とらいあんぐるハート3 To a you side 第五楽章 生命の灯火 第四十話
人間、贅沢に慣れると際限なく溢れ出す。
高町家やはやての家で味わった真心に満ちた毎日は、思ったより俺を凡俗に染めたようだ。
幽閉生活をたかが一日以上味わった程度で、俺は既に心身共に疲弊していた。
最低限の設備はあるとはいえ、牢屋では不便な点が多すぎた。
傷口の洗浄は何とか出来ても、全身に広がる軽度の火傷や折れた鼻の治療は出来ない。
眠りを妨げる皮膚の痛み、神経を尖らせる鼻の痛み。
応急処置も出来ない状態に懸念していたが、時が経つにつれて痛みは引きつつあった。
――緩慢に身体を覆う、柔らかな温もり。
アルフとの戦闘時、死んだ身体を支えてくれた血。
烈火の如き熱さは今感じていないが、神経の細部にまで届く温かさが怪我を包んでくれていた。
回復魔法のような即効性は無いが、怪我の悪化だけは防いでくれている。
折れた鼻も血は止まり、不自由ながらに呼吸は出来ている。
ただやはり狭い牢屋で身動きも取れない状態では、疲れが蓄積するのは事実。
陰鬱とした気分は晴れず、薄暗い天井を見上げるしかない。
静寂だけが、唯一の救い――
静かなる一時と光の差さない空間が、荒れた心を少しだけ慰めてくれる。
孤独に生きる剣士ゆえの、異端の休息。
誰もが拒絶する暗闇を、俺は愛していた。
一人だと何も考えなくて済む。
何も……
"フェイトの大切な友達を、救いたかったんだ"
(……ちっ)
静寂を破る悲しみの叫びが、鈍痛のように耳元に響く。
傷の痛みと合わさって、言い様のない苦味が口に広がる。
――結局、アルフを最後まで責める事が出来なかった。
泣き崩れる女に、罵倒も赦免も出来なかった。
憎しみは消えても怒りは消えず――悲しみだけが残されて。
話し終えて寂しげに去っていく使い魔の背中を、俺はただ見送る事しか出来なかった。
冷たい壁にもたれかかったまま、俺は両手で竹刀を掲げる。
解決策はある。
シンプルに考えればいいだけの話。
フェイトやアルフ、プレシアを斬ればいい。
レンを見捨てさえすれば、俺に足枷は無くなる。
実行可能かどうかは別にして、今のように悩む事は無くなる。
むしろどうして悩んでいるのかが、俺には分からない。
心臓病の少女。
親に愛されない少女。
主の不遇に心を痛める女性。
そして――大切な存在を喪った女……
明らかに被害を受けているのに、心の底から憎めない。
とんだ甘ちゃんだった。
"良かったじゃないですか。
アルフさんもフェイトさんも、貴方の事を気にして下さってたんですよ"
"裏切ったのは事実だろうが、馬鹿"
"で、でも事情があった訳でして……"
"事情があれば裏切っていいのかよ。
心臓病で苦しんでるガキ攫って、人質として利用してるんだぞ"
"で、ですけど……アルフさんもフェイトさんも、他に方法が無かったんだと思います。
プレシアさんだって――
あなたが一番理解出来ている筈じゃないですか?
