とらいあんぐるハート3 To a you side 第八楽章 戦争レクイエム 第四十五話
期待はしていなかったが、護衛を申し出た程度ではフィアッセの声は取り戻せなかった。泣いて喜んでくれたものの、溢れる熱い涙とは裏腹に、優しくも綺麗なあの声は一切出ない。
無理に回復を求めても本人の負担になるだけだったので、無理強いはしなかった。今の容態を聞くのに留めた上で、レンやフィリスのお見舞いへ彼女を誘う。
フィリスは死んだのだと言い切った彼女は、案の定いい顔はしなかった。彼女は決して、見捨てたのではない。見捨てそうになるほどに絶望的で、現実を直視できなかったのだ。
フィアッセを取り巻く状況は、地獄の一言である。家庭は既に崩壊しており、友人知人は不幸のどん底、好きな人は他の女に目を向けている。正視するに堪えない、現実であった。
俺の仕事は彼女の不幸を残らず切り裂いて、幸せにする事になる。恋人ではないので愛溢れる未来は与えられないそうにないが、希望ある今を取り戻す事はできる。
彼女を幸福にする具体的な打開策は今のところないが、彼女を不幸にしている要素を一つ一つ整理するのは可能だ。不幸の棚卸しは、自分自身の経験で慣れている。自慢は出来ないけど。
海鳴大学病院へ行くのを拒む彼女に、俺は敢えて気軽な態度で彼女の不安を取り除くべく説得する。
「大丈夫。レンはそもそも手術に成功しているんだ、病状が悪化することはもうないよ」
『でも、お医者さんから発作を起こしたと聞いたよ?』
「違うよ、フィアッセ。レンの奴が、心臓の発作だとナースコールしたんだよ。心臓はデリケートな上に、手術した後だからな。
精神的な負担が強くかかってしまうと、発作に似た症状が出てしまうらしい。今は回復に向かってる』
フィアッセを励ます嘘ではなく、本当である。もう少し詳細を述べると、患者の言葉を鵜呑みにした先生の診断にも問題はあったのだ。診察してもらって、症状がハッキリした。
担当医も決して無能ではないのだが、難しい心臓手術の後とあって患者に対して過敏になっていたんだろう。実際、その後レンは発作も何も起こらず、劇的に回復に向かっている。
不安をメモ書きするフィアッセを明るく励まして、次に友人が一人もいなくなった彼女に俺の心強い仲間を紹介する。
何とか説き伏せて病院へ連れて行く道中に、妹さんやローゼ達を紹介。護衛を引き受けた以上、ミヤやアギトも隠し立てする訳にはいかなかった。
誰がどう見ても人外な二人に当然驚かれたが、どういう訳か彼女らのこの発言で納得された。
「リョウスケがあまりにもダメダメな人なので、力になるべく一緒にいるんですぅ!」
「こいつがあまりにも情けねえ野郎だから、渋々手を貸してやってるんだ」
『すごくいい子達だね、リョウスケ。海外に行ってこんなに素敵なお友達が出来るなんて、羨ましいな』
「お前は何処に行ったと思ってるんだよ!?」
ピーターパンのいるネバーランドにも行ったのかと、勘違いされていそうだった。ま、まあ、妖精っぽいのが二人いるし、治療不可能だった腕も治しているしな。
目を輝かせているフィアッセの相手を一時こいつらに任せて、俺は携帯電話を取り出した。フィアッセと接触したのは彼女の力になる為だが、目的はそれだけではない。
俺らしくはないとは思うが、人のつながりの大切さは思い知っている。力になってもらったのだから、きちんとお礼は言うべきだろう。
先月俺の支援者となってくれたフィアッセの両親の連絡先を教えてもらい、娘の許可を貰った上で連絡を取る。
「先月は、本当にありがとうございました。ヴァイオラの転入についても、お力添え頂いて感謝しております」
『こちらこそ、良い生徒を紹介して貰ったと妻も喜んでくれているよ。娘とも無事再会出来たようだね』
「……その、娘さんの事は――」
『君が気に病む必要はないし、私も妻も君を責めるつもりはない。不運と不幸が重なってしまっただけ、とも割り切れないのが辛いところではある』
フィアッセ・クリステラの父、アルバート上院議員。先月ドイツの地で開催された支援パーティで彼と彼の妻であるティオレさんと出逢い、支援を頂いた。
