とらいあんぐるハート3 To a you side 第九楽章 英雄ポロネーズ 第八十四話




 天狗一族を敵に回したあの時から、夜の一族の協力を得て人外に関する知識を学んでいた。天狗一族との抗争で城島晶を巻き込んだ手前、今後人外の敵に対して無知である事は罪だと痛感したからだ。

事の善悪を問える人間では無い為、悪鬼羅刹に限定していない。魔族の天敵である神族、この世で神と称される存在についても調査を行った。聖地へ向かう目的もあり、神についても精通しなければならない。

そうして知識を貯めこんでおきながら、肝心な場面で生かせない俺はとことん頭が悪い。ノアの証言や聖女の予言というヒントを得ていたのに、頭の中で無意識に否定していたのだ。


天狗とは、神話のガルダを前身とする仏法を守護する迦楼羅天が変化した存在――すなわち、敵が神である可能性を。


「異世界ミッドチルダが出身か、地球から異世界へ渡り歩いて来たのか。一体どちらなんだ、守護神さんよ」

「我の起源を問い質すとは無礼かつ不敬であるぞ、天の遣いよ」


 ――少なくとも、俺の出身を確実に知っているようだ。驚きはなかった。次元世界の歴史は長い。安全に地球から異世界へ渡る手段が確立されている以上、神が精通していても別段不思議ではない。

現状における天狗一族との繋がりは不明だが、夜の一族という例にあるように、人外の寿命は人類よりも長い。何らかの形で繋がっている可能性も否定出来ない。カレン達も異世界の調査を行うと言っていたからな。

俺を"聖王"とは呼ばず、敢えて天の遣いと表現したからには、異界からの渡航者である事は見破られている。となれば当然、"聖王"ではない事も熟知している。


猟兵団の勢力が一向に衰えず、この期に及んで牙を尖らせていたのも団長という最高戦力があってこそだったのだ。


「久方ぶりに目の当たりにしたが、どの世界であろうと人とは変わらぬものよ。神を忘却しながらも、神を畏れる心を生涯捨てきれぬ」

「聖地と呼ばれるこの地を巣としながら、人の信仰に疑問を投げかけるのか」

「貴様を神と崇める無知蒙昧を、この我が肯定せよと申すのか」


 迦楼羅天、インド神話にも登場する炎の如き光り輝き熱を発する神鳥。人を遥かに超える体躯から放たれる圧倒的な存在感と美しき彩色は、神々しさに満ち溢れていた。人は見上げ、神は見下ろす。

半鳥半人の恐ろしい御姿をした神鳥の王は、人の欲望に濡れた大地へ舞い降りようとはしない。美しい翼を持つ者、スパルナの呼び名は伊達ではないらしい。欲望から隔絶した存在であった。

梵天や大自在天、文殊菩薩様の化身とまで呼ばれる神格者は、荘厳と戦場を見下ろしている。敗者となった猟兵団の面々に視線を向けても、さしたる感情は見いだせなかった。


当然であろう。猛禽類は特筆すべき個であるが、鴉は集団を持って強者と成り果てる。紅き翼の一枚二枚もがれても、鴉本体がいる限り再生出来る。


「ごめんなさい、団長……貴方から団を任されていながら、この体たらく。貴方の嫌いな俗世に再び戻してしまった、申し開きも出来ないわ」

「エッテを責めないであげて、ガルダ。白旗が、化け物揃いだった」

「かまわぬ。"穢れし妖狐"がこの地へ連れ込まれた時点で、我自ら出向くべきであろうと決めていた」


 ――穢れし妖狐。聞き慣れぬ呼び名であろうと、聞き違える愚かさは既に捨てている。迦楼羅天が降臨した時点で、あらゆる絶望を受け止める覚悟は出来ていた。もとより懸念はあったからだ。

ディアーチェから渡された竹刀を、握る。柄尻を強く握り締められない。体力の消耗は分かり切っていたが、ノアとの交戦が肉体の疲労に拍車をかけた。握力まで麻痺してしまっている。

プレセアとの決戦で、剣士として戦う体力を失った。団長との決闘で、バリアジャケットを編み上げる魔力を失った。ノアとの交戦で、人間として戦う気力を失った。魔女の奇襲で、生物としての生命力を失った。


あらゆる力を失った俺にはもう、何も残されていないのか――否。


「迦楼羅天、お前がこの戦場へ現れたということは」

「感謝するがよいぞ、天の遣いよ。聖地を脅かす魔は、この我が滅した。貴様が養っていた怪物、貴様が飼っていた化物、貴様が侍らせていた退魔――あらゆる因果を、この世から断ち切った」


 神は、あらゆる存在に対して平等。等しく情けをかけ、等しく死を与える。味方を愛し、敵を滅する。穢れし妖狐が討伐されたのであれば、狐を保護する者達もまた討たれなければならない。道理であった。

天罰とは常に、情け容赦無ければならない。神罰とは常に、平等に与えられなければならない。別け隔てなく愛し、別け隔てなく殺す。人は生まれ、そして死にゆく存在。神にとって、過程に意味は無い。


