫌よく受け止めてくれた。


「よかった。私もそうだけど――すずかの事も、そんなに嫌っていないんだね」

「妹さん? 何だ、何かあったのか」

「何というか、その……さっきの、護衛の話なんだけど。

すずかが新しい人を雇うのを、反対しているの。さくらが何度も言い聞かせようとしたんだけど、全然聞き入れなくて。
"必ず会いに行くと約束して下さいました"、そう言って首を振っているの。

ずっと外で、侍君を待っているの。朝も、昼も、夜も、雨の日も――今日も。

お姉ちゃんの私でも敵わないくらい、一途な子なんだよ」


 ……外は激しい雷雨、窓を揺らす風で海が荒れ、山をも揺さぶっている。

月村すずかは自然の驚異に晒されながらも、俺が来るのを待っているというのか。

記憶を取り戻すと約束したあの日からずっと――

手が動かなくても、頭が働かなくなっても、彼女は再会を信じてくれていた。


「何でもっと早く言わないんだよ、それを!」

「お金より優先するものなんてないと言い切ったのは、侍君だよ」

「ぐっ……」


 流石、付き合いが長いだけある。俺の事を多少なりとも理解している。

待っていてくれるのはありがたいし、会いに行くつもりではあった。ただ、俺にはあの子を守る力も理由もなくなった。

砕けたこの手で何を守れるというのか? 何も得ずして、何を守ろうというのか?

約束は守れるが、妹さんは多分その先も望んでいる。

忍は自分の為ではなく、妹の為にも――戦えない俺を、金で雇おうとした。

最善の手段、俺が引き受ければ丸く収まる。でも、出来ない。


「素直に引き受ければいいのに……ひねくれ者」

「うるせえ、女の情に縋れるか。何も出来ないのに、金だけ貰ってもありがたみがないんだよ。
忍や妹さんがよくても、俺は納得出来ない。納得できない事はやりたくない」

「ちょっとはカッコよくなったと思ったのに、そういう所はまだまだね……それで、すずかをずっと待たせるの?
お金以外の理由で、あの子と接することは出来ないの!?」

「……」

「……もういい、今日は帰る。忍さんはゆっくりしていって下さい」


 俺の着替えをテキパキと袋に詰め込んで、アリサは憤然と出ていってしまった。

廊下をガンガン乱暴に踏み鳴らす音が、俺へのあてつけのように聞こえる。


……ちっ、メイドの分際で言いたい放題言いやがって。


「アリサちゃんは、本当にすごいな……滅多にいないよ、誰かを思って一生懸命叱ってくれる子」

「……生意気なだけだ」

「私ももっといい女にならないと――アリサちゃんを見習って、えいっ!」

「おい、何でナースコールしているんだ!?」


 慌てて取り返したが、既に押された後。一分も経たずに、ナースからの呼びかけがきた。

月村はむかつくほど切実な声で主治医を呼ん――おいおい、フィリスをコールするな!?

