VANDREAD 〜another stage〜

   FOURTH FORCE FOR(下)

 

 

 青緑色を湛えるガス惑星の光に外殻を輝かせるニル・ヴァーナ。その内部には暗澹とした空気が漂っている。

 バーネットのドレッドがガス惑星に消えてから、数時間が過ぎた。

 ニル・ヴァーナは今もなお惑星の衛星軌道上を周回している。クルー達には待機命令が出されていた。

          *

 ブリーフィングルームにはマグノを筆頭として主要なクルー達が渋面を揃えていた。ブザム、ガスコーニュ、メイアといった面々である。

「………潮時ですかねェ」

 テーブルを挟んでブザムの対面に足を組んで座っていたガスコーニュが重い口を開いた。トレードマークの長楊枝は今も手放していないが、その動きは目に見えて乏しい。

「いつまでもここに留まっているって訳にもいかないでしょう」

 重苦しい溜息が零れる。誰もガスコーニュの言葉に賛同しようとしないが、考えていることは同じだった。ただ、それを言下に認めたくないだけである。

 バーネットの消えたガス惑星は、以前の戦闘で防壁として利用してきたものとは訳が違う。その時のガス星雲も、シールド無しでドレッドの外殻が耐えられるものではなかったが、今回のものはエネルギーが格段に高い。ただでさえ甚大なダメージを負っていたバーネットの機体が耐えられるとは思えない。

 実際に、数時間が過ぎても、ニル・ヴァーナのレーダー機器は何の反応も示さない。

「………」

 複雑な表情を見せてまた掻き消しているのは、ブザムである。理論的に考えればバーネットが生存している可能性は万に一つもない。いつもの彼女であれば一縷の望みを捨てきれず煮え切らない一同に先立って出発を提言するだろう。それをしないのは、彼女がその胸裡に、理論では説明できない“何か”が深く根を張って離れないからだ。

「これ以上様子の慎重さは、未練がましさかねぇ……」

 ついにマグノが苦虫を咀嚼したような面持ちで、苦々しい結論を下した。

 反射的にブザムが何かを口にしようとしたが、既のところで嚥下する。一方のメイアも前髪と髪飾りの奥でその瞳を揺るがせるに止めた。

「………。クルー達には何と……?」

 ドレッドの残骸も出て来ない以上、未だ彼女の死を受け入れられていない者も多いだろう。あるいはブザムのように、言葉では説明できない“何か”を感じている者もいる。

 そんな彼女たちに掛けられるような言葉は、ただでさえ話術に疎いメイアには到底思い付かなかった。

 マグノは答えず、真っ直ぐにその視線だけを受け止める。しばし言外の遣り取りがあったが、先にメイアの方が目線を外してしまった。

 ――それはアンタの役目じゃない。あの子達全員に掛ける言葉を見付けるのが、アタシのただ一つの仕事さ――

 メイアは目を伏せたまま、最後に、と口を開く。

「もう一度だけ偵察に出てみましょうか?」

 言ってから、現実を受け容れられないでいる自分の弱さに唇を噛む。感情と決別することで手に入れたと思い込んでいた自分の強さが、どれ程脆弱なものであったかを知ったのだった。

 それに対してマグノは小さく微笑んで、優しく言った。

「さっきディータとジュラが同じことを言って来たさ」

 予想外の返答にメイアが軽く目を見開く。

「あの二人が……」

          *

 シールドを展開したヴァンドレッド・ジュラがガス惑星の重力圏をゆっくりと降下していた。

 外周上に八つのビットを散開させて力場を生み出し、そこからの牽引ビームによって機体を支持している。更にシールドを展開して、その中にディータのドレッドを抱え込んでいた。

「バーネット……」

 今にも嗚咽に変わりそうな表情で、ジュラは忙しなく周囲を見回す。少しでも気を緩めようものなら涙が堰敢えず流れ出しそうだった。

 そんな彼女をモニター越しに窺いながら、ヒビキは黙々と、慎重に機体を操作している。 噛みしめた下唇には、薄く朱が滲んでいた。

「……………」

 自機のシートから身を乗り出しているディータも、潤んだ瞳で縋るように青緑色の冴え渡る光の海面を注視していた。安らかな光を湛える惑星は、無情なほど何の変化も見せない。

