とらいあんぐるハート3 To a you side 第十楽章 田園のコンセール 第五十二話






 月村すずかは、受動的な少女である。強さを求めて日々修行を積んでいるが、最強を目指していない。友人知人、家族や仲間であろうと果し合いを求められても断固として断る。

競争社会の中で生きながら、他人との競争を一切行わない。他人と自分を比較せず、社会や世界に埋もれて生きている。他人に興味を持たず、自分に関心はない。

自己否定も自己肯定もせず、自分の生き方に沿う人生。一族より孤独と囁かれていた少女は今、孤高として讃えられている。月村すずかという概念が独立した、存在。


妖怪ともいわれる伝説上の生き物は、彼女を目にして思い知る――この少女こそ世の理を超えた存在、"妖"であるのだと。


「夜の一族の王女……これほどの存在とは!」

「月村すずか、剣士さんの護衛です」


 妖とは日本古来のアニミズムや、八百万の神に深く根ざしている存在。この者の存在こそ、森羅万象に神を見出せる在り方。古来より人が恐れ、そして畏れられていた存在。

時代毎に人が超自然現象と感じる事象の範囲は異なるが、過去の時代へ至るほどにその範囲は広かった。だからこそ他ならぬ天狗の長、歴史の目撃者は恐れ入る。

否定的に把握された存在や現象は妖怪になりうるという表裏一体の関係がなされていた天狗にとって、孤高の存在は絶対的に許せないものであった。

思い出話は美しく、過去は何よりも残酷だ。昔と今を比較してしまえば、自分が変わってしまったと思い知る。


老いてしまったのだと、思い知らされるから。


「あり得ぬ……あり得ぬ筈がない。貴様のような妖が今の世に、存在できる道理はないわ!」

「貴方の言っている事は、正しいです」


 他者の否定を淡々と肯定する、少女。自己否定までされておきながら、少女は平然と受け入れる。深さの見えぬ器に垂らされた毒は、波紋すら広げる事が叶わなかった。

天狗は人を魔道に導く魔物とされて、外法様とも呼ばれている。その毒素は強烈で、人身を芯から狂わせる。そうした天狗の怒声を浴びせられても、妹さんは平然と立っている。

セットアップ、デバイスを持たない少女は幻想を身に纏う。一流の捜査官をして分析不可能だった魔力の構成は、少女に漆黒のドレスを華々しく再現した。

バリアジャケットを装備した少女に、天狗の長は自慢の羽団扇を高々と仰いだ。


「小賢しき死に装束、剥ぎ取ってくれようぞ――"アンモ"」


 五月十五日、月夜の晩に太平洋から飛んでくるとされる天狗の怪異。囲炉裏にばかりあたっている怠け童子の脛に撃ち込まれる、茶色の火班。

怠け者に対してくだされる、天狗の罰則。生意気な小僧の服はおろか、皮まで剥ぎ取る怪異。伝承の中でも極めて不可思議とされた、与太話。

本来であれば再現不可能な現象も、山の神ほどの存在となれば実現出来る。目に見えぬ怪異が妹さんに襲いかかって、バリアジャケットごと破壊せんとする。

少女の美しき肌に茶色の火班が広がっていっても、顔色一つ変えず唱えた。


「ギア2」


 夜の一族の女は個々で異なる能力があるが、際立った身体能力だけは平等に備えている。思春期の少女であろうと、夜の一族であれば血が活性化される。

まして月村すずかという少女は、夜の一族の王女。山の神が畏れた始祖の血、薔薇よりも赤く夜よりも深い血が少女の身体能力を爆発的に高めた。

無駄な足掻きだと、天狗は赤ら顔で微笑う。血よりも早く撃ち込まれた怪異は、既に少女の肌に突き刺さっている。爆発よりも早く、少女を引き裂いてしまう。

盛大な血飛沫が上がる残酷な未来が待ち構えていても、少女は瞬きもしない。


「武装色」


 少女が色で彩った技は、文字通り少女の肌を武装に染めた。天狗が与えた呪いの火班は、少女の肌を引き裂けずに弾け飛ぶ。

月村すずかは、魔導師ではない。魔導を学んだ、少女である。魔導師を志さなかった少女は、大いに惜しまれながら知識と能力だけを奪い去った。

宿命なのか因果であるのか、少女の魔法の色は血。血とはすなわち赤く、それでいて黒く、何よりも喩えようがない。


超圧縮された魔力を手に思う存分込めて、月村すずかは拳を振るった。


「鷹ライフル」

「ぬうっ……!?」


 魔力を纏い硬化した拳で放つ、打撃技。ライフルのように一直線に飛んでいった拳は、天狗の腸に突き刺さる。羽を広げる隙も与えない、早業だった。

鳥にとって、銃とは天敵である。銃で撃たれて死なない鳥はいない。それは単なる俗説にすぎないのだが、妖怪とはそもそも伝承に基づいた存在。