あの時は分からなかったが、初対面でぶつけられた言い様のない敵意の理由が今月になって判明した。俺の訃報が原因で、愛する娘の声が失われたのだ。怒って当然だった。
この電話は感謝と謝罪を兼ねていたのだが、アルバート上院議員は俺を責め立てたりしなかった。それが余計に辛いのだが、贖罪とは煽り立てるものではないのは分かっている。
過去を悔いて嘆きを誘発するより、お世話になった人への心労を少しでも改善するべきなのだろう。後悔するよりも反省して、現実を正さなければならない。
護衛を申し出た事を告げると、アルバート上院議員は心苦しくなるほど沈痛に礼を述べる。
『先日、連絡があったよ。通り道に襲われていた娘の命を救ってくれたそうだね』
「ほんの偶然ですが、これも何かの縁だと俺は思いたい。彼女をお守りすることを、お許し頂けませんか」
『……今この状況で、君より適任者はないだろう。娘を、よろしく頼む』
嘘のつけない人だと、内心苦笑いする。適任者なら、俺より他にいる。彼女を本当の意味で救える、ただ一人の剣士。あの男ほどの適任は、世界の何処を探してもいない。
賛同出来ない理由は唯一つ、不幸なまでに縁がなかった事。家族という絆は結ばれても、赤い糸は切れてしまっていた。海外に居ながら、彼は悲しいまでに分かってしまっている。
恭也とフィアッセがもし結ばれていれば――今の不幸は、ありえなかったのだから。
分かっていながらも、俺は気付かないフリをする。所詮、俺は主人公の器ではない。ドラマや映画のヒーロー役は、俺には全く似合わない。
道化は何も知らない顔で、ニコニコ笑っていればいい。それでフィアッセが笑顔を取り戻してくれれば、満足だった。不幸でさえなければ、何でもいいのだ。
幸せになってくれるのであれば、何でもやってやる。
『君が自分から、護衛を申し出たんだ。何か考えがあるようだが、よければ聞かせてもらえるかね』
適任者が他にいながらアルバート上院議員が俺のような浪人者を頼るのは、藁にも縋りたい気持ちなのだろう。自分の無力を思い知った人間の、諦観でしかなかった。
期待されていないのは、当然だった。恭也に比べて、俺には経歴がない。仕事であれ、プライベートであれ、実績のない人間を信頼する上役などいないのである。
人間として信用されているだけでは、駄目なのだ。いい人止まりで終わってしまったら、何の意味もない。
親に認めてもらうには、娘を幸せにする以外の方法はない。俺は、自分の考えを聞かせた。
「まずは娘さんの声を遮っている不安材料を、片っ端から取り除くつもりです」
「見てみろ、フィアッセ。あれが、死人の顔か」
「――っ」
植物人間状態となってしまった、フィリス・矢沢。階段から落ちた際の脳の怪我で昏睡状態と陥ってしまい、そのまま意識が戻らなくなってしまった。
脳の機能障害で植物状態となった患者は意思の疎通や自力での移動や食事も出来ず、目で物を追っても認識しない。自力で呼吸は可能でも、生きているとは言い難い。
フィアッセやリスティも最初は回復を疑わなかったが、植物人間であると最終宣告を受けて絶望。フィリスは生を諦めたかのように衰弱してしまい、枯れ落ちてしまいそうだった。
その彼女は現在夜の一族より医療支援を受けて、改善されつつある。
「俺の手を治してくれた海外の医療スタッフに相談して、今月から海鳴大学病院へ医療派遣に来て頂いたんだ。支援者の方々からも、最新の医療機器も提供して貰っている」
「で、でも、おにーちゃん……お医者さんのお話では、すごく高い医療費がかかると――」
「……子供に何を聞かせてるんだ、全く。医療費は全額、俺が出しているから安心しろ」
『駄目だよ、リョウスケ!? そこまでしてもらう訳にはいかないよ!』
「忘れたのか、フィアッセ。そもそも俺はフィリスに、今までの治療費や入院費とか全然払ってなかったんだ。肩代わりしてもらった分、返しているだけだよ」
『良介の治療費は桃子が全額出したと聞いてるよ、嘘をつかないで!』