「ねぇ、ちょっとだけディータが外に出てみようか?」

 胸を締め付けられるような想いに耐え兼ねて、ディータが申し出た。

 突飛な提案にコンソールを操作していたヒビキは反射的に眉を引き攣らせる。

「ば……バカ野郎! 死にてぇのか!?」

 それっきり、罵ったヒビキも切り出したディータも黙ってしまう。胸に手を当てて目を伏せるディータ、所在なげに視線を彷徨わせるヒビキ、そして今にも慟哭に変わりそうな嗚咽を必死で噛み殺すジュラ。

 重苦しい沈黙の中でそれぞれの想いが錯綜していた。

          *

 恐怖。

 畏怖。

 その両方であったかもしれないし、そのどちらでもないようにも思われた。

 目の前に広漠と広がる空間に、バーネットは戦慄していた。

 いつしかドレッドのコクピットから解放され、淡い青緑色の空間に体一つで浮かんでいる。

 上も下も分からない。

 そもそも三次元空間という概念があるのか否かも疑わしい。

 下手をすれば時流さえも、その存在を疑ってしまう。

 それら全てを遙かに超越する高次元的な世界にも見え、或いはずっと原始的であるようにも感じられた。

「………!」

 バーネットは身震いした。

 光芒とした空間は何の変化も見せていない。空間的のみならず時間的にも際限のない広がりが、彼女を震撼させたのだ。

 無意識のうちに腰のホルスターへと手を伸ばす。何百回と繰り返してきた抜き撃ちの動作は、しかし空を薙いだ。途端、孤独感と不安感が、加速度的に彼女を苛んでゆく。

「……誰かいるの!?」

 自分以外の者の存在を感じ取った訳ではない。

「出てきなさい!」

 叫ばずにはいられなかったのだ。最大限の虚勢の上に恫喝を塗って、バーネットは吼える。

 妙に透き通った自らの怒号だけが、繰り返し耳朶を打つ。

 視界を妨げる物が何一つない空間にあって、不合理な閉塞感がバーネットを襲った。

 逃げ出したい――何処へ? 四方八方天地を問わず、限界が見えない。――過去へ、未来へ? あの忌まわしい幼少時代に、あるいはこの先に待っている……。

「――嫌………ッ」

 脳裏に浮かんだ凄惨な映像を振り払おうと、二度三度、大きく頭を振る。そんなバーネットを弄するように、その映像は彼女の意志に反して鮮明になってゆく。それはやがて思考の域を超え、視覚情報として彼女の網膜に焼き付けられる。

 青緑色の空間が大きく歪んだ。

 バーネットの体は見覚えのある半壊したコクピットの、スパークが迸る中に据えられていた。その視界の中央に、冷徹に自分に照準を合わせる砲座が映り、一瞬の後、赤いビームが放たれる。紛いなく、自分に向けて。――恐怖、痛み、焦燥、死。

 次の瞬間にはまだ真新しい愛機のコクピットに収まっていた。もどかしさから、チームを戦場の最前線へと駆り立てていく、身の程を知らぬ自分。それがいつの出来事であるか、バーネットは思い出せない――思い出したくない。先輩からの通信が、聞く耳を持たない自分のコクピットに響いた。限界まで鮮明であるのに、何を言われたのかも思い出せない。標的の採鉱船が閃光を放ち、コクピットを炎に染めていく。――後悔、自己嫌悪、憎悪、死。

「やめてェ――ッ!」

 それら全てを具現化するような赤が、バーネットを包んでいく。

          *

 三人は終始無言だった。

 ブザムの口から帰還命令が告知され、三人は三人ともが反論せんとして、しかし口を噤んだ。彼らとて不合理であることを自覚しているのだ。告げたブザムもまた必要最小限の言葉しか発せず、いつもの毅然とした風采を崩さなかった。

