とらいあんぐるハート3 To a you side 第一楽章 流浪の剣士 第七話






 視界が濁り、意識が混濁している。

自分が何なのか?どこにいるのか?俺は何をしていたのか?

圧倒的な睡眠欲に自身が溺れ、頭の片隅で収束がつかない思考の線が走る。

断片的な情報が次々と浮かんでは、消えていく。

幼き日の事、「あそこ」から飛び出した事、旅に出た事、飢え死にしかけた事。

天下の野望を初めて抱いた事、強くなろうと決意した事、戦いを挑ん――

戦い?誰と?

思考は止まり、疑問が浮かんだと同時に意識は急速に覚醒する。

冷めていた心の灯火が活性し、白濁していた脳細胞は正常に脈動する。

同時にオデコに冷たい感触と脳髄の痛みに我を取り戻して、俺は目を開けた。


「いっ――つつ……」

「あ、気がつかれましたか」


 ぼんやりとした頭に、朗らかな女の声が耳元に聞こえてくる。

瞼を起こすと、目の前は薄暗い天井だった。

まるで世界に取り残されたように、寂しさのある薄暗さと汚れが目元にこびりつく。

同時にずきりと痛む脳天に顔をしかめて起き上がると、オデコからはらりと何かが落ちた。


「何だ、これ……? 布?」


 一枚の白い布を手に取ってみると、水気のある感触が気持ち良かった。

どうやら俺の額に誰かが乗せてくれていたようだ。

ふと気がついて横をみやると、白のTシャツにジャージ姿の一人の女の子が座っている。

女の子は俺の様子を見て、ほっとしたように言った。


「よかった。ずっと気を失ったままでしたから心配しましたよ。
軽い脳震盪らしいです。もう少し横になったほうがいいですよ」


 やんわりと俺の額に手を当てて、優しくその女は言った。

女の言葉に周りを見渡してみると、どうやら俺は医療室へと寝かせられていたようだ。

俺の隣には幾つかの空ベットが並んでおり、白衣のカーテンで部屋内が仕切られている。

カーテン越しに見える向こう側には、いくつかの薬品が入った瓶が整理されている棚があった。

脳震盪?俺が?何で?

何が起きたのか理解できずに痛む頭で考えていると、ふと女の横の机の上を見る。

患者用なのか机には清楚な色艶をしている花の入った花瓶と、一本の木の棒がある。

いかにも拾ったという感じの枝や葉がこびりついている棒。

汚ねえ棒だな――って、俺の剣じゃねえか!?

同時に光の速さで俺の脳裏に情景が浮かび上がる。

じじいに向かっていった俺、剣を振るうものの手ごたえのない感触、薄れ行く意識――


「あのじじいっ! どこ行きやがった!!」


 俺は胴体に置かれていたタオルを振り払って、ベットから降りる。

冗談じゃない!あんな簡単に終わりにされてたまるか!