誰かの愛を……笑顔を取り戻す為に、他の何かを犠牲にする。
そんな純粋で、悲しい心を……貴方なら"
――喪いたくないと痛烈に願い、想いを通わせる大事な存在。
微笑みを向けられるだけで、幸せを感じられる。
傍に居るだけで心が満たされて、喪えば生きる意味すら消えてしまう。
プレシアにとってのアリシア。
フェイトにとってのプレシア。
アルフにとってのフェイト。
俺にとっての――アリサ。
他の奴等なんかどうでもいい。
あいつの居ない世界に、何の価値も無い。
もう一度やり直せるのなら、自分の全てを差し出せる。
どれほどの非道に身を堕とそうともかまわない――
プレシアやフェイト、アルフの一途な気持ちを、俺は確かに否定する事が出来なかった。
こいつは本当に――痛いところをついてくれる。
はやての家で出逢ったあの時から、御伽話の妖精は優しくも厳しかった。
生まれたての赤ん坊のように清らかな心で、真心の言葉を届ける。
下衆な大人の欺瞞に染まった俺の心には痛くて――涙が出るほど、温かい。
"本当に、言いたい放題言ってくれるなお前"
"貴方はミヤがいなければ駄目駄目ですから"
行き場の無い憤りを八つ当たり気味にぶつけたのに、ミヤは責める事無く笑ってくれる。
確かに――こいつにとって、俺はまだまだ駄目な男のようだ。
"この事件、俺が関わるべきじゃなかったかもな……"
異世界の事故から始まった、ジュエルシード事件。
事件の根幹そのものを歪めているのは、愛する存在を喪った大いなる悲しみ。
たった一つの悲劇が、多くの人間の人生を歪めて狂わせている。
この悲しみの連鎖を止められるのは、多分俺ではない。
事件の闇に……大いなる悲しみに共鳴する人間では駄目なのだ。
闇を切り裂けるのは――光。
悲しみを癒す優しさと、間違いを正す勇気が必要だ。
俺はもう一人の魔法少女を思い出す。
高町なのは。
真っ直ぐな心を宿した、少女。
あいつならきっと、如何なる理由があれど犠牲を容認しないだろう。
事件に溢れる悲しみを理解して――それでも、悲劇を止めるべく戦える。
俺より遥かに高い魔法の資質と、俺には無い優しさで。
俺は多分駄目。
――事件の闇に溶け込んでしまう。
光は闇を裂けるが、闇で闇を消す事は出来ない。
彼女達の悲しみに同調し、気持ちを共有してしまう。
くそったれな話だが、プレシアやフェイトの愚かしくも一途な心が出来てしまう。
そのくせ、裏切りを許せない気持ちは中途半端に残っている。
怒る事が出来ず、されど受け入れる事すら出来ない。
冷たい牢獄の片隅で、ウジウジ悩んでいる自分が悔しくて仕方なかった。
"アナザーマスター"
"お前な、いい加減俺の名前くらいちゃんと呼――"
"そんな事どうでもいいです。
それより、フェイトさんがいらっしゃってますよ"
""どうでもいいって、てめえ――!
……え、フェイト?"
妖精さんとの会話を一時中断して、顔を上げる。
――鉄の檻の前に立つ、無機質な少女。
居城の中で黒耀のマントを外し、白い肩を剥き出しにしていた。
華奢な肢体を素肌から黒衣で包んで、闇の魅力を放っている。
無感情な表情は精巧な人形を思わせ、美しくも冷たい瞳に背筋が凍る。
緩んでいた空気が瞬時に引き締まり、俺は中腰に構える。
壁に立てかけていた竹刀を掴み、視線を鋭くして体勢を整える。
「……何の用だ」
互いに、最早味方面をする必要はない。
アルフに弁解を受けたところで、このガキが俺を裏切った事に変わりは無い。
狂気の母を妄信する限り、フェイトは俺を切り捨てる事が出来る。
どれほどの苦悩と葛藤が過程にあっても、最終的に俺より母を取るだろう。
安心など、到底出来ない。
「……準備が整いましたので、貴方をお連れするように母より申し付かっています」
フェイトは淡々と述べて、携えている杖を構える。
黒杖の先端より金色の光が灯ったと同時に、地下牢の錠が解かれる。
フェイトは白い手を伸ばして堅牢な牢獄を開けて、そのまま背中を向けた。
何も語らず――顔も向けない。
騙した相手に謝りもせず、自分への言い訳もしない。
驕り昂らず、殊勝な態度も見せない、徹底的な無視。
無関心な関係――俺達の原点。
