とらいあんぐるハート3 To a you side 第一楽章 流浪の剣士 第十八話
速い――
荒げる呼吸が激しく肺への酸素の供給を促して、レンは胸を抑えながらも目の前の相手を観察する。
深淵の夜空に浮かぶ月とテラテラ光る街灯を頼りに、無我夢中で逃走し続ける者をレンは追っていた。
走る速度は自分よりもやや早く、足運びはきわめてスムーズ。
間違いなく運動か鍛錬を行っている者でしかつかないリズムのいい足取りだった。
見えている背中は広く、片手には長物を仕舞っているであろう袋を持っていた。
「あいつなんか?いや、でも・・・」
レンは脳裏に数日前の出来事を思い浮かべる。
浅ましくも早朝よりコンビニのゴミを漁って、なお悪びれずに堂々としていた男。
そして――恐らくは連続通り魔事件最重要容疑者として扱われている人間。
リフレインする記憶は男にしてやられた不快感と、言葉で表現できない気持ちを生み出した。
レンは感傷を振り払って、もう一度よく思い出した。
「確かあいつは木の棒をそのまま腰に差していた筈や。別人か・・・?」
一定距離から詰める事は出来ないが、それでも見渡せる後姿は男であると判断出来た。
レンにとって問題は犯人があの男があるかどうかである。
そもそも自分が追いかけている相手は犯人であるかどうかも分からないのだ。
ただ事件現場を見て怯えて隠れただけかもしれないし、惨状を見る自分達にびっくりして逃げただけかもしれない。
何もかもが憶測に過ぎないが、レンは目の前の男こそ犯人であると思っていた。
何としても捕まえて顔を見る、その思いが彼女を動かしている。
もしもあの男ならば、自分はどうするだろうか?
レンは捕まえた後の事は考えてすらいなかった。
「はあ、はあ・・・・・・あんた、ちょっと待ち!」
「うっ!?」
レンが大声で怒鳴ると、男はぴくりと体を震わせたものの走りを止めようとはしなかった。
男の様子にレンは歯を食いしばり、そのまま加速を続けていく。
一心不乱というべきか、レンは前しか見えてはいなかった。
ゆえに隣に追いついて、平走するもう一人の女の子の存在には見向きもしない。
「お、おい!お前、あいつを知っているのか?」
そう言って、晶は逃げ続ける男を一瞥した。
晶の問いにレンは少し沈黙していたが、やがて切れ切れになりながらも話し始める。
「もしか・・ふぅ・・・もしかしたら、あいつはうちが知ってる奴かも知れん。
もしそうやったら、うちが止めんとあかんのや!」
問題の男とはコンビニで会ったのが最初で最後である。
劇的な瞬間でも何でもなく、ロマンティックな恋の予感も何もない出会いだった。
特に仲が良くなった訳でもなく、むしろ怒りを持っていても何の不思議もない事をされている。
だが、レンはそのたった一度の邂逅を無関係だと断じる事が出来ない娘だった。
責任感が強いというべきか、レンは何人もの被害者を出しているかもしれないその男に怒りと憐憫を感じていたのだ。
「レン・・・・」
強い決意を感じられるレンの横顔に、晶は一言呟いて気遣わしげな表情をする。
詳しい事情はわからないが、レンの知り合いが犯人なのかもしれない。
晶はその心中を察して声をかけられずにいると、レンは走りながらそこで初めて晶を見つめる。
「晶、あんたは付き合う必要はないで。これはうちの問題や」
レンの言葉にやや呆気に取られながらも、晶は首を振った。
「何言ってんだ。そんなカメみたいな走り方じゃ追いつくのは無理に決まってるだろう」
「誰がカメや!ってあんた・・・・・」
晶の言葉の内容を理解してびっくりした顔をするレンに、晶はにやっと笑った。
「あ〜あ、師匠や美由希ちゃんもついていないよな。
町を騒がせている御尋ね者を、たまたま通りかかった俺達が捕まえてしまうんだからさ」
それ以上子言葉が続けられないのか、晶は照れくさそうな顔を背ける。
夜の暗闇でも分かる頬の赤らみが分かる晶の横顔に、レンは屈託のない微笑みを浮かべた。
日頃は仲が悪い二人だが、こうした互いへの思いやりは決して欠いた事はない。
「絶対に捕まえるで!晶、しっかりついておいでや!」
「おう!お前も無理すんなよ!」
二人は互いに頷き合って、更なる加速を行う。
晶は日々鍛えているので持久力は抜群だが、肝心のレンはそうはいかない。
天才的な武術の素養はあっても、毎日を学業と家事に勤しんでいる身である。
このまま追いかけっこを続けていては体力が持たなくなってしまう。
仲良く道路の真ん中を走り抜ける二人の接近に気がついたのか、逃げている男は慌ててスピードを上げる。
