とらいあんぐるハート3 To a you side 第十楽章 田園のコンセール 第三十二話
御堂音遠、思えば孤児院を出てからこの名前が頭に浮かんだ事は一度もなかった。懐かしむ間柄ではなかったし、思い出に浸る性分ではない。創愛の事だって気にかけていなかった。
外見も雰囲気も全く違っていたが、中身は変わっていなかった。お嬢様として美しく成長していても、人間の本質は簡単に変わるものではないらしい。
別にどうでもいい事ではあるのだが、ひとまず幸運に生きてはいるようだ。ガリも十代半ばで仕事に成功しており、デブは大貴族に嫁入りするお嬢様。どうあれ、あいつらは成功している。
不幸ではないというだけでも、彼女達は十分恵まれている。俺が出くわした事件の関係者は、どいつもこいつも悲惨だったからな。
「音遠と再会したのでしょう。実際に会ってみた感想を聞かせてもらえるかしら」
「百貫デブだったあいつが、何をどうしたらあそこまでグラビア体型に化けられるんだ。人間一人分の汗くらい流さないと、ああはならんぞ」
「痩せてはいないでしょう。今でもふっくらとしているわ」
「ムチムチと言うんだ、あれは――ガリ、俺も変わったように見えるか」
「あの子に何か言われたの?」
「カッコいいとか何とか馬鹿な事を、口走っていたぞ」
「貴方の事に執着していたからこそ、見ちがえた貴方に目を奪われてしまったのでしょう。私やあの子の今の容姿に驚いているのでしょうけど、貴方だって随分と変わっているわよ。
生活環境の変化が一番の原因でしょうけど、良い人生経験を送った証拠でしょうね。
とても素敵な男性になったと、私個人は思っているわ」
「ほほう、俺に惚れるなよ」
「十年前に言うべきだったわね」
もう十年も経過しているのか、時間の流れの速さには絶望させられる。そもそもこいつには出会った頃近付くなとまで言った気がするのだが、平気な顔して付いてきたぞ。
毎日鏡で見ていると自分の顔の変化になんぞ気付かんが、数年越しの客観視だと変化というものは生じているらしい。それでも当てにならないのは、こいつらはどうせ主観で見ているからだ。
結婚だの愛人だのと女性関係こそ豊かだが、容姿で好かれた事はあまりないからな。まあ人種の違いもあるので、外見で好意を感じろというのは難しいかもしれない。
そう考えてみると俺自身、女の容姿に人種による違いで醜さを感じた事は全くない。日本人だろうが、外人だろうが、人外だろうが、異世界人だろうが、出会った女達は本当に綺麗だった。
剣士なんぞという拘りを持っているのに、女に関しては国境がない価値観のようだ。剣についてももう少し、幅を広げるべきなのだろうか。
「あの子が正式に挑戦を受けたのであれば、正式な試合となるわ。立会人及び審判、主治医に保護者達、後は観戦者の方々が出揃う形となるわね」
「個人的には、俺とあいつで決着を付けたいんだがな」
「あの子も望むところではあるでしょうけど、周りが許さないわ。正式な手続きを経てこその、試合でしょう。私闘では、ほぼ間違いなく遺恨が出るわよ」
お互いに負けん気が強い上に、意地を張る。加えて啀み合っているとあれば、勝敗が決したところで因縁は延々と続いてしまう。
子供の喧嘩と違うのは、大人達が見届けている事。社会の責任を背負っている大人が許した戦いであれば、試合となる。勝敗が決せば、もはや言い逃れは出来ないだろう。
孤児院時代の奪い合いでは、基本的には何でもありだった。子供の何でもありは大人にとっては何でもないのだが、大人の何でもありだと無制限となってしまう。歯止めは必要だった。
ただ勝敗を決してしまうと――
「少し前に、俺と同一の女がいた」
「貴方と同じ性質の女性? 私以外にも存在しているというのであれば、驚愕だわ」
「お前と比較してみると、面白い見方が出来るな。並べれば外見も中身も全く違うのに、生き方は似ている。
ともあれ、そいつは……俺の娘と戦って、敗北した」
「敗北を知ったその人は、どうなったのかしら?」
「どうなったんだろうな、消えてしまった」
何もかも無くしたというのとは少し、意味合いが異なってくる。元々何もなかったからこそ、敗北して消えてしまった。孤独に生きている人間は、一人で倒れれば立ち上がれない。
生死も含めて不明だが、あいつらしい末路と言える。同情も何もしていないが、鏡を見れば否が応でも思い出してしまう。同じ人間だったのだから。
俺の話を静かに聞いて、空条創愛は薄く微笑んだ。
「その人も、あの子も、きっと大丈夫よ」
「どうしてそう思う」
「鏡を見れば、思い出すもの――自分以外にも、貴方がいる」
敵であろうと味方であろうと関係なく、自分と同じ人間がこの世に存在する。ただそれだけで孤独ではないのだと、ガリは冷静に告げる。デブも、この試合で潰れてしまう事はない。
さすが俺の幼馴染と言うべきか、少し感じた俺の懸念を見破ったらしい。もとより大層な説得なんぞしてやるつもりはなかったのだが、これで憂いなく戦えるというものだ。
あの魔女もまだ生きているのであれば、いずれ必ず気付くだろう。自分は一人じゃない、この世には自分と同じ人間と――ルーテシア・アルピーノという、手を差し伸べる他人がいるのだと。
そして、俺の理解者であるガリは真実を述べる。
「貴方は、自分の心配をするべきよ。貴方を倒す気満々の女性と、あの子を斬る意欲がない貴方では、勝敗は見えているわ」
「手加減してもらえないだろうか」
直近かつ最重要の課題であった。
「精神安定剤を飲めば、俺の精神も安定しないのか」
