Ground over 第五章 水浜の晴嵐 その15 勇者






 必ず後で払うと親父さんと約束し、俺は店を飛び出した。

初対面――それも身元不明の旅人相手にツケを利かせてくれるとは、懐の広い親父さんである。

第一印象を海洋生物と認識して申し訳なく思う。

将来俺が権威ある賞を獲得したら、一割進呈する事を約束しよう。

親父さんと固い約束をして、俺は店の外へ飛び出す。

大きな港町の裏側に位置する通りに人の気配はなく、寒々しい空気が流れている。

見晴らしが良いとはお世辞にも言えない狭い裏通りに、銀髪の御嬢様の姿は見えない。


「保護を求めるとなれば、やっぱり役所だよな……? 
たく、あの小娘は食い逃げしたくせに――」


 路地裏で考え込んでいても仕方ない。

ただでさえ、行動に移すのに時間がかかったんだ。

我侭な王女の足取りを追いながら、対策を練ればいい。

…・・・モンスターや盗賊が蔓延るこの世界へ強制連行されてからというもの、猶予無き状況で対策案を講じる機会が多くて困る。

平穏な時間を得る為にこの街で休息を取ったのに、何故我が生涯最大の危機に陥っているのだろうか?

人通りが絶え間ない大通りを目指しながら、空しさに空を仰ぐ。



――綺麗な翼に導かれ、駆け上がった空。



頬を撫でる強い風、清々しい空気、目に眩しい光。

見下ろす世界は広大で、雄大な世界のスケールに人間がちっぽけに見えた。

人間が生み出した偉大な発明品の飛行機より、天真爛漫な少女の翼に感じ入った自分――

息せき切って走り、火照った身体に宿る内なる想いに唇を震わせる。


――許せない。


たとえあの娘の母親であっても――国を統べる王の后であっても、無垢な翼を折るような真似はさせない。

人命の尊重や、不遇な少女への同情ではない。

このまま少女が殺されたら、俺の中の科学が敗北したままになる。

今度は俺が少女に魅せてやる。

翼を持たない人間でも、自由に空を飛べる権利はある。

空に憧れた人達が生み出した、知識と技術の翼を――幼い頃から籠の中に閉じ込められた女の子に、見せてやる。


ファーストクラス――料金は、コーヒー代でな。


決意を固めた俺は、ようやく人の声が響く中央通りに辿り着く。

復旧した船から下りた人達が港町の活気溢れる空気に満たされて、喧騒の中歩いている。

物陰から街の人達の賑わう噂話に耳を傾けて――膝をついた。


――誘拐された王女発見の報。


凶悪な誘拐犯から逃げ出した姫君が役人に保護を申し出たのは、つい先程。

驚き慌てた役人は急遽人員を増やして、今丁重に御連れしているらしい。

王女発見の知らせとその神秘的な容姿に人は惹かれ、街中に広まりつつある。

街中の人間が観客となり、王女をヒロインに――悪役を俺にして、今この瞬間港町全域が舞台となっていた。


(このまま隠れていても埒が明かない……どうする?)


 この事件、ややこしいのは首謀者の影が見えない事だ。

王女を狙う謎の武装集団、俺を狙う正義の役人。

彼らは金や権力で動かされている操り人形――

糸を辿れば娘殺しの非情な親へ繋がるが、辿り着くには遠過ぎる。

障害を飛び越えて敵正面へ立つには、翼を持つ王女以外にありえない。

あの子はそれを理解しているからこそ、俺を助ける為だけに飛び出した。


血に濡れた籠の中へ――


 たまたま知り合っただけの俺の為、命を懸けた少女。

殺されると分かっているのに、あの娘は最後まで笑顔だった。

――なのに、俺はこの期に及んで隅っこで震えている。

軽はずみに犯罪を犯した子供のように。

平和な日常に突如降って来た王族誘拐事件に沸き立つ人々――

本来、自分はあの中に居るべき人間だ。

誘拐事件の被害者でも加害者でもなく、ましてや王女を救う勇者でもない――民間人。

彼らと違うのは、俺が異邦人である事。

何より、この世界には欠片も存在しない科学の力を宿している。

古来優れた科学者が、時代時代に巣食う埃に塗れた常識や信仰で迫害された例がある。

後世で認められたところで、彼らの無念は晴らされたと言えるのか――?