 ヒビキは相変わらず唇を噛んだまま、固めた拳を目の高さまで持ち上げると、壁面に強かに叩きつけた。そしてそのまま脱力し、擦過傷のできた手をコンソールに戻す。

 ヴァンドレッド・ジュラは重力圏から離脱し、シールドを収閉する。

 分離せんとしてと旋回したところで、ジュラが徐に口を開いた。

「ねぇ」

 ヒビキが顔を上げてみると、彼女は両の瞳で真っ直ぐに彼を捉えていた。ヒビキは覚えずして目を逸らしてしまうが、ジュラは構わずに続ける。

「バーネットは……」

“ピピ……ッ!”

 思い詰めた面持ちのジュラを、嫌に軽快な電子音が遮った。

 コンソールの一角に、警告灯が点る。

「――来やがった……! こんな時に……」

 舌打ちするヒビキ。

「……………」

 その隣で、ジュラの双眸が静かに燃え上がっていることに、彼は気付かなかった。

          *

 バーネットの体は再び青緑色の空間に投げ出されていた。

「……夢……だったの? だったらまだ醒めてないのかな……」

 気を失っていた気がする。が、それがどれくらいの時間であったかは分からないし、そもそも今の自分が正気を失っていない自身もなかった。体の随所に意識を集中してみたが、異常も感じない代わりに、訴えてくる情報もない。

 夢でないことは、何となく理解できた。

 自分が鮮明に見ていた光景を思い出そうとする。

「………嫌ッ!」

 記憶を脳裏に再生した瞬間、バーネットの体は彼女の意志に反して萎縮した。ややあって、顔面蒼白の体で肩を抱いて震えている自分に気付く。

 何故、何を恐れているのかを考えてみるも、上手くいかない。

「逃げちゃダメ。………思い出さなきゃ」

 その理由までは分からなかったが、半ば本能的にバーネットはそう断定した。

 握れば力を与えてくれるハンドガンの銃把はここにはない。

 両の拳をギュッと握りしめて、記憶を甦らせようと集中する。

「……………」

 それは、さほど困難なことではなかった。

 バーネットの意志が記憶の蓋をこじ開けると、それらは堰を切ったようにバーネットの目の前にフラッシュバックを始めた。

「これは………アタシ……?」

 下らない意地を張り通して自分の体を傷つけ、それでも人の力を借りないことに固執する愚かな自分。自分の価値観を疑いもせず、後に引く度胸も仲間に弱さを晒す勇気もなくて、盲目的に吼え続ける浅ましい自分。

 決して省みることの無かったバーネット自身の過去が、無秩序に再現される。

「アタシ………こんなに……」

 自分の弱気を認めることができず、如何なる状況に於いても果敢な攻撃を繰り返す自分。

 家族を失っても銃器を手放さなかった幼い自分。

 バーネットは自らの、肉刺のできた右手をのぞき込む。そこに握られ続けていた拳銃は、ここにはない。

 強くなったと思っていた。銃ひとつ握っただけで。

「アタシ………こんなに弱かったんだ……」

 余りにも自分を知らなかった。元来の器用さを盾にして、ありのままの自分の姿を仲間という鏡に映すことをしなかった。仲間の素晴らしさを知り、その中に伍するようになってからも、自分を知ろうとはしなかった。

 そう、逃げていたのだ。

 弱かったのだ。

「………もう絶対に逃げない。敵からも――アタシからも!」

 バーネットの半透明な視界が、青緑色の光に染まっていく。

          *

「先の戦いが母艦に伝わり、本格的な作戦行動に出てきたか………」

 モニターに投影された敵艦隊を見、ブザムが静かに零す。彼女の言うとおり、今回ニル・ヴァーナに攻撃を展開した先の戦力の比ではなかった。

 雪辱戦であると言わんばかりに、その艦隊は全て“エイ型”と“クモ型”によって構成されている。違うのは、その数が圧倒的に増加していることだけだ。

 それに対するパイロット達の表情は重かった。それが戦力差の為だけでないことは、言うまでもない。

「各パイロットに告ぐ。Aチーム、Bチームは私に続いて敵本隊を攻撃。Cチーム、Dチームはニル・ヴァーナの援護に回れ。母艦の主砲は機能していない。我々の力だけで敵を止めるんだ。――いいな?」