ジュエルシードさえ拾わなければ、未来永劫俺達は顔を合わす事すらなかった。
理屈は分かる。
最初から、フェイトは母の愛を求めてジュエルシードを集めていた。
俺との出会いは任務の最中でしかなく、達成すればフェイトには何の意味も無い。
彼女が最初から俺に求めていたのは、ただ一つ。
母の願いを叶える石であり――意思。
対象がジュエルシードから法術に変わっただけであり、俺本人に何の関心も無い。
アルフはフェイトが俺の事を気にしていたと言うが、それもあいつの主観に過ぎない。
少なくとも、母親と過ごした時間と俺と過ごした時間は違い過ぎる。
本に縛られて過ごした、数少ない時間――
アリサとの出会いと拙いお喋り。
はやての家で食べた温かな御飯も、半日だけの安らかな時間も彼女の心まで温められなかった。
その姿は――嫌になるほど、昔の俺に似通っていた。
他人からの優しい好意では、孤独は埋められないのだ。
母の望みが叶う後一歩まで来た以上、俺との関係を続ける意味など無い。
最初から、何も進んではいなかった。
あの月光の夜対峙した瞬間から――何も。
俺は強く瞼を閉じる。
俺の未練がましさに虫唾が走った。
いっその事、フェイトの引き締まった背に竹刀を叩き込んでやればどれほどスッキリするか。
延々と頭の中を回り続けるこの娘への気持ちも、消える。
そうすればいいものを……
「……満足か、これで」
気がつけば、口が滑っていた。
近頃の俺は本当にどうかしている。
「よかったな、お母ちゃんに褒められて。頭でも撫でて貰ったか」
「……」
フェイトは振り返らず、黙って歩み始める。
俺はレンを一瞥して眠っているのを確認し、乱暴に蹴破って牢屋を出た。
金属音が悲鳴のように、暗い通路に鳴り響く。
黒衣の少女は無反応。
苛立ちが増すばかりだった。
「お前が攫ったレンは――なのはにとっては、家族に等しい存在だ。
今頃悲しんでるだろうな、誰かさんのお陰で」
フェイトは一瞬肩を震わせるが、足は止めず無言のまま先頭を歩く。
自分の矮小さ――薄汚さを嘲笑しつつ、罵倒するのを止めなかった。
どこまでも、俺はちっぽけな男だった。
「アリサは……死ぬ間際さえ、お前の事を心配していた。
――俺に、お前を笑顔にしてくれって言ったんだぞ?
自分の事なんて何も言わなかった。
恨み言や未練なんぞ一言も口にせず――あいつはお前を心配してたんだ!
何でだか、分かるか? ええ、おい。
分からねえだろうな、人の心を踏み躙るてめえには!」
"やめてください、もう!"
俺の中に良心なんぞ、糞ほどにも宿っていない。
人が幼い頃育む優しさに恵まれず、俺のような独り者が偏屈に育った。
――そんな俺の心に、悲痛な声が木霊する。
幼さの残る可憐な静止を振り切って、俺は叫んだ。
「アリサはお前を、友達だと思っていたからだ!
最後の、最後まで!
たった一度きりの出会いでも――あの娘には、生涯の宝物だったんだ!
こんな事あいつが知れば、どれほど悲しむか分かってるのか!
――グッ!?」
"いい加減にして下さい!!"
延髄を抉られるような痛みが、俺の身体を襲う。
骨の髄が軋み、視界が酩酊して激しい頭痛が襲い掛かってきた。
馴染みのある痛み――拒絶反応。
俺の心に宿る妖精が、仮の宿主の心無き言葉に怒っていた。
――悲しみに濡れた、怒りを。
"人の気持ちを、さも分かっているかのように話して――恥ずかしくないんですか!
本当は、何にも分かってないじゃないですか!
アリサさんの約束や気持ちを武器にして、フェイトさんを傷付けるのがそんなに楽しいんですか!"
"黙れよ! 事実じゃねえか! こいつは――!!"
俺は今だに分かっていなかった。
己が心の片割れに等しい存在に――
――嘘など通じないのだと。
自分の浅はかな虚言を、ミヤは真実で破った。
"どうして、貴方の気持ちを話さないんですか!
アリサさんがどうとか、レンさんがどうとか――人の気持ちばかりです!
本当は――貴方が一番悲しいんでしょう!
なのに、見栄だけは一人前! 強がりたいだけの、カッコつけの卑怯者!
マイスターを傷付けたあの時から、貴方は何も変わっていません!
