とらいあんぐるハート3 To a you side 第十楽章 田園のコンセール 第二十二話
臨床心理学というのは、心理カウンセリングを行う上でその知識に基づく専門業務を行う分野である。精神障害や心身症に陥った人間に対し、心理的な問題や不適応行動等の援助や回復を目的とする心理学の一分野。
海鳴大学病院に所属するフィリス・矢沢はこの分野の研究を行っており、精神心理的な相談援助に務めている。医療の対象となる可能性のある患者への心理学的援助を目的とした医療だ。
ただ心理的問題や行動上の問題においては、必ずしも心理学的な援助や予防が効果をもたらす訳ではない。カウンセリングで患者が自らに向き合い、その作業を通じて新しい理解や洞察に自発的に辿り着かなければならない。
今までフィリスがしてくれたアドバイスとは違って、カウンセラーが患者である俺に対して明確な解決策を直ちに提示する事は原則的に難しいと言える。
「――つまり、剣への情熱が突如失われたという事ですね」
「身体の拒否反応や剣への拒絶反応は、一切ない。身体面及び精神面に一切不調は感じられないんだが、意欲だけは消えてしまった」
「その異世界ミッドチルダ、だっけ? 俄には信じがたいが、龍やガルダと呼ばれる化け物を倒した事への達成感じゃないのか」
「それは俺も考えたんだが――と言うかお前、割りと疑問を持たずに受け入れているな」
「魔法だの何だのは置いておくにしても、幽霊や妖怪の類は僕も知っているからな。忘れたのか、那美や久遠はうちの寮の住民だ」
「ああ、なるほどな。久遠や那美がいれば、そういう連中への理解も深まってしまうか」
三ヶ月ぶりの再会で盛り上がる女共を軒並み蹴散らして、この場を落ち着かせるべくフィリスにカウセリングを行ってもらった。医療となれば、フィリスは心強い味方だ。厳しく全員を諌めて、診断に入った。
自分の今の精神状態を説明するには、己の過去を打ち明けるしかない。夜の一族の契約や異世界の個人的な事情、時空管理局や聖王教会の極秘事項に関する事を除いて、自分の戦いの全てを語った。
他の先生に話せば頭が狂ったと思われるだろうが、世界で唯一このフィリスだけは人外の事情に精通している。異世界関連についても、ジュエルシード事件でお世話になっている。今更だった。
ただし蚊帳の外にいたフィアッセや、昔の俺しか知らないガリからすれば、お伽噺の世界でしかない。
「貴方達、こんな馬鹿げた絵空事を真面目に取り合うの?」
「確かに到底信じられない話かもしれませんが、私は多少事情を知っております」
「信じられないというのであれば、ボクはそいつと二ヶ月ほど前争いになって、実際に見せられている。信じるしかないのさ」
「……随分と他人に信頼を置かれているのね。貴方の法螺話に耳を傾けていたのは、私一人だったのに」
「だったら、お前も信じていると最初から言えよ」
「私が貴方を疑うなんてありえないわ」
そういえばこいつ、俺が天下を取ると豪語していた時正室になるとかほざいていたな。俺が嫌がったら、側近として頭脳面で支えるのだとめげなかった。痩せっぽちのくせに、頭が冴えた奴だったからな。
説明をしている間も要所要所で質問や指摘を欠かさなかった。口で言う程絵空事だと否定しておらず、何よりも誰よりも理解に努めていた。今度誰かに説明する時は、こいつに任せた方が早いかもしれない。
元々、日本における日常に頓着していない女だ。お伽噺の中の物語であろうと、俺が出演しているのであれば興味を示すのかもしれない。こいつの世界観は登場人物の許容範囲が狭いだけで、理解だけは世界の果てにまで及んでいる。
その点、フィアッセは実に分かりやすい。俺の武勇伝に、ひたすら一喜一憂してくれた。
「恭也よりずっと、リョウスケの方が危なっかしいよ。いっぱい怪我もしたんでしょう。危ない事はしないでと約束したのに」
「約束まではしていないだろう。お前の心配は分かるけど、戦いは避けられなかった」
「誰かを守る為に一生懸命になるのは分かるけど、帰りを待っている人がいることも分かってほしいな」
「勘違いするなよ、フィアッセ。俺は誰かを守るために、自分の命まで賭けたりしない。待っていてくれる人がいるから、どんな時でも諦めずに戦えたんだ」
「それがリョウスケなりの約束の果たし方だったんだね……すごく嬉しい」
「お前一人の為に戦ったわけじゃないから、顔を近づけてくるな――ソアラ」
「彼女面、禁止」
「ウプっ!?」
