とらいあんぐるハート3 To a you side 第一楽章 流浪の剣士 第三話
流れる風が顔を過ぎり、海の香りを運んでくる。
朝日を背に立つ俺と負傷した箇所を抑えて座る一人の女。
俺は状況を確認して、女の傍らに座った。
「大丈夫か?怪我しているみたいだが」
「あ、はい。軽く擦っただけですから……いたた」
柔らかい口元から零れる透き通った声に、苦痛に歪みつつも少しも衰えない美貌。
女の一つ一つの動作に意識している自分に気がついて、俺は首を振った。
いかんいかん、たかが女に見とれてどうする俺。
「何か車のブレーキ音がしたけど、事故ったのか?」
そういえば女が倒れているのに車の姿は全然ない。
もしトラブルがあったのだとすれば、運転手は逃げた事になる。
朝っぱらから不幸な奴だが、まあ運がなかったという事だろう。
「歩道を歩いていたら、ちょっと――
大した事はなかったんですけどね」
落ち着きを取り戻したのか、淡々と語る女。
覗かせるその表情は冷静で、印象としてどこかクールな感じのする女だった。
近い将来社会に出ればキャリアウーマンが似合いそうな風貌だ。
女は比較的早く立ち直り、俺に視線を向ける。
「私はもう大丈夫ですから、どうぞお気にならず。
心配してくださってありがとうございました」
ようするにかまわなくていいと言っているのだろう。
流麗な紫の髪を揺らして見つめるその瞳には、俺への最低限の配慮と感謝の意がこめられている。
が、口調からは俺の気遣いや心配を受け入れない他人行儀さがある。
見た目の雰囲気からもそうだが、あまり人付き合いをしないタイプなのだろう。
目の前の女からは不思議な気品さと神秘さが感じられた。
「そっか。交通事故は油断から始まるから注意したほうがいいぞ」
「はい」
らしくもない忠告をして、俺はそのまま女に背を向ける。
怪我をしているようだけど、別に知った事ではない。
相手がかまうなと言っているんだ、ほっておいていいだろう。
俺には見知らぬ赤の他人より、今日の我が身が大切である。
腹も減ったので再び公園の方へと、俺は足を進めていく。
「よっと……!? あっ、痛っ……」
小さく、あくまでも小さくだが聞こえてくる女の苦痛の声。
カツン、カツンと歩道を鳴らすヒールの音が聞こえてくるが、歩行音が非常にぎこちない。
足が痛んでいるのであろう、歩行にさえ差し支えているのだ。
……おっと! 何を考えているんだ、俺。
別に俺が怪我させた訳じゃないんだ。ほっておいてオッケーだろう。
大体からして、事故されておいて逃げられるというのがそもそもの間違いだ。
俺だったら死ぬ気で運転手を追いかけて、賠償金+慰謝料込みで一億円はいただく。
おお!意外に儲ける事ができるかも知れんぞ、交通事故。
などと当たり屋紛いの事を考えていると、
「ん……、はあ……」
あまり距離も離れた様子もない女の声が聞こえる。
苦戦しているのか、気配は一向に遠ざからない。
ぐっ――
「……きゃっ!」
どさっと倒れた音がした瞬間、俺は盛大にため息を吐いて叫んだ。
「――たくっ!」
そのまま背後を振り向いて、倒れた女の傍らへダッシュする。
どうやら電柱に掴ろうとして失敗したようだ。
女は呼吸を荒げて怪我している足を抑えており、俺は見ていられなくなって屈んだ。
「何でまた転んでいるんだ、あんたは!」
「え? あ、あの……」
駆け寄るなり怒鳴った俺に、女は目を丸くする。
自分の面倒も満足に見れないくせに突っ張るなっつうんだ。
俺は女の目の前に寄って、女が抑えている箇所を見る。
「ここか?痛むのは」
「私は別にいいで――」
「こ・こ・か!」
「は、はい!」
自分で言うのもなんだが、かなりの形相をしていると思う。