 沈みがちの一同を叱咤激励するように、メイアは普段と何一つ変わらぬ気勢で指示を飛ばす。

 が、パイロット達の反応は疎い。流石のメイアも溜息を落とした。

 バーネットの死。それは誰の目にも明らかであり、誰の口にも言葉にすることができなかった。口に出してしまえば、自分がそれを認めることになり、人にもそれを認めさせることになる。それができなかったのだ。

 メイアは悩んでいた。そのことをを明言して、パイロット達に自覚させるべきなのか否か。少なくとも、自分にできないことを仲間ににさせる自身はなかった。

“みんな聞いて!”

 逡巡しているメイアの許へ、思いも寄らぬ通信が入る。全てのパイロットか、あるいは全てのクルーに向けてであろう、ジュラからのメッセージだった。

“これはバーネットの敵討ちよ。一匹たりとも逃すんじゃないわよ。分かったわね?”

 メイアも思わず息を呑む。誰もが口に出せなかったことを、少しも頓着無く言い放ってしまった。

 水を打ったように静かになる。堰を切ったように、すすり泣きが幾つかの狭いコクピットに聞こえ始めた。

 皆相変わらず無言であったが、メイアには誰もがジュラの言葉に頷いたのが分かった。

パイロット達の士気が上がるのは大いに結構だが彼女は複雑な表情を浮かべている。懊悩している風でもあったが、ややあって思考を中断した。

「………攻撃、開始!」

          *

 数十の“エイ型”から数千の“新型キューブ”。雲霞の如き艦隊はその無機的な動きでニル・ヴァーナを覆い尽くす。そこへ、僅か十数機のドレッドが編隊を組んで突入した。

ビーム砲を照射しミサイルを踊らせ至近弾をばら撒いて、敵勢力に罅を入れる。

 その返礼は、雨霰の如き集中砲火である。メイアを先頭とするドレッドチームはそれを巧みにかわしながら、もしくはダメージを最小限に押さえながら終末の見えない戦闘に真っ向から挑む。敵のコントロールが一極集中でない以上、敵の全てを倒すよりほかにない。

畢竟、持久戦を強いられる。

“Bチーム、一旦下がってデリバリーを受けろ。Cチームは前線に上がれ。Dチームはデリ機を援護”

「了解!」

 欣然と叫んで、ジュラは真紅の機体を駆って颯爽と戦場のど真ん中へ飛び込んでいく。

しかし二隊が入れ替わるより速く、戦線全域に進出していた多数の“クモ型”が一斉にフィールドを展開した。

「く………ッ」

 後退を命じられたドレッドはそれを阻まれ、前線への参戦を命じられたドレッドは足止めを受ける。それは前線と自陣を分断されただけではない。ただでさえ少数のドレッドチームは、それぞれが完全に隔絶されてしまった。

 小回りの利かないドレッドは行動範囲を一気に制限される。一方のキューブ群には何の障害にもならない。

「……こんな小細工が通用すると思って!?」

 しかし、俄然いきり立ったジュラはそのままフィールドのの希薄な部位を強行突破することを選んだ。味方の機影さえ確認できない状況下、勘のみを頼りに進むべき方向を見出していく。

「……見付けたわ」

          *

 孤立無援の戦いを強いられているのはヒビキとて同じだった。

「グ……ッ! こン畜生ォ!」

 機動力のある蛮型は、その分スピードに欠ける。ドレッドに匹敵する速度を誇るキューブと一対多数で切り結ぶのは容易なことではなかった。四方八方から中長距離の砲撃を浴びせられ、間合いを詰めることもできずに翻弄される。