空気を絶対読まない無敵の幼馴染は、英国美女の熱烈な求愛行動であっても余裕で遮断してくれる。カルテを差し込まれて、フィアッセの熱いベーゼは妨害された。こういう時は頼もしい奴である。
フィアッセは長年の失恋で、心が傷ついている。拒絶してはいけないが、受け入れてばかりでも駄目。失恋したばかりの女に無条件で優しくするのは、男女関係における詐欺と同等だ。
心が弱った女ほど、付け入りやすいものはない。放置するのは大変危険だし、他の男に任せるのは大いに不安だ。俺が面倒見るしかない分、距離感は適度に保たなければならない。
カウセリングに来たのに、カウセリングさせられているのは妙な感じだった。俺の心境を分かってくれる幼馴染は、ワンクッションを置く意味でも助かる。
「先程から聞きたかったんだけどこの人は誰なの、リョウスケ」
「お付き合いを――」
「フィアッセ」
「うん、彼女面は禁止!」
「空条創愛、孤児院で共に過ごした彼の幼馴染」
「……幼馴染」
「性別が女だというだけで、思い入れはほぼ無いぞ。大事な人がいるなら、そもそも孤児院を出ていったりしない」
「フィアッセさん、と言ったかしら。この人は私の気持ちを知りながら、堂々と出ていって私を置き去りにしたの。長く待たされた貴方の気持ちは、実のところよく分かるわ」
「ごめんなさい、空条さん。貴女の事を、誤解していたわ。リョウスケは優しいけれど、本当に困った人だよね」
「ええ、女心を何だと思っているのかしら。男性にとって重視されるであろう女の容姿を、気にもかけない人なのよ」
握手してやがる、この女共。男は女の友情を壊す最たる要素だが、男絡みのトラブルというのであればこれほど強く連携するものはない。クソ、ソアラめ、ここぞとばかりに俺の人間関係に食い込んできやがる。
ガイコツとまで呼ばれた女がイジメの対象にならなかったのは無論あの母の教育によるものが大きいのだが、俺を主軸とした人間関係へ食い込んできた面も非常に大きい。
俺をネタに周りの人間関係に取り入って交渉を行い、自分の居場所を確保するのである。デブとの熾烈な戦いにおいても、俺につきまとっていたこいつは的にならなかった。デブも、こいつには手を出さなかったのだ。
まあ、人間関係の調整を行ってくれるのは正直ありがたいかもしれない。こいつのような調整役が居なかったので、三ヶ月前のすれ違いによる悲劇が起きてしまった。
「空条さん、今日はお忙しい中お呼び立てして申し訳ありませんでした。良介さんのカウセリングを行うべく、ぜひ協力して頂きたいのです」
「矢沢先生はカウセリングについては権威だと、伺っているわ。この人の為であれば、協力は惜しみません」
「感謝します。早速で恐縮ですが、お話を聞かせて下さい。無論事前に書面して頂いた内容通り、この場での話と致します」
「だったら、僕達は一時退席しよう。良介から直接、話せる範囲で聞かせてもらえばいいからね」
「診察の邪魔をしてごめんね、フィリス。少しの間、席を外すね」
「孤児院時代のことなんざ、話せることは知れているんだがな」
結局同じなんだから一緒に話せばいいと思うのだが、患者本人と患者を知る身内から聞ける話は異なるものらしい。考えてみれば俺は精神に問題のある患者だ、差異が生じるのはむしろ当たり前だった。
リスティ達と一旦席を外すが、余計な雑談は挟まなかった。フィアッセ達も久しぶりで積もる話もあるようだが、俺のメンタルを考慮して自重してくれた。海鳴はこういう気遣いの出来る人が多い。
人間一人の過去の話ともなれば、それこそ物語の主人公のように人一人分の冒険記が出来上がる。だが正直なところ、俺の過去は人に好かれそうな喜劇も悲劇も一切ない。
孤児院、親のいない子供達が集まる施設。悲劇を容易く想像できる場所ではあるが……俺が収容された施設には、あの宮本陽巫女が君臨していたのである。
とにかくあの女が、子供達のあらゆる不幸をぶった斬ってくれた。なまじ親がいる家庭よりよほど教育が行き届いており、豊かではなかったが心まで貧しくはならなかった。独特すぎるが、それでも大人だったのだ。
決して幸福ではなかった、それは断言できる。そもそも恵まれていたのであれば、剣士を目指したりはしない。人斬りなんてものが生まれるのは、結局人として何かが足りないからだろう。
ただ心を持って、生きてはこれた。自分の過去を卑下しないのも、他人に話せるのも、きっと孤独であれど不幸ではなかったからだ。
「国家の支援はあれど、児童養護施設の運営に関する問題は僕もよく聞いている」
「リョウスケはその孤児院の負担を少しでも減らす為に、一人出ていったんだね」