「その桃子が、なのはを救った恩返しとかで受け取ろうとしないんだ。通り魔事件で俺がなのはを助けたのは単なる偶然だと、何度も言っている。
偶然に恩を着せるつもりはない。逆に、大恩には報わなければならない。俺はただ、お前らから貰った分を返しているだけだ」
『――ありがとう。本当にありがとう、良介』
植物人間状態になって厄介なのは治すことより、延命治療に金がかかる点にある。回復を夢見るのは自由だが、夢を見続けるには金がいる世の中なのだ。
延命治療には高額な治療費負担がかかる。植物人間ともなれば尚の事負担は大きくなり、高度な治療なんてとても続けられない。だから、庶民の大半が諦めてしまう。
介護疲れの老夫婦が身内を殺める事件も珍しくなくなってきている、この時代。人を生かすことさえも金が必要となる、弱肉強食の世の中に変貌してしまっている。
日本では医療制度が充実しているので医療費軽減もあるのだが、植物人間だと回復する見込みはそもそも薄い。そのうち、諦めざるを得なくなる。
病院としても、自殺幇助するわけにもいかない。かといって高度な治療を続けるには高額な治療費が発生してしまうので請求するしかなく、患者の家族も無理を強いられて疲れ果てる。
フィアッセもリスティも堅実に働いているが、まだ若い女性だ。延命治療を根気よく続けられる財力も権力もなく、まして回復するかも分からないのであれば絶望してしまうのも無理は無い。
無論俺にだって何の力もないが、力を持っている人間を味方にはしている。この際恥も外聞もなく、頼りまくってやった。
「医療スタッフに診て頂いたんだが、フィリスには意識がある可能性が高いらしい。きちんと話しかけてやれば、俺達の声も届くんだとよ。
俺も毎日見舞いに来て色々喋っているんだ、あいつと。腕もちゃんと治して、元気に帰ってきたと伝えている。
だからかどうかは分からないが、見ての通り身体はちゃんと回復してきている」
「ぐす、よかった……よかったね、フィアッセさん! フィリスさん、顔色も良くなってるよ!」
「っ……!」
泣きながら、フィアッセとなのはは抱き合っている。一般の集中治療室から別館の治療室で移されて、フィリスは強力な治療を集中的に受けている。
ミイラのように痩せ細っていた身体も血が流れ、白い肌にも血色が戻ってきている。元気だった頃のフィリスが再現されて、目を閉じて眠りについていた。
短期間でこれほどの回復を見せる例は稀有らしく、財力や権力の恐ろしさを知ると同時に、儚くも強い人の生命力というものを改めて思い知らされた感じがする。
もし俺の話を聞いて血色が良くなったのなら、極めて悪い傾向だろう――明らかに頭に血が上るほど、怒っているということだから。
自分のそうした所見を口にすると、フィアッセやなのはは場違いにも笑った。失礼な奴らめ。
「罪のないドイツ国民を大勢助けたんだぞ。むしろ褒められるべきだろう」
『爆破テロを起こしたテロリストに向かっていくのは、危ないよ〜!』
「マフィアを相手に剣で戦うのは、ちょっとやり過ぎではないかと!」
おのれ、元気になった途端に文句を言いやがって。俺だって爆破テロや要人襲撃事件になんぞ、巻き込まれたくはなかったわ。どいつもこいつも、頼りにならないから悪い。
とはいえ喜びに水を指すので言わなかったが、根本的にはまだ問題は解決していない。何しろ、フィリスはまだ目が覚めていないのだから。
世界でもトップクラスの治療を受けても回復する可能性が向上するだけで、回復するかどうかはまだ分からない。いや、この際見込みは薄いといってもいいだろう。
俺は金の問題を、ひとまず解決しただけだ。フィアッセやリスティとの信頼を取り戻すには、フィリスの目を覚まさなければならない。
医療スタッフにも相談したのだが、植物人間状態という診断そのものは残念ながら正しいらしい。この状態を覆すには、最新医療でも難しいそうだ。
異世界の医療技術も頼ってみたのだが、クロノやリンディも難しい顔をしていた。魔法という奇跡でも、昏睡状態の患者の目は覚ませないようだ。