ど迫力の声を出して睨み付けると、女は顔を強張らせて恐縮した返事を上げる。
素直でよろしい。
「素足で放り出した格好をしていたから、転んだ時に擦ったんだな」
ミニスカートなのがいけなかったのだろう。
ジーンズとかだったらある程度ガードはしてくれるが、剥き出しだとアスファルトに強烈に擦れる。
右足の膝の辺りが赤くなっており、血が滲み出ていた。
俺は少し考えて、自分のシャツの袖を一部噛み切って引き裂いた。
「えっ!? あの……」
「じっとしてろ!」
「――」
何か言いたげな女を黙らせて、俺は引き裂いたシャツを傷口に当てて巻いた。
傷口を洗いたい所だが、生憎近くに水道類がない。
見た目からすると大した怪我でもなさそうなので、簡単な処置で充分だろう。
俺のシャツはここんとこ洗濯に出していないのでかなり不清潔なのだが、
その辺は我慢してもらうしかない。
というか、文句を言ったら容赦なく張り倒す。
丁寧とは言いかねるが傷口に処置を施して、俺は手を止めた。
「我ながら完璧に処置をしておいた。帰ったら、病院で見てもらえ。
って、こんな足じゃ帰れないな。お前、家どこ?」
「大丈夫です。家の人に迎えに来てもらうから」
家族の奴に車運転できる奴がいるのか。なら、大丈夫だな。
一息吐いてふと見ると、女が不思議そうな顔でこちらを見つめている。
「何だよ、俺の顔に何かついているか」
「いえいえ。ご迷惑おかけしてすいません」
申し訳なさそうな表情で、女はぺこりと頭を下げる。
「まったくだ。この恩は後世に語り継ぐくらい忘れないようにしろ」
「はは、面白い人ですね」
む、軽くあしらわれてしまった。
少しプライドが傷ついたが、追求しても仕方がないのでそのままにしておいた。
公園の歩道前より車道を車が走り、俺達の横を通り抜けていく。
速度感あふれる車の走りより吹き荒ぶ砂埃を邪険に払った。
このままぼんやり歩道に座り込んでても仕方がない。
だが、この女をこのままほったらかしにするのも今更である。
「ここで座り込んでても仕方がねえな。公園に入っておこう」
俺は女の背中に手を回し、右手を掴んで俺の方へ強引に抱き寄せる。
そのまま肩から抱き抱えると、そのまま腰に踏ん張りを利かせて立ち上がった。
「え、あっ!? ちょ、ちょっと!?」
俺の突然の行動に面食らったのか、慌てて引き離そうともがく女。
こらこら、そんなに動くと落としてしまう!?
「足が満足に使えないんだろう。迎えが来るまで、公園のベンチで座ってた方がいい」
思っていたよりずっと柔らかく暖かな女の感触に動揺しつつ、表面上出ないように努める。
仮にも天下を取る男が、たかが女に触った位で動揺していてはみっともない。
「自分で歩けますから!」
「歩いてなかっただろう。さっき転んだくせに」
「う……で、でも本当に結構ですから」
「あー、もううるせえな!お前はもう十分に俺に迷惑かけてるの!
悪いと思ってるなら、じっとしてろ!」
「……」
ふう、やっと大人しくなったか。
今度もし抵抗したら、このまま歩道に引きずり倒してやろう。
抵抗する力が解けてほっとした俺は、そのままずるずると歩き出した。
正直女一人とはいえ抱えて歩くのは難物なのだが、これも修行である。
こういう地道な訓練こそ明日の天下に繋がるのだ。
ふふ、俺の行動には常にまったくの無駄がない。まさに完璧。
だから決して女の事を意識している訳じゃない、決してない。
「もうちっと先に海が見えるベンチがある。そこで降ろす。
携帯電話とか持っているか?」
「家にかけて迎えに来させますから」
来させる?
いやにご立派なお言葉であるが、実は金持ちのお嬢様か何かだろうか?
