とらいあんぐるハート3 To a you side 第八楽章 戦争レクイエム 第三十七話





 どれほど悩もうとも、朝は必ずやって来る。悩むにはあまりにも不釣り合いな空、真夏の暑さ、柔らかな日差し。阿呆のように何も考えず、脳天気に太陽が昇って来ている。

思えばジュエルシード事件に巻き込まれた五月以降、健やかに朝を迎えた日はない気がする。常に何かに悩み、選択を求められ、険しい道を歩んでいる。立ち塞がる壁にうんざりしながら。

分かってはいる。今までずっと、何も考えず生きてきたツケだ。日本中に居る他の同年代は大小あれど、自分なりに悩んで頑張って来ている。家庭事情や学業、そして人間関係にも。


誰もが通った道であるのなら、俺であっても通れるだろう。生きていく以上、頑張るしかない。昨日より今日を、良い日にするために。


「おはようございます、剣士さん。早朝訓練の前で恐縮ですが、私の部屋に来て頂けませんか?」

「いいけど、どうしたんだ突然」

「剣士さんより御要望がありました現地協力者の件、本人より承諾を頂けました。お引き合わせさせて頂きたいです。
家族の皆さんの前で紹介すべきなのでしょうけど、護衛チームに存在を知られてしまいます」

「だから、妹さんの部屋か。昨日の修行も見られていたからな……異世界の協力者まで認識されるのは、確かに問題だな。分かった、すぐに会おう」


 異世界における現地協力者、妹さんよりアテがあるとは聞いていたが、昨日の今日で早速連絡を取ってくれたらしい。6月頭に出逢った時の退廃的な雰囲気が嘘のように、能動的であった。

今住んでいるこの海鳴町でも問題は山積みだが、異世界の問題は一ヶ月の期限付きである。異世界については何一つ知らない今の状況、情報不足も甚だしく解決策を出すどころではなかった。

魔法だの時空管理局だのと気軽に接しているが、認識度としては極めて曖昧である。お伽噺や警察機構などを参考に、何となく想像を働かせているだけだ。実態は何一つ知らない。


この一ヶ月で時空管理局の決定を覆すには世界会議同様、法の組織に口出し出来る発言力が必要となる。発言力とはすなわち影響力、異世界に影響を与えるには確かな存在とならねばならない。


この世界であろうと異世界であろうと頭角を現すには、その世界を知らねばならない。夜の一族の会議で意見が言えたのは、夜の一族について深く知ったからだ。

聖王協会の一件もある。こちらから何度面会を求めてもナシのつぶてだったのに、今月に入って突然態度を翻して面会を求められたのだ。間違いなく、現地で重大な何かが起きている。

夜天の魔導書の危険な謎、守護騎士達や夜天の人が極力管理局を避けようとする理由。法術の未知なる奇跡。それら全ての答えが、異世界にある。


妹さんの申し出を快く受けて、俺は面会に望むことにした。となると、人数はなるべく少ない方がいいか。アギトやミヤは……まだ、寝ているな。


「ローゼ、二人を見ててくれ。もし起きたら、俺の不在を適当に誤魔化せ。なるべく、すぐに戻る」

「分かりました、主。丸裸になって山を駆け下りた、と伝えておきます」

「朝から何してんだよ、俺は!? 妹さんと一緒に散歩にしとけ」


 ローゼは最新型の自動人形で、動力も永久機関のジュエルシード。睡眠は基本必要とせず、早朝からこの通り絶好調である。封印した方が静かなんじゃないかと、たまに思う。

相変わらず主を全く敬わない口調だが、基本的に俺には忠実で夜も月村邸の安全を守ってくれている。八神家も、月村家も含めて、俺の関係者全員を守らんとする気概はあるのだ。

口では馬鹿なことを言っているが、悪戯とかも一切せず言うことはよく聞く。真面目、とはあんまり言いたくはない。本質はアホだからな、こいつ。

管理プランの地であるこの家から出なければ、単独行動であろうと問題ない。ローゼも主の秘密を無遠慮に探る真似はしないので、安心して妹さんの部屋へと向かう。


「それにしても、妹さんに異世界の知り合いなんていたのか」

「相手からの要望により、今まで秘密にしておりました。申し訳ありません」

「隠し事の一つや二つ、あっても別に怒らないさ。妹さんの信頼を、今更疑ったりしないよ」

「……ありがとうございます、剣士さん。ご期待に応えるべく、これからも精進してまいります」


 たった二ヶ月の関係であっても、俺は妹さんは信頼していた。でなければ、四六時中行動を共にする護衛になんて付かせたりはしない。

だが、その相手については妹さんの信頼があっても無条件では受け入れられない。信頼と、盲信は違う。海鳴での崩れ落ちた人間関係が、皮肉にも証明していた。

どれほど信頼しても、されても、双方が人間関係を維持する努力をしなければ、すれ違いは起きてしまうのだ。仲がいいのに単に甘えたりせず、相手と向かい合っていかなければならない。


