とらいあんぐるハート3 To a you side 第十一楽章 亡き子をしのぶ歌 第二十八話
キリエ・フローリアン、彼女は美しい女性だった。
誤解を恐れずに言うが、容姿に恵まれているのは敢えて特筆すべき事柄ではない。これほど美しい女性であれば容姿に恵まれていて当然、わざわざ指摘するなど愚の骨頂だった。
まず、姿勢が良い。芯が通っており、芸術的に整えられた肢体を見事に支えている。怠惰に日常を過ごしていれば、これほど綺麗に姿勢は整わない。剣士として、心から尊敬に尽きる。
体格に至っては、見惚れてしまうほど優れていた。服の上から見ても分かるほど際立っており、肉と骨が見事に圧縮されている。女性として、戦士として、完成されていた。
今まで多くの美しい女性と巡り合ってきたが、この人ほど綺麗な体の持ち主は見た事がない。シグナム達も実に優れた容姿の持ち主だが、肉体的な美しさは彼女が群を抜いている。
この出会いは、運命だ――剣を喪い、道に迷っていたこの俺に、キリエ・フローリアンという女性と巡り会わせてくれた。
「お会いできて光栄です。初対面で大変失礼ですが、握手をして頂いてもよろしいでしょうか」
「聖王様の方から握手を!? あ、あたしこそお会いできて嬉しいです」
「おお、なんて美しい手だ……貴女のような美しい人がこの世にいるなんて、歓迎です」
「そ、そんな、あたしなんてお姉ちゃんに比べれば全然で……」
「何を仰るのですか、自分の美しさにもっと自信を持って下さい! 貴女のような女性こそ、世界の宝として崇められるべきなのです!」
「ふえええええええ!?」
「父上、その辺で勘弁してあげて下さい。フローリアンさんの頭が、羞恥に沸騰してしまいます。
むぅ……まさか父上が筋肉フェチだったとは、この私の目を持ってしても読めませんでした。私も今日から、筋トレに励むと致しましょう」
(このように、リョウスケにとって理想的な身体の持ち主だったようです)
(なるほど、剣士として理想的だと言う事か。女の身体と聞くと変態にしか思えないが、剣バカのこいつはあくまで身体的強さしか見ていないんだな……
というか、こいつは何で服越しなのに一目見ただけで女の身体が分かるんだよ。探索や分析魔法も使えないくせに、人を見る目だけは一人前か)
外野がやかましいがこの時ばかりは気にならず、キリエ・フローリアンとの握手を堪能する。剣士は身体を使って剣を振るが、その力量は手を見れば分かるとされている。
握手してもらったフローリアンの手は女性らしい柔らかさと暖かさに包まれているが、男性の手を握る手の力強さは実感として伝わってきた。
心の芯が震えるほど、感動してしまう。どれほど過酷な環境下に置かれれば、これほど強く美しい手が構築できるのだろうか。魔導的な要素はなにもない、純粋な肉体の強さが形作られている。
女性に一目で心を奪われたのは、彼女が初めてだった。
(ここで、父上に残念なお知らせです)
(な、何だと……?)
(今から我らは彼女の期待を裏切らなければなりません。嫌われてしまいますね、フフフ)
(うあああああああああああああああああああ、そうだったあああああああああああああああああああああああああああああああ!)
(ウヒャヒャヒャヒャ、ざまあみろ)
(……シュテルちゃんに、アギトちゃん。嬉しそうですね、二人共)
この出会いこそ運命だと感動してや先に突きつけられる、無情な現実。美しい人の切なる願いを踏みにじらなければならない、この絶望。神は、この世にはいなかった。
嘘だろ、本当に断らなければならないのか。この人こそ、俺が待ち望んでいた理想の女性なんだぞ。この人の芸術的な肉体を実現出来れば、俺は必ず強くなれるというのに。
法術を使ってでも助けるべきだという強烈な誘惑に駆られるのだが、生憎と俺の周囲は今鉄壁の警護態勢を敷かれている。無断使用すれば、一騎当千の強者達がなだれ込んで来るだろう。
マジかよ……何故これほど素晴らしい身体の女を、敵に回さなければならないんだ。忍のような外見しか取り柄のない女には、好かれるというのに。身体を交換しろ、あいつ。
「お騒がせいたしました。依頼について事前に伺ってはおりますが、聖王様に直接お話をしたいとの事ですのでこの場を用意いたしました。
このホテルの支配人は私共と直接提携している者でして、あらゆる情報がこの場より漏れる心配はありません」
「本当に、ありがとうございます。お話というのは他でもない、父の病気に関する事なんです」
――こうして、キリエ・フローリアンの話は始まった。
「恐らくご存じないと思いますが、あたしは『エルトリア』という惑星から来ました」
(……知っているか、シュテル?)