真実を大衆の世論で身勝手に歪められ、闇に葬り去る事など絶対に許さない。


(葵……今日だけ、今日だけはお前を見習ってやる――)


 広げよう、彼女に与えられた勇気の翼を。

情熱なんぞ無いが、真実を追究する科学者の精神が俺を奮い立たせた。


物陰から――飛び出す。


大衆の視線や、耳に飛び込んで来る声の一切を遮断。

人混みの中を駆け抜けるなんて、都心に生きる人間には常識のスキル。

王女様の元へ向かうなんて、至極簡単だ。

御伽話のように、彼女の愛を信じる心さえ必要ない。

人の流れ――大衆が興味を示す方向へ向かえばそれでいい。

急いでいる為か途中何度もぶつかったり、悲鳴や驚愕の声を浴びせられるが無視。

長年の研究で養われた集中力で、人並みを掻き分けて――



――御姫様の下へ、参上する。



「アリス」

「――っ、キョウ……スケ!?」


 商店通りを抜けて――見事な刺繍の幌に包まれた馬車が停留する広場。

護衛として集った完全武装の役人、遠巻きに見つめる沢山の観衆。

事件が公になった今隠す必要も無いのか、警戒心と好奇心が人々を包んでいる。


皆の視線の的となっている、麗しき王女様。


屈強な役人に連れられて静かに歩いていた姫君が、驚いた顔をして振り向いた。

完全に大衆の渦から離れた俺は、静寂のカーテンを広げて広場へ向かってど真ん中で歩く。

無論、黙って許す役人達ではない。


「貴様は……手配者のっ!?」

「性懲りも無く現れよって! 早急に――」


 色めきたって、剣や槍を構えて突撃する役人達。

このまま放置すれば、最悪斬られるだろう。

俺の言い訳なんぞ聞く耳持たないに違いない。

逮捕出来れば御の字、少しでも抵抗すれば処断して治安を乱した恥を拭う。


誤解で殺されそうな状況――不思議と、恐怖は無かった。


少女の顔を見るなり、胸の中に根付いていた恐怖や迷いが吹き飛んだ。

余所の世界の事情なんぞ、知った事ではない。

俺はむしろ堂々と歩いて、悪戯好きの少女に手を差し出して――


「コーヒー代、払え」

「……えっ……ええっ!?」


 素っ頓狂な声を上げる王女に、役人達が驚いて立ち止まる。

観衆が全員揃ってポカンとした顔――

その隙に、俺はアリスの眼前に自分の手を突きつけた。


「さっきお前が飲んだコーヒー代だ。
一応ツケておいてやったから、帰る前に金出せ」

「ちょっ――ちょっと待って!
おにーちゃん、わざわざお金を貰いに来たの!?」

「お前が払わずに逃げたから、わざわざ追いかけて来たんだぞ!」

「そ、そうじゃない! そうじゃないよ……」


 信じられないといった顔で、少女は綺麗な顔を歪める。

必死で笑おうとするが、一度走った亀裂は止まらない。


「おにーちゃんは誘拐犯にされてるんだよ!? 
せ、折角アリスが皆に説明しようと思って――お別れしたのに!

ほ、本当は……嫌だったけど……それでも、おにーちゃんに……」

「迷惑かけたくないから……か? 
もう充分迷惑になってるんだよ、この馬鹿!」

「だ、だから! アリスさえ戻れば、それで済む話なの!」

「金を払わずに戻るな、この食い逃げ野郎!
お前が殺されても俺は痛くも痒くもないけど、お前が金を払わなかったら懐が痛むだろ」

「なっ――何よ、それ! アリスの命はどうでもいいの!?
むう〜、キョウスケはレディに対する優しさが足りないよ」


 何がレディだ、このませガキは。

周囲に浮かぶ困惑や疑問など完璧に放置して、俺達は互いを見つめ合う。

俺は投げやりに見下ろして、少女は怒った顔で見上げて――


「もう……おにーちゃんの、馬鹿! 馬鹿馬鹿ばーか!

信じられないよ……ぅっ……コーヒー代なんか、で、追って、来て……ぐす……

  ……絶対に、ぅぅ……払って、あげないんだから……」


 紅の瞳に浮かぶ熱い雫を必死で拭きながら、少女は上擦った声を上げる。

俺は苦笑して、御姫様の頭を乱暴に撫でた。


「なら払うまで、付き纏ってやる。科学者の執念を舐めるなよ。
成果が出るまで諦めないからな」


 四面楚歌な、この状況――

敵だらけの戦場へ放り出されても、何故か気分は悪くなかった。

次の瞬間殺されるのだとしても、多分後悔は無い。


それに――俺は何一つ悲観していない。


そうだとも、俺は大切な事を忘れていたのだ。

大勢が見守るこの舞台、出演者及びヒロインに申し分の無いこの演目。

美しいヒロインの流す涙を許せぬ者と言えば――



「よくぞ言った! それでこそ、我が永遠の友だ!!」



 ――英雄以外にありえない。
















































<第五章 その16に続く>






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