夜の一族の血は、フィリスには劇薬で与えられない。最新医療でも、異世界の医療でも、回復は無理。となれば、残された手は限られている。
打っておいた布石は、向こうからやって来てくれた。疲れ切った顔のミヤやアギトが、ふらふらしながら飛んでくる。
「……一応聞くけど、どうだった?」
「ふええ〜、全然耳を貸してくれません。いきなり、怒鳴られちゃいました……!」
「話にならねえよ、あの女。すげえ攻撃的になってて、お前を殺しそうな勢いだった。今病院前で、お前の護衛と従者が必死で止めている。
連絡するなら、今の内にしとけよ」
「分かった」
患者にとって良いことであっても、患者に治療を受けさせるには家族に連絡を取らなければならない。俺の介入を知ったリスティが、病院へ飛んできたのだ。
ミヤは美由希同様話し合いで解決すべくアギトと一緒に行動に出たが、失敗。次善策として今妹さんとローゼが俺を守るべく、彼女を引き止めている。
リスティには悪いが、これは好機だった。あいつがここに居るということは、さざなみ寮には絶対居ないということ。ならば鉢合わせもせず、那美に連絡が取れる。
リスティが住んでいるさざなみ寮の連絡先は、フィアッセが知っていた。彼女に連絡先を教えてもらって、俺はこの千載一遇の機会にあの子と連絡を取る。
夏休みとはいえ平日の昼間に居るかどうかは賭けだったが、連絡は繋がった。時間がないので今までの事情を連絡した上で、今晩にでも会いたい旨を告げる。
待ち合わせの段取りを何とかつけられて俺は電話を切り、フィアッセ達の元へ戻った。
「今日のところは、そろそろ引き上げよう。面会時間も限られている、レンのところへ行こうぜ」
『うん――明日、また一緒に来てもいい?』
「俺は、お前の護衛だぜ。一緒に来てくれ、でいいんだよ」
『ありがとう、私の騎士様♪』
何だよ、その音符は! ニコニコ顔でのメモ書きがちょっと恥ずかしかったが、文句を言うと泣きそうなのでやめておく。音符をつけるような年齢か、俺達は。
今までサムライとか呼ばれたことはあったが、騎士とか言われたことはない。俺にとっての騎士とはシグナム達以外にはありえず、違和感を感じてならない。
あんな堂々としたカッコイイ存在になるには、生まれ変わるしかないだろう。俺には絶対、似合わないと思う。
この勘違いを正すべきかどうか悩むが、護衛と騎士の違いは俺にもよく分からんので、ひとまず放置する。
「いいから行くぞ、フィアッセ――何だ、この手」
「ここはエスコートする場面だよ、おにーちゃん」
「ここは病院だぞ、おい!?」
「女に恥をかかすなよ、馬鹿」
「女心が分かっていませんね、リョウスケは」
「くそ、お前らまで言うか……!」
――気のせいだろうか、呼吸器をつけているフィリスが今笑った気がした。ガラスで隔てられていて聞こえるはずがないのだが、何となくそう見えたのだ。
久しぶりに見えたその笑顔を傷付けたくなかったのか、俺は自然とフィアッセの手を取れた。やんわりと握って、一緒に歩き出す。
妹さんとローゼが必死になって、リスティを止めてくれている。その時間を無駄にしないためにも、俺は状況を打開するべく走る。
フィアッセとなのはが、一緒なのはちょうどいい。レンも含めて、彼女達に特効薬をあげよう。レンの病室をノックして、中に入った。
「良介――なのちゃんに、フィアッセさんも! お見舞いに来てくれたんか、ありがとう」
「存分に恩に着るといいぞ」
「あんたはもう帰ってええよ。お疲れさん」
「てめえ、コラ!? 折角、良いおみやげを持ってきてやったのに」
本人の許可もえず、全員分の椅子を並べて勝手に座る。早速嫌な顔をしてくれやがったがすぐに顔色を変えてやるぜ、ふっふっふ。
全員ではないが、久しぶりに集まった高町家の家族。不幸のどん底にいながらも気力は何とか取り戻して、必死で這い上がろうとしている。
今まで助けてくれた分、今度は俺が彼女達を救い上げる番だ。家族でこうして集まって、やっと話せる。
「城島晶の足取りが、掴めたぞ」
<続く>
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