とらいあんぐるハート3 To a you side 第五楽章 生命の灯火 第三十四話
大雨は激しさを増し続けて、中庭の草木も濡れて力なく垂れている。
窓から見える外の風景を軽く一瞥して、俺は改めて向き直った。
フィリス・矢沢、何かと世話になっている俺の主治医。
患者と先生の関係を半ば超えつつあるのが気になるが、今はそんな事を心配している場合ではない。
「居なくなったって、大袈裟な――
売店にでも行ってるんじゃないか?」
「探しに行きましたけど、居ませんでした。
念の為店の方にも御聞きしましたが、見かけていないとの事です」
心配げに美貌を曇らせる過保護なフィリスに、俺は嘆息。
分け隔てなく患者を見守るその姿勢は立派だが、少しは見放すべきではないだろうか。
俺のように御節介を嫌がる人間だっているんだから。
「暇になって、病院内を散歩してるんだろ。
寝るしか出来ないからな、此処」
「病気になれば安静にするのは当然です!
良介さんこそ怪我をされてるんですから、少しは落ち着いてください!
大体貴方は――」
「フィ、フィリス先生……それよりレンの事を――」
「あ……す、すいません、私……」
また元気に俺に説教を開始しかけたフィリスに、恭也が慌てて本題に戻す。
流石恭也、俺が見込んだ男だけある。
今後フィリスに診察してもらう時は、恭也を一緒にしてもらおう。
……羞恥に頬を染めて、拗ねた顔で俺を睨むが無視。
「何にせよ、病院内を探せば何処かにいるだろ。
医者だらけなんだから、何かあってもすぐに対応出来る」
「病院内に居れば、ね」
「……何だよ。気になる言い方だな、おい」
不吉な口調で茶々を入れるメロン様に、俺は表情が硬くなるのを自覚する。
人の心の闇を彩る陰鬱な空気の気配は、幾度味わおうと慣れない。
「先生が心配してるのは、レンちゃんが無断外出してるかもって事だと思うんだけど。
――だよね、フィリス?」
「……はい。もしかしたら……」
「外って、お前――」
窓越しでも雨音が乱雑な音色で病室に響いている。
傘を差して歩いても濡れるであろう、風雨――
特別な用事か雨が好きな人間でもない限り、普通外出は避ける。
海鳴大学病院は環境に恵まれた立地条件だが、周辺に施設がないのが唯一の欠点。
気分転換に遊びに出かけたとは考え難い。
俺の言いたい事を簡単に察したのか、月村はしたり顔で人差し指を振る。
「侍君、思い悩んでる人に周りなんて見えないよ。
侍君だって――そうだったでしょう?」
胸を、突かれる。
アリサを喪ったあの日――雨が降っていた。
俺の悲しみを空に映し出したかのような、天の涙。
強敵を倒しても何一つ癒されず、全身を濡らして俺は涙に伏した。
雨が降ったから傘を差す、濡れるから雨宿りする――俗な考えなど、あの瞬間無意味だった。
大切な者を初めて喪い、途方に暮れて俺は桃子に縋った。
もしもあの儀式で失敗していたら、俺は今も……
横目で見つめる。
俺の傍で話の成り行きを見守るアリサ。
初めて傍に居て欲しいと願った、薄幸の女の子。
そっと手を伸ばして、少女の髪を静かに撫でる。
アリサは驚いた顔をしたが、年齢にそぐわない聡い理性で雰囲気を察して、嬉しそうに瞳を細める。
――触れられるという実感。
話せば届く声、純粋に向けてくれる微笑み。
当たり前のように存在し、奇跡が無ければ二度と戻らなかった宝物――
嘆息する。
「……やな奴だな、お前」
「道具扱いした仕返しだよ」
これだから、こいつは油断ならない。
気を許した相手に猫のように忍び寄り、時折人の心に爪を立てる。
俺は舌打ちして、フィリスに目をやる。
「もう一度聞くけど、レンが居なくなったのは今朝からだな?
時間で言えば何時頃だ」
「朝、私が診断に行った時にはもう姿を消していました。
朝食は取ったそうなので、恐らく九時以降だと思います」
――今は午後三時、六時間が経過している。
今の御時世、ガキが親や知り合いに内緒で行動するなんぞ当たり前。
小学生でも身内の心配を余所に、朝帰りを我が物顔でする世の中だ。
たかが六時間姿が見えない程度でオロオロするなんぞ、心配にも程がある。
――と、先程まで鼻で笑っていた。
認めたくないが、月村の口添えでようやく気付く始末。
俺は勘違いしていた。
レンが病院側に内緒で病室を留守にしている事が、問題なのではない。
つまり――
「フィリ――」
「――先生は心当たりがあるんですね? レンが突然姿を消した理由について」
「……はい」
た、高町恭也ぁぁぁぁぁぁ!?
