とらいあんぐるハート3 To a you side 第九楽章 英雄ポロネーズ 第九十四話
決めるのにこれほど多くの時間を費やしたというのに、決まってしまえばあっと言う間だった。聖王教会から大々的に護衛の名が発表されて、聖女本人からローゼに栄光の冠が与えられた。
白いロウソクの冠を被り、同じ扮装をしたシスター達と一緒に行進。このロウソクは生命を奪うことを拒む、火の象徴。平和への祈願として、ベルカ自治領の美しき情景を灯す。
闇の中から光が現れるこの儀式では、ロウソクが点される事で全ての電灯が消されている。荘厳なる儀式は歓喜と共に彩られ、平和を喜ぶ人々の祈りで満たされていた。
事前に俺から人々に広く伝えていた事もあって、聖女に選ばれた救世主の存在は華やかに迎えられていた。とはいえ予言の成就と聖王の降臨を告げる教会に抜かりはなく、教会の絶頂期を示していた。
あわよくば歩めていた栄光の道を自ら降り、英雄の座を拒否した事で自分に与えられたのは自由ではなく、安堵だった。有頂天でも落胆でもなく、自然に脇道から見送れていた。
名誉に興味が無いといえば嘘になる。昔から侍が剣を取って望んだのは、立身出世だ。天下なんぞと大層にほざいていた自分だって、結局は目の前の栄光に憧れていたのだ。
人を斬って強くなり、強くなることで人から認められている。それでいて人を望まず、自分で在り続けて、天下の極みに達する。"聖王"という冠があれば、天下無双を名乗れていただろう。
自分の夢を、あろうことか他人に譲ってしまった。挙句の果てに剣は一度捨ててしまい、主人公を席から見つめる観客に成り下がっている。大勢に混じった凡人でしなかった。
自分の夢を自らの口で語ったことのある少女が、寄り添うように告げた。
「もう二度とない機会を、自分で捨ててしまったわね」
「……」
「"聖王"陛下であれば、堂々と民の前で天下人を名乗れた。権威は失墜していないけれど、人を望んだあんたにもう道はない」
アリサが述べる客観性は、多くの人達の認識そのものだ。祈りを捨てずとも信仰を失えば、人は神を必要としなくなる。神は人に寄り添うことで、人間となって俗世へ下る。
信徒達は今も自分を"聖王"と認識している。多くの民は自分を陛下と崇め、慕ってくれている。さりとて天下人とは名乗ってこそ成立する。その機会を失えば、没落は必然だった。
象徴であり続けようと、崇拝の対象でしかないのであれば偶像と変わらない。信仰の拠り所となろうと、王であることは最早変わらない。あの席こそ、勝者の証だったのだから。
かつて廃墟で幽霊に語った天下への夢、栄光の座を用意してくれたのは人となったこの少女だというのに。
「ディアーチェを守るために、俺は自分から剣を捨てた」
「……あんたが自分から、剣を捨てたんだ」
「あの時、大勢は決した。剣より望むものがあるというのであれば、剣による出世など到底望めないと悟ったんだよ」
元よりローゼを護衛とする為であったとしても、何の言い訳にもならない。戦場で自らの命が脅かされたのに、俺は自分よりも誰かを守るために剣を捨てた。
才能がないとか、自分自身が弱い事など問題じゃないほどに、決定的な理由となったのだ。この先自分の人生がどれほど長くとも、今この瞬間を掴めないようでは駄目だろう。
どれほど強くなったとしても、栄光とは簡単に手に入れられるものではない。魔龍が討伐され、神を制した以上、敵はいなくなってしまった。同じ機会は二度と巡ってこない。
それでも俺は、安堵していた。
「アリサ、俺は家に帰るよ」
隣で見上げるアリサの瞳が悲しみに揺れて、憤りに唇が噛み締められる。世界の誰よりも聡明なこの少女は、俺の言葉の意味するところを十二分に理解していた。
侍が夢を捨てて家に帰ってしまえば、農民に成り下がってしまう。戦場で命拾いしただけの武士に、何の栄誉もありはしない。民となり、地を踏みしめて生きていくのみだ。
責任の所在も、王としての責任も、リーダーとしての役割も、多くが此処に残されている。問題は山積みで、成すべき事が数多くある。目を逸らすつもりはない。
白旗は、勝利した。けれどこれから俺が行っていくことは、心情的に言えば敗戦処理でしかなかった。
「俺は満足だよ、アリサ。幼い頃からのチャンバラごっこが描いた夢は、形にまでなってくれた。俺は自分の夢を、自分の目で見ることが出来たんだ。