身なりは平凡だが、この女の雰囲気は確かに一般人にはない気品さがあるしな。
歩きながらちらりと横目で見ると、女と視線がぶつかった。
「なっ!? 何だよ、じろじろと」
し、しまった!? ちょっと動揺してしまったか。
いかんいかん、こんな初対面の女に侮られてはたまらない。
心臓の鼓動の早さを意識しないようにしていると、女は優しい表情で尋ねる。
「一つ聞いていいですか?」
「何だ? この目の前の超かっこいい男について知りたいのか」
「ん〜、それも興味はありますけど。
それよりもどうして私にここまでしてくれるのですか?」
「そうだな……気まぐれだ」
「気まぐれ、ですか」
それ以上はシカトしようとしたのだが、女の俺を見つめる瞳はどこまでも真剣だった。
仕方がなしに、俺はため息を吐いて答えた。
「あえて言うなら、今日の俺は機嫌が良かったって所か。
言っておくけどな、この俺がこんな何の得にもならん事をいつもするような奴だと思うなよ。
今日はたまたまだ、たまたま」
世間によくいる中途半端な優しさを持っている奴等と一緒にされたくはなかった。
人間、常に大切なのは自分。
他人への無償の奉仕など、俺は断固としてお断りだった。
他人に迷惑をかけずに生きていこうとは思わないし、自分より他人を重んじる考え方もご免だった。
俺は自分さえ満足なら他人がどうなろうと知った事ではないし、どうでもいい。
何にも縛られない気ままな生き方が性に合っている。
言い放ってそのままにしていると、隣の女がくすりと笑った。
「でしたら、今日の私はラッキーだったかもしれませんね」
「言えるな。自分の強運をありがたみなさい」
事故ってラッキーも何もないとは思うがそう言うと、女は何故か嬉しそうに微笑んだ。
先程のクールな表情とは対象的な暖かい笑顔に、俺は頬が熱くなるのを感じた。
「私は月村 忍と言います。あなたは?」
「俺? 俺は宮本 良介。天下を志す侍だ」
親指をびしっと自分に向けて、俺はクールに名乗った。
人間、何事も印象が大切なのだ。
俺の言葉に月村とか言う女はびっくりした表情でまじまじと俺を見つめ、額に手を当てる。
「熱はないですよね?」
「はっはっは、面白い事いう女だな、こいつぅ〜」
「あいたたたたたっ!? ごめんなさい! ごめんなさい!」
案外素直に謝ったので、寛大な俺はこめかみぐりぐり攻撃から開放してやった。
今度余計な事を言ったら、迷わずアスファルトの地面に投げ出してやる。
痛そうな表情をしながら、月村は口を開いた。
「本気で言っているんならすご……いですね」
「……言い辛いなら、タメ口で話せ」
どうやらあまり敬語には慣れてはいないらしい。
俺にしても敬語で話されるのは落ち着かなかった。
俺がそう言うと、月村はうって変わって親しげな口調へと変わった。
「じゃあ遠慮なく。現代の侍を目指しているんだ。
ひょっとして、その腰にぶら下げている木の棒が刀代わり?」
「ふ、なかなかいい着眼点を持っているな」
「誰でも分かると思うけど、褒めてくれてありがとう」
さすがに月村を抱えて抜刀するわけにはいかないので、そのままで話し続ける。
「これは、この町の山で手に入れた由緒ある刀なんだ。
この刀を相棒に、俺はのし上がって行くんだ」
「小枝がはみ出ている木の棒を堂々と刀と言い切れるのは、ちょっとすごいと思う」
嬉しくもない褒め言葉をいただいて、俺は涙が出るのを堪えた。
ふん、泣かないもん。いつか本物を手に入れてびびらせてやる。
月村を背負い、ようやく俺は先ほど座っていたベンチへと辿り着いた。
そのままベンチへ月村をゆっくりと降ろしたその時、俺はそもそもの原因を思い出した。
「わ、忘れてた……うう、俺の、俺の寿司が……」
がっくりと俺は地面に項垂れた。
目の前には、朝日に照らされて光り輝いている刺身が毀れた寿司箱の残骸がある。
すっかり裏返っており、シャリも具もあったもんじゃない。
さすがの俺もここまでなった物を食べる程落ちぶれてはいない。
「どうしたの、侍君? わ、ぐちゃぐちゃ……」
別に悪意があって言った訳じゃないのだろう。
しかし無邪気な美少女の罪のない言葉が、俺のダイヤモンドのような心を深くえぐった。
「悪かったな、ぐちゃぐちゃで! 元はと言えば、お前が悪い!」
「私!? それは冤罪だよ」
「うるさい、やかましい、だまれ! お前の悲鳴がなければ落とさなかったんだよ!
ああ……あの時の悲鳴がなければ、今頃トロちゃんや海老ちゃんが俺の舌を唸らせてくれたというのに」
俺に出来る事は彼等を海へと還してあげる事だけだ……
グッバイ、久し振りの寿司。君達の事は忘れないよ。
俺は涙を持って敬礼し、彼らの遺体を海へと投げ捨てた。
しょうがない、残っている弁当類だけで我慢するか。
「侍君、侍君」
「人を変なあだ名で呼ぶな!
あのなあ、今の俺は猛烈に悲しみに満ち溢れているんだ。
ほっておいてくれ」
ガックリとしていると、月村は困ったように微笑んで言った。
「そこまでお寿司が好きだったんだ……
あのさ、今日はいろいろお世話になったし、侍君のご飯台無しにしちゃったみたいだから、
良かったら私の家で御飯食べていかない?」
「お前の家だぁ?」
この月村の提案が、海へと還った戦友達より遥かに価値がある事を俺は知らなかった。
<第四話へ続く>
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