俺には一切秘密にして、妹さんに接触を図る――妹さんが受け入れている以上害意はないとは思うが、意図は気になる。


そもそも俺自身、異世界の知り合いは少ないのだ。義理の母親だの父親候補だの、奇天烈な連中とも知り合えているが、期間自体は非常に短い。繋がりも、管理局という組織でまとまっている。

管理局の連中が俺に内緒で密偵なりスパイでも放っているのなら、妹さんに接触するのも変だ。他ならぬ妹さんが、俺の味方なのだから。

時空管理局以外だと彼らの敵側に位置するドゥーエ達となるが、同じ理由で妹さんと接触はしないだろう。他に、誰だ?

考える時間はそれほどなく、さっさと妹さんの部屋に辿り着いた。猶予を全く与えず、妹さんは自分の部屋のドアを開けた。


部屋で待ち受けていたのは――



「にゃー」

「あれ、猫しかいないぞ」



 部屋の真ん中で、呑気に鳴いている猫。然りと頷く、真面目な妹さん。所在なく仁王立ちの、俺。以上である。それ以上でも、それ以下でも、何でもない。何にもない。

妹さんをもう一度見るが、真面目に見つめ返すだけである。妹さんはごくたまに天然さを発揮するのだが、今回はそうでもなさそうだ。

ツッコミが不在なので、俺が真剣に取り合うしかない。妹さんでなければ怒るか、馬鹿らしくなって部屋から出ていくか、どちらかだろう。


つまりは、そういう事である。


「この猫、妹さんは『リニス』と呼んでいたよな」

「間違いありません」


「……不思議な偶然なんだけど、異世界の知り合いであるアリシアの飼っていた猫もリニスと呼ばれていたんだ」


「アリシア・テスタロッサ及びプレシア・テスタロッサの使いで来られたそうです」

「あっさりと言った!?」


 6月、妹さんと知り合ったあの月。何時頃か、何処からか、何時の間にか月村邸で飼うようになった猫。妹さんが拾ったとされている、青い眼をした茶毛の猫。

明らかに野良猫でありながら知的で、人間の言葉を理解していた動物。俺が剣の事で悩んだりした時も、声をかけてきたことが何度かあった。

別に話せた訳ではないのだが、動作や仕草から何を訴えているのか、不思議とハッキリ分かったのだ。海外へ出た時、桜の枝を持っていくように促したのもこの猫だ。


かつて見たアリシアの夢に出てきた猫と、そっくりだったのだ。まさかとは思っていたが、本当にアリシアの飼い猫だったとは。


「お前、夢で会ったあの猫なのか。でも確か死んだとか、聞いているぞ」

「お聞きした話ですと、剣士さんのお力によりアリシア・テスタロッサと共に現世へ舞い戻ったそうです。
アリサちゃんは結晶体、アリシア・テスタロッサは幽体――そしてこのリニスさんは、猫の素体として形作られているとの事です」

「素体……?」


"魔導の素体ですね"


「うおっ!?」

"長らくご挨拶が遅れて申し訳ありません、婿殿。リニスと申します。貴方の教育係としてまいりました"


 耳ではなく脳に直接語りかける意思、念話と呼ばれる魔法。猫を本体として放たれた魔力がイメージとなって、一人の女性へと?化する。

妖狐である久遠や使い魔であるアルフ、守護獣のザフィーラと同じ人間体。看護師のような帽子をかぶった、折目正しい服装をした女性。開いた胸元が、目に眩しい。

化粧ではなく、知性により磨かれた美人。動物から人間への変化はもう見慣れているが、猫だと信じ切っていた後ではさすがに驚かされる。

驚きに目を丸くしたであろう俺の顔を見て、クスっと柔和に微笑んだ。


「貴方も知る、悲劇――アリシアが死んだ暴走事故に巻き込まれて、私は一度命を落としています。プレシアの魔導で、使い魔として蘇ったのです。
その後主であるプレシアにより放逐されて仮初めの命は終わりを迎えましたが――フェイトとアルフ、そしてプレシア。彼女達を救えなかった事が心残りで、無念を残しておりました。

魂と呼べるほどの確たる形ではありませんでしたが、貴方が拾い上げて下さったのです」

「し、しかし、形が明確に残っていなければ、法術でも固定化が――あっ」

「お察しの通りです。私はプレシアの使い魔であり、アリシアの飼い猫。アリシアはプレシアに、そして私はアリシア本人に憑いておりました。
貴方が与えて下さったアリシアへの法術による恩恵により、私もアリシアの使い魔として戻ったのです」