こんな経験が出来る人間なんて、歴史を振り返ってもさほど多くない。俺が語った剣の空想を、お前の叡智が叶えてくれたんだ。
ありがとう、アリサ」
「あ、あたしは夢を叶える手伝いをすると約束したから――でも、叶えてあげられなかったわ」
「俺が自分で選んだ事だよ、お前の失点じゃない」
「他人と寄り添う手段をあんたに選ばせたのは、あたしよ。あたしがあんたを変えてしまったのであれば、あたしがあんたの夢を捨てさせた事になる!」
「知っていたはずだろう、アリサ――俺の法術は、自分の願いを叶えられない」
聖王教会へ行けば、法術について知り得る。聖典を読むまでもなく、プレシア・テスタロッサの助言は明確に法術の本質を教えてくれた。
自分の願いは、決して叶えられない。栄光が目の前にまで訪れたのに、法術は何一つ発動しなかった。真っ白な頁には、何の願いも刻まれずに夢は終わってしまった。
俺はプレシアを魔女だと以前に罵ったが、存外、的を射ていたかもしれない。魔女の恐るべき宣告は実現して、俺はついに自分の夢を失った。
法術が叶えた願いはメイドであり、仲間達であり、家族であり――ローゼだった。俺一人だけ取り残したまま、願いは消え失せてしまった。
「お前の願いは叶えられただけでも俺は満足だよ、アリサ。お前がいてくれたから、俺は夢を見ることが出来たんだ」
「っ……だったら、こうして一緒に見ててあげる。あんたと一緒にずっと、見ててあげるから!」
「ああ、そうしてくれ」
涙を滲ませたまま強く笑いかけるアリサは、ロウソクの火よりも美しく見えた。火はいずれ消えてしまうだろうが、アリサは消えずに残ってくれる。
話している間にも、ローゼは儀式の中心へと歩み去ってしまった。こうして栄光の道は消えて、英雄の座は他人が座ってしまった。自分の夢は、終わったのだ。
夢が叶えられなかったのであれば、男は家に帰るだけだ。都会で夢破れて田舎に帰るなんざ、何とも俺らしい落ち武者ぶりじゃないか。目的を果たして夢破れるなんて、笑ってしまう。
おふくろは、馬鹿にするだろう。
デブは、それ見たことかと唾を吐くだろう。
ガリは、黙って溜息を吐くだろう。
――帰るとしよう、夢破れたのなら。
蝋燭の炎が消えたその時には、アリサは元通りのメイドとなっていた。自分の役目を果たすべく、三役やリーゼアリアと今後について話し合うべく対応へと出向いていった。
完全に置き去りにされたわけだが、俺が故郷へ帰るための準備へ出てくれたのだと分かっている。自分の家に帰るのに、多くの手続きがいるというのも変な話だった。
異世界へ行く時よりも、自分の世界へ帰るほうが一苦労というのは笑える。行きと帰りでこれほど自分の身辺が異なるとは、夢にも思わなかった。何処が故郷なのか、分からなくなる。
ともあれ、自分の夢が終わったのであれば気軽な話とも言える。それは夢を叶えた者達にとっても、同様の心境だろう。
「相変わらず、腑抜けた顔をしてやがるな」
「アギトか、最終調整は終わったのか」
「ようやく面倒な検査が全部終わったよ。あー、ダルかった。これで無罪放免だ、せいせいする」
バハムートを道連れに自爆したアギトは、シュテルに救われたとはいえ大ダメージを負ってしまった。半壊してデバイスの根幹まで歪んでしまい、精密な調整を余儀なくされたのだ。
不幸中の幸いとでも言うべきか、ジェイル・スカリエッティという稀代の天才がいてくれたので完璧な修復と調整が行われた。ウーノの調律はずば抜けており、アギトはすぐ調子を取り戻した。
俺が聖地を巻き込んだ大立ち回りを繰り広げたせいで、バハムートを倒したアギトの勇姿への目撃者も多かった。魔龍を倒した伝説のデバイスとして、烈火の剣精は現世でも名声を手に入れた。
アギトの場合容姿も暴力的な美に仕上げられた融合機なので、尚更に人気が高い。家に閉じ籠もる気性でもないので人目につき、余計に評判が立つ始末だ――その知名度が、管理局を及び腰にする。
かつて違法研究所から救い出されて、捜査協力を強要されたアギトは反抗的な態度で問題視されていたのだが、この聖地での活躍が汚名を吹き飛ばしてしまった。
強制召還する事は到底叶わず、そもそも極秘捜査の証言強要による立場の危うさだったので、表の名声を手に入れてしまえば管理局は手出しできない。相手の縄張りの中にいる点も大きい。
