とらいあんぐるハート3 To a you side 第六楽章 星たちの血の悦び 第三十話







 6月7日、退院してから丁度一週間が経過した。

世界規模の大事件が起きた先月が終わり、少しは平和になるかと思えば抱える悩みは尽きない。

むしろ、日を追う毎に増えている気がする。

一つ一つ悩み事を整理して解決すればするほど、次の問題が発生する。何なんだ、この悪循環は。

原因はハッキリしている――人間関係だ。

赤の他人との関係は本当に厄介だ、独りになればどれほど楽かと疎ましく思えてならない。

海鳴町に流れ着く前の俺ならば、微塵も躊躇わずに放り捨てていたであろう。

苦労と苦悩の果てに得られるものは確かにある――そう思わなければ、やってられない。


そして先月、俺には確かに得られたモノは在る。その存在が、他者との人間関係の価値を証明している。


「ゲートボールの試合をしたチームの一人から、仕事の依頼があったわ。良介は今日病院の日でしょう?
単純な力仕事だからザフィーラを連れて、あたしが行ってくる」


 六月頭より重く垂れ下がっていた雲は、今日重荷を吐き出した。

早朝からの豪雨が平穏な八神家の窓を激しく叩き、水滴を撒き散らしている。

雨の日の八神家の庭を見ると、先月の苦々しい光景が嫌でも思い浮かんでしまう。


今目の前で明るい笑顔を浮かべている少女が――雨の日に、あの庭で命を落としたのだ……


馬鹿馬鹿しいと、首を振って脳から消し去る。

二度起こらぬ奇跡で取り戻す事が出来たのだ、得られた者を今度は二度と手放さなければいい。


「また何時の間にあの老人会と仲良くなったんだ、お前は……
はやての騎士であるザフィーラが、そう簡単に手伝ってくれるのか?」

「アリサ殿には日頃御世話になっている、と進んで申し出てくれたのよ。
でも手伝って貰ってばかりなのも申し訳ないから、報酬を一部生活費として八神家に入れる事にしたわ。
はやても御近所付き合いとして、喜んで認めてくれたの」

「――メイドのお前は良好な六月を過ごしているのに、何故俺は問題ばかり増えているんだ……!」


 不公平にも程がある。才能か、やはり世の中は才能在る者が愛されるのか!?

八神はやてを主とする守護騎士達との対立に、綺堂さくらの難解な仕事の依頼。

そして今日も今日で、実に厄介な問題が立ち塞がっている。

海鳴大学病院、フィリス・矢沢の健康診断――先日負傷した俺を診せなければならない。

歯軋りする俺の鼻を、ちょこんとアリサが指でつつく。


「ヘソを曲げないの。良介の為だけに、あたしは在る。
自分の全てを主に貢献する事が、メイドの矜持なんだから」

「――お前にだって見返りはあるだろう?」

「勿論よ。大切な人から貰った新しい命、絶対に無駄にはしないわ。


良介の"魔法"は天下無双だと――このあたし自身の存在で証明してみせる」


 天下に並ぶ者がいないほど、優れている奇跡なのだと――アリサは誇らしげに胸を張る。

いつしか自信を失っていた俺を、この天才少女は誰よりも信頼している。


――あの廃墟で語った俺の儚い夢を叶える為に、アリサは自分の新しい命を捧げたのだ。


今はその下準備、地道に努力を重ねる時期。

ようやく訪れた幸福に溺れず、アリサ・ローウェルは遠い未来を見据えて頭脳を働かせている。

歴戦不敗の騎士達から一般人まで、多くの人間を惹く命の輝きが少女の中にあった。

ちょっとした問題で悩んでいる俺がちっぽけに感じられるが、卑下したりはしない。

期待にただ応えるのではなく、俺なりに大成果を上げて驚かせればいい。綺堂さくらのように。


「そもそも怪我の治療で病院へ行っているんでしょう。
良かったじゃない、フィリス先生なら無料で治療をして貰えるのよ」

「小言付きでな! 今朝も回復魔法をかけて貰ったけど、怪我の跡は消せなかったんだ。
転んだと嘘をついても、多分あの女は見破る。そうなると説明しないといけないだろうが!?

