ブリューナクのアジトはとある惑星の衛星の一つに設けられている。ブリューナク設立当初、偶然、植民時代に使われていたらしいここを発見し、改装、アジトにすることにした。設備が整っていたここはまさにアジトにうってつけだったのである。
「うーん、やっぱり我が家は落ち着くなぁ!」
タラップから降りたカーヴァインの第一声。続くアリオスが呆れ顔で言う。
「……わざとらしいですよ」
「うるせえ。気にすんな。さて、では恒例のやつ、いくか!」
「………? 恒例のやつ、ってなんだ?」
その後から降りてきたヒビキが隣のシズクに尋ねた。
「決まってるでしょ? あれよ、あれ」
「アレ?」
「お・お・そ・う・じ♪」
VANDREAD/A
#9「フロムビヨンド」
二ヶ月ぶりのアジトは相変わらず埃っぽかった。綺麗な状態のアジトなど、クルーの半分以上が体験したことはなかった。ほとんど帰ってくることがないため、帰ってきた直後は大掃除が基本となっていた。
どうせ長くても一週間しか滞在しないくせに、とクルーの一部は思っているが、意外ときれい好きなカーヴァインの指示の基、渋々、箒片手に散っていくのであった。
「しかし相変わらず汚いねー」
自分の部屋を見まわしながら、ミタール。箪笥、本棚、椅子、机、ベッド、至る所に埃が溜まっていた。つつ、と人差し指で撫でてみると、指の腹には埃がべっとりとこべりついてきた。二ヶ月もほうっておけば、こうなるのも致し方ないだろう。
「なんか、アジトに戻ってきても掃除しかしてない気がするんだけど」
「気のせい……だと思いたいわね」
アリオスは遠い目でバケツに酌んだ水で雑巾を絞っている。水を切ると、雑巾をミタールの方に放った。それを華麗に受け取ると
「さっさと片付けて、お風呂にしましょっか!」
「…………ちゃんと私の部屋も手伝ってね」
「分かってますって!」
ミタールの無意味なハイテンションに、逆に不安を覚えるアリオスであった。
一方、その頃。
「ちょっと待て! どーして俺が掃除を手伝わなきゃいけねえんだ!?」
ずるずると廊下を引きずられるヒビキが叫んでいる。その相手は当然、シズク。見かけによらない馬鹿力で、ヒビキの抵抗を全く苦にもせずに、襟元を掴んで引っ張っていく。正直、とても情けない姿だ。
「暇でしょ?」
表情はにこやかに、しかしどことなく作為的な物を感じさせる。ヒビキはそれを見て、息を呑んだ。女のこんな顔ほど怖い物はない。長いニル・ヴァーナでの生活でヒビキが学んだことの一つだった。
「暇だからって、そんな!」
「まあいいじゃない。女の子の部屋なんて滅多に見れないわよ♪」
「だから! おめえの部屋に行くのが嫌なんだよ!!」
「どうして?」
「どうしてって……」
ヒビキはハッとした。以前の刈り取り母艦との決戦の際、ディータと約束したこと……。『部屋に遊びに行く』 なんだかんだ言って、まだその約束を果たせていなかった。彼女との約束を反故にし、他の女の部屋に行くことはヒビキのプライドが許さない。
だがそんなヒビキを余所に
「あたしのことは気にしなくていいから」
「いや、そう言う問題じゃ……」
「おねーさんが、色々教えてあ・げ・る」
シズクが恍惚的な表情を浮かべる。
「待て! やめろっ! いやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
ヒビキの絶叫も空しく、ヒビキの体はシズクの部屋へと吸い込まれた。
数時間後。2人は食堂で昼食をとっていた。おいしそうにサンドウィッチを頬張るシズクとは対照的に、ヒビキは片肘をついて溜息を付いている。ツェブがおぼんを抱えて、2人の傍を通りかかった。おぼんに上には相変わらず、辛そうなメニュー。
「………? どうしたんだ、ヒビキ?」
2人の様子を見かねたツェブが尋ねた。シズクは楽しそうに
「ちょっとねー。あたしの部屋でラブラブしてたの」
「ラッ…………!?」
シズクの言葉に反応し、ヒビキが頬を赤く染めて、言葉に詰まる。……一体、シズクの部屋で何が行われたのだろうか?