自治領の寛容性を求めて連れて来たのだが、本人が立場を確立してしまったという自立性の高さだった。何だか一方的に助けられただけに、少々心苦しい。
もっとも向こうは俺を弱者だと分かっているので、態度は元からでかいのだが。
「メガーヌ捜査官からも、捜査協力の感謝が届けられたぞ。捜査の進展も大きいのでこれ以上の任意は求めないとさ、管理局としてはそう言うしかないんだろうけど」
「あの姉ちゃんはともかく、連中は救出した恩を嵩に取り調べも乱暴だったからな。協力なんぞ、もう願い下げだ」
「此処にいれば安泰だが、仮に此処を出て行っても管理局からの強制はもうないだろう――アギト、お前はもう自由だ」
「あー、つまりお前との契約も終わりということか」
待望の自由という意味では、アギトもまた願いを叶えられた者の一人だ。夢の地で願いを叶えた彼女は、この現世でも剣精の名を確実のものとした。
彼女本人が望まずとも、彼女ほどの知名度と武勇伝があれば自ら望む術者も多いだろう。備わった機能性は高く、術者としても実力を持っている。破格のデバイスだった。
だというのに、本人はあまり気乗りしない様子だった。当然のように受け止めていながら、安堵の声は湧き上がってこない。明日の天気でも聞いた様子だった。
そのまま普通に聞いてくる。
「お前はこれからどうするんだ」
「家に帰る」
「かっかっか、落ち武者にはお似合いだな」
げっ、一声聞いただけでどういう意味なのか理解している。日本の常識だけではなく、俺個人の信条に至るまでもきちんと分かっているということか。
剣士と侍の違いなんてチンプンカンプンだったくせに、いつの間に覚えたのか。教えた奴自体は分かっている。あのゲーム女以外に、こんなくだらない事を融合機に教える奴はいない。
夢破れてアリサは悲しんでくれたが、アギトは単純に笑っていた。どういう意味なのか分かっているからこそ、腹を抱えられるのだろう。口を開けて笑えるのだろう。
剣を捨てるからそうなるのだと、直接目の当たりにしなくても剣の精霊は分かってくれた。
「どうするんだよ、畑でも耕すのか」
「こっちでもやることはまだまだ多いから、隠居生活は難しいな。問題を解決していきながら、今後どうしていくのか決めるつもりだ」
「王様の座を蹴っておいて、自分の将来を考え直すのかよ。弱っちいくせに、贅沢な野郎だな」
言われてみれば、その通りだと思う。夢が消えてしまったのは悲しいが、夢を捨てたのは自分であるだけに、選択する余地は確かにあったのだろう。
どのみち剣を捨てた時点でどうにもならなかったのだが、せめて自分で掴めそうだった事は祝おうと思う。叶えられずとも、夢見ることは出来たのだから。
笑っているアギトに、質問を繰り返した。
「それで結局、お前はどうするんだ」
「此処に居たらうるせえ連中が多いから、とりあえずお前のところへ行くよ」
「えっ、自由を手に入れられたのに?」
「自由なんだから何処へいこうと、アタシの勝手だろう」
「別についてくるのはいいけど、俺と一緒にいてももう戦う機会はないぞ」
「アタシはそうは思えないね。この平和な世の中で剣をぶら下げている限り、お前はいずれまた自分の宿命と戦うよ。それは嫌なら早く、ゴミ箱にでも捨てるんだな」
――聖王オリヴィエの霊を含めて、アギトは神妙に述べた。剣を一度捨てたとしても、剣を志している限り、剣で斬る機会はまた訪れる。
同じ夢はもう見れないというのに、似たような敵はこれから幾らでも現れるのだとアギトは呪う。剣を持つ者の宿命なのだと、剣の精霊が常識を物語った。
ならば剣の精霊が同行するのは必然なのだろうと、本人は語る。アギトは自由だった、自由な意志で自分の運命に心地良く流れている。
契約は終わったとしても、剣を持っていれば剣精には取り憑かれる。お互いの宿命だった。
「アタシには自由な意志があるからな、捨てても無駄だぞ」
「なるほど、大した剣精だな」
こうして夢は失ってしまったが、剣はいつも通り残された。夢のために振るわないのであれば、これから先は何のために剣を振るうのか。
好きであることは動機であって、理由ではない。理由がなくても戦えるが、理由がなければ願いは持てない。自分という剣士は、これから何処へ向かうのか――
道に迷ってしまったのならそれこそ、家へ帰るべきだろう。
<エピローグへ続く>
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