とらいあんぐるハート3 To a you side 第五楽章 生命の灯火 第七十五話
子供が最初に覚えるキュートな魔法の呪文、ドレミの歌。
拘束魔法で捕らえられた瞬間心は絶望に染まらず、七色の音色が鳴った。
プレシアを感情的に挑発し、攻撃のタイミングを誘導――
両手両足をバインドで拘束されているのなら、相手が狙う箇所は当然頭か胴体。
非殺傷設定だか何だか知らないが、頭に魔法が直撃すれば普通に死ぬ。
よって狙われる確率の高い胴体に、プレシアの攻撃魔法と同時に譚盾を発動。
譚盾にはゴムのような弾力と、スポンジのような柔らかさを秘めている。
単純なリズム、ド・レ・ミ――攻撃・防御・回避。
プレシアの魔法は狙い違わず胸に直撃、盾の弾力とぶつかり合って盛大に床に転がった。
タイミングはほぼ狙い通り、命もまた繋がっている。
ただ……フィリスの懸念は、的中した。
"リョウスケ、しっかりするです! リョウスケーー!!"
「ゴホッ、ゲホッ、ガッ……ハッ……」
譚盾は防弾チョッキ同様弾が身体を貫通するのを防げるが、衝撃までは防げない。
プレシアの攻撃魔法の直撃は何とか防御出来たが、再起不能に至らしめる威力は緩和だけに留まった。
巨人兵戦で折れた胸骨が嫌な音を立てて爆ぜ、目が眩む激痛に悶える。
元より、戦える身体ではない。
たった一度魔法が直撃しただけで、俺の身体は痛みによる麻痺で動けない。
意識を保てているのは、紛い物の盾の小さな恩恵だろう。
『……酷い……酷いです! どうして、リョウスケを傷つけるのですか!?
貴方だって、もう分かっている筈です!
自分は間違えていたんだと――アリシアさんは絶対に喜ばないって、分かっているんでしょう!
分かっているのに、こんな事をするんですか!!』
地に伏せた剣士に代わって、懸命にメッセージを送るミヤ。
念話の制御だの小難しい理屈を超えて、妖精の悲痛な叫びが魔女を揺るがせる。
杖を取り落としたまま、プレシアは視線を落としていた。
激痛に朦朧とする視界に見える彼女の顔は、不思議と狂気が薄らいでいるように見えた。
奇麗事に聞こえるミヤの言葉にさえ、優しい微笑を浮かべている。
それは子供の正義感に触れた、大人の哀しい未練だった。
「……優しい娘ね……でも。
貴方が彼を大事に思うように、私も娘が大事なの」
暴力のデバイスを拾い上げて、不幸な母親は固く瞳を閉ざす。
思い出しかけた何かを、胸の奥に閉じ込めるように――
気配を察した妖精は、必死で心の扉をノックする。
『その気持ちを少しでもいいから、他の人に向けてあげて下さい!
リョウスケだって、貴方が憎くて願いを拒否しているのではないのです!』
「ふふ……最初から分かっていたわ、そんな事。
でもね、私にはもう時間が残されていないの。
全てをやり直すにはもう、奇跡を起こすしかない。
自分を振り返る時間も、悔い改める時間も残されていないわ」
プレシアは、泣いていた。
涙はとうの昔に枯れ果てて、悲しむ感情は不幸な現実で擦り切れてしまった。
打算のない妖精の説得は、冷えた心を束の間温かくするだけ。
間違えていると分かっていても、彼女はもう止まらない。
不慮の事故で愛する娘を失い、事故の責任を押し付けられ、社会から追われて、不幸のどん底に落ちた。
過ちを正すには、プレシアは不幸な目に遭い過ぎた。苦しみ過ぎた。
どれほど罪を重ねても幸せを手に入れなければ――これまで生きた意味すらなくなる。
未練も迷いも振り払い、プレシアは倒れ伏す俺を見下ろす。
「勝負あったわね、私の勝ちよ。
力無き者がどれほど足掻いても、これが現実」
(……ふざけんなよ、クソババア……
テメエの無力は嫌と言うほど思い知ってるんだよ、こっちは!)
現実は厳しく、理想は簡単には実現しない。
本当の幸福を手に入れられるのは一握り、不幸は誰でも簡単に掴める。
弱者は強者に勝てない。
死んだ人間は生き返らない。
分かってる。
分かっていて――俺もアンタも、諦められなかったんじゃねえのか?