なのはさんや恭也さんを妬む暇があるなら、少しは自分の間違いを認める努力をしたらどうなんですか!?
本当に立派な人なら、裏切られる前に信頼を得られます!
そんな性根だから、フェイトさんにだって裏切られるんです!!
身勝手に得られる好意なんてある筈がありません!
貴方から歩み寄らない限り、何にも変わらないんです!!
今の貴方なんか――ミヤは大っ嫌いです!!
貴方にマイスターの家族を名乗る資格も無いです!
管理人格も、守護騎士達も――絶対に認めないです!
運命も何も、変えられない!
情けない弱虫さんのまま、皆さんに愛想つかされて死んじゃえばいいんです!!"
痛みと共に飛び込んでくる切ないメッセージに、歯軋りする。
何か言い返してやりたくても、肺が鉛のように重苦しい。
言葉が喉の奥で引っ掛かって、何時しかフェイトへの言葉の暴力も止んでいた。
ミヤは――本当に優しい女の子だ。
決して、人を傷つける言葉は言わない。
そんな小さな少女が死ねとまで叫ぶ程――先程の俺の心無い言葉が許せなかったのだろう。
何故、気付かなかったのか。
――大理石の床を濡らす、水滴。
表情を見せない少女の足取りを沿うように、一滴ずつ床を濡らしている。
顔を俯かせて歩く女の子は、何も話さない。
けれどそれは決して無関心ではなくて――
――嗚咽を、噛み殺しているだけだった。
"……すまん"
"謝る相手が違います!"
――分かってる、それは分かってるんだ。
でも……
"すまん……"
"……"
……素直に、自分の言葉を告げられたらどれほどいいか。
どうしてこうなってしまったのか。
何処で、何を間違えてしまったのか――
俺は素直に口にすら出来ず、少女の濡らした床を踏みしめて歩く。
雨の中、濡れた少女に手を差し伸べられず――
城の中、泣いた少女に言葉を投げかけられず――
心の中で、俺はただ謝り続けた。
決して届かない言葉だけが、お互いの胸の中に重く残されたまま。
準備が出来た、プレシアからの言伝を聞いた時耳を疑った。
考えられる限り、絶対に不可能な条件なのだ。
プレシアの愛娘アリシアの『器』と『魂』――
どちらも簡単に用意出来る代物ではない。
この世にたった一つしか生まれず、既に二つとも失われている。
金で買えず、道具では造れない品――ゆえに、生命は素晴らしき価値を生む。
たかが二日程度で準備出来るとは、到底思えない。
娘を喪って、プレシアは明らかに常軌を逸脱している。
憎しみに狂った俺と同様、何を犠牲にしても厭わない。
今度はどんな狂った戯言を聞かされるのか、考えただけでウンザリしていた。
フェイトを泣かせた事もあり、落ち込んでいた俺に追い討ちをかけたのが――
「御待たせして申し訳なかったわ。窮屈な思いをしたでしょう」
――案内された、このフロアだった。
最初に対決した玉座の間の奥、密閉された扉を潜って更に先へ。
地下牢とは別区域に位置する長い通路――
細長く続く通路の両壁に並ぶオブジェに、俺は顔を引き攣らせた。
学校の理科室を思わせる、実験器具の数々――
シリンダーのような金属製の巨大な筒に奇妙な光が照らされて、中の光景を映し出す。
膨大な数のシリンダーに並ぶ、奇妙な生物――
映画やドラマのマッドサイエンティストが喜びそうな、グロテスクな生き物が満たされた水に漬けられていた。
数々の機器や器具が繋がれて、不気味な機械音を立てている。
明らかに異端の生物が、不気味に通路に並んでいた。
その最奥で――黒き魔女が微笑んでいる。
似合い過ぎて怖い。
運命の女神が書いた物語の終幕に相応しい人物。
真の悪党ならば――どれほど、心が楽だっただろうか。
「……趣味が悪いな、あんた」
大小のシリンダーに保存されている異形の生物を見て、嫌味を飛ばす。
意外には思わない。
魔法に必要な生贄だと言われたら、躊躇いなく信じられる。
俺の心からの言葉を、プレシアは笑って受け止めた。
「貴方に御見せしたのは、生命の研究に必要だった実験材料――
生命の領域に手を伸ばすには、あらゆる命の源を調査する必要があったの。
起源、過程、結末に至るまで――全て。
促進や停滞の研究も行ったけれど、なかなかうまくいかないものね……」
