とらいあんぐるハート3 To a you side 第八楽章 戦争レクイエム 第二十六話
人間死んでしまえば意識も感覚も消えてしまうが、死ぬ間際は過敏になる。血の流れる感覚、傷の痛み、骨まで染みる感触、何もかもが死を演出して壮絶な恐怖を味あわされる。
何度も死にかけているから、分かる。強者と弱者の違いとは、この死の恐怖を受け入れられるかどうかにあるのだろう。耐えるのではなく、受け入れる。それを実感する事で、強くなれる。
斬られ、斬り刻まれて、血飛沫を浴びて――それでも、俺は倒れなかった。
「……!? ……!」
不破の剣士と成り果てた、高町美由希が何かを口走っている。裏切りへの怒りか、復讐を果たせない憤りか、死を受け入れた俺への動揺か。剣を振るうのも忘れて、声を発している。
この数カ月で随分と殺されかけたものだが、何度死にかけても死の恐怖は克服できるものではなかった。傷付いたら痛いし、血が流れたら慌てるし、死ぬのだってとても怖い。
人間関係は人を強くするが、同時にとても弱くする。可能性とは祝福であり、生を謳歌すれば死は忌避してしまう。独りであれば、何の未練もなく死ねるというのに。
敗北は確定し、惨めな死が待っているのみ。とても怖いけれど、それ以上に俺は美由希が許せなかった。だから立っている、ただそれだけだ。
「俺は、お前を許さない」
「……っ」
生命を絞り切って、何とか声を出す。自分の命は、尽き果てている。残されているのは夜の一族の血と、神咲那美の魂、海鳴で出逢った人達により育まれた想い。
剣士は剣を失えば失格、斬られたら終わりだ。自分の剣を真っ二つに斬られ、斬り刻まれた俺は剣士ではない。敗者は失って、死ぬ。惨めな結果だけを、残して。
瀕死の重傷を負い、剣士失格となっても、俺はこうして立っている。立てている。高町美由希には、それが信じられない。今の彼女は、生粋の剣士なのだから。
人を斬る剣士に、他人の事は分からない。昔の俺そのものだった。どうしても、許せない。
「お前も、俺を許さなくていい」
「……」
「それで、いいんだ」
俺は絶対に、高町美由希を許さない。けれど俺を殺すのだけは、許してやろうと思う。だって――
「お前は、家族なんだから」
斬られてもいないのに、美由希は血を流した。漆黒の殺意に染まった瞳から、墨汁のようにドス黒い涙を流した。薄汚れた、血。傷を負って流れた血は、とても赤黒い。
赤ん坊のように癇癪を起こして、子供のように泣き喚いて、大人のようにみっともなく声を張り上げて、彼女はそのまま逃げていった。あと一歩で、復讐を果たせたというのに。
痛みに震える唇を、無理やり歪ませる。あいつ、剣だけはちゃんと持っていっていなくなりやがった。多分もう、自分の家には帰らないだろう。
人を斬った人間が家族の暖かさに触れれば、火傷してしまうから。
(――泣いていたな、あいつ)
ゴフッ、と血を吐いた。何度も何度も斬られたのに、まだ死んでいないという理不尽。一太刀も浴びせられなかった悔しさよりも、斬られた相手に泣かれたのが悲しい。
泣き声はもう、聞こえない。代わりに聞こえるのは、乾いた音色。死に瀕した俺の意識を繋ぎ止めていたのは、うるさく纏わり付く糸車の音だった。
傷付いた身体を引き摺って、後を追おうとするが止められる。誰かに、ではない。誰からにも、だ。
皮肉にも――俺がつないだ関係が、俺の足を止めてしまった。
「良介、しっかりして! あたしの声が聞こえる!?」
「本当に申し訳ありません、剣士さん。わたしや護衛チームの介入を固く禁じられていましたが、背いてしまいました」
「もう少し辛抱してね、侍君。もうすぐ、シグナムさん達が来るから!」
来るなと念を押したのに、この馬鹿共……自分勝手だと罵りそうになって、思わず笑ってしまう。一番勝手なのは誰なのか、明白だった。
アギトやローゼだけは、来ていない。俺を心配していないのではない。今ここへ来る事こそが裏切りなのだと、よく分かっている。人間じゃないのに、俺より人間らしい。
程なくして、空から救援がやってきた。
「この馬鹿、むちゃくちゃしやがって!? シャマル、早く診てやってくれ!」
「酷い怪我……一刻も早く、回復魔法を施さないと危ないわ。早く、屋敷へ連れて帰りましょう」
「我が運ぼう。あの女はどうする、シグナム」
「我々が敵を討っても、何の解決にもならない。宮本なら必ず、自分の手で決着をつける」
とても乱暴に、それでいて優しく担ぎ上げられる。手から離れた剣は地面に落ちる前に、拾い上げられる。当事者がいなくなり、夜の果たし合いが終わった。
何の解決にもならなかった。不破の剣士は、人を斬り続ける。高町美由希を止めるには、斬るしかない。外道に変えてしまった、俺の責任だ。
裏切り者だと、罵られた。そんなつもりはなかった。そんな自覚もないほどに、過去の俺は腐り切っていたのだ。人の厚意を軽く扱い、好意を踏み躙った結果だった。
今更優しくしようとしたところで、何も救えない。
「――どうして」