――また俺が殺されかけた、とな……絶対入院か、警察の保護を強制するに決まってる!」

「本当なら、それが最善なんだけど――良介を思っての良識的な判断なのよ。
むしろ命を二度も狙われて、平気な顔で街中歩くアンタがおかしいわ」


 呆れた顔をしているが、目は仕方がない人だと笑っている。

アリサには既に先日の襲撃の詳細を説明している。昨晩、寝床で一緒に対策等を語り合った。

あの人間大砲の再襲撃は大いにありえると同じ結論を出した上で、今日の方針を決めたのだ。


――"物干し竿"、月村忍との混血に染めた紅の刃。あの竹刀を回収しなければならない。


「はい、コレ。この手紙をフィリス先生に渡しなさい。
先日の襲撃事件の顛末と預けている竹刀の返還を求めた内容が記されている。

良介の説明だけだとまたややこしくなりそうだから、説明と一緒に読んでもらうのよ」

「……ぬかりのない奴だな、お前は」

「良介のメイドだもん。このくらいは当然」


 渡された白い封筒を懐にしまう、和服は機能性に優れていて便利だ。

ちなみに先日の汚れた剣道着は既に洗濯に出した、今頃車椅子の主婦に思う存分料理されている事だろう。

退院祝いで剣道着一式をプレゼントしてくれた桃子に感謝しよう。


「人探しの方は、あたしが手伝わなくても大丈夫? 幾つか案は出せるわよ」

「男の仕事に口出しするな。これは綺堂との勝負だ、俺一人の力で勝つ」

「……分かった、無用の節介だったわね。ごめんなさい、良介。罰金についても――」

「いざとなれば、俺が稼いで返す。お前は何も心配しなくていい」


 綺堂からの仕事の内容は何も語らなかった。アリサ本人も前もって、ある程度は綺堂から聞いているのだろう。

ノエルの妹である事も説明していない。天才少女の力を借りるつもりはなかった。

仕事である以上協力するのは当たり前だが、罰金を言い出したのは俺自身だ。俺が払わなければ意味がない。

リスクだけを押し付けるような生き方で、この先やっていける筈がない。狡賢さとは全く意味が異なる。

聖人君子どころか一般人になるつもりも別にないが、自分らしさだけは見失いたくはない。


「じゃあ、今日も一日頑張ってね。大事な家族と一緒に」

「引っ叩くぞ、お前!」


 小憎たらしい笑顔で見送るメイドを、憎々しげに睨み付ける。

雲行きの怪しさを加速させる提案をしたのが、他ならぬこいつなのだ。

爽やかとは到底言い難い朝の空気が、より一層重く感じられた。



二十四時間の監視――今日の担当は湖の騎士、シャマルであった。















「どうしてその日の内に来ないんですか!? 明らかに暴行の痕ですよ、この傷は!
リスティに連絡しましょう。携帯電話の番号は確か――」

「お、落ち着いてこの手紙を読んで下さい、先生」


 海鳴大学病院、診察室。患者を癒す整体とカウセリングを行う、女医の一室。

消毒液の匂いを不思議と感じさせない、清廉な御医者様が朝から怒っていた。

綺麗な銀髪をした女性、フィリス・矢沢その人である。


「……なるほど、大事には至らなかったのですね……安心しました。
でも、すぐに知らせて下さっても良かったんですよ。私に気遣いは無用です。

貴方を迷惑だと感じた事なんて、一度だってありません。良介さんは、私の患者さんなんですから」

「いやいや、別にお前に遠慮して病院に行かなかった訳じゃないから」


 高町一家とはまた違った優しさを見せる、白衣の天使。家族愛に似ているが、彼女の場合はもっと奉仕的だ。

フィリスとは違って、逆に俺が鬱陶しいと思う事は多々ある。ただ、一度も彼女の親切を疑った事はない。

こいつほど、打算のない人間は珍しい。天然記念ものだ。