「あいつ、速いぞ!?」
「逃げても無駄やで!そう言うて聞いてくれる奴ちゃうか」
レンも晶も既にかなりの速度に達しているのだが、相手はそれ以上に速かった。
男の姿は少しずつ遠ざかっていき、夜道に伸びる影のみが濃くなってくる。
生まれ持ってか鍛えてかは分からないが、どうやらかなりの健脚の持ち主のようだ。
二人はその後も何度ともなく脅迫まがいの呼びかけをしているのだが、逃走者は聞く耳すらもたない様だ。
このままでは埒があかないと思ってか、レンは抑えた声で晶に呼びかけた。
「晶、今から言う事をよく訊きや」
「何だよ、急に」
「うちが今からあいつの注意を逸らす。その隙にあいつに押さえてほしいんや」
もう限界に来ているのか、冷たい空気に流れる白い息が流れる間隔は短い。
真剣なレンの声にぐっと腹を決めながらも、慎重な声で問う晶。
「分かった、俺が何とかあいつを止めてみる。
失敗したらもう追いつけなくなるからへまするんじゃねーぞ」
ここでどういう方法で食い止めるのかを聞かない所に、晶のレンへの信頼が伺える。
引き付けると言ったからには必ず引き付けてくれると信じているのだ。
晶なりの叱咤激励に、レンもまたレンなりに答える。
「うちはあんたと違って要領はいいから大丈夫や。あんたこそ逃がしたらあかんで。
じゃあ・・・」
自分の着ている服の胸元のボタンに手を伸ばし、一気に引き抜く。
解れた糸はそのままに、レンはボタンを利き腕の親指に引っ掛けて照準を合わせる。
レンが何をやろうとしているのか気がついた晶は、瞬間的に夜の世界を駆け抜けた。
瞬間ビシッと手痛い音が炸裂し、
「だっ!?」
何の苦もなく走っていた男は突然首の後ろを抑えて仰け反った。
その隙を見逃す晶ではない。
「もらったぁぁぁっ!!」
そのまま男の後ろまで走り続けて、晶は勢い良く背中に飛び掛った。
突然の重みに男は対処出来ずに、そのまま重力に導かれるように道路に倒れる。
「な、な、な・・・・・いたたたっ!?」
「おっと、じたばたするなよ。腕をへし折るぞ」
晶は男の腕を完全に極めて、行動不能に至らしめる。
まもなく追い付いて来たレンはほっとした様子で駆け寄り、無様に転がされている男の脇に屈む。
薄暗い道路には晶に飛び掛られた時に落としたのか、担いでいた袋があった。
男を油断なく見つめながら、レンは袋を拾って預かる。
これで男はもう何も出来なくなった。
ほとんど一瞬の逮捕劇だった。
「最近練習してへんかったけど、うちの指弾もなかなかのもんやな」
親指のみの力で相手にダメージを与える遠距離技。
通常はパチンコ玉のような金属の丸型が有効なのだが、小さなボタンでも十分に応用は利く。
レンは自分の服のボタンを高速で弾いて、男の首筋に命中させたのである。
「・・・久しぶりやな。まさかあんたとこんな形で会えるとは思ってなかったわ」
「・・・・・・・・・・・・」
一方の男はというと完全に抵抗する気を失ったのか、顔を俯かせて道路に倒れたままだった。
上から見下ろす限りでは男ははっきりとは見えず、レンからは男本人かどうかは確認できない。
晶は腕を取ったまま男にのしかかり、レンを見上げて言った。
「レン、どうする?さっさとこのまま警察に突き出すか」
「いや、ちょっとこいつに話が・・・」
「けいさ・・・!?待った!待ってくれ!!」
晶の言葉に過剰に反応して、男は腕を抑えられたまま足掻き出す。
突然の男の抵抗によりも男の声に反応して、レンも晶も怪訝な顔をそれぞれにする。
数日前なので記憶は確かに曖昧になってはいるが、出会った時の声とは質が違っていた事にレンは気がついたのだ。
晶も晶で、どこかで聞き覚えのある声であった。
二人は顔を見合わせて同時に男の顔に目を向けて、二人で声をあげた。
『高瀬さん!?』
「あいててて・・・・!!」
規律よく設置された街灯の光に照らされるその顔は、まぎれもない高瀬であった。
道路の陰に隠れていた顔を上げ、前先道場の愛弟子は悲鳴をあげた。
思わず晶が体重をかけてしまったために腕を捻ってしまったのだろう。
だが当人の晶は意に介さず、当惑の眼差しを高瀬に向けた。
「ど、どういう事だ・・・?まさかあんたが犯人!?」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!僕は犯人じゃない!」
高瀬は切羽詰った様子で叫ぶが、突然の否認にもレン達は半信半疑のままだった。
レン達の様子に気がついたのかいないのか、高瀬は舌を滑らせて語る。
「君達こそなんなんだ!?