穢れし妖狐――久遠が討伐されたのであれば、久遠を守る那美も殺されたのだろう。那美が殺されたのならば、那美を守ろうとした人達も全て討たれた事になる。魔も人も、罪なる存在で一括りされる。


絶対者の宣告に、あらゆる存在が平伏している。妖魔達は魔女と同じく滅され、強者達は弱者のように平伏し、白旗の面々は等しく震え上がっている。格の違いに、魂が恐怖している。

ゆえに、神。ゆえに、人。人は神を見上げ、神は人を見下ろす。その差こそが、絶対であった。


「天の使いよ、我は貴様が人である事を知っておる。貴様は、只人であろう」

「なるほど、お前は間違いなく神であるらしい。聖女の予言は今ここに、叶えられた」


「……貴様、何故我を怖れぬ?」


 この地に一人俺が立ち、この天に一人神が飛んでいる。強敵達は神を見上げて平伏し、仲間達は俺を見つめて平服している。戦場に残されたのは神と人のみ、そして勝者は常に一人である。

空になった竹刀袋を取り出して、竹刀を握った手に強く巻いた。試しに上下して、ひとまず斬れる事を確認。握力はもう利かないが、最低限触れるように確保しておいた。

バリアジャケットは解除されているが、風神の篭手だけは装着されている。人でも神でもない幽霊は、役割を果たそうとしている。感謝はしなかった、道具に徹するのであれば必要はない。


俺は、剣を掲げた。



「俺は、剣士だからだ」



 あの夜から、心に決めていた――アリサを救わなかった神に、慈悲など請わない。どんな奇跡も、あらゆる願いも、自分で叶えてみせると決めたのだ。


剣士とは、斬る為の存在。敵であるのならば、誰であろうと等しく斬り殺す。神様であっても、平等に斬る。情け容赦なく、一片の慈悲もなく、あらゆる手段を講じて斬り殺す。

俺には魔力はないが、アリシアには霊力がある。風神の篭手を解放、夫の意を汲んだ花嫁は、草原をなびかせる風を生み出した。そよ風は葉を回し、駿風は剣士を空へと舞い上げる。


上空へと踊りかかった人間を、神はせせら笑った。春風なんて、偉大なる神の羽毛も揺らせない。


「天の使いよ。人間よ――剣士よ。恐れ多くも、神である我を斬り殺そうというのか」

「袈裟切り!」

「疾く消え失せよ、愚か者め」


 赤き翼の一凪ぎで、羽毛のように吹き飛ばされる。振り払われた刃は竹刀袋で結ばれているので、何とか手放さずに済んだのが救いか。手に剣を持ったまま、墜落していく。

空中戦は、先のプレセア戦で嗜んでいる。上下感覚を失わず、空を蹴って、篭手で宙を殴り付ける。生み出された風が態勢を立て直して、真下から神を蹴り飛ばした。

一切の痛みを与えられなかったが、体勢を崩すことだけは成功。剣術の基本である唐竹を囮とし、左薙ぎを持って赤い翼を凪いだ。傷さえ付けられないが、斬られた跡が残った。


魔であれば、屈辱であると怒る。神であれば、名誉であると讃える。


「人は刃を手にすることで、自然の脅威に立ち向かった。歴史に沿うのであれば、貴様が剣を取って我と戦うのは人の道理であったか」

「左薙ぎ!」

「だが、未熟。只人の域を超えてはおらぬぞ、天の遣いよ」


 右側に出るイメージで打てど、右足を出す位置で見破られる。放った剣撃は空撃の如き鼻息で、打ち返されてしまう。その上立て直そうとした瞬間に、続けて首筋に撃ち込まれてしまった。

息が詰まる猶予も許されずに、そのまま墜落。空中でバランスが崩れれば重力に支配され、アリシアによる風の援護も逆効果。空気との摩擦で風が狂い、墜落スピードを早めるだけだった。

そこへ、竹刀を振り上げる。固い衝突音、追撃を仕掛けてきた迦楼羅天が、初めて目を丸くする。追撃を防がれたことに、驚愕している。ありえない体勢からの、あり得ない太刀。攻撃も防御も不可能。

分かっていたのではない、俺ならそうすると予測していただけだ。一片の慈悲もなく、人を殺す――剣士も、神も、その一点においては同じなのだから。


無理な大勢からの反撃は、代償が大きい。墜落する速度が急激に高まり、みるみる地が見えてくる。叩き付けられれば、それこそ容赦なく死ぬだろう。


「我が騎士、アナスタシヤ・イグナティオスよ!」

「ご命令のままに!」


 人間を舐めるなよ、迦楼羅天。どれほど神が畏怖するべき存在であろうと、人は信仰を持ってすれば立ち向かえる。祈りのままに、使命を抱いて戦えるのだ。

平伏していた騎士は主の命を受けて立ち上がり、瞬速を持って駆け付ける。彼女の手には白き旗、紅き鴉へ向けられた平和の象徴が雄大にたなびいている。神を前に、不遜にも平和を説いている。