「コイツ等ちょこまかと………うおッ!」

 コクピットのヒビキを背後からの衝撃が襲い、体が大きく仰け反った。同時に体を呑み込んだ青緑色の光に、それが至近弾の着弾でないことを理解する。

 程なく視界が開けると、ヒビキの目の前には球形のコンソールが据えられており、それ越しにジュラの艶やかな金髪が認められた。

 ヒビキは肩を竦め、一つ溜息をつく。

「……オメェかよ。合体するなら一言掛けてから………」

「ごちゃごちゃ言ってないでさっさと手伝いなさい!」

 文句を零そうとしたヒビキを、ジュラが鋭く一喝した。普段の彼女には見られない程の覇気に、気圧されたヒビキは反論することも忘れてしまう。ジュラの意図するところを汲み取ると大人しく随っていた。

 ジュラはその双眸に堅固な意志を漲らせて、黙々とコンソールに指を這わせている。

 ヒビキもまたそれに倣いながら、そんな彼女の様子を覗き見ていた。

 細微な設定を終えたジュラが、静かに口の端を吊り上げる。

「行くわよ………見てなさい!」

 ジュラの威勢の良い掛声と共に、ヴァンドレッド・ジュラが大きくアームを振り翳す。

それに弾かれるように、旋回していた八つのビットは八方向へと突き進んでいく。それらは文字通りクモの巣の如く張り巡らされたフィールドを掻いくぐって敵艦隊の端々にまで至る。

「シールド展開!」

 号令はジュラ、操作はヒビキだ。ヴァンドレッド・ジュラを中心に八本の光が放射状に伸びる。それを足掛かりに、巨大な青緑色の壁が戦場に出現し、張り巡らされていた“クモ型”のフィールドを掻き消した。

 その好機に賺さずメイアが通信を入れる。

“AチームBチーム一時後退、Cチームは両チームの帰投を……”

「チャンスよメイア! 一気に敵本隊を叩くの! ジュラが先導するわ!」

“慌てるなジュラ。まだ敵の数が多すぎる。一旦下がって補給を受けろ”

 しかし復讐の意志に身を委ねているジュラはメイアの諫言にさえも耳を貸さない。

「逃げちゃダメ! このまま塵も残さずに……」

 その瞬間、再び二人の体をペークシスの光が包み込んだ。

          *

「………何よ、一体」

 罵ったジュラは、自分がドレッドのコクピットに収まっていることに気付く。ハッとして顔を上げると、数秒前まで自分がヴァンドレッド・ジュラを駆っていたと思しき空間に

一つの青い影が佇んでいた。ヴァンドレッド・ディータである。

「ちょっとアンタ! 何様のつもり!?」

 蛮型との合体をディータに横取りされたと知り、ジュラは身を乗り出して怒号を上げる。

 ディータは答えない。

 その表情はいつものように興味本意でジュラと競り合う時の悪戯めいたものではなかった。彼女の乏しい語彙で、必死に言葉を探しているのだった。

 そこに口を挟んだのは、二人の対峙を見兼ねたメイアだった。

“――ジュラ。ペークシスはお前とヒビキの合体よりも、ディータとヒビキの合体を優先した。何故だか分かるか?”

「………?」

“相手を憎む気持ちだけじゃ何も変わらない。……変われないんだよ”

 メイアの先導を借りて、漸くディータが切り出した。

“ディータはバーネットを殺したヤツらを倒すために戦っているんじゃない。バーネットの分まで生きるために戦ってるの。誰かを憎んで憎まれて、そのためにみんなが傷付いていくの、ディータは嫌ッ!”

 ディータの叫びは、全てのクルーの許へ届いていた。それは彼女たちの張り詰めていた糸を優しく断ち、受け止めた。

 そして、誰よりもジュラだった。彼女の愛機は弾き出された慣性で宇宙空間をゆっくりと漂う。その中で目を開ききったジュラは、茫洋と虚空を見つめていた。その瞳から、大きな涙珠が人工の重力に引かれて滴り落ちる。誰よりもバーネットの死を受け入れられないでいたのは、他ならぬジュラであったのだ。