アリサが死んだ現実を。
アリシアが死んだ現実を。
認めてしまうのが悔しくて、終わってしまうのが哀しくて。
死を弱くて乗り越えられなかった俺達は、誰かを傷つけてでも取り戻す道を選んだんだろうが!
それを……今更何だ、ふざけんな!
ギリギリ歯を鳴らす。
地べたに這い蹲って、ただ呪わしく見上げるしか出来ない自分に腹立たしくて仕方ない。
(……動け……動け、動けよ! このポンコツが!
悔しくねえのか、テメエは!? いつも誰かに助けられてばっかりで!
テメエの責任で、何人傷つけてきたと思ってんだ!
アリサも、はやても、那美も、月村も、テメエの為に自分の生命を削ったんだぞ!
たまには自分の力で、立ちやがれぇぇぇぇぇ!!)
臓器が悲鳴をあげ、折れた骨の何本かが軋み歪んでいく。
汚れた外出着がはだけて、胸の包帯に赤い血が滲んでいった。
度重なる深手を負った身体は、立ち上がる事さえ許してくれない。
声も出ず、喉の奥から血の混じった唾を撒き散らすだけだった。
"リョウスケ、お願いですからもうやめて下さい!"
"うるせえ、黙ってろ!
このままブザマ晒したら、あの女破滅するだろうが。
あいつはもう、後がねえんだぞ!"
"で、でも、リョウスケが傷付くのも、ミヤは嫌です!
……やっぱり、不幸な運命は変えられないのかもしれません……"
ミヤの哀しげな声と、彼女の冷たい横顔が奇妙に重なった。
はやてを汚した俺を冷徹に見下ろす彼女は、時折深い悲しみの影を見せる時があった。
彼女ほどの力を持つ者でも、自分の無力に嘆いた事があるのだろうか?
厳しい現実、哀しい運命――強者でも覆すのが困難な、壁。
ミヤの小さな掌では砕けないのなら……
"……約束しただろう? お前の願いも叶えてやる。
フェイトも、アリシアも――プレシアも幸せになって欲しいと願ったのは誰だ!"
"リョ、リョウスケ!? ミヤとの約束も覚えていてくれたんですね!
あ、ありがとう……ありがとうございます、リョウスケ!
さすが、はやてちゃんが選んだ人です!"
遠回りしても結局主を褒める姿勢は、本当に大したモノだと思う。
妖精に与えた感動は、ユニゾンによる影響で弱々しい俺の心をも熱く震わせる。
負けられない、何としても。
この勝負だけは――最後の最後だけは、絶対に勝たなければいけない。
そうしなければ、この数多の生命を傷付けた事件は終わらない。
「無駄よ。咄嗟に奇妙なシールドを張った技量は認めるけど、それまで。
その負傷では、もう戦う事は出来ないわ。
大人しく負けを認めれば、洗脳なんて真似はしないであげる。
……今こそ取り戻さなければいけないの。私とアリシアの、過去を。
こんな筈じゃなかった、世界の全てを!」
プレシアが杖を掲げたその瞬間、強大な魔方陣が踊り狂う。
先程とは比べ物にならない、暴力の渦。
巻き込まれれば、盾ごと俺の身体は粉々に粉々に消し飛ぶだろう。
俺の視界の中で、プレシアが大写しになった。
万事休すか――
「世界はいつだって、こんな筈じゃないことばっかりだよ」
濃厚に漂う魔力の陽炎が、瞬時に掻き消されていく。
瞳を焼く魔法の光が突如消失し、空間に平穏が戻る。
強大な魔方陣は扉から放射された蒼き光が、鋭く削り取っていった。
「ずっと昔からいつだって、誰だって、そうなんだ……。
そんな筈じゃない現実から逃げるか――それとも立ち向かうか、それは個人の自由だ」
通路の向こうから現れる、漆黒の守護者。
個人の感情を一切混じえず、鋭い声で罪人を断罪する。
大いなる意思と――犯罪を犯してしまった者への、真摯な気持ちを前に。
「――だけど。
自分の勝手な悲しみに無関係な人間まで巻き込んでいい権利は、どこの誰にもありはしない!」
その言葉はどこまでも正しくて――薄っぺらな同情心なぞ、弾き飛ばしてしまった。
俺の温い説得よりも遥かに鋭く、聞く者の心を突き刺す。
クロノ・ハラオウン執務官。
説得に失敗した俺に対して糾弾や叱責を向けず、心から案じる視線を送る。
後は任せろと、その凛々しき姿が語っていた。
狭い世界で見苦しくのた打ち回る剣士より、余程決然としている。
小さな彼の背後から、大きな背丈の女性が歩み出て――傷付き倒れる俺を見て、顔色を変えた。
「アンタって女は……どこまで腐ってるんだい!?