殴ってでも止めたいが、両腕共に再起不能。月村はお茶目な顔で両手を合わせている。


「……妹さんに今会っても、傷つけてしまうだけだぞ」

「すずかは侍君との再会を心待ちにしているの。会って――まずはそこからだよ」

「仕事は終わったんだ、次には繋げられない」

「傷つく結果になったとしても、何も無いままよりはいいよ。侍くんは私との関係も真剣に考えた上で、契約を断ってくれた。
すずかとも、きちんと向きあってほしい」


 月村忍の妹、月村すずか。一族の頂点に立つ資質を持つ純血種、夜の女王候補。


一族の有力者達にも見透かせない心の闇、生まれた意味も分からず少女は正をさ迷っている。

あの子との関係は、自分でもよく分からない。別に仲良くはないが、不思議と気になってはいる。

金の切れ目が縁の切れ目、とはならないらしい。とにかく、会いに行ってみるしかない。


――その前に、フィリスとの関係が悪化しそうだけど……慌ててこちらへ駆けてくる足音を聞いて、俺は嘆息した。















 雨とは不思議なものだ。どんな心境であっても、人を哀しく――そして、美しく見せる。

降りしきる雨の中、豪奢な屋敷の前で、傘を差した少女が立っている。

大きな傘を手にしているのは、メイド服の女の子。正義のヒーローの仮面をつけて、主を雨から守っていた。

屋敷の門まで近づけてもらい、俺は車から降りて傘を差す。


少女が、顔を上げる――


「――剣士さん」

「遅くなって悪かったな、妹さん。こわーいお医者さんに睨まれて、なかなか外に出られなかった」


 すずかは、静かに首を振る。何日も待たされていたのに、俺を責める様子はまるでない。

俺を見上げる瞳は深く、深淵の中に眠る感情は何も見えてこない。瞳に映る闇に吸い込まれそうだった。

むしろ仮面をつけているファリンの方が分かりやすい。彼女は俺の後ろに停車しているタクシーを、怪訝そうに見つめている。


「今入院中でな、重い怪我で外出も禁止されているんだ。
先生を何とか説得して、タクシーを呼んでもらった。馴染みの運転手らしくて、俺をきちんと連れて帰ってくるように言われている。
理解ある先生だから話して分かってくれたんだけど、話し合いが終わったら寄り道せずに帰ってくるように――だって」

「……忍お嬢様は、どちらに?」

「病院で、先生と話している。ナースコールで遊ぶなと、今頃怒られてるだろうな」


 首を傾げるファリン、詳しく説明するのも面倒だ。とりあえず無事なのだと納得したのか、追求はしてこなかった。

妹さんは傘を持っていない方の手――入念に包帯が巻かれた利き腕を見つめている。誤魔化す事は出来そうにない。

待っていてくれた以上、正直に話す事が最後の務めだろう。意を決して打ち明けた。


「さくらから話は聞いていると思うけど、忍を襲った犯人と戦って傷を負った。利き腕が動かせないんだ……
悪かったな、中途半端になっちまった。貰った一万円を、返すよ」

「……剣士さんにお金を差し上げると、約束しました」

「俺が先に約束を破ったんだ、貰っていい金じゃない」

「剣士さんに、わたしは……」


 持ってきた一万円札を片手で苦労しながら出して、無理やり握らせる。少女の手は、とても冷たかった。


「次に新しく雇う人に、渡してくれ」


 ――踵を返す。本人に会っても、結局何も言えなかった。金で成立する関係なんてこんなものだった。

友達でも、家族でもない関係はとても冷え切っていた。さくらが望んでいた変化を、俺は与えられなかった。

剣も握れないこの手では、何も――


――氷のような冷たい手が、そっと壊れた利き腕に触れた。


「このお金は差し上げたものです、受け取れません」

「言っているだろう。仕事はもう出来ない」

「はい、ですから――このお金を報酬に、わたしに・・・・新しい仕事をさせてください」


 月村すずかに仕事をさせる、この俺が? 何が言いたいのか分からず、足を止めてしまう。

妹さんは揺らぎもしない瞳を俺に向けて、


「剣士さんが命を脅かされていると、先程電話で・・・・・お友達が・・・・教えて下さいました。
剣士さんは手を怪我されていて戦えません。


わたしに、剣士さんの護衛をさせて頂きたいのです」


 えええええっ!? 何で!? どうしてこうなった!?

待てよ――月村すずかに連絡出来る友人というと……なのはと、もう一人しかいない。

なのはは精神的に落ち込んでいて、こんな配慮が出来るとは思えない。

あのメイド、怒り心頭かと思えばちゃっかり気配りを――幽霊のくせに、俺よりよほど人間らしいお節介を焼きやがる。

己を鼓舞するように手を当てて、夜の女王は非力な人間に申し出る。



「どうかわたしを、貴方の傍に置いてください。必ず、守ってみせます」



 契約でも、約束でもなく――"誓い"

自分自身の意志を初めて見せて、忠誠を誓うように月村すずかは俺に頭を垂れる。


生きる理由もなかった少女が、剣を手にした瞬間だった。

































































<続く>







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