とらいあんぐるハート3 To a you side 第七楽章 暁は光と闇とを分かつ 第七十一話





 師匠に戦いを禁じられてから、俺は剣を一度も抜いていない。自分の剣は心優しき医者に預け、戦う相手とは即座に斬りかからず敵そのものを理解しようとしている。

危険な行為である事は、自覚出来ていた。人を知れば知るほどに、人を斬る事を躊躇う。相手を知れば相手を無くす事を恐れて、相手の生命を尊重してしまう。

人であれば、健全なのだろう。されど、俺は人では非ず。人の身体を持ちながらも、人の心に必要な情けを持たずにいる。相手を求めているのも、自分に必要である為。他人の為ではない。

夜の一族、妖狐、妖精、魔導書、そして俺自身。この別荘に居る者は皆、人でなしの烙印を押された嫌われ者揃いであった。


だから、俺達は分かり合わずに――疑い、探り合うのだ。















『――年齢は若いですが、申し分ない人材ですわ。早々に手配を――ですから採用の是非については、わたくしが最終判断致します。
この案件に、我がウィリアムズ家の未来がかかっているのです。託すべき人材は、他の誰でもないわたくし自身が見定めなければなりません』


 同じ十代でも、世界中を見渡せば多種多様に存在する。貴重な青春を放浪の旅に費やす剣士もいれば、静養期間であっても無駄にせず働き続ける女性もいる。

俺が自動販売機の釣り銭口や道端の溝で小銭を探している間にも、彼女は電話一本で億単位の札束を動かしている。カレン・ウィリアムズに、無駄な時間は存在しない。

此処は彼女にとって敵陣であり、俺にとって彼女はまぎれもなく敵。敵が余裕綽々で隙を見せていれば、容赦なく牙を向いて襲いかかる。俺達は、常に相手の隙を伺っている。

例えばこうして彼女が呑気に電話をしていれば、俺は手加減なしに物陰で耳を傾ける――地味ではあるが、これも戦術。戦術なのだ。


「経歴は確認致しました――総合諜報・戦技一種資格――蔡雅葉桜流――依頼の内容は――そうです、場所は日本――詳細は、後程」


 ちっ、電話を切りやがった。勘のいい女である。俺の前では隙だらけのくせに、気は決して抜かない。無防備な微笑みの裏に、本心を巧みに隠している。

彼女は通話を切った携帯電話を弄びながら、俺が隠れている物陰を一瞥。武には長けていない筈なのだが、感覚の鋭さは眼を見張るものがある。覇者の血は、伊達ではないらしい。