「患者さんの症状に合わせた処方は行えなくはないですが、そもそも抗不安薬に相当する向精神薬の一種ですので、良介さんの今の精神状態では勧められません。
不安を和らげて、気分を落ち着ける安定剤はあくまで薬による効果です。良介さんの精神状態は危険な状況下に置かれても安定してしまっているからこそ、危険なのです」
通院すると、既にフィリスに話は通っていた。俺が剣で戦うことには反対の立場であるフィリスだが、許可なく私闘を続けていた反動か、入念な段取りに基づいた試合と聞いてむしろ安堵していた。
毎回それほど心配させていたのだと思うと胸が痛むが、了解を得られるというのも複雑だった。正式な手続きによる試合であれば、彼女も許してくれるのか。何故もっと早くこうしなかったのか。
何より主治医の同伴という薬が、一番効いたらしい。海鳴大学病院の支援者達に俺達の保護者まで同席とあれば、彼女も俺に剣を一時返却する事を許してくれた。俺だと聞く耳も持ってくれないのに。
フィリスの診断の下で、竹刀袋を手にしてみる。
「いかがですか、良介さん」
「手元になかったというのに、戻ってきた安堵感が全くない。戦いが控えているという実感はあるのに、高揚感も出てこない」
「今良介さんが感じておられるように、精神状態はむしろ安定しているのです。症状は説明した通りで、状態も落ち着いています。
心の病気というものは気分の上下の変動ばかりではなく、常に一定である事が悪影響を及ぼす事もあるのです」
カルテに精神状態を記載して詳細を説明する、フィリス。精神状態の変動にまで触れたのは、俺が高揚剤などの処方を希望するのを予め咎めたのだろう。この人もまた、俺をよく理解している。
そもそも人間、やる気を出す方法自体は幾らでもある。剣だって別に、嫌いになったのではないのだ。戦いたいのであれば、戦いを盛り上げるようにすればいい。
一番わかり易いのは興奮剤などを飲んで、気分を無理やり上げる手段だ。人を斬る喜びや興奮を高めれば、自然と剣を振る意欲が出てくるかもしれないと考えた。
カウセリングのプロであるフィリスからすれば、精神病患者の安易な考えでしかないと言う。難しい話だった。
「要するに良介さんにとってその方は戦いたくはないですが、戦わなければならないお相手だということですね」
「全く持ってその通りだ」
「そうであれば話し合いの場を作ったその時に、ご本人にお気持ちを伝えた上で説得するべきだったのではありませんか」
「……全く持ってその通りなんだけどな」
放置すればエスカレートして絶対に自滅すると分かっていて、俺は何故挑戦状を叩き付けたのか。理由は勿論よく分かっているのだが、意欲が出ないのもまた事実。
多分俺個人の感傷や思いはさて置いて、俺の支援者であるカレン達や相手の支援者達は平和的解決を望んでいただろう。カレン達の場合、俺に傷ついて貰いたくないという一点に尽きるが。
ともあれ挑戦状を叩き付けて、相手を挑発までしてしまったのでもはや覆しようがなかった。フィリスも今更だと分かっているので、反省材料として促しただけだ。
次にフィリスが提案したのは、実に常識人らしい事であった。
「もしも試合に勝てば自分に何かご褒美を出すというのは、いかがでしょう」
「俺は子供か」
「良介さんは子供じゃないですか」
「何を言っているのですかという顔はやめろ!?」
「ふふふ、良介さんが男らしい方だというのは分かっておりますよ」
こいつ、俺が剣士でなければ絆されていたという自覚はあるのだろうか。フィリスのような美人女医に微笑まれれば、独身男性は簡単に転んでしまうのだというのに。
実に子供じみた提案ではあるが、馬鹿馬鹿しいと一笑しなかった。そもそも考えてみれば半ばあいつに無理強いされた戦いだというのに、俺に実入りもないのはどういう事なのか。
考えれば考えるほど、腹が立ってきたぞ。何で俺がタダ働きしてまで、いやいや戦わされなければならんのだ。フィリスに許可を取って、一時退室して携帯電話を取り出した。
携帯電話操作に慣れている剣士というのもどうかと思うが、もはや片手で扱える自分が悪かった。
『音遠です、どちら様でしょうか』
「おい、デブ」
『……少々、お待ち下さい。コホン……何故、私のプライベートナンバーをご存知なのでしょうか!?』
「ガリが教えてくれたぞ」
『あの子ときたら、全く……! 私とお話したいのであれば、どうぞお気軽に私を訪ねて下さいな。貴方であれば歓迎いたしますよ』
「家に放っているドーベルマンがお出迎えとかいうオチなんだろう、どうせ」
『フフフ、素敵なご冗談ですわね』
上品に笑っていながら、全然否定しないムカつく女だった。門前払いしないのが、余計に腹が立つ。犬に追われている俺を見て楽しむという、悪趣味な趣向である。
まあいい、デブの下品な趣味を詮索なんぞするつもりはない。
「試合を行うのにあたって、条件を出したい」
『条件と言いますと?』
「昔と同じだ。お互いに勝てば、相手から奪う」
――何も言わないが、携帯電話を強く握り締めたのが分かった。奪われ続けた女の悪夢である。
仮に大人になったとしても、子供の頃に感じた精神的苦痛は意外と残っている。嫌な思い出というのは、年月を経てもなかなか忘れられはしない。
まして雪辱を果たすことを至上としているのであれば、尚更に。
『私達はお互い、立場ある大人です。子供の頃のように無邪気に遊ぶような年齢ではないことは、お分かりでしょう』
「だからこそこうして、電話をした。事前に決めておけば、ルールだ」
『……いいでしょう。その代わりまず、私から条件を提示させて頂きます』
「分かった、言ってみろよ」
『空条創愛を、私に譲って下さい』
……は?