「喋んな、死ぬぞ」
「どうして、こんなことになったんだ」
人生は、やり直せない。過去は、変えられない。人は今を歩き、未来へと進むしかない。分かりきっている。でも、悔しいんだ。
自分の弱さを、今更否定するつもりはない。どれほど強さを渇望しても、弱さを忌避したりはしない。無力を嘆いたところで、才能は補えない。それも自分なのだと、受け止めることが大切だ。
それでも、辛い。少なくとも高町美由希を止めるには、剣で斬るしかない。そうすることでしか、彼女は止められない。
それが出来なかった自分が、たまらなく辛かった。あの子はきっと、俺よりもっと辛いだろうに。
「どうしたって、こうなってたんじゃねえのか?」
「……」
「何でもかんでも、上手くはいかねえよ」
不思議なことに、赤い髪の少女は俺以上に悔しそうな顔をしていた。斬られた俺よりも、斬られた俺の顔を見る彼女のほうが痛そうに見える。
まるで自分がやられたかのように、悔し泣きをしていた。嗚咽を漏らしながら、震える声で懸命に話しかけてくれた。
「言っただろう、アタシらがお前を強くしてやるってよ!」
「……」
「ぜってえ、強くしてやるからな。頑張れよ!」
きっと、こんな事が言いたいのではないのだろう。もっと立派に、もっと素晴らしく、もっと厳かに、俺を勇気づけ、励ましたいのに違いない。もどかしそうにしていた。
泣きじゃくりながら、血を流し続ける俺を必死で励ます。不器用で、拙い口ぶりだったが、心の奥深くまで響く力強さがあった。
彼女が振りかぶるハンマーのように、心細くて震えている俺の胸を言葉で打ってくれている。本人だけが、自覚なく無力に泣いている。
「宮本、お前はあの少女を家族と言ったな。お前は、自分の家族を斬れるのか?」
「……」
「きっと、お前は斬れるのだろうな。どれほど辛くても人の心を捨てず、お前は彼女を斬る。そうした結末しか望めずとも、お前は成し遂げるのだろう」
「……」
「お前が当初我らが危惧した通りの外道であれば、苦しまずとも済んだだろうに」
剣士の業を知る女性は泣く子をあやすように、血に濡れた俺の頬を撫でる。恐らく人を斬ったことがあるであろうその手は、とても冷たかった。
家族を、斬る。他人を斬ることよりも、遥かに重い罪。二度と、人間に戻ることは許されない。高町美由希を止めるということは、人になることをやめるという事。
海鳴の町で折角得られたやり直す機会を、放棄する。そうまでしなければ、あの子は止められない。
剣士とは、何という罪深い生き物なのだろうか。剣を取る者にしか、その苦痛は理解できない。剣士であるならば、俺の気持ちを理解してくれる。
「あの子は、泣いていたわ。泣けない涙の代わりに、血を流してまで……女性を泣かせる貴方は、やっぱり最低な人ね」
「……」
「こんなにも私に嫌われても、貴方はきっとあの子を斬るのでしょうね。苦しくとも」
「……」
「本当に、馬鹿な人」
言葉で容赦なく人を傷付けても、女性が照らし出す光はとても暖かい。傷口が光に照らされて、痛みが消えていく。それでも、心の傷までは癒やされない。
魔法の光よりも、女性が向ける労りの表情の方がずっと胸に染み入ってくる。忘れられないほどに女性の顔は美して、優しかった。
涙が滲んでくるが、血が零れるだけだった。彼女は決して、俺が正しいとは言わない。自覚している罪は肯定するものではない、それが分かっているかのように。
「どうしてこうなったのか、それはお前自身が一番よく分かっている」
「……」
「どうすればいいのか、それもお前がよく分かっている」
「……」
「我はこれからも、お前を見届ける。それだけは、忘れるな」
どんな決断をしようとも、見放したりはしない。人の群れの中で生きる狼は、孤高に見守り続ける。その目がある限り、俺はきっと道を踏み外したりはしないだろう。
彼の背に乗せられて、俺は運ばれている。きっとアリサ達に頼まれずとも、彼が率先して皆を連れて来てくれたのだろう。彼が先導して、俺の決断を見届けてくれたのだ。
どうしてこうなったのか――神咲那美の気持ちを踏み躙った俺を見届けた彼は、誰よりも分かっていてくれる。その理解がとても辛くて、嬉しかった。
ぐっ……目が、霞んできた。いよいよ、死が近い。死神が、迫っている。オカッパ頭をした、白い着物の少女が頬をつねっ――
オカッパ頭……? オカッパ頭!?
"ねてはだめでちゅよ、死んでしまいまちゅ"
「……お前、は」
"あちしは、チョウピラコ。よろちく、『夜の王』"
不幸のどん底にまで落とされた俺に向ける、きれいな笑顔。まるで幸福を運んでくれそうな、無邪気な微笑み。悪戯をして、眠らせまいとしている。
誰にも見えていない存在、チョウピラコ。見たことのない顔だが、日本人なら誰でもその名は知っている。
見た者には幸運が訪れる、"妖"――座敷童子である。
<続く>
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