さほど残念に思っていないのか、プレシアの表情に落胆は無い。
プレシアの研究は、あらゆる視点から考察した生命の探究だろう。
彼女が求めているのは生命の蘇生――
失われた生命を求めるためなら、生命とは何かを知る必要がある。
非難する気は無い。
少なくとも、アリサを失った時の俺に比べれば遥かに前向きな姿勢だ。
俺は竹刀でその辺のシリンダーを突付きながら、言ってやった。
「まさかとは思うが、こんなゲテモノが『器』だなんて言う気じゃないだろうな……
娘を潰れたカエルにでもする気か?」
シリンダーには大小あり、様々な生物が眠っている。
特徴的なのは筒に収納された不思議な色を称えた液体で、躍動感に溢れていた。
どっちにしろ、中身が実験材料では良い気分はしない。
『魂』なんて物もないとは思うが、『器』にしても不気味としか言い様がない。
生前がフェイト似の綺麗な女の子なら、生まれ変わった自分を見て発狂するぞ。
半ば本気の懸念を、プレシアは心底愉快げに口元を歪める。
「まさか……私の可愛い娘を化け物にするつもりはないわ。
――うふふ、命の恩人の貴方に紹介するわ。
私の可愛い娘――『アリシア』よ」
最奥へ続く道を開けて、プレシアは慇懃無礼に両手を掲げる。
開かれたフロアの中央。
左右に控えるフェイトとプレシアの真ん中に――
――『彼女』が眠っていた。
「いっ――!?」
絶句、する……
仄かな光を放つ液体に満たされた、一際大きいシリンダー。
一抱えほどある大きさの筒の中央に――金髪の少女が、浮かんでいた。
まるで眠っているように、穏やかな表情で瞳を閉じている女の子。
幼い盛りの可愛らしさが特徴的な、美少女。
――俺は愕然としながら、傍らの少女を一瞥する。
シリンダーの少女と似通った顔立ちが、物思いに沈んでいる。
フェイト・テスタロッサの姉妹。
この娘が――アリシアなのか……
喉の渇きを重い唾液で誤魔化して、乾いた舌を滑らせる。
「……死体を……保存していたのか……」
「死体だなんて、無粋な呼び方は止めて貰いたいわね。
この娘は今、眠っているだけ――
保存液で満たしたポッドの中で、眠りから覚めるのを待っているの。
記憶や体細胞の幾つかを別に保管しているけど、貴方が居る限りもう必要ないわね。
アリサと呼んだ貴方の大切な少女も、蘇生した直後記憶を保持していたもの……
素晴らしいわ、貴方の力は。
きっと私に、優しかったあの頃のアリシアを見せてくれる」
ぐああああ、性質悪いなコイツ!?
中途半端な理性と高度な知識を保有しているので、誤魔化しが利かない。
その上自分の娘の死体まで丁寧に保存しているとは、予想外だった。
確かに幽霊なんぞという曖昧な存在より、現役の肉体があれば『器』として申し分ない。
丸裸で眠る少女を見てみるが、傷一つない綺麗な身体だ。
作り物ではない、本人の肉体ならば成功率は段違いに跳ね上がるだろう。
――あくまでもこいつと、俺の勝手な理論上に基づけば。
アリサが幽霊として戻れたのも、今となっては俺だけの力だけではないと断言出来る。
集まってくれた皆の想いや力が集結して、万分の一以下の可能性を一度だけ引き寄せられただけだ。
大体、アリサだって本当に蘇ったのではない。
幽霊だった身体が結晶化しただけで、人間とは程遠いのだ。
俺の力で固定したと考えるならば、俺が死ねばあいつも消滅する可能性だってある。
一時凌ぎとまでは言わないにしろ、復活などと口が裂けても言えない。
アリサや俺が合意の上で成り立っている特別な関係だ。
逆に肉体を『器』として用いた事で、失敗する可能性もある。
――などと正直に言えば、またぶっ飛ばされる。
レンを盾にされて、無理やりイエスと答えさせられるだけだ。
コイツの穴を徹底的に突いて、諦めさせるしか現状打つ手がない。
「『器』に関しては分かった。
まさか死た――愛しい娘を大切にしていたとは思わなかったよ……
その点は素直にアンタの娘への想いに平伏する」
「当然よ。この娘は、私の全てなのよ」
はいはい、分かった分かった。
俺は心の中で投げやりに呟いて、プレシアの高揚に水を差す。
「だけど、肝心の『魂』はどうするんだ?