アメリカの夜の一族、彼女の際立った能力は経済感覚やセンスにも生かされている。隠れても無駄だと悟り、俺は大人しく物陰から出ていく。


「女の電話を盗み聞きするとは感心しませんわね、王子様。わたくしを失望させないで下さいな」

「分かった。今度は堂々と聞くとしよう」

「ふふ、結構。殿方はそのくらいの剛胆さが無ければなりませんわ」


 どうやら俺の返答はお気に召したらしい。すぐに機嫌を直して、俺に目の前の椅子を勧める。好意に甘えて、俺は松葉杖を下ろして腰掛けた。

この別荘に居る夜の一族の後継者の中で、明確に敵と呼べるのはこの女だけだ。複雑な事情を抜きにした敵対関係というのは、厄介な味方よりも分かりやすい。

摩訶不思議というべきなのか、この別荘の共同生活で今一番仲良くやれているのもこいつだった。口喧嘩の一つも、したことがない。


時には日本茶を、たまにはお酒を傾けて、他愛のない話に花を咲かせる。毒にも薬にもならない、上辺の会話を。


「時に、王子様。ロシアの性悪女とは交渉決裂したそうですわね」

「――恐ろしく耳が早いな、経済王。俺も、恐らく彼女も、誰にも話していない筈なのに」

「男と女の関係は、言葉だけでは表現出来ませんのよ。明確に語らずとも、共に卓を囲めば雄弁に伝わってきますもの」


 いけないと分かっていても、嫉妬してしまう。俺がなかなか理解できない他人という存在を、これほど明瞭にこの女は理解出来てしまうのだ。

ロシアンマフィアのボスとなるディアーナ、彼女との取引を俺は断った。激しい口論となった挙句、彼女に銃を突きつけられて部屋を追い出されてしまった。

別に絶縁したのではなく、彼女とはその後も世間話くらいはしている。ただ――決定的な溝が出来たのは間違いない事実であり、余所余所しくなったのはどうしようもない。


その程度は、他の奴らも肌で感じているだろう。この女の場合、推論ではなく結論にまで至っているのが恐ろしい。既に、確信しているのだ。


白を切っても、無駄だろう。彼女の中で確信された事実は覆しようもなく、それでいて真実なのだ。曲げようがなかった。

結論にさえ至れば、この女は行動も出来る。先程の電話も気になる。カイザーに頼んで既に先手は打っているが、彼女を相手に確実に先を打てている自信がなかった。


悔しいが、人を見る目はカレンの方が明らかに上。クリスチーナが人を殺す達人ならば、この女は人を読む魔女であった。


「あのような女、王子様に相応しくありませんわ。日陰でしか生きられないのならば、売女がお似合いというもの」

「それ以上彼女を愚弄するならば――」


「あの女が一番、分かっておりますわ。真っ白なウェディングロードなど、歩けないと」


 ――カラダだけの関係は、嫌ですか? 己の汚れを晒して愛を乞うたディアーナを思い出し、言葉を飲み込んだ。痛々しくも、俺を必要としてくれた人。

俺が苛立ったのは、痛烈な彼女の言葉が正しいからだ。俺はディアーナを、拒絶する事しか出来なかった。心の傷を無遠慮に撫でられて、怒りを覚えている。

真実を前に、偽善に満ちた思い遣りなど何の意味もなかった。この女を罵倒するのは、結局八つ当たりとなってしまう。

他人を知ろうとしなければ、こんな事にはならなかっただろう。踏み込んでしまったがゆえに、女心を傷つけている。


「暴力で人を支配する時代は既に終わっている。ロシアの力では、世界は制せないのです」

「矛盾しているぞ。あんただって、力を望んでいる。あんたが造り出したローゼという存在そのものが、巨大な暴力となっている」

「"技術"ですわ、王子様。これからの時代人は世界の歯車ではなく、歯車を作り出す存在へと進化する。優れた技術は巨万の富を生み、人を豊かにするのです。
世界を芳醇たらしめるのが、我々夜の一族の後継者。夜の一族は今夜明けを迎えて、明るい陽の世界を支配するのです」


 やはり、諦めていない。ロシアから逆襲を受けても、ローゼに裏切られても、この女は折れない。いっそあの時見捨てて殺しておけば、この尊大な野望は簡単に消し去れたのかもしれない。

俺が助けたせいで、彼女を敗北させる事が出来なかった。彼女はまだ、何も奪われていない。技術は今も、この女の手の中にある。


それでも――俺は、彼女を助けたことを後悔していない。


「無理だね」

「……断言しますのね」

「俺が、あんたを倒すからな。今度は、あんたが何もかも奪われる番だ。誇り高きその血を失えば、大それた野心も抱けなくなる」

「ロシアの次に、アメリカも敵に回すと……? 弟が何やら画策しているようですが、浅はかだと言わざるを得ませんわね」

「くくく、ローゼを奪われたくせに」

「ふふふ、つねりますわよ」


 カイザーとの連携も、当然読んでいるか。実際、ありふれた手だからな。歴史の教科書を読んでいれば、小学生でも見破れる戦略。この女が悟れない筈がない。

自分の頭の悪さくらい、自覚している。策を弄するなんて真似、俺には到底出来ない。奇策を弄したところで、所詮は庶民レベルでしかない。

俺の策を見破り、彼女は自信を持っている。打ち破れるのだと、確信している。それこそ、俺の心理を裏の裏まで知り尽くしているのだろう。


そして、俺も――彼女の自信を、"読んでいる"。


「答えは、世界会議に出る。敗北というものを教えて差し上げよう、姫君」

「楽しみにしておりますわ、わたくしの王子様」


 経済王と、人間。敵同士だからこそ探り合い、お互いを知り尽くしている。















「カミーユ、入るぞ」

『きゃっ!? ちょ、ちょっと待って!』


 共同生活を行う際、一番揉めたのは部屋割りだった。まず最初に手っ取り早く決めようと思ったのに、女共が揃いも揃って揉めに揉めたのだ。俺と同じ部屋を、主張して。

好意を持たれているのは悪い気はしないが、面子が酷すぎる。吸血鬼に殺人姫、ロシアンマフィアに経済王。どいつもこいつも、人を踏み付けて出世した連中ばかりだった。

美女美少女揃いだからといって、甘い毒を持った毒蛇と添い寝なんぞしたくない。寝首をかかれるのは嫌なので、断固としてお断りさせて頂いた。


例外は、同じ男であるカミーユ。こいつは安全牌なので、俺の隣の部屋を許した。


『ノ、ノックくらいしてよ、今着替えているんだから』

「分かった、分かった。男の着替えを覗く趣味は俺もねえよ」

『もう……入っていいよ、リョウスケ』


 部屋に入ると、ジャージ姿をしたカミーユがベットの上に腰掛けていた。くつろいだ雰囲気だが、若干頬を赤くして俺を睨んでいる。

世界会議では身なりのいいスーツを着こなした貴公子も、自室では柔らかな表情を覗かせている。怒った顔もどこか可愛らしく見えるのが、こいつの不思議な魅力だった。

見目麗しいハンサム顔は上流階級の女性達をさぞ歓喜させたのだろうが、こうして素顔を見せられると中性的な顔立ちも優しく感じられて怖い。

無邪気に微笑まれると、性別を忘れてしまいそうだった。友達というのは、こういうものなのだろうか?