「俺に断ることじゃねえだろう、それは」
『貴方との関係を除いて、あの子は一切私に干渉しようとしません。何度もお誘い致しましたが、あの子にはいつも断られておりまして。
プライベートナンバーを受け取って頂けたのも、貴方との接点を考慮しての判断でしょう』
「……お前、本当に嫌われ者なんだな」
『貴方と私との昔からの関係が、あの子との関係に延々と尾を引いているのです! 何の他意もないというのに一線を引かれて、本当に困っています』
うーむ、確かに冷静になって考えてみるとガリは俺の付き人みたいなものだったから、毎日のように喧嘩していたデブと仲良くなんぞなれる筈がなかった。
デブがガリに一切手出ししなかったのは、貧弱だったガリから奪えないという判断かと思っていたのだが、あくまで仲良くなりたかったからだったのか。
皆から恐れられていたデブだったが、ガリは平然と略奪交渉を行っていた。ガリからすれば弱者である自分は殺されても仕方ないという卑屈根性だったのにすぎないのだが――
デブからすれば、気兼ねない態度のガリを友達のように思っていたのだろう。
「だからといって、俺にどうしろというのか」
『ですので、条件です。私が貴方に勝てば、あの子に貴方の口から私の事をくれぐれもよろしくお伝えください』
「お前に負けた俺が、お前のことを良く話すとでも思っているのか。俺を敗北させたお前を、ガリが友達と思う訳がないだろう」
『この条件を両者の合意である事を告げれば、あの子も納得するでしょう。
そもそもあの子は決して、貴方を愛しているのではない。結局のところ、貴方に依存しているだけです。
貴方が近い将来結婚するのだと知っても、あの子は平気な顔で結婚式の手続きを唯々諾々と行うでしょう』
「うーむ、リアルに想像できてしまうな」
子供達が居るのだと既に知っているが、実際あっても平然と抱き上げるだろうしな。あいつは恋愛や結婚なんていう、平凡な幸せを全然望んでいない。
自分が弱者であるという前提があるあいつは、生きているだけで恵まれていると思っている。逆説的な言い方になるが、あいつは弱さを自覚しているから、安定感のある精神的強さを持っている。
デブの言う通り、条件を提示すればガリはデブの友人として身を寄せるだろう。
「分かった、条件を飲もう」
『酷い方ですね、仮にも貴方を慕っている子を差し出すなんて』
「自分で提示しておいて、何を言ってやがる。それで、こちらの条件を言うぞ」
『お聞きしましょう。お金でしたら、提示された額を用意する準備がございます。それとも――私に、結婚をやめろとでも言いますか?』
……? 自分で婚約したと言っておきながら、何故俺に婚約をやめさせようとするのか。訳の分からん事をいう女である。
それにしてもどうしようか。法外な額の金を要求してもいいんだけど、俺が大喜びしても俺の金を管理するメイドがうるさく言いそうだ。俺の支援者達も、金の問題にはうるさい。
権力を取り上げる、すなわち家から出て行けというのは本末転倒だ。エスカレートして破滅するのを止めたのに、何もかも奪ってどうするのか。
考えろ。いやいや戦ってやるんだ、せめて剣の意欲が出そうな提案を――
剣、か。
「俺が勝ったら、高町美由希と再戦しろ」
『理解できませんね。第一あの方は、足を痛めているのですよ。再起には時間もかかるでしょう』
「安心しろ。片足を痛めた程度で、お前に負けるタマじゃない」
『っ……よろしいですわ、受けましょう。貴方との試合が、楽しみになりました』
「試合会場で待っている」
電話を切った――これでこの戦いは、"他人の為の"戦いとなった。
俺はあいつを、本当に殺してしまうのだろうか。
それとも――
試合が、行われる。
<続く>
|
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