概念こそ妖怪にとって力であり、同時に弱点でもある。苦痛と呼ぶには生温い呻き声を上げて、天狗の長は膝をついた。


絶対的な存在が見せた最初で最後であろう隙――妹さんはその隙を逃さず、駆け出した。


「"ハテンゴ"」

「ロギア、ヒエヒエ――」


 思う存分背を向けて、妹さんはその場から逃げ出した。敵が見せた隙を好機と受け止め、そして次なる恐るべき攻撃への間隔であると捉える。

そのまま駆け出して攻撃を加えていれば倒せたかもしれないが、あくまで仮定である。夜の一族の王女の感覚は、否であると告げたようだ。

天狗として世にあだなし、業尽きて後、再び人身を得ようとする執念。ハテンゴの伝承とは、すなわち破壊。ドイツの荒野が、吹き飛んだ。

膨れ上がった爆発が弾け飛ぶ直前、妹さんの魔法が発動する。


「ブリザードチェイン」


 強化魔法の一種、月村すずかが生み出したミッドチルダ魔法のオリジナル。漫画や歴史書に記されていない、彼女だけの力が発動した。

その場にいた敵味方、その誰もが目撃した伝承。敵の削減攻撃を氷で封じ、味方の全体強化を水で与え、領域の爆発を水蒸気で封じる。

強化スキルの、極限化。あらゆる属性に秀でている怪物がやらかした、奇跡。少女にとって、奇跡こそが日常であった。


彼女の敵は、山の神。少女が起こした水蒸気を逆手に取って、水蒸気爆発を繰り出した。


魔導師にとって魔法を使用した瞬間は、隙そのもの。大技であればあるほどに、大きな隙を生み出してしまう。奇跡であれど、物理現象には逆らえない。

妹さんは武装して爆発をガードするが、爆風によって空高く飛ばされてしまう。大いなる空こそ天狗の縄張り、天狗の長は一瞬で駆け上った。

大岩すら破壊する拳を、妹さんは武装色でガード。威力は殺せたが勢いはそのままに、妹さんは墜落して地面に陥没する。


天狗礫――山鳴りがしたその時、妹さんの頭上から大きな石が飛んでくる。


「ギア3」


 ドレスが胸元から弾け飛んで、青い果実の如き少女の肢体が瑞々しい果実のように実った。手足が伸び、胸が豊かに実り、お尻が芳醇に整えられる。

見目麗しき絶世の美女になっても、戦意は少女のごとく張り詰めている。美しく伸びた長い髪を華々しく広げて、少女は頭上に向かって拳を振り上げた。

天狗が起こした爆風と少女の魔力波がぶつかりあって、火花を散らす。


「ギカントライフル」


 頭上を覆い尽くす巨岩が、少女の拳で吹き飛んだ。破壊で満足出来るのは格闘家、そして月村すずかは格闘家ではない。

弾け飛んだ巨岩の破片を岩場に駆け上がって、空高く舞っている天狗の長に向かって足を振り上げる。ギカントウィップと唱えた足技が、鞭のようにしなって天狗に繰り出された。

大人の女性となった月村すずかの足技は美しくも凶悪で、羽団扇で防いでも殺しきれない。たまらずよろめいた天狗の長を尻目に、少女は破片を足場に更に飛び上がった。


両手を振り上げて、今度は妹さんが天狗の長を堂々と見下ろす。


「鷹ガトリング」

「どれほど化けようと見え透いているぞ、童女め!」


 夜の一族の血と魔力で強化した両の拳を次々と連打して放つが、天狗の長は拳で吹き払う。嵐の如き打拳が、妹さんの強化された拳と激突する。

速さで上回る妹さんの両拳と、腕力で上回る天狗の巨拳。激突した妹さんの拳が天狗の拳を切り裂き、打突した天狗の拳が妹さんの拳を砕いた。

天狗の拳が切り裂かれて血に染めた肉を見せ、妹さんの拳が砕かれて血に染まった骨が見える。双方共に深手を負い、地面へと墜落していく。


降下は、戦士達にとって休憩時間ではない。天狗は羽を広げ、少女は足を蹴る。


「"天狗谷"」

「"クイーン・オブ・スノー"」


 谷のように二つに別れた巨岩が、妹さんの左右から迫り来る。落下し続けている妹さんは空中に散布した破片を蹴って飛んでいるが、間に合わない。

巨岩にプレスされたら、血のサンドイッチが出来上がる。美しい女性の圧死、その悲劇が見えていたかのように、妹さんのオリジナル魔法が発動する。

クイーン・オブ・スノー、雪の王女。複合スキル、複数の属性を持った妹さんならではの魔法。生み出された雪の結晶が、天狗の怪異をフルブロックした。


巨岩は雪にぶつかって砕け、雪は巨岩と衝突して飛び散る。雪と岩が飛び散って少女の肌を切り裂き、天狗の鼻に刺さって血飛沫を上げる。


「わ、儂の自慢の鼻を……天狗の誇りを汚しおったな、夜の一族ーーー!!」

「! ロギア、メラメラ――"火拳銃"」


 月村すずかは、人間ではない。ゆえに、人間らしさに拘らない。ギア3と呼んでいる大人モードを瞬時に解除し、ギア2による夜の一族による強化で対応。力より速度を優先して攻撃。