今! 俺が! 言おうとしていたのにーーー!
月村に遠回しに指摘されてやっと気付いた俺を軽く差し置いて、恭也は実に何でもないようにフィリスに聞いていた。
わー、すごーい、はやてまで感心した目で恭也を見てやがりますぞ。
他人の心の機微なんぞ生涯一人身の俺が知る必要はない、無いけど――悔しい!
言い出しかけた言葉を詰まらせる俺を目にして、月村やアリサが笑いを堪えていた。
我が妹分のなのはでさえ、にははと苦笑い。
……後で嫌というほど、女の命である髪を毟ってくれるわ。
ともあれ、今は文句を言っている場合ではない。
フィリスのレンに対する懸念は、恐らくだが察しがつく。
――心臓病。
寂しく一人でベンチに座り、涙を流していたレン。
事情は聞かなかったが、悩みの原因は十中八九自分の病気に関する事だろう。
己が心臓に爆弾を抱えている少女――
未成熟な子供にはキツ過ぎる現実だった。
恐怖に怯えて現実から逃げたのだとしても、誰も責められない。
――俺でも。
はやてやフェイト、なのはを傷付けて、山中で孤独に逃げた俺には何も言えない。
自分の弱さを、ここ数日で散々思い知らされた。
俺は渋々上半身を起こし、心地良い感触のベットから降りる。
「りょ、良介さん!?」
「本当はあんな泣き虫、どうでもいいんだが――」
人を助けるのは、一度きり――そう決めた。
一生に一度だけ、自分の生き方を捻じ曲げてアリサを助けた。
それで完結、孤独を愛する男が他者に浮気は出来ない。
俺は剣士、人を傷付けるのが生業。
人を救う剣などありはしないけれど――
「――アリサの事で、あんたに借りが出来た。
返せる時に、返しておく。
あいつが何に悩んでいるのか――詳しい事情を聞かせてくれ」
他人に深入りするのは趣味ではないが、事情を聞かねば探し様がない。
仮にレンが本当に思い悩んで無断外出したのなら、一大事だ。
ここ数日間悪夢を彷徨い続けた俺には、痛いほどよく分かる。
生の実感が乏しく、死の実感が濃厚になる世界――
レンは今心だけではなく、身体も弱っている。
衰弱した身体で吹き荒ぶ雨の中歩き続ければ、風邪どころではすまない。
目の前の現実なんて本人の心次第で、容易く天国にも地獄にもなる。
山中で一人死に掛けたあの時、浸透する死の実感は堪らなく快感だった。
ようやく死ねると安堵すら覚えたのだ、この俺でさえ。
気性が真っ直ぐなレンが一度深みに嵌れば、多分出てこれない。
口ではあれこれと言ったが、本当に悩んでいたのなら多分レンは病院内に居ない。
急ぐ必要があった。
道路の真ん中で冷たく息絶えてたら、過去の自分の末路に見えて怖すぎる。
真剣な俺の顔を正面から見つめて、フィリスも踏ん切りがついたのだろう。
彼女は頷いてくれた――よし。
「じゃあ話――を此処でするには、部外者が多いな」
「……あんただって本当は部外者でしょ」
黙れ、メイド。
部外者で居続けたかったんだよ、俺だって。
一番の部外者である月村は、気軽な顔で手を挙げる。
「私は病院の中、一通り探してみるね。
案外、休憩室でのんびり座ってるだけかもしれないから」
……そんなオチだったら、迷わずあいつを殴るぞ俺は。
まあフィリスもその辺は考慮して探し回った後だろうから、成果は薄いだろう。
「……忍さんまで、本当に御免なさい」
「いいって、どうせ暇だったから。気にしないで、フィリス」
気休めと分かっていて捜索を申し出る月村の気遣いに、フィリスは心から頭を下げている。
……ん?
フィリス?
忍さん?
それほど――親しかったっけ、この二人……?