 反応しないジュラ機は、キューブ編隊の格好の的となる。脳を揺さぶるような着弾音さえ、彼女の耳には届いていなかった。

「――ジュラ」

 メイアが彼女の名を呼ぶ。ジュラの意識が辛うじて現実に引き留まる。

「まだ終わっていない」

 何が、とはジュラは訊かなかった。

 ジュラは今一度、操縦把を握り直した。

          *

 バーネットの体は再び彼女の愛機のコクピットに据えられている。

 吼えることしか知らず我武者羅に暴れ回っていた頃の真新しい機体でもなければ、恐怖を果敢という空虚な盾に隠してラフプレーを繰り返した挙句、損壊寸前に陥ったものでもない。

 やや冴えない輝きの、しかし堅実で泰然とした紫苑の機体。

 精気立ち込める翠嵐か、生命の源流なる海原か。

 青緑色の中を、バーネットは疾走していた。

 上もしたも分からない。道を標すものは何もない。それでも彼女は確信を持って、進むべき方向を、目指す一点を凝視していた。

 ――己の珠なるを信じるが故の虚勢。

「ええ、そうよ。最初、私はこんな、群れないと生きていけない弱者とは違うと思ってた。そして、仲間がいることの心強さと頼もしさを知った。でもそれからも、自分が先頭に立って支えなきゃいけないんだって、心のどこかでずっと思ってた。自分は強いんだからって。みんなを信じてなかった訳じゃないけど、みんなには力が無くて、それも含めて私の仲間なんだって、一人偉そうなこと考えて、正当化してた」

 声なき声に、バーネットは迷い無く答えを返す。それは同時に自分自身に対する戒めと、過去に向けての慚愧の吐露でもあった。

 ――己の珠にあらざるを恐れるが故の勇猛。

「そうね。ひょっとしたら自分をさえも信じていなかったのかもしれないわ。自分は強いんだって言い聞かせて、借り物の力で相手を屈服させて、それでやっと安心を得ることができるような、愚かしくて浅ましい人間だったのかもしれない。人に賞賛されることで自分の力を証明して、こんなこと如きで賞賛に値するのかと卑下することでそれを確認していたのかも……」

 自らを辛辣に批評しているが、自虐的になっているのではない。今の彼女にはどんな評言も甘んじて受ける覚悟があった。それらを全て認めた上で、乗り越えようとしているのだ。

 ――自らの弱さ。他者の強さ。人間の儚さ。

「私は決して強い人間なんかじゃない。一人でなんて生きて行けはしない。もうそれを恥ずべきことだとも思わない。隠したりもしない。ただ生きて、生き抜くだけよ。――みんなと一緒に!」

 鮮烈に輝いた。彼女の周囲が。そして、彼女自身が――

          *

 同時刻。

 ニル・ヴァーナ全艦で喧噪が激化していた。殊にブリッジには被害状況一色になったブリッジクルーの報告が矢継ぎ早に飛び交っていた。

「ドレッドチーム、更に二機大破」

「弾存15%。デリバリーが追い付きません」

「放火が左舷に集中しています。シールド第三レベルまで後退――第二装甲損壊」

 パイロット達は決して怯むことはしない。戦線を離れた者達も、その瞬間までトリガーを引く手を休めなかった。

 だが、ドレッドチームは物質的に疲弊し始めていた。それを凌駕していた精神力の手にも、最早負えなくなっていたのだ。

「負けない。負けない。………絶対に負けない!」

 自己暗示とばかりに唱え続けて体力の限界を誤魔化し、ジュラは地道な撃墜を繰り返していた。その額には脂汗が珠となって浮かんでいる。

「テメェ等如きにオレ達の未来は曲げさせねぇ――ッ!」

 ヴァンドレッド・ディータのクリスタルパーツには、恰も希望が壊疽していくような赤い染みが斑模様を成している。それでも屈することのない二人の覇気は、負の感情に内部までの浸食を許さなかった。