二重に繰り出された天狗谷、ブロックするには一手足りない。魔法では成し得ない防御、だからこそ攻撃へと転化。一瞬でも迷っていれば、潰されて死んでいただろう。それほどまでの連撃だった。

血に燃えた拳が右から来た岩を破壊するが、左から押し寄せる巨岩にまでは火の粉が飛ばない。空中で巨岩に顔面からぶつかって、妹さんがそのまま地面に激突した。


落下した勢いで転がりまわり、血のカーペットで地面を濡らして妹さんは倒れた。


「……恐るべきおなごよ。天狗谷を正面から食らって生き延びたのは、お主が初めてよ」


 賞賛を浴びせられた戦士を前に、仲間達は悲鳴を上げている。左目が流血で塞がり、鼻が曲がり、顎が左から砕けている。左手は無残に潰れ、左足が歪んでいた。

半死に近い状態であるというのに、敵も味方も悲壮感はない。彼らが震えているのは、壮絶なまでに砕かれた少女がなお美しいということだ。魔性であり、魔物。

あの天狗の長、山の神でさえも賞賛以外の言葉が出てこない。それほどまで月村すずかという存在は、際立っていた。欠損しようと、少女は完璧だった。

人々が畏怖する夜の一族の王女――地面に沈む月村すずかが、こちらを向いた。


既に視力が損なわれた左の瞳。虚ろな目に、見守る人々はただ――恐れている。



俺は、頷いた。



「頼んだぞ、妹さん」

「お任せ下さい、剣士さん」


 誰もが理解出来ない、やり取り。誰にも理解されない、会話。そして俺達は、誰の理解も求めていなかった。

妹さんは、立ち上がった。味方から歓声が、敵から悲鳴が上がる。共通しているのは、驚愕。何故立ち上がるのか、何故立ち上がれるのか。何もかも、分からない。

山の神が、唾を飲み込んだ。賞賛の声を上げたのは、決着がついたと判断したからだ。妖怪であれ人間であれ、立ち上がれる状態ではない。


それは当たり前だったが、無意味であった。月村すずかは、こうして立っているのだから。


「何故、あのような人間にお主ほどの存在が臣従しておるのだ!?」

「剣士さんは、素晴らしい人です」

「人間なのだぞ!」

「はい、そうですね」


 会話にならなかった、会話なんて求めていなかった。孤高の存在は、他者に理解を求めない。成るがままに、成すのである。

いい加減、思い知っただろう――それこそが、"妖"なのだ。妖である事に、妖であろうとする事に、何の意味もないのだ。人が人であることに、理由なんてない。

だから、俺がさっき言ってやったのだ。これは妖怪と人との戦争ではない、俺とお前との決闘なのだと。


だってお前は――


「俺と同じ俗ボケした腑抜けなんだよ」

「儂が人間の如きであるというのか、貴様は!」


 ――この場にいるのは剣士になろうとする人間と、妖になろうとする妖怪。なりたくてなろうとしているだけの、腑抜け同士の喧嘩。本物の人間も妖も、最初からいなかったのだ。

異なっていたのは俺に自覚があり、天狗の長には無かった事。戦争なんぞ仕掛けてきた時点で、俺は見切っていた。だから、個人的な決闘で終わらせようとしたのに。

逆上する、山の神。偽りであると断じられたものが次にする行動は、あまりにも見え透いていた。


「ギア4」


 つまり、本物を殺す事――


「"凍爪"」


 破壊された、左の拳。骨を氷で造り、肉を水で覆い、神経を血で繋いで――襲い掛かってきた山の神を、引き裂いた。

天狗の長は、恐れるポイントがずれていた。月村すずかは恐れていたのに、妹さんは怖がらなかった。存在に恐怖するあまり、戦士である事を見くびった。

左の拳は使えない、そんな常識は彼女には通じない。


「ガ、ハ……夜の一族が、龍の……爪、だと……!?」

「はい」

「グフ……フ、フフ……何にも、拘らぬのか……フフ、フハハハ……何という存在であるか、妖よ。貴様こそ怪物――儂なぞ及びもつかぬ、絶対者よ」

「……」


 竜の爪に引き裂かれて、天狗の長は血を流して倒れた。長の陥落、天狗の失墜に一族の者達はその場に膝をついて悲嘆にくれた。

天狗の戦士達を見ると、龍の精鋭部隊が制圧しているのが見える。古来の戦士、恐るべしと言ったところか。鬨の声を上げていた。

何より高揚しているのは、魔龍の姫プレセア・レヴェントン。天狗を倒したのが竜の爪だったのだ、実に誇らしいだろうよ。

壮絶な戦いを終えた少女に、俺は歩み寄る。血に濡れた少女が、俺を見上げた。


「剣士さん……私は――」

「君は、俺の護衛だろう」

「はい、そうです」


「見ての通り、妹さんのおかげで怪我もしていないぞ」

「何よりです」


   護衛を、わざわざ労ったりはしない。自分は無傷であると、誇るだけ。ただそれだけで、月村すずかは口元を緩ませる。

月村すずかとは、何者か。


俺を守ってくれる、一人の少女である。













<続く>








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