「あまりヒビキをからかうな、シズク」
呆れ顔でツェブ。シズクはヒビキの経緯を知っている。それはカーヴァインからメインクルーにちゃんと伝えられていたし、それを配慮して行動して欲しいとクルーに頼みさえした。知った上で、からかっているのだ。……ツェブはシズクの変化に少し戸惑っていた。前までこんなに悪戯好きではなかったのに。しかし、当の本人は
「だっておもしろいんだもん」
と、至って軽い。
「ヒビキくん、うぶだし。おねーさん、からかいたくなっちゃうの」
「……勘弁してくれ…………」
ヒビキは本当にしんどそうに机に突っ伏した。
食堂でそんなやり取りが行われている中、ヒューズは自室で荷物の整理をしていた。色々な荷物をトランクに詰め込んで、家から出たのはいいが、今までまともに荷物の整理をしたことがなかった。アジトに戻ってくるのはたまにだから機会がなかったし、衣服や生活必需品などはブリューナクにおいてあるから必要がなかった。しかし、何故か急に整理をしたくなった。
「え〜と、目覚まし時計? いらないよ。これは…………リモコン? 慌てて持ってきたか。使えないよ。はぁ…………」
ヒューズは、自分の荷物のあまりの無駄の多さに半ばうんざりしながら、ベッドに身を投げ出した。何故、急に荷物整理なんて始めたんだろうか? 自分の気持ちが理解できないまま、再びトランクに手を伸ばす。
トランクの中には、無駄な物ばかり入っていたが、ヒューズはそれに懐かしさを感じていた。……家を出てまだ一年も経っていない。にも関わらず、まるであの時が無限の彼方にあるような気がした。
ふと、トランクの奥に白い影を見つけた。ほんの一欠片見えただけだが、逆にそれがヒューズの胸を打った。荷物を押しどけて、その影の正体を探る。時計、電卓、万年筆、空き缶、コップ、人形、プラモデル…………あった。トランクの内側から少しだけはみ出た、白い紙。破れないように、慎重にトランクの内側から引き抜く。それは――――――
「……手紙?」
それは白い封筒だった。宛名と差出人の名は書かれていない。装飾も模様も何もない、真っ白な封筒だった。ヒューズは恐る恐る封を切った………。
アリオスは渋るミタールを何とか説得して、部屋の掃除を手伝わすのに成功した。どうやらミタールは本気でサボろうとしたらしく、不平不満を垂らしながら雑巾を絞っている。
「あ〜あ、早くお風呂行きたいな〜」
「……あなたねぇ」
「……まだ、写真、飾ってるんだね」
「……ん、うん……」
突然の話題転換。ミタールの視線は箪笥の上の写真立てに向かっていた。アリオスもそちらに視線を移す。木製の縁に埃。アリオスはそれを手に取ると、丁寧に拭いた。その写真を見つめる瞳は何故か儚げだった。
ミタールは何か言おうと思ったが、止めた。
「あなた……」
不意にぽつりとアリオスの口から出た言葉。それは写真に写っている人物に向けられた言葉だった。黒く刈り込まれた髪に、太い眉。美形、と言えなくもないが、それよりも男らしいといった表現が正しい男性。
「ねぇ、もうすぐ、命日……だよね?」
「……うん」
「また帰るの?」
「そうすると思う」
「そう…………」
2人はそれからは何も言わずにもくもくと掃除を続けた。
「…………はい、ありがとうございます」
声が聞こえた。誰だろう、と首を傾げる。自動ドアが開き、入れ違いにアリオスが出てきた。声の主はアリオスだったのだ。目があった。互いに軽く会釈を交わしただけで、アリオスは去っていった。
「どうしたんですか、アリオスさん」
アリオスの代わりに艦長室に入ったヒューズが尋ねた。カーヴァインはコーヒーをすすりながら
「……なんでもないよ。お前こそどうした、ヒューズ」
「えっと、その……一週間ほど外に出たいんですけど」
少しためらって、ヒューズは切り出した。
「……? それでどうする気だ?」
「家に……実家に帰ろうと思います」
「お前、家出て来たんだろ? 一体どうしてまた」
「確かめなきゃ……いけないことができました。お願いですッ!」
カーヴァインは顎をさすりながらうーん、と唸ると
「まぁ無理に駄目という理由もないし。いいだろう」
「ありがとうございますっ!」
「その代わり……と言ったら何だが、アリオスを送っていってやれ」
「アリオスさんを……ですか? どこに?」
「グランヌス。……あいつの母星だ」
シャトルがおいてある格納庫に向かうヒューズにカナが呼びかけた。仲間になったばかりで居場所がなかったのだろう。暇を持て余していたようだ。
事情を説明すると、カナも付いていきたい、と言ってきた。単に興味があったのか、暇だったからか、それ以上の理由があったのかヒューズには計り知れなかったが、了承した。断る理由もなかったし何より、おそらくこれから起こることの審判役としてカナは適任だった。
アリオス、ヒューズ、カナを乗せたシャトルは一路、グランヌスへ。アジトからの距離はグランヌスの方が近かったし、カーヴァインとの約束もあった。
「じゃあアリオスさん。一週間後に迎えにきますんで」
タラップの上でヒューズがアリオスに向かっていった。アリオスは手に荷物を抱えて、もうタラップを降りていた。
「ええ。ありがとう。……ヒューズ、何があったかは知らないけど、無理しないで」
運転中、それ以外の時も、ヒューズの顔は冴えなかった。何か迷いがあった。おそらくそれが家に帰る理由だろうとアリオスは思った。でも…でも…自分と同じで、何か言ったところで解決できるとは思えなかった。出来るのは励ましの言葉を贈ることだけ。
「……はい。分かりました」
返事とは裏腹に、ヒューズの表情は変わらなかった。頭を下げ、タラップを上げて、扉が閉められた。アリオスはシャトルが発進する様子をずっと眺めていた。
「ねえ、ヒューズ。どうして急に家に帰る気になったの?」
ちょっと大きめのシャトルの助手席にカナがちょこんと座っている。その隣ではヒューズが操縦桿を握っていた。尋ねられて、ヒューズは懐からあるモノを取り出した。先程の封筒。カナに手渡す。
「手紙……? 読んで良いの?」
ヒューズが黙って首肯する。カナは封筒から手紙を取り出すと、四つ折りになったそれを広げた。
カナが目を剥いた。
「これって…………」
「そう……。だから、確かめに行くんだ。……決着をつけに行くんだ。カナは父親とちゃんと話を付けた。僕は……逃げただけだったんだ。僕だけ逃げたままなんて、嫌だ」
「でも、でもこれって……分かってるの?」
「分かってるよ。覚悟はしてる。カナだって家を捨てたじゃないか。けじめくらい……僕でもつけれるはず」
ヒューズの目に光が宿った。覚悟と決意と哀しみの光。
シャトルはヒューズの母星「タイラン」に向かって、速度を速めた。
つづく