白旗の天辺に急降下した俺が舞い降りた瞬間、聖騎士が白き旗を大きく振って――再び、俺を大空へと舞い上げた。


墜落した時の速度を優に倍は超える、飛翔速度。神に仕える騎士ナスタシヤ・イグナティオスの腕力に、神本人が度肝を抜かれていた。


「逆風左薙ぎ!」

「稚拙であると言ったぞ、只人よ!」


 剣術の斬撃で速い唐竹を打つコツは、神にとって児戯に等しい。アリシアの霊力が籠められた一撃であろうと、神撃には到底叶わない。打ち込んだ一閃を、蹴撃をもって返される。

その点こそが、迦楼羅天であるこいつの認識だった。鷲の如き獰猛な鳥類は空中戦に長けているが、地上戦には慣れていない。そもそも地上で戦う必要性もないのだ。

ゆえに空中で地上戦の型取りを行われても、空中戦の技量を持ってしか返せない。鷲の一打は雀をもぎ取れるが、ツバメの剣閃には太刀打ち出来ない。


剣術は単純なスピード勝負じゃない、ほんの少し動かすだけでも竹刀の剣先が大きく動くのだ。


「もらった、右薙ぎ!」

「――っっ……只人が、神に傷をつけおったか。ならば我も神として貴様の相手をせねばならぬな――見よ、我が炎"迦楼羅焔"を!」


 迦楼羅天の吐く炎、迦楼羅焔。それすなわち、迦楼羅天の真価。二十八部衆の一神である迦楼羅天とは、金なる炎の化身そのものなのだ。


天を覆い尽くす、炎の怪物。金なる豪炎で生み出された巨人、神鳥の王。もはや、斬る斬らないの次元ではない。富士よりも巨大な山を相手に、どう斬ればいいというのか。

ユーリ達が恐れていたのは、彼女達にはこの真価が見えていたからだろう。実力差よりも前に、この強大さを恐れていたのだ。人であれば何者であろうと、己より大きなものを本能で恐れる。


空中で勢いのまま阿呆のように飛んでいる剣士を、迦楼羅天は睨みつける。


「愚かしくも弱く、逞しき只人よ。我が渾身の炎を持って、汝を浄化しようぞ」

「……久遠達を浄化したのは、この炎か」

「我は煩悩の象徴である毒蛇を食らう守護神よ。病難消除、魔は焼き尽くすのみ」


「ならば俺は、信を持ってお前に挑むとしよう」


 確かに神と比べれば、俺は無力だ。体力も気力も魔力も、生命力に至るまで使い果たした。戦う力は元より残っておらず、立ち向かうのは無謀に尽きる。

剣士は人を斬るべく、あらゆる手段を講じて立ち向かう。だが何の勝算もなく、剣を振り回すのではない。剣士は決して、剣を玩具のように扱わない。必ず斬るという意志を持って、剣を振るのだ。


あらゆる力を使い果たしたこの俺が何故尚も、剣を振る力が残されているのか――その根源を、神であるお前に見せてやる!



「ナハトヴァールーーーーー!」





「がおー!」





 ――声とは、動物の発声器官。声帯を震わせて、空気を振動。そう――空気を、"振動"させるのである。


   可愛らしい声とは裏腹に、凶悪に震わされた空気の振動は破壊力を生み出して、天まで覆う炎を容赦なく蹴散らした。酸素を燃やす炎も、空気を空間ごと振動させられては鎮火するしかない。

恐るべきは周囲一帯ではなく、限定範囲で空気の超振動を起こした点。圧倒的な力を暴走させるのではなく、無垢なる強烈な意志を持って制御する。明確な意志があってこその、超破壊。

強大な焔が消し飛んだ迦楼羅天は元の姿に戻り、空気の振動で墜落スピードを緩めた俺はそのまま着地。敵は憎々しげに、この子を睨みつける。


口に久遠を咥え、背中に目を回した那美を乗せた――我が子、ナハトヴァール。


「……不動明王さえ押さえつける我が封印を徹底的に施したというのに、たったこれだけの時間で破壊したのか!?」

「あははー」


 ユーリ・エーベルヴァインが言っていた聖地の備えとは、やはりナハトヴァールの事だったのか。団長が今になってきたのは妙だと思ったが、この子が抑えてくれていたようだ。

俺は別に分かっていて、呼んだのではない。信頼していたから、呼び出せたのだ。那美も、久遠も、この子も、必ず生きているのだと、俺の方から初めて信じてみたのだ。

家族を信じていたから、俺は自分の剣を振る事が出来た。ディアーチェの為に剣を捨てたあの時に、俺は自分の中にあった想いに気付けた。馬鹿馬鹿しい限りだが、どうやら本当にあったらしい。


自分ではなく、仲間達の為でも――俺は、剣を振るえるのだと。



久遠と那美をユーリ達に預け、ナハトヴァールは元気よく俺の背中に飛び乗った。



「行くぞ、ナハトヴァール。これが、最後の戦いだ」

「おー!」










<続く>








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