まさかあんたの心の中に眠っているとか、不確かな事は言わないでくれよ。
俺だって法術はまだ完璧に制御出来ないんだ。
素人魔法使いに、メルヘンな要素を用いられても困る」
プレシアが言いそうな事を、逆に釘を刺しておく。
私の可愛いアリシアは今も胸の中で思い出として眠ってる、とかフザケた寝言をほざきそうだからな……
こういう言動に正論を唱えても通じないので、失敗を盾に軽く脅す。
このオバサンが一番困るのは儀式の失敗なのだ。
希望を失う事は、絶望を見続ける事より性質が悪い。
ようやく見つかった法術という希望を、コイツは誰よりも縋っているのだから。
愛に狂った母親の事だ、絶対に無茶な事を言うに決まってる。
俺は、そう思っていた。
事実、コイツは無茶な事を言った。
俺の予想を遥かに凌駕する――
――狂気の宣告を。
「蘇生に必要なアリシアの『魂』は在るわ。
――ソコに」
恍惚の眼差しで指差す方向を、俺は釣られて見やる。
魔女が捧げる魂の行方は――
――無感情に佇む少女に、向けられていた。
正直に、言おう。
コイツが何を言っているのか、俺はまるで理解出来なかった。
「……? 何処だよ」
少女の背後のシリンダーでも指差しているのか、俺は首を傾げる。
プレシアは俺の挙動を不愉快げに見て、重い口振りで再度言い放った。
「何処を見ているの。あそこにあるでしょう。
あの――ガラクタの中に、あの娘の魂が宿っているの」
ガラ……クタ……
頭の中では理解出来ても、感情がまるで追いつかない。
耳元で煩く響いているのに、脳にまで言葉が達しなかった。
実の娘を指名しながら、無価値な玩具であるかの如くプレシアは嘲笑する。
「喜びなさい、フェイト。
貴方はアリシアの為に――私の為に、生まれて来たのよ。
本当に、心から感謝しているわ。
今まで大事に、その醜い身体の中に魂を保存してくれていたんですもの」
――魂……フェイト……アリシア……
分からない。
何を言っているのか、ワカラナイ。
「アリシアに到底及ばない出来損ないで困っていたんだけど、ようやく納得出来たわ。
『器』が問題だったのね。
フフフフフ……その偽物の身体さえ破壊すれば、中身が取り出せる。
『魂』と『器』が揃った時――アリシアは私の元へ還って来る!!」
運命を祝福する聖歌が、他ならぬ魔女の口から謳われる。
歓喜に満ちた表情に、何の罪悪感も存在しない。
他ならぬ自分の娘に向けて、彼女は狂気の提案を喜びに満たされて表現している。
"――お前、ゴミ捨て場に捨てられてたんだってな"
ニセモノ……
"傑作だな。生まれた時から、親に生ゴミ扱いか"
ガラクタ……
ふ……
ふざけんなああああああああああ!!!
「てめえ!!」
胸倉を掴んで、虫唾の走る面を引き寄せる。
ギリギリと音を立てて女の細い首が軋むのもかまわず、俺は迸った。
頭がガンガン鳴り響いていた。
「自分が何言ってるのか――分かってるのか!?
テメエの馬鹿な妄想に、大事な娘まで巻き込むんじゃねえ!
フェイトとアリシアは別人だろうが!!