足元の床に直に触れて自分が裸足である事に気がつくが、かまってはいられない。

修練場に戻ろうとしたその時、横から白い手が俺を差し止める。


「待ってください! まだ横になっていた方がいいですよ!」

「うるせえな、どけ! 勝負はまだ終わっちゃいねえ!
初めての決闘をこんな形で終わらせてたまるか!!」


 天下人になると決めたのだから。誰よりも強くなると決意したのだから。


「で、でも先生は今……」

「帰ったんなら、追っかけるまでだ! そこ、どけ!!」

「は、話を聞いてください!」

「何なんだよ、お前は。男の勝負にケチつける気か?」


 力任せに振り払おうとするが、なかなかどうして女は強情に動かない。

よく見ると、華奢ながらに引き締まった腕だった。

体格的に細い身体ではあるが、全身は均衡の取れたバランスのいい体格である。

無論こんな奴、本気でやればあっさり突き飛ばせる。

俺が女を無理やり突き飛ばそうと躍起になった瞬間、女は叫んだ。


「落ち着いて下さい! 勝負は引き分けです!!」

「引き分けからって――!? え……?」


 意外な言葉に一瞬硬直すると、目の前の女は息を荒げつつも言い放った。


「先生からの伝言です。

『この勝負、双方痛み分け。貴殿の挑戦をいつ何時でもお待ちしている』

との事です」


 痛み分け……? どういう了見だ、あのじじい。

情けをかけているのだったら、俺はごめんだった。

男の勝負は勝つか負けるか、生きるか死ぬか。

戦いに不必要な感情は無用なのだ。

じじいの真意が分からずにいると、傍らの女はにっこり笑って寄って来る。

そういえばこの女、どこかで見たような――


「とにかく腰を下ろして下さい。今水を入れてきますので。落ち着きますよ」

「お、おう……」


 マイペースでそう言われると、反論の余地がない。

頭も冷えて落ち着いたので、俺は頬を掻いてベットの上に腰を下ろした。

その間に女はカーテンの向こう側へと行き、コップに清涼な水を注いでいる。

そういえば、あれからどうなったのだろうか?

中年女は警察を呼ぶといきり立っていたが、今のところ平和そのものだった。

ベットが並ぶ部屋の窓からは茜色の光が差し込んでいる。

俺が殴りこんだのは昼頃だったから、数時間は寝ていたのか……


「はい、お水です。どうぞ」

「お、サンキュー」


 女から受け取って、俺は一息にゴクゴクと飲む。

渇いた喉に冷たい水はとても美味しく、頭の先から透き通っていくようだった。

しばらくそのまま静かな時間が流れていたが、やがて女の方から口を開いた。


「あの〜、初めてだったんですか?」

「何が?」

「そ、その……、剣道の試合です」


 そういえば、さっき思いっきり口を滑らせてしまったな。

肯定するのも何か嫌なので、俺は堂々とこう言ってやった。


「俺は才能で生きる男だ。練習なんぞ不要、即本番」

「あ、あはは、すごい自信ですね」


 む、この女。何だ、その引きつり気味の笑顔は!?

うん? う〜ん……


「えと、えと、私の顔に何か?」


 じっと見られているのを気にしたのだろう。

女は頬を赤らめて、露骨にうろたえていた。

俺と同じような年頃の割に純情な女である。


「お前、何処かで会った事なかったっけ?」

「た、多分さっき修練場でお会いしたのが初めてだったと思いますけど……」


 修練場?

あそこにいたのは――なるほど、思い出した。


「はいはいはい、あの時の女か」


 俺が決闘を申し込んだ時、唯一俺を馬鹿にしなかった見所のある女。

よく見ると、忘れるのが不思議な程に魅力的な女の子だった。

さっきと違うところは眼鏡かけているという点のみであった。


「私って影が薄いですからね、はは」

「そう卑下するなって。その眼鏡がお前のシンボルだ。
てか、練習の時はしてなかったじゃねえか」


 全く、おかげでややこしくなってしまった。


「鍛錬の時は眼鏡は外しているんですよ。
戦いの時に枷にならない様にしないといけませんから」

「へえ、真剣に取り組んでいるんだな」


 今時の女にしては珍しい程の剣への取り込みようであった。

全身も鍛えているみたいだし、毎日しっかり励んでいるのだろう。

俺は個人的に目の前の女に好印象を持った。


「アンタ、名前は?」


 俺は道場でしっかりと名乗ったので、二度も手前から名乗るような馬鹿な真似はしない。

女は少々照れくさそうにして、答える。


「高町美由希です。宮本さんですよね?」

「そうだ。高町はこの道場の門下生なのか?」

「いいえ、私は出稽古で来たんですよ。前先先生にはお世話になっていまして」


 出稽古か。すると……


「じゃあ、高町は何処か別の流派に属しているのか」

「そうです。
『永全不動八門一派・御神真刀流』、と言っても分かりませんよね」


 「御神真刀流」、聞き覚えのない流派である。

俺自身あまり詳しくはないが、こんなあどけない女が習うような流派だったら然程ではないのだろう。


「う〜ん、聞いたことのない流派だな」

「……宮本さんが知らないのは無理もないですよ」


 そう言って、高町は静かな表情を浮かべる。

哀切、郷愁――高町美由希が浮かべる表情は、一つの言葉では表現出来ないものがあった。


「私からも、質問していいですか?」

「別にいいけど」


 複雑な表情も一瞬で、普通の気の弱そうな年頃の女の顔に戻っていた。

何だったんだろうか、先程の表情は……?