 ここに光が灯っている限り――ヴァンドレッド・ディータの肩口に据えられたキャノン砲が再度、再々度と灼熱する。

 二条の青い光が宇宙空間を駆け抜け、代償に数十の赤い光束が降り注ぐ。

「まだまだ……ディータ達は絶対に諦めないんだから!」

 青いクリスタルの巨人は、その動きが目に見えて緩慢になってゆく。

 この状況に絶望している者がいるとすれば、それは間違った判断ではなかったろう。

 この中で恐らく最も沈着な判断力を保っていた者が期待していたのは、既に奇跡のみ。

 刹那の瞬間。

 更に数本の光束を浴びたヴァンドレッド・ディータから、緑色の光が弾けた。

 それに気付いた者は誰一人ない。

 同じ瞬間。

 ニル・ヴァーナを繋留していたガス惑星が眩いばかりの光を放った。戦場を縦横無尽に駆け回っていたメイア達を含め、全ての視線がそこに惹き集めた。

「………? 宇宙人さん!?」

 故に、ディータだけが反応した。ヒビキとの合体を半ば受動的に、半ば能動的に解かれていたた彼女は、何よりもまず彼の姿を負った。

 次の瞬間には、惑星に目を惹かれていた全員が彼の姿を認めていた。

 真っ先に反応したのはブリッジである。

「………!? ヴァンガードが惑星の重力圏に突入します!」

「………何?」

 アマローネが声を上擦らせて叫び、ブザムが即時に返問し、セルティックが重ねる。

「惑星表面に高エネルギーの動体反応!」

 いつから口を閉ざし続けていたのか、マグノが重そうな唇から短い呟きを漏らした。

「――まさか………」

          *

 惑星表面で青緑色の海原が局地的に膨らみ、弾けた。

 光の飛沫で尾を引きながら、淡紫色の機影が機首を現した。

          *

 ヒビキは確信していた。

 莫大なエネルギーを湛える惑星に怖じもせず、一直線に邁進する。

 二つの光が交わり、奇跡が生まれた。

          *

 奇跡。

 非可逆的に隔離され、互いに反目していた男女が一つになるその現象を、彼ら、彼女たちは《ヴァンドレッド》と称した。

 蛮型撲撃機――ヴァンガードとドレッドノートの融合。それのみを語源に待つ呼称は、今や勝ち取るべき未来の象徴。希望の具現。力の化身。

 今ここに、四度目の奇跡が花開いた。

 それは偶然でも僥倖でもなく、必然なる奇跡であった。

          *

「何……これ………」

 バーネットは凝然と目を見開いて呟いた。

 存な彼女の隣で、ヒビキは安堵したように、どこか嬉しそう言った。

「これが、力だよ」

 それ以上でもそれ以下でもない。バーネットにとっては全てが戸惑うべき初めての体験だったが、何度も経験してきたヒビキにとって、それは紛れもなく《第4のヴァンドレッド》だった。

 青い巨腕。白い翼。赤い爪。

 それら全てを和合させたような淡紫色。それは偶然か必然か、バーネットの愛機とその色を同じくしていた。

 言うなれば、紫苑の牙。

 その概形は古来地球時代よりの伝説にその名を轟かせる、見る者全てに敬畏を抱かせる、猛々しき姿、龍。

 硬質な頭部は勇ましく、そこから厳めしい鱗に覆われた長躯が伸びている。

 ディータが茫然自失しブザムが驚愕しマグノが唖然となるも、誰よりも驚懼に支配されているのは、他ならぬバーネットであった。

 二人の体は併設されたシートにそれぞれ収まっており、中央の操舵レバーにその手が重なっている。以前なら本能的に拒絶していたであろう男の掌は、バーネットにとってとても頼もしく、力強く感じられた。

「――行こう」

          *

「そんなのって……バーネットまで………」

 驚きの中に微妙な寂しさを織り込んで、ディータが呟いた。しかしそんなことはいざ知らずと、バーネットの通信が彼女の繊細な情緒を一蹴する。

“ディータ! 下がってなさい!”