そいつはね、アンタの罪を庇ったんだよ――!
アタシも、フェイトも……アンタ自身も,助けようと必死だったんだ!
それなのに!?」
純粋な感情を持つ人間同士だからこそ、清々しいほど他人だけの言葉を放てる。
アルフはかつて死闘を演じたとは思えない程、俺の為に糾弾してくれた。
対するプレシアもたかが使い魔と、彼女を見下ろさない。
どこか、疲れているようにすら見えた。
「……彼が、私を? フン、彼は私の願いを否定したのよ。
第一、彼が私を助ける理由がないわ」
「理由なんて要るんですか!?」
胸を上下させてやって来た、魔法少女。
運動神経なんて欠片も無いくせに、わざわざ走ってやって来たらしい。
空を飛べる事さえ忘れて……俺を心配して。
俺に勝利の意味を教えてくれた女の子は、緊張しながらも確固たる瞳を向ける。
「人に優しくするのとか、人を助けようとする事に、理由なんて必要なのでしょうか!?
おにーちゃんも、アリサちゃんが死んで泣いていたんです。
とてもとても、悲しかったんです!
大好きな人を失う気持ち――その想い一つで手を差し伸べるだけで、意味はあると思います!」
その手に強き力を宿した杖を持っているのに、なのはは歩み寄ろうとしている。
力ずくで止めるのではなく、まずは話し合いを――
高町家の少女は育まれた優しさを忘れず、修羅場に立って尚必死で訴えかけていた。
そんななのはを、クロノがそっと引き止める。
「……もういい、なのは。彼は説得に失敗したんだ。
もう――言葉は通じない」
「ま、待って下さい!? おにーちゃんはプレシアさんを救おうと――」
「その彼を、プレシア本人が傷付けたんだ!!」
「っ!?」
冷静沈着なクロノらしくもない、荒々しい怒りの叫び。
罪人を裁くデバイスを強く握り締めたまま、彼は唇を震わせていた。
少年っぽさの残る憤り――
執務官であろうとする強い責任感を、純然たる怒りが上回ってしまったのだろう。
説得しようとした俺を、傷付けられて。
は、はは……なんだ……あいつも、お人好しな面があったんだな。
管理局員としては失格かもしれない。
けれど、俺は何故か未熟なその精神に好感のようなものを抱けた。
クロノはなのはを脇にどけて、前へ歩み出る。
少女は何か言い出そうとするが、倒れている俺を見て悲しそうに俯いた。
――なの、は……
「プレシア・テスタロッサ。貴方の計画は終わりだ。
残るジュエルシードは全て管理局が回収、封印している。
ロストロギア不法所持並びに、民間人への危険魔法使用――な、何だ!?」
ふわりと、白い巫女服が空を舞う。
金色の鈴が高らかに鳴り響き、美しい金髪をポニーテールにした少女が地に降り立つ。
――可愛らしい獣の耳を揺らして。
「どいてくれ」
「……」
逮捕しようとするクロノの前に――両手を広げて立ちはだかる久遠。
可憐な表情を恐怖に強張らせながら、懸命に首を振った。
何度も、何度も……泣きながら、必死に――
「しんじて」
……久遠……、……。
人見知りするくせに……本当は、怖いくせに……
……。
「……使い魔の鏡ね。
その健気な頑張りには感心するけど、貴方の主は――」
「――当然、まだまだ頑張れるに決まってるよな。久遠」
「何ですって――!?」
這いずるようにして、俺は無理やり身体を起こす。
痙攣するように手足を動かして、負傷した身体を立ち上がらせた。
家来があんなに信頼してくれてるのに――おめおめと、寝てやれるか!