「一緒に生活していて分かったけど、リョウスケは女の子に対する配慮とか遠慮とかが足りないよ。
平等に接するのはいいと思うけど、好きな男の子にだって気軽に見せられない面もあるんだから」

「お前は逆に遠慮し過ぎだと思うけどな……同じ男の俺にも、色々気を配っているしよ」

「そんな事はないよ。お、男同士仲良くやれているもん!」

「一緒にトイレに行こうとしたら、悲鳴上げて逃げたじゃねえか。あれが友達への態度か、こら」

「……だ、だって、その……」


 ええい、何故もじもじするんだこいつ。一緒に生活して分かったが、この社交界のプリンス様はフランス祖国に絶対男友達がいない。

女友達ばかりでも別に嫉妬も何もしないが、この調子で男社会でやっていけるのかなこいつ。これでフェンシングの達人だというのだから、人間というのは分からない。

俺とは比較にもならない程、多くの選手を華麗に倒してきた異国の剣士。その正体は、男友達も居ない寂しい奴だった。


「……リョウスケは、ボクみたいな男は嫌い?」

「嫌い」

「あう……じゃ、じゃあ――女の子だったら?」

「女なら全然いいと思――何だ、この質問!?」

「あはは、ボクを馬鹿にした仕返しだよ」


 自分だって、馬鹿に出来たものではない。自分も男友達と呼べる奴は居ない。恭也やクロノとは仲良くやれているが、劣等感というか気後れのようなものを感じている。

才能面で言えばカミーユだってあらゆる点で優れているのだが、こいつとは気軽に話せている。目上でも格下でもなく、本当に対等な関係で。

どうでもいい話でも、楽しく話せる奴が出来るなんて夢にも思わなかった。本当に、くだらない時間をこいつとよく過ごしている。


「ヴァイオラとは仲良くやれてる? 将来結婚するかもしれないんだから、ちゃんと向き合わないと駄目だよ」

「……俺が言うのも何だけど色々変わっているな、あの娘」

「あっ、進展があったみたいだね!」

「進展があったというか、何というか……一緒にいても、何を考えているのか分からない」

「それはきっと、彼女も同じだと思うよ」

「あの子も……?」

「婚約話は確かに家の都合で承諾したけど、リョウスケとの婚前生活を希望したのはヴァイオラだよ。リョウスケの事をもっと知りたいんじゃないかな」


 だからこそ、こいつとの関係は危険に思える。自分の心の中まで話してしまいそうで、怖くなる。通り魔や巨人兵とは別種の、脅威。

カミーユはまだ付き合いも浅い俺に素顔をさらけ出し、感情豊かに自分自身を表現する。血を分けた兄弟のように、初恋の男性のように、将来を誓った旦那のように。

他人と積極的に関わると決めた以上逃げたりはしないが、やはり怖いとは思う。死の恐怖と同じく、ただ強くなれば克服できるものではない。


けれど――こんな悩みはきっと、同じ十代の男女ならば当たり前のように抱えているのだろう。


友達とどう接すればいいのか悩むなんて皆、小学生の時分に経験している。一人を選んでずっと身勝手に生きて来たから、今更のように怖がっている。

散々他人を傷つけて、好きになってくれた女の子を泣かせて、悔やんでも悔やみきれない敗北を重ねて、ようやく俺は当たり前に悩めるようになった。


「そうか……そういうものかもな」

「ヴァイオラはね、今まで異性の人と長く接した事がないんだ。その辺も分かってあげてほしい」

「うーん、難しいけどやってみるか。でもよ、お前」

「なに……?」


「お前、ヴァイオラとは子供の頃からの仲なんだろう? 婚約までしたのに、男と認識されていないのか」


「あっ!? そ、そういう細かい事をいちいち言うから駄目なんだよ、君は!!」

「逆ギレ!?」


 貴公子と、人間。彼との関係はとても優しく、それでいて危うい。















「……」

「……一つ、聞いてもいい?」

「どうぞ」

「貴方は、結婚まで操を立てるタイプなのかしら」

「政略結婚を否定した俺が、婚約話に乗せられてあんたを抱くのは筋違いだろう」


 ヴァイオラ・ルーズヴェルト、俺は彼女と同じ部屋で毎日を過ごしている。共に同じ空間で生きて、日が沈めば同じベットで長い夜を枕を並べて共に過ごす。

ルーズヴェルト家が決めた、婚約話。フランスとの同盟を破棄して、アンジェラの影響力を削ぎ落とす。言わば、形を変えた政略結婚――権力闘争の、延長戦。

親が決めたとはいえ、有力家系が定めた婚約。その影響力は絶大で、他の後継者達も表立って否定は出来なかった。異議を唱えるという事は、その家との全面戦争を意味するからだ。