いきなり人を追いかけて来て、僕にこんな乱暴を働くなんて!」
「うちらはただ事件現場で怪しいことしている奴を追ってただけです。
あんたが犯人じゃないんやったら、何で逃げたんですか?」
レンの言葉は確かに正論である。
事件発生場所付近に隠れて逃げられたのでは、犯人だと間違えられても致し方ない。
むしろ高瀬が否認しているだけで犯人である可能性もあるのだ。
美由希とは違って何の付き合いもないレンや晶は、突然逃亡と怪しい行動をとった高瀬に疑惑を持ってしまう。
二人の疑いの視線に、高瀬はしどろもどろに答える。
「僕はただあの憎き男を捕まえたくて夜回りをしてたんだ。そこへ突然の悲鳴と来た。
慌てて現場に向かえば君達がなにやら騒いでいるので様子を見ていたところへ、このザマだ」
「事情を説明すればいいじゃないか。逃げるから追いかけるんだぜ」
晶のもっともな意見に、高瀬は弱り果てた様子で答えた。
「雲行きが怪しかったからね・・・僕だって逃げるような真似はしたくなかったよ!
でも犯人だって疑われたくはないじゃないか・・・」
ぼそぼそと言葉を濁して答える高瀬に、レンは溜息を吐いて没収した竹刀袋を開ける。
封印していた紐が解かれて、中からは真新しい竹刀が納められていた。
よほど丁寧に扱っているのか、竹刀は汚れもなく綺麗であった。
少なくとも木の棒とは比べ物にならないほど立派な物である。
高瀬がもし犯人であるのならば、竹刀は血に染まっている筈だ。
結局人違いで、レンは分り易いほどに肩を落とした。
「晶、この人はちゃうわ」
「え?じゃあお前が追っていた奴ってのは・・・・」
「あいつはこんな綺麗な竹刀なんて持ってないわ。
もっとこ汚い、どこで拾ったんか分からん木の枝みたいなのを腰に差してた筈や」
残念な様子でレンはそう説明すると、晶は緊張を緩めて腕を解いた。
高瀬は固められていた状態から開放されて、上体を起こして伸びをする。
「誤解が解けたようでよかったよ。君達も犯人探しをしているのかい?」
「まあ正確にはこいつですけど・・・・」
骨折り損で不機嫌な顔をしながら、晶はレンを指差す。
高瀬は肩を落としているレンを見つめ、少し考え込むように口を開いた。
「君が探している犯人、木の棒を持っている男だと言っていたね?」
「はい。まだ犯人かどうかは分かりませんけど、ちょっと面識がありまして・・・・・
うちはそいつにどうしても会わないといけないんです」
「ふむ・・・・・・・・
君とその人がどういう知り合いなのかは分からないけど、恐らくは僕が探している犯人と同一人物だと思うよ。
あの男、我が道場に乗り込んできた時も小汚い木切れで向かってきたからな」
不愉快だと言わんばかりに、高瀬は鼻を鳴らした。
対するレンは考えるものがあるのか、そのまま黙りこくってしまう。
取り残された晶は居心地悪そうにしていたが、ふと気がついて周りを見渡して顔を青ざめる。
「お、おい、レン・・・」
「ん?なんや、こざる」
レンの悪口にも反応せずに、晶はきょろきょろしながら言った。
「お前、なのはちゃんはどうした?」
「なのちゃん?なのちゃんは・・・・・・・・・」
答えようとしてそのまま固まるレン。
晶は深刻な顔をしたまま恐る恐る尋ねた。
「ま、まさか俺達・・・・」
その先は言葉にしなくてもレンには分かっていた。
自分が思いつめて行動したために、なのはを現場に置き去りにしてしまったのだ。
「晶!すぐに戻るで!」
レンはそう言って、そのまま走り始める。
夜はまだ終わった訳でも、通り魔の犯人が捕まった訳でもない。
なのに恐怖の夜になのはを取り残してしまった事に、レンは多大に後悔していた。
「ああ、もう俺とした事が!もし何かあったら、師匠に顔見せが出来ない!!」
「あ、待ってくれ!僕も同行しよう」
三人は息を切らせて、そのまま元来た道へと引き返す。
最早手遅れである事を知る由もなく・・・・・・・・
<第十九話へ続く>
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