アリサからの手紙を読んで、フィリスはホッと息を吐いた。


「全身に擦り傷や打撲はありますが、軽傷ですね。お鼻も大した事はありません。
今から処置を行いますが、良介さんなら数日で完治するでしょう」

「回復力には定評があるからな、俺は」

「あまり信頼には至らない人だから困ってるんですよ、私は」


 嫌味に聞こえないのはこいつの人柄だろうが、逆に心に突き刺さる。優しさを武器にするとはやるな、フィリス。

消毒と塗り薬で処置、今日はガーゼや包帯は必要なかった。

それで拍子抜けしてしまう俺の傷だらけな人生に、ちょっと落ち込んでしまった。

消毒液の匂いはむしろ俺こそ染み付いてしまうかもしれない。女を抱けないな、これでは。


「アリサちゃんの手紙、拝見しました。鍛錬とは違う意味で、貴方が剣を必要としている理由も分かります。
ですが……出来れば、私はもう貴方にあの竹刀を握って貰いたくはありません。

剣に染み付いた血は、良介さんのものでしょう?」

「……ああ」

「貴方には、貴方の人生があります。剣の意味を否定するほど、私はその道に長けておりません。
剣術を単純に人を傷つけるだけのものだと、断定するつもりもありません。

ですが――今の良介さんには、もっと必要なものがあると思うんです。

あの竹刀は貴方を、昔に戻してしまうのではありませんか?」

「それは……」


 ――考えた事はなかった、ただ必要だから求めている。

今は戦国ではない、剣で出世する時代は既に終焉を迎えた。現代に剣がまだ生きる理由が、俺には見えていない。

ならば何故必要とするのか、今襲撃を受けているから?

あのテーブルクロスの怪人を撃退出来れば、俺が剣を持つ意味はなくなるのだろうか。

それはきっと違う。ただ、フィリスを納得させる理由には足りない。

何故なら――この現代社会で医者という立場で生きる彼女の言葉は、何より現実的で重みがあるのだから。

優しさという思いの強さを、俺は先月これ以上ないほど思い知らされた。


  「良介さん、もう強さを求める旅は終わりにしませんか? この町でならきっと、貴方は別の人生を歩む事が出来ます。
私やリスティも最初から、今のような生き方をしていたのではありませんよ。

色々な人に出会って、沢山の事を学んで、そして今の立場を選んだんです。自分が誇りとする、生き方を。

良介さんはまだ、その道を歩む途中であると私は思うんです。
だから貴方には人を斬るよりも、人と対話するやり方を選んで欲しい。

"剣"ではなく――"人"を選んで欲しいんです」


 ……この言葉を四月に聞いていれば、悩む事無く拒絶出来た。考える必要もないと、突っ撥ねられただろう。

空想ではない。フィリスは現実を見据えて、俺に生き方を諭してくれている。

今の話で実感出来た。これほどの優しさを持てる理由も。


フィリス・"矢沢"は――生まれ持っての、天使ではないのだと。


誰かを傷つけた事があるのだ、これほどの女でも。俺のように悩み苦しみ、それでいて理想を捨てなかった強さがあるのだ。

俺は捨ててしまったのに。必要ないと切り捨てたのに。

腰を据えた理想家に、剣を振るだけの夢想家が勝てる筈がない。


だって、俺は――アリサという人を、掴んだのだから。


「……フィリスの話は分かった。そして、改めて俺自身の言葉で頼もう。

あの剣を、俺に返してくれ。必要なんだ」

「良介さん! 御自身の命が危ういのでしたら、リスティがきっと協力してくれます。
貴方自身の手で何とかしたいと思う気持ちは分かりますが――」

「違う。確かにそういう気持ちもあるけど、それだけじゃない。
俺はあの剣を持つ事を、俺自身の意思で選んだんだ。何でだか、分かるか?