姉妹だろうが、家族だろうが、他人である事に変わりはねえんだよ!」
許せなかった。
何が許せないのか分からないまま、俺は煮え滾るマグマを開放する。
牢獄の中で陰鬱に溜まっていた思いが、音を立てて破裂していた。
俺の罵倒に、プレシアは笑みを崩さない。
まるで駄々っ子をあやすかのように、優しい口調で囁く。
「フェイトが……私の娘?
ふふふふ、あははははははははは!!」
「何が可笑しいんだ、コラ!!」
「あははははは、だって……アハハハハハハハ!!
こんな失敗作を、アリシアと同列扱いされては困るわ。
フェイトは、ただのクローンよ」
クローン……って、確か……
地球では羊や馬等の動物で成功を収めた、遺伝的に同一である個体を作り出す技術――
成熟した体細胞から技術を用いて活性化させて、使用した遺伝子と全く同じ組成を持った存在を誕生させる。
聞き齧った知識が、俺を驚愕の真実へと導いた。
俺は鋭く視線を向ける。
――アリシアの遺体が眠るシリンダへ。
「アリシアの……体細胞を使って、フェイトを……」
「そうよ。
『フェイト』とは、人造生命研究の職に就いていた頃に名づけられたプロジェクト名。
アリシアを人造的に復活させる為の鍵だったわ。
――フフフ、今では別の意味で鍵になってくれたので大助かりよ」
人造……人間……フェイト、が……?
じゃあ、何か――
あいつは生まれた時から、アリシアの代わりとして扱われたのか?
名前も満足に与えられず、親の言う事をただ信じて――
こんな身勝手な親の愛を、純粋に求めて。
俺は……俺達は……こんな奴の為に……弄ばれて、言い様に利用されて……
――! まさか、こいつ!?
「――お前……その事を、フェイトに――」
「勿論、話したわ。
アリシアが蘇るのならば、あの娘はもう用済みよ。
――貴方を此処へ連れて来る事が、あの娘の最後の仕事だったの」
「――!?」
――病院の前で、ずぶ濡れになっていたフェイト――
ようやく見せつつあった笑顔は全て消え去り――生きる価値も失っていた。
俺は……馬鹿、だ……大馬鹿だ……
本当に――助けを、求めていたんだ。
生まれた意味も何もかも失って――フェイトは、誰かに縋りたかったんだ。
あの時、抱き締めていれば……俺が手を差し伸べてやれば……
救えて、いたんだ――
いつの間にかプレシアの首元から手が離れ、俺はその場に膝をついた。
力なく、横に視線を向ける。
――曇った視界に映る少女は、無感情な瞳を向けている。
全てを受け入れた、殉教者の目。
何もかもに見捨てられ、絶望すら消え失せた死者の顔。
プレシアに全ての真実を突きつけられ、挙句の果てにガラクタ呼ばわりされて。
向けられた全ての愛が嘘偽りと知り、少女は絶望した。
そして、最後の最後に生贄として死ねと言われて――
――フェイト・テスタロッサという存在の意味が、この世界から消えた。
残されたのは、残骸。
血と肉が蠢くだけの、人形――
俺の前で改めて愛する母から嘲笑されて、フェイトは死んでしまった。
死んで、しまった。
死んだ……
――褪めた心が、告げる。
実の母に――
――フェイトは、殺された。
俺は、知っている。
死者は、蘇らない。
――もう、二度と。
そして。
俺はそんな少女を――さっき罵倒したのだ……
病院前――俺は最後のチャンスで、よりにもよって致命的な過ちを犯した。
最早、取り戻せない。
ミヤの、言うとおりだ――
何もかも、俺の責任だったのだ……
「う……ううう、うう……」
竹刀を取り落として、俺は号泣した。
つまらない見栄や、突っ張っていた矜持も何もかもがゴミとなった。
最悪の選択をした男の涙を、フェイトは見つめている。
何も映し出さない瞳で、ただジッと――
――愛する親の言葉を、悲しく待ち続けて。
<第四十一話へ続く>
|
小説を読んでいただいてありがとうございました。
感想やご意見などを頂けるととても嬉しいです。
メールアドレスをお書き下されば、必ずお返事したいと思います。
|