「アリシアが囚われていた"悲劇"のイメージそのものが、あんただったということか。プレシアやフェイトも、あんたを喪って後戻りできなくなっていた。
そのアリシアが救われたことで、イメージそのものだったあんた自身も昇華されたんだな」


 多分リニスが人間、もしくは生前の猫そのものだったら戻れなかっただろう。魂を固定化するには強い想いが不可欠、未練や無念というだけでは干渉できないのだ。

使い魔という仮初の媒体であったからこそ、何とか形作ることが出来た。テスタロッサ家の悲劇というイメージの象徴が、彼女。彼女達の悲劇が、よほど強かったのだろう。


何より、アリシアやプレシア――そして他でもないフェイトが強く願ったからこそ、リニスは再び現世に戻れたのだ。人の想いの強さとは、ここまでの奇跡を起こせるのか。


「どうして、俺に黙っていたんだ。別に隠し立てするほどのことでもないだろう」

「使い魔として再び生を成したこの素体は、長く活動が出来なかったのです。幽体ではありますが明確な魂を宿すアリシアのように、自由には動けませんでした」


 アリサやアリシアとは違って、リニスの無念は他人の不幸が影響している。自分の身に起きた不幸ではない分、アリサ達ほど強く遺れなかったのだろう。

法術によるアリシア達の願いでこの世に舞い戻れたが、存在力そのものは非常に弱い。その為、子猫として動くのが精一杯だったのだ。

そんなに無理してまで、俺を守ってくれなくても――



あれ?



「ちょっと待って。さっき、何て言った」

「と、いいますと?」


「俺の――教育係?」


「そうです」

「護衛じゃなくて?」

「護衛なら、すずか様がいらっしゃるではありませんか。それにフェイトやアリシアの婿ともあろう方が、自分の身くらい自分で守れなくてどうするんですか!」

「えええええっ!?」


 おいおい、プレシアさんよ。こいつは、お前が差し向けた俺への嫌がらせなのか。アリシアさんよ、仮にもお前を救ってやった礼がこれですか。

そういえばこいつ、今まで数々の苦難に遭った俺に助言ぽい事はしてくれたが、実際に助けてくれたことはなかった。いや当然見守っていてくれたんだろうけど、スパルタ過ぎるぞ!?

ここで会ったが百年目と言わんばかりに、リニスは実に怖い笑顔で俺に迫ってくる。


「いざという時力となるべく今まで温存しておりましたが、あの魔導書の力が増したおかげでこうして活動範囲も広がりました。
異世界――ミッドチルダへの現地調査でしたね。勿論、やらせていただきますよ。

ですが、まず」

「は、はあ……」


「貴方の不甲斐なくも浅慮な数々の行動や言動、いい加減我慢がなりません。今日から徹底的に教育しますから、覚悟していて下さいね!」


「いやいや、現地調査だけでいいですから!?」

「大体なんですか、一昨日の行動は! 実力の差を知りながら、無謀に敵に突っ込むなど自殺以外の何物でもありません!!」

「で、でも、何とか説得出来ないものかと――」 

「説得するにしても、然るべき段取りを整えた上で、話し合いの場に持ち込むべきでしょう! 何の準備もせず一人、止めようとした方々を振り切って出て行った貴方の行動には呆れました。
アリシアやフェイトの婿としての自覚がないのですか!」

「ないよ、そんなの!?」

「自覚もなく行動するなんて論外です!」

「無茶苦茶言っているぞ、あんた!」

「黙りなさい! そもそも他所様の家にお世話になるのですから、まずはきちんと挨拶を――」


 余程イライラしていたのか、六月からの俺の愚行を指摘して絶好調にがなり立てる。最初こそ勢いに任せて喋っていたので無茶苦茶だったが、聞いていく内に理性的な叱責となっていた。

メイドや護衛、デバイスや自動人形に続き、今度は教育係の使い魔と来たか。師匠もそうだったけど、俺の指導役はどいつもこいつも厳しすぎる。


長らく続いた説教にウンザリしていたが――同時に涙が出そうになるほど、懐かしかった。



"どうして無茶ばかりするんですか、良介さんは!"
"また大怪我しているじゃないですか。剣は、没収します!"



 リニスは、フィリスにとてもよく似ていて――びっくりするほど簡単に、好きになれそうだった。

彼女の説教を聞いて、俺は何としてもフィリスを救い出す決意を改めて固められた。


……知らず知らずの内に笑ってしまって、見咎められたリニスにまた怒られたけどな。
















<続く>








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