「は……ハイッ! ………って、あれ?」

 いつかの遣り取りを繰り返して、ディータは漸くそのことに思い至った。実際、まだそれを認識できていた者はほぼ皆無だった。

「………バーネット?」

 雲海をかき分けて昇天するように悠然と惑星から現れた淡紫色の龍と正対すると、それは彼女の心に克明に伝わり、喜びに変わる。

 遅蒔きながら、ニル・ヴァーナの艦内が、歓喜と涙に包まれた。

 そして、声援。

 バーネットとヒビキと、ヴァンドレッド・バーネットの咆吼が重なる。

 一同の見守る中、紫苑の龍は長い尾を翻し、無数の鱗を逆立たせた。その内に隠されていたのはまた無数の、青緑色のクリスタルの弾頭。

「行けェ――――ッ!」

 それらは二人の意に添って一閃し、四方八方へ撃ち出される。無秩序にも見えたそれは一つの堅固な意志によって統御され、白い光の奇跡を錯綜させながら敵襲団へと突き進んだ。

 《力》が全てを呑み込んでゆき、無に返した。

          *

 ヒビキは懊悩していた。

 目の前には5枚のカード。耳にはガスコーニュの鼻歌。苦虫を噛み潰したような顔で、眦をわなわなと震わせている。

「少しは学習したらどうなの?」

 そこにバーネットの横槍が入った。ヒビキは短く呻き、十秒悩んで舌打ちした。

「チッ……。分かったよ。投了だ」

 ワンペアの手札をテーブルに放り出してシートに体を投げ出し、ヒビキはドロップを宣言する。それを聞いたガスコーニュは意外そうに軽く目を見開いて、カードをショー・ダウンする。

「残念。こっちはノー・ハンドだよ」

「んな………!?」

 千載一遇のチャンスを逃したヒビキはあられもない姿で絶句し、バーネットは素知らぬ顔で、じゃぁね、と告げてレジを出た。

 ヒビキの恨めしげに何事か叫んでいる声が聞こえたが、小さく微笑って黙殺し、第二艦区を後にする。

 バーネットは足の向くままに艦内を彷徨い歩き、気が付けば艦内庭園に佇んでいた。

「何だったんだろ、結局………」

 ニル・ヴァーナは丁度、惑星の衛星軌道から離脱しようとしていた。遠ざかっていく青緑色の光を、バーネットは目を細めて見詰める。

 以前と違い、胸の奥で何かが重みを増していくような、心の底を抉り返されるような不快感はなかった。

 自然と、腰の重みに意識を惹かれた。

 そこには、今も昔も変わらない、歴戦の前線兵士の姿がある。それは力を象る鉄の重みだけではない。

 長い年月を経て積み重なったその重みにも、バーネットの体は側傾することなく毅然と直立していた。

 掌底で、銃把を叩いてみる。

 返事は堅く、強い感触に返ってきた。

 フッと、バーネットは満足げに頬を弛める。

「――何だっていいわよね」

 それぞれの想いは胸の裡だけに――百五十の心を抱え、ニル・ヴァーナは故郷への帰路に、希望への旅路に就いた。

          *

 それは、もう一つの物語。

 

 

          * * * * * * *

 あとがき

 鳳蝶のご挨拶

   最後まで読んでいただいてありがとうございます。

   何とか書き上げることができました。第一作《FOURTH FORCE FOR》

   本編から独立したアナザー・ステージ。バーネットのペークシスとの接触と、言う

   なれば《ヴァンドレッド・バーネット》なるものを描いてみました。原作に挿入す

   るとすれば、2NDの#3から#5の間になるでしょうか。

   まだまだ勉強中の身ではありますが、今後ともよろしくお願いします。

   指摘、感想など頂けたら光栄です。

     v_dreadnaught@yahoo.co.jp

     v-dreadnaught@ezweb.ne.jp                    鳳蝶

 

 鳳蝶の戯言

   ……難しいですね、二次創作。

   今回初挑戦して、自分の語彙の薄さを痛感しました。

   原作が存在すると却ってそちらに囚われてしまいがちになるもので。

   ファンや制作者、ヴァンドレに携わる全ての人々への侮辱になってしまわないかな   ・・・なんてことも気にしながら。

   サブタイ。

   ちょっと韻を踏んでみました。

   語の意味はそのままです。そのまますぎて、勘のいい方にはネタバレしてしまった   かもしれませんね。