(申し訳ないですが、存じ上げません。古代に関する知識は把握しておりますが、記憶という面についてはユーリ達も含めて魔導書が管理しています。
父上もご存知だと思いますが、そもそも闇の書は過去に改悪された魔導書。システム面に大きな不具合がありまして、安定に欠いておりました。
今でこそ父上の法術により安定いたしましたが、我々は不安定な魂を持った存在。父上により祝福を受けてようやく、存在が確立したのです)
シュテルと初めて取引した時も、本人がそう語っていた。存在の確立化を求めて法術の使用を望み、俺が願いを叶えてユーリ達に名前を与えて祝福したのだ。
特に永遠結晶であるユーリは世界を滅ぼせる強大な力を制御出来ず、魔導書の中で長きに渡って苦悩していた。法術による完璧な制御を得て、ディアーチェ達も大層喜んでいたのは記憶に新しい。
存在が不安定な彼女達に、過去の記憶を求めるのは確かに酷だろう。守護騎士達も昔のことを聞いても、あまり明白には答えてくれない。
人間だって、昔のことは忘れていくものだ。彼女達を、責められなかった。
「エルトリアはここミッドチルダとは別次元にある惑星で魔導というものには縁がなく、科学技術によって成り立っていました。
言いづらいのですがとても過酷な環境で、少ない資源を何とか活用するための機械運用によって生活空間を広げています。
あたしのお父さんはこの惑星を改善するべく日夜研究を続けている、研究者なんです」
「なるほど、本当にご立派な方なのですね。尊敬致します」
同意すると、フローリアンはとても嬉しそうに頷いてくれた。単純な会話の流れによる世辞だったのだが、本人はとても純朴な少女であるらしい。
話を聞く限りだと技術体系は地球よりだが、環境としては地球ほど自然には恵まれていないようだ。月とまでは言わないにしろ、生活を営むには辛い環境であるらしい。
話としては、非常に納得させられる。日々が平穏ではないのであれば、女であっても過酷な環境に生きる身体が求められる。彼女はこうして、この強き肉体を作り上げたのだろう。
ただ疑問なのは単純に生きてきたと言うだけなら強くはあっても、これほど美しく磨かれるとは思えない。彼女は決して野性的ではなく、洗練された強さを持っているように見える。
「故郷の星であるエルトリアの衰退を食い止めるため、あたしの家族は日夜努力を続けてきました。とても難しい事ではあったのですが、それでも何とか生きてきたんです。
ですが、少ない資源も枯渇してきて……環境の汚染によって荒廃が進んでしまい、同じ星に生きる人達は父さんや母さんを置いて移住してしまいました」
辛く、そして悔しそうに拳を握りしめているが、第三者である俺から見れば出ていった連中の気持ちもよく分かる。人間、誰だって自分の生活が大事なのだ。
俺も今地球とミッドチルダを行き来しているが、生活空間をどちらかにしないのは、どちらも住心地が良いからだ。もし一方が寂れていたら、もう一方を選んでいただろう。
フローリアンが無念に震わせているのは恐らく、両親が生活環境を良くする為に邁進していたからだ。努力とは、必ずしに報われるものではない。
彼女から見れば、出ていった人達が裏切り者に見えるのだろう。そうした思いが、八つ当たりだと知りながらも。
「父さんも、母さんも、一生懸命頑張ってきたのに……荒廃してしまった惑星エルトリアは、遂に死蝕に侵されてしまったんです。
優しい父さんもついに病魔に侵されてしまい、今はもう――意識不明の状態で、命も長くないと言われています」
肩を落として窮地を物語る、フローリアン。絶望に喘いでいるのではなく、絶望に疲れ果てた表情。苦悩に溺れてしまい、生気も失った人間の顔がそこにあった。
希望を求めて惑星を開拓したのにも関わらず、賛同も得られずに死ぬ運命。惑星を捨てた者達は明日を生き、惑星を諦めなかったものが死んでいく。
キリエ・フローリアンに、救いは何もなかった。惑星は死に、親も死ぬのであれば、今まで何のために生きてきたのか。全てを失って死ぬのであれば、生まれた意味が何処にあるのか。
その答えは、間もなく訪れる――父親の、死によって。
「あたしは、何としてもお父さんを助けたい。希望を求めてここへ来て――貴方を知りました、聖王陛下。
あたしにとって、あなたは神様なんです。どんな願いも叶えてくれる魔法使い、どんな奇跡も起こしてくれる神様を、心から望んでいます。
お願いします――お父さんを、助けてください。あたし達を、救って下さい!」
――聞き捨てならない事を今、言った。『どんな願いも叶えてくれる』魔法使い、あくまで比喩表現なのだろうか?