剣を取る道を選んだからこそ――俺はアンタ達に会えたんだ。

こんな俺を叱ってくれる、アンタに会わせてくれたんだ。結び付けてくれたのは、フィリスの言う"言葉"だ。
でも、出会いは――"剣"が与えてくれたんだ。
俺はまだ弱い。独りで生きるにはまだまだ足りない、支えは必要だろう。

その役目を担ってくれたのは、あいつなんだ。あいつは俺の命を救ってくれたんじゃない。
宮本良介という俺自身の存在・・を、助けてくれたんだよ」

「――っ」


 孤児院を飛び出して、社会から飛び出したガキに生きる術はなかった。

貧窮に喘ぎ、苦渋に耐えて、泥水を飲んで、草木を齧って――それでも生きて来れたのは、俺に剣があったからだ。

剣しかなかった。天下などという夢想に縋ってても、俺は俺を保って生きられた。


あの旅路の半ばで倒れていたならば、この海鳴町には辿り着けなかっただろう――


「フィリスの言いたい事は、今の俺にはよく分かる。正直、今も揺らいでいる。試行錯誤してる。
確かに道は半ば、まだまだ考えなければいけない事は多い。

俺はさ、それを剣と一緒に学びたいんだ。馬鹿みたいに剣を振って、生きたい。

それであんたの望む真っ当な生き方は出来ないかもしれないが、それならそれでいいんだ。
好きなんだよ、あいつが。剣って奴が、どうしようもないほど好きなんだ。

医者なら医術、魔導師なら魔法、警察なら法律――剣士には剣術、それぞれ持てる武器が違う。強さの意味が異なる。

俺はフィリスにはなれない、リスティにも、アリサにも……同じ剣士の恭也にもなれない。
それでいいと思う。俺は俺で、やっていきたい。

繰り返すが、アンタの生き方を否定するつもりはない。
忠告だって聞く、絶対続かないと思うけど文通だってやるさ。それはそれで意味があるかもしれないからな。
ただフィリス……アンタには剣士である俺を、診てほしい。

約束は出来ないけど、努力はする。なるべく怪我しないように――あんたに心配かけないように、頑張る。
頼むよ、フィリス。俺を剣士に戻してくれ。

戦わなければいけないんだ、今は!!」


   フィリスの忠告は正しいと感じている。捻くれ者の俺でも納得できる。アリサだって、本当はそう望んでいるだろう。

相手が正しいと知りながら――俺は自分から間違ったやり方を選ぼうとしている。

正しいだけが、人生ではない。敢えて間違うという選択だってあるはずだ。少なくとも、俺はそうする。

結局、死ななければ治らないのかもしれない。


どんな名医でも治せないのだ――馬鹿という大病は。



「……グス……卑怯ですよぉ、良介さん……そんな言い方ぁ……」

「な、泣かなくてもいいだろう!?」

「……ちゃんと……ちゃんと、これからも元気な顔を見せてくれますか?

怪我しないように注意すると、約束してくれますかぁ……?」

「診察にだってこれからも顔を出すよ。だから、な!」



 フィリスは本当に親身になって、俺に忠告してくれた。

それを拒絶されたから泣いているのではない。そんな弱い女ではない。


剣を取った俺が――必ず怪我をすると分かっているから、嘆き悲しんでいる。


俺の痛みを我が事のように感じて、泣いてくれているのだ。

こんな佳い女がこの世に存在する事さえ奇跡に思える。

後から考えれば絶対余計な一言だったと思うが、この時の俺は宥めるのに必死だった。





だから、忘れていた。





遠目から見れば、女を泣かしているだけのこの光景を。

サングラス越しに冷ややかに見つめる――優しさという感情のない女が、監視している事に。

















































<続く>







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