「宮本さんは試合は初めてだと仰ってましたけど、ひょっとして剣道も?」


 またさっきの話の続きか。

さすがにこれ以上しらばっくれるのも無理だし、高町の興味津々な顔を見ると逃れる事は出来そうにない。

俺は嘆息交じりに言った。


「そうだよ。稽古とかはしていたけど、全部自己流。
誰かに習ったりはしていないし、習う気もない」

「自己流なんですか。どうりで――」

「どういう意味だ?」


 俺が尋ねると、高町は慌てて口を両手で抑える。

まるで口が滑ったとばかりに首を振って、顔を真っ赤にしていた。

この野郎、気になるじゃねえか。


「言いたい事があるならはっきり言え」

「わわわ、た、大した事はないんですよ!?
ただ、剣の持ち方が――」

「持ち方?」


 半眼で続きを促すと、高町は俺に完全にびびっている感じで話した。


「竹刀でも真剣でもそうなんですけど、正式な剣の持ち方は右と左を際に持つんですよ。
このように、柄尻に合わせるんです」


 高町は俺の剣を持って、正面に構える。

なるほど、右手と左手をそれぞれ端っこに置いておくのが正式な持ち方なのか。

俺が感心していると、何を勘違いしたのか慌てて高町は言葉を並べる。


「べ、別に宮本さんがおかしいという訳ではなくて、この持ち方が一般的ですので」


 つまり、俺の持ち方がおかしかったと言いたい訳だな。

遠まわしには言ってくれているが、言葉の内容は変わらない。

嫌味に聞こえないのは、目の前のこの女が正直者だからだろう。

俺は苦笑して、手を振る。


「いいよ、気を使わなくても。俺の持ち方が変なんだろう。そんなもん直せばすむ事だ」


 今まで俺は右手と左手を拳状に固めて、がっちりと重なり合わせる持ち方だった。

言ってみれば、子供のチャンバラ遊びと変わらなかったのだ。

俺だってそこまで器が狭い人間ではない。

自分が間違えていると思えば、きちんと改めればそれでいい事だ。

反省を知らない剣士は強くなんて到底なれない。


「でもすごいですよ、宮本さんは。
剣術を習ってもいないのに道場破りをするなんて」

「はっはっは、まあな。俺のような器の持ち主は一般人と同じやり方では務まらん。
と、そうだ。あのじじい、どういうつもりなんだ?
勝負はあまりにあり得ない奇跡的とはいえ、あいつが俺の脳天を一撃しただろう。
痛み分けってどういう事だ?」

「覚えていませんか?
宮本さん、一撃を喰らった瞬間拳を先生の鳩尾に振るったんですよ」


 鳩尾に?俺が?

腕を組んで思い返してみるが、心当たりがない。

じじいに打たれた瞬間の記憶が曖昧だった。


「じじいはそれでどうなったんだ?」

「直撃でしたから。数分ではありますけど、意識を落とされていましたよ」

「なるほど、それで痛み分けだと」

「はい。私もまだまだだと笑っておられました。
久しぶりですよ、あんな楽しそうな先生を見たのは」


 そう言う高町もどこか楽しそうだった。

この女は恐らく自分より他人の幸せを喜べる人間の類なのだろう。

――試合内容は両者共に引き分け。だが、剣術としてはどうだろうか?

俺は天井を見上げる。


『貴殿の挑戦をいつ何時であれお待ちしている』


 ……上等だ。


「看病してくれてありがとうな。ついててくれたんだろう」


 俺はベットから降りて、机の上の剣を掴んだ。

荷物類はこの女が持ってきてくれたんだろう。全て手元に置かれていた。


「いいえ、私は時間がありましたから。
それよりもういいのですか?まだゆっくりされていた方が・・・」

「悪いけど、俺にはベットは合わない。
地面に寝転がっているほうが性に合うんでね」

「あはは――と、私もそろそろ帰ります。またご縁があれば」

「ああ、また。お互い強くなろうな」


 俺がそう言って笑うと高町は驚いた顔をして、同じく彼女も笑顔になった。


「はい!その時はぜひお手合わせをお願いします」


 晴れやかな微笑みが似合っている娘だな、本当に。

俺は苦笑を浮かべ、窓の外を見やった

前先道場・前先師範。この次は必ず倒す。

一日も終わりに近づいている今、俺は夕暮れに向かって新しい決意を固めた。




























<第八話へ続く>








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