法術のことを知っているとは、到底思えない。知りようがない事であり、聖地においても奇跡を見せた事はない。戦乱においても、法術は使用しなかった。
単純に考えるのであれば、聖王に関する噂を聞いたのだろう。実際フローリアンは奇跡を起こす神様に頼っていると、明言している。気にしすぎと言えば、確かにその通りだ。
蒼天の書や聖典を奪われて、過剰に反応しているのかもしれない。変に追求して、藪から蛇をつつきたくはなかった。
「お話はよく分かりました、フローリアンさん」
「それじゃあ……!」
「結論から申し上げますと、この依頼を引き受けることは出来ません」
予定調和であるが、俺の娘であるシュテルは俺のような非情さで他人を今切り捨てた。鬼になるとだと言い切った魔導師の決意は、少女の悲劇を前にしても揺るがない。
キリエ・フローリアンの表情は、希望を見出したまま固まっている。一蹴されるとは夢にも思っていなかったのか、呆然としていた。だが、思春期の少女は、多感に満ちている。
すぐに正気を取り戻して、ホテルの高級テーブル越しに身を乗り出した。
「どうしてですか、お父さんは本当に命が危ないんです!」
「お父様については、とても残念に思います。ですが、貴女の依頼は叶えられません」
「だから、どうして……!」
「渡航記録を、見せて下さい」
「渡航、記録……?」
「惑星エルトリアからミッドチルダへ渡航してきたと、あなたは説明されました。正規の手続きでやってきたのであれば、渡航記録は必ず存在します。その記録を提示して下さい」
「! そ、それは……」
参謀であるシュテルの冷徹な視線をぶつけられて、怒りに染まったフローリアンの瞳が揺らいだ。
正直に言おう、俺は全くその点に気付かなかった。シュテルが指摘して、初めてその事実に気付かされた不手際さ。そういえばどうやってこいつは、ミッドチルダへと渡って来たのか。
魔導に関する文化がないのであれば、転移魔術が使えない事を意味する。ミッドチルダへの渡航手段で、魔導を介さない正規ルートは一つもない。
前提が成り立たないのであれば、手段も成立しない。シュテルはフローリアンの話を聞いて、糾弾の手段に用いたのである。全然気付かなかった俺は、娘の優秀さに舌を巻いた。
「記録がもし無いのであれば、あなたは非正規ルートでこの地へやってきた事になります。今でこそ父上の統治により入国手続きは確立いたしましたが、戦乱時では混乱していた。
入国審査は徹底されていたとはいえ、有力な勢力が複数存在していた事もあり、混乱もきたしていた。あなたはそれに便乗して、聖地へ来たのではありませんか?」
「そ、その事と、父のことは関係ないはずです!」
「何を言うのですか、聖王である父上に犯罪者の依頼を引き受けろというのですか」
――人でなしの俺が言うのも何だけど、病魔に侵された悲劇の少女によくこんな事が平然と言えるものである。情けがあれば、絶対に言えない。
俺以外の人間に何をどう思われようとかまわないと宣言していたが、見栄っ張りでも何でもなく事実だったようだ。シュテルは、淡々と指摘するのみ。
非正規ルートでの入国は犯罪だと言われればその通りだが、生気の手続きでミッドチルダに来るのは難しい。エルトリアとの国交もあるかどうかは、怪しいのだ。
フローリアンはバツが悪そうな顔をしていたが、それどころではないのだと頭を振って主張した。
「っ……本当に、本当に父は今命の危機なんです。時間もない、手段もないまま、ジタバタしていたらとても間に合わない。だから……!」
「どうやら私が言いたいことを理解していないようですね、フローリアンさん。
いいですか――昨日まで聖王様の存在さえも知らなかった未開地の貴女が、ご自分が窮地に立たされて慌てて神頼みする。それがどれほど不敬であるのか、理解できますか?」
「ふ、不敬って……」
「聖王様の奇跡を求める方々は、大勢いらっしゃいます。敬虔なる信者の方々もまた同様、貴女のような窮地に立たされた方が多くいらっしゃるのです。
聞けば窓口で再三に渡って説得されたというのに、居座ったそうですね。他の信者の方々は絶望に震えながらも、聖王様に日々祈りを捧げて奇跡を待っていらっしゃる。
何の信仰もない貴女を最優先する理由が、我々にありますか?」
普段は神様なんて馬鹿にしているくせに、困った時は慌ててゴマをする姿勢をシュテルは容赦なく糾弾した。フローリアンは顔を青ざめて、俯いていた。
ハッキリ言おう、他の誰でも同じ事が言える酷い言い草である。確かに神様からすれば人間の身勝手に見えるがそもそもの話、俺は神様ではないのだ。
俺だって、神様になんて毎日祈ったりしていないし、意識もしていない。極端な話、神様なんていないとさえ思っている。まあ、ガルダ神なんぞという存在は別にして。
聖王教会の地で聖王の信仰を正されては、何も言い返せない。理屈で太刀打ち出来ないのであれば、少女に出来ることは限られる。
神様の奇跡ではなく、人間の善意に――感情で責めるしかない。
「どうすればいいですか? 信者になれというのならばなりますし、あたしに問題があるのでしたら後でどうしてもらってもかまいません!