「いや、違うよ。今にして思えば、俺は旅に出る理由が欲しかっただけだ。美談であれば尚良し、結局俺は誰かに認められたくて大人の世界に飛び込んだんだ」
空条創愛は孤児院は既に潰れており、新しい児童養護施設として海鳴に再建すると言っていた。つまり俺が出ていったところで、あの孤児院の問題はどうにもならなかったのだ。
児童養護施設の運営問題は、何処にでもよくある話だ。慈善事業であれ何であれ、ガキ共を食わせるには金がいる。子供達がどれほど増えても、金が無尽蔵に湧き出たりはしない。
子供を捨てるのは簡単だが、子供を拾うのは難しい。このご時世だ、里親がなかなか見つからない。子供達がどれほど可愛くても、自分の食い扶持も稼げないのであれば結局は負担にしかならない。
何かのはずみで事情を知った俺は、何も言わずに孤児院を出ていったのである――自分の食い扶持を自分で稼ぎ、大人になるために。
「子供の頃は、剣を振り回して相手を倒せばお山の大将だ。なまじ自分が強いのだと拗らせてしまえば、手に負えなくなる」
「チンピラの発想だな……ああ、別に馬鹿にするつもりはないんだ。お前の言った通り、結構何処にでもある話だ」
「で、でも、リョウスケはそれで海鳴に来て、通り魔からなのは達を助けてくれたんだよ!」
「今にして思えば、あの爺さん相手にまぐれでも勝ってしまったのがその後の増長を招いたかもしれない。負ければ死んでいたので、今更どうこう言えないんだけどな。
道場破りで失敗した時に、思い知るべきだった。おかげで、延々と祟られてしまったよ」
通り魔は、有名な剣術道場の師範だった。俺はその道場に乗り込んで、試合を申し込み完膚なきまでに敗北した。そう、完全に敗北したのである。
その時に実力を思い知っていれば、その後に起きた数々の事件で無謀な戦いを行わずに済んだかもしれない。少なくとも、戦い方は変わっていただろう。
同じ失敗と敗北を延々と積み重ねたせいで、ジュエルシード事件に至るまで無謀を繰り返してしまった。アリサが死んで、やっと思い知るなんて我ながらどうかしている。
その後戦いを経て――自分の剣に対する意欲は、消えてしまった。
「すまないな、フィアッセ。お前を守るなんて大層なことを言ったのに、今の俺は剣を振るえそうにない」
「ううん、気にしないで。リョウスケは、私を十分守ってくれている。リョウスケが居てくれるだけで、私はとても安心できる」
「お前にばかり出しゃばれていたら、民間協力者である僕の立場がない。僕もあの事件後は意欲を失って、鬱屈していたんだが……フィリス達が励ましてくれたからこそ、立ち直れた。
お前が剣を振るえなくなった理由は、僕には分からない。何となく想像は出来るんだが、回答としては人並みだ。フィリスに任せた方がいいだろう。
ただ応援はしているし、力にはなりたいと思う。こういう話で良ければ、いつでも相談にのるよ」
「ありがとう、二人共。話を聞いて貰えただけでもよかったよ」
リスティが言う想像というのは、実を言うと俺にも見当がついた。剣が振るえないのではなく、剣が必要なくなっている。他人を傷ついた力を疎んだ、彼女なりの推察だろう。ご明察だ。
必要としなくなっているのは、ひとえに多くの仲間がいるからだ。一人だと剣に頼るしかないが、一人でなければ剣がなくても戦える。少なくとも、戦うことを諦めたりはしない。
ただ腑に落ちないのは、俺が第一に頼るのはやはり剣だ。強敵が現れたら仲間達の連携は不可欠となるが、この手にあるのは剣なのだ。平和だからといって、簡単には捨てられない。
平和に馴染んでいる、人斬りから人になりつつある。多分そういうことなんだろうけど――
少し待っていると、フィリスの聞き取りが終わった。ガリから話を聞いたフィリスは、少し思い詰めた顔をしている。
「本日の診断は以上となります。初診の結果を説明しますので、良介さんのお母様をお呼び下さいますか」
「別に、こいつでいいだろう」
「いえ、ご家族の方を呼んで下さい。良介さん、今の貴方は大変深刻な状態です」
「深刻……?」
「良介さんは勘違いなさっています。剣に対する意欲が失われたのではありません、剣に対する姿勢が変わってしまっているのです。
かの聖地による戦いで、貴方は自覚なくチャンバラごっこを卒業してしまい――敵を斬る、"剣士"になっている。
意欲が感じられなくて当然なんです――今の貴方は、躊躇なく敵を斬れるのですから」
<続く>
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