そして明確に異議を申し立てた俺は、女帝の不興を買い抹殺対象となっている。


「私は承諾して、此処へ来たのよ。貴方は私の望んだ品を、持参したのだから」

「それで、あんた自身が輿入れに来たのか。律儀なんだな」

「お母様には、教育を受けているわ。本で、知識も得ている。貴方を必ず満足させてみせるわ」

「俺が絶対手を出さないから言っているよな、それ」


 上流社会でイギリスの妖精、ルーズヴェルト家の美姫を知らない者はいない。夜の一族の後継者候補の一人である彼女は、美貌をもってその名が伝え聞こえるほどのものである。

現代社会で姫の冠は飾りにすぎぬものであったが、ヴァイオラ・ルーズヴェルトには相応しかった。社交界のプリンス達の心を射止め、婚約話が殺到したらしい。

世の男達が彼女と閨を共にして、美しき肌を愛でる権利を狂おしいほどに欲している。巨万の富、支配者の権力、積み上げた財――その全てを、支払ってでも。


「プライドを傷付けたのなら謝るけど、決してあんたが悪い訳じゃない。むしろ身体が動かない分、こうしているのが生殺しに近くて困っている」

「口づけでもしましょうか?」

「嫌がらせに近いだろう、それは!?」

「甲斐性のない貴方が悪いのよ」


 そして、彼女は今俺の寝所で肌を晒している。世界会議での戦果というのであれば、彼女本人こそ俺にとっては最大の殊勲賞であろう。

吐息がかかるほどの距離に、彼女は横になっている。決して拒まれず、淫らに受け入れてくれる美女。電気を消しても、彼女の美しさはまるで色褪せない。

広いベットだが彼女は俺に寄り添うように、俺の胸に身を預けている。美声は常に耳を魅惑的にくすぐり、肌の温もりさえも情欲を沸き立てる。


手を伸ばせば届く距離――そして、俺の手は壊れて動かない。彼女はそっと、触れる。


「この手を治すために、私の血が必要なのでしょう? 牙を突き立ててもいいのよ」

「最初の夜にも言っただろう? セックスするにしても、血を飲むにしても、あんたの意思がないと無意味だと」

「初めて貴方に肌を見せた夜に言ったはずよ。私は望んで、貴方と居る」


「嘘だ」

「嘘じゃないわ」


「普段はとても物静かなのに、この件になると急に多弁になる。ここ何日もずっと同じ夜を過ごしているんだ、癖くらいは分かる」

「貴方は嘘をつく時、敬語になるわね」


 アリサと同じ指摘を!? 見ていないようで、意外と見ているな。俺に興味を持っているのは、本当らしい。驚かされてしまった。

彼女は俺と似ているようで、全く違う点がある。俺は独りを望んで生きてきたが、彼女は結果として独りであるだけだ。孤高なる精神を持つ妹さんとも、異なる。


恐らく彼女は――夜の一族としては、普通の女なのだ。俺が何処にでも居る一般庶民であるように、特別でも何でもない上流階級の女の子。


ドラマや映画の御嬢様は政略結婚に逆らって愛する男と飛び出すものだが、彼女は疑問すら持たずに受け入れる。家の都合という理由でも、納得する。

自分の人生を、自分の意志で動こうとはしていない。綺麗なだけの、御嬢様。異性を魅了する美貌は、むしろ男の毒牙の標的となって不幸を呼んでしまっている。

婚約話を断り続けたのも、結局は自分で選べないから。そんな彼女が、俺の元へ自らやって来た理由が分からない。


俺と彼女の接点は、何もない。関係改善する余地なんて、ありはしないのに――


「――また、貴方の話を聞かせて」

「どこまで話したかな……?」


「無人の廃ビルに漂う幽霊少女と、出逢った場面よ。作り話にしては、上手く出来ている」


「夜の一族にそう言われると、何だかむかつくわ」

「化物だと言いたいの? 私から見れば、貴方のほうがよほど特別」

「だから、俺は一般庶民だってのに」


 妖精と、人間。心は決して触れ合わず、肌に触れてお互いを感じている。















「――という状況だ。お前は、どう見る?」

「ハーレムエンドの選択肢を、侍君が必死になってNOを押していてウケる」

「帰れ、役立たず!」


 月村忍と、俺――永遠に、変わらない。















<続く>








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