何でもします、どんなことでもします、願いを叶えてくれるのであれば何をされたってかまわない!
お父さんを、助けてください――お母さんも、危ないかもしれないんです……!」
母親のことまで震えた声で主張し始めた、多分事実なのだろうが少女自身も認めたくなかった真実なのだろう。父だけではなく母まで、と来れば悲劇なんてものではなかった。
少女は、何もしていない。むしろ、人に誇れる生き方をしてきたはずだ。これほど見事で、美しい肉体をしている少女が、後ろめたい事なんてしているはずがない。
子供の頃からたゆまぬ努力を積み重ね、あらゆる逆境にめげずに戦い続けてきたのだろう。そうした少女の戦いがもうすぐ、無駄に終わってしまうのだ。
剣士として、彼女の絶望が痛々しいほど理解できる。何も出来ずに負けて死ぬのであれば、何のために剣を取ったのだろうか?
「何を言われようと、お引き受けできません」
「!? あたしのお父さんとお母さんが死んでもいいというのですか!」
「悲劇に襲われているのは、貴女だけではない。貴女を優先する理由がない限り、貴女の悲劇を先には救えない。
たとえ神様であっても、全人類を救えはしないのです。過酷な環境を生き抜いた貴女は実感として、思い知っているはずです」
「……この、人でなし!」
「何とでも好きに言って下さい、お話をお聞きするくらいはかまいませんよ。懺悔を聞くのも、聖職者の仕事です」
「お父さんやお母さんを平然と見捨てておいて、何が聖職者だ!!」
拳を振り上げるフローリアンを前に、シュテルは微動だにしない。さすがは美しい人、感情にかられても肉体の動きは見事な切り替えを見せている。
本当に、鬼に徹している。哀れみを乞う少女に対して、シュテルは頭を踏みつけて切り捨てたのである。俺でも、ここまで言えないぞ。
シュテルに襲いかかろうとするフローリアンの瞳には怒りと、悲しみがあった。その目を見た瞬間、分かった。自分が傷つくことを恐れて――
他人が傷つくのも嫌がる、優しい少女なのだと。
「こら、シュテル」
「痛っ!?」
――だから、先に俺がシュテルを殴った。軽く頭を叩いた程度だが、シュテルは大袈裟に痛がっている。大した、演技派である。
自分より先に聖王本人が殴って、フローリアンは拳を振り上げたまま止まる。目を見開いて、驚きを露わにしていた。
鬼役の出番はこれで終わり、ここからは仏役――つまり。
神様の、出番である。
「フローリアンさんが、困っていらっしゃるぞ。遠い星からわざわざ俺を頼りに来てくれた方を、そんなに冷たく断るんじゃない」
「しかしですね、フローリアンさんは渡航記録もない方で、身元も不確かというのであれば依頼を引き受けるのにリスクがあります」
「身元は、うちで受け入れればいいじゃないか」
「父上、それはまさか――」
「白旗に所属してもらえるのであれば、貴女は私の仲間であり家族。家族が困っているのであれば、助けるのが当然でしょう」
「えっ……せ、聖王様……?」
俺の言葉の真意を察して、フローリアンが信じられないとばかりに声を震わせている。
俺はこの時ばかりは、本心で言った。
「聖王として素性も知れぬ怪しい人間を助けるのは問題だというのは、シュテルの言う通りです。その点については、私も同意見だ。
ただ俺個人として協力するのであれば、単純な人助けだ。奇跡は起こせないかもしれませんが――
こんな俺でよければ貴女の力になりますよ、フローリアンさん」
「ああ……ありがとうございます、ありがとうございますぅ……!」
絶望からすくい上げられてよほど嬉しかったのか、俺の手を握り締めてブンブン振っている。痛い、痛い、なんなんだよ、この豪快な力は!
フローリアンさん、感激しているところ申し訳ないけれど、貴女が今感じている喜びは全部俺の隣で得意げな顔をしている娘によって仕組まれたものだからな。
神ではなく人として力になるという担保まで取られて、フローリアンが気の毒になってきた。後で文句が言えない事態になっている、恐ろしい娘である。
それにしても『人のいない』未開の惑星か――居場所がないあの連中に、使えるかもしれないぞ。
<続く>
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