身体の痛みなんて、蹴飛ばしてやった。
まだ、戦える。
「なのは、フェイト、アルフ、クロノ……悪いけど、気持ちだけ受け取っておくよ」
今にも途切れそうな呼吸を、ゆっくりと整える。
胸の奥――骨格全体が痛みに軋んでいるが、それすら飲み込んで俺は笑う。
どれほど強さが伴わないポンコツでも、エンジンが熱ければまだ動ける。
この身体は那美とフィリスが癒し、月村が支えてくれているのだから。
「この戦いは――俺達にとって終わりであり、始まり。
自分の今までにけじめをつけて、新しい人生を歩む為のきっかけなんだ。
俺達だけで、決着をつけなければいけない」
俺達はもう、昔の自分には戻れない。
多くの人たちを傷付けて、ここまで来てしまった。
プレシアは世界の全てを、俺は自分の世界を取り巻く人達を――
次元世界を巻き込んだ、壮大な我侭。
誰に何を言われても止まれないなら、他ならぬ自分自身で止めるしかない。
俺が、俺と同じ悲しみを宿した者を――今こそ。
「何度立ち上がっても無駄よ!」
魔力で生み出された光の輪が、俺自身を固定する。
回避する隙すらなかった。
本能レベルで発動した拘束魔法は、寸分違わず俺の自由を奪う。
なのはが、フェイトが、アルフが、クロノが――その誰もが飛び出そうとして、久遠の前で自重する。
久遠は、まだ諦めていない。
純粋無垢な少女の愛情は、出逢ったばかりの剣士に熱く向けられている。
……ありがとよ。
「さっきから無駄無駄と……いい加減、他人を舐めすぎなんだよお前は!!」
嫌になるほど、昔の俺に似てやがる。
思い知れ、宮本良介。
この世界でただ一人だけ立てる天下の頂は、よわっちいお前には高過ぎるんだよ。
力だけで頂上まで辿り着けるような、半端な世界じゃない。
さあ、行くぞ。
一人を否定するつもりは無い。でも、まだ俺には早い。
無意味な見栄は捨てて、必要な意地を残して。
古く傷付いた繭を脱ぎ捨てて、今こそ新しく生まれ変わる。
爺さん……色々あったけど、俺はアンタと違う道を行くよ。
――自然に恵まれた優しい世界、海鳴町。
巡り会った人達は驚くほど真っ直ぐで、大のお人好し。
そして、健やかな強さを持っていた。
俺はあの町で自分の弱さを知った。強さの意味を知った。
敵を倒すには、敵を知る。
強くなるには――強い人間を、理解すればいい。
自分ではない誰かを知るために、この弱さがある。
この町で育んだ海鳴の精神――触れてきた少女たちの思いを、今ここに。
「意思疎通――"テスタロッサ"、セットアップ」
強引に力を掴んだ結果、八神はやての生命を危うくした。
美貌の死神の微かな信頼を失い、那美まで巻き込んでしまった。
そんな彼女達に向ける、俺からの答えがこれだった。
無理に力を望まず、俺は桃子達のように手を伸ばす――
――伸ばした両手にそれぞれ、温かさと力強さが宿る。
内在的に存在する微小の魔力に、掴んだ手から新しい魔力が流れ込む。
意識が飛びそうな衝撃と同時に、両手両足を固定する輪が消し飛んだ。
「バインドが消滅した!?」
拘束魔法を浄化した力は変成されて、眩い魔力光を生み出す。
幻想の草原を美しく照らし出す白銀の光が、右腕に。
暗い空を眩く輝き出す黄金の光が、左腕に。
アリシアに、フェイト――
偶然と必然の出逢いから生まれた姉妹との絆が、形となりて両腕に宿る。
"テスタロッサ"の名を刻む、聖なる篭手として。
「そ、その力は、貴方のものではないでしょう!」
「そう――これは、あんたが捨ててしまった力。
己が願いに狂って、無価値と決め付けたゴミから生成した――バリアジャケット。
――捨てたモノの重みを知れ、プレシア・"テスタロッサ"」
高町家を出た時から燻っていたつかえが、今ようやく完全に取れた気がした。
他人に支えられる事を恥としない――そんな簡単な事で。
今は前だけ、見ればいい。
信じることを、信じればいい――
後は、過去と決着をつけるだけだった。
<第七十六話へ続く>
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