何度か顔を合わせてたが、名前で呼び合う関係ではなかったと思う。
俺が寝ている間に何があったのか気になるが、聞くのはやめておく。
正直、人間関係の深い干渉はもう勘弁願いたい。
四月の終わりから今日までで、泣きたいくらい様々な因果に囚われたのだから。
「おにーちゃん、なのはも御手伝いを――」
「良介、わたしも手伝える事があるんやったら――」
「なのはは大人しく寝てなさい」
「病人は黙って寝てろ」
なのはには実の兄が優しく、はやてには偽の家族が厳しく叱る。
一喝された二人は揃いも揃って、落ち込んだ顔。
はやては回復の傾向にあるが、まだ本調子ではない。
なのはは魔法で少しずつ回復しているが、完治していない。
人を気遣う気持ちは大切かもしれんが、こいつらの場合少しは自分を労わるべきだ。
「アリサ、適当にこいつ等の話し相手になってやってくれ。
万が一余計な行動に出たら――分かるな?」
「フッ、任せて」
不敵な笑みでピースサインをする幽霊さん。
確かな主従関係に満足しつつ、俺はスリッパを履く。
寝巻き姿で点滴を押す姿が我ながらみっともないが、背に腹は変えられない。
「では、御説明しますので医務室まで御願い出来ますか?
良介さん、恭也さん」
……何で、恭也まで一緒……?
俺一人じゃ頼りないってのか、こいつめ。
――いや、違う。
血の繋がりはないとはいえ恭也はレンの家族だ、呼ばれて当然だ。
むしろ、部外者の俺が説明を聞ける事が異例なんだ。
……恭也を目標として意識し始めてから、ひがみ根性が出ているぞ俺。
気をつけろ、俺。
恭也を乗り越える前から、矮小な性格になってどうする。
頬をペチペチ叩いて、気合を入れ直す。
男ならドンと構えていこうではないか。
簡単に身支度を整えた恭也と共に、フィリスを連れ立って病室の外へ。
「――宮本様?」
「おう、ノエ――」
硬直する。
美しきメイドの手に載せられている皿。
――切り揃えられた、黄金メロン。
どこで調理したのか、見事なまでに皿に並んでいる。
涎が零れそうになるのを必至で我慢して、天下人の誇りで体裁を整える。
ああ、メロン……メロン様……
男ならドンと? ――知るか。
「分かっていると思うが――」
フラフラと近寄る俺の肩に、ガシっと力強い手が掴む。
「――レンの安否が優先だぞ、宮本」
見事な握力で、ギリギリと鎖骨を圧迫する。
肩凝り解消以上の快感と痛みに、俺は必死で何度も頷いた。
俺も腕力や握力には自信があるが振り解けない、くっそー。
メロンパワーを補給すれば負けないのに!
「し、しかしだな、メロンなんて滅多に――」
「――レンちゃんよりメロンが大切なんですか、良介さん……?」
俺の背後で木霊する、哀しげな声……
湿り気の帯びた白衣の天使の問いかけに、俺は反射的に首を振る。
うぐぐぐぐ、こいつら……男の義理と女の情で足止めなんて、卑怯だろ!
表情こそ変えていないが、ノエルはメロン皿を持ったまま困り果てているように見えた。
そこへ病室の中から、主の声――
「ノエルー、侍君忙しいみたいだから、先に食べていよう。
なのはちゃん達も食べるでしょう?
置いてけぼりにした薄情なおにーさんより、先に」
鬼か、貴様ぁぁぁぁ!
そういう言い方はずるいだろ!?
病室の中から聞こえる少女達の高らかな賛同の声に、俺は悲鳴を上げた。
金持ちの分際で、何て奴だ!
少しでも殊勝になって仲直りした俺が大馬鹿だった。
「平気、平気。ちゃーんと残しておいてあげるから」
「皮だけとかそういうオチだろ!?」
「んー……、いただきまーす」
否定しろ、否定を!?
ノエルは主に逆らえず、俺に申し訳なさそうに一礼して中へ。
せ、せめて、せめて一口〜〜〜〜!!
必死で後追いしようとする俺を無情に掴んで、恭也に強制連行されて医務室へ向かった。
渋々訪れたフィリスの医務室で、俺と恭也は詳しい話を聞く事となった。
レンの主治医は別に居て、フィリスはカウセリング担当らしいが、本人の病状や精神状態は把握している。
レンには口止めされていたそうだが、患者本人の容態が甘い対応を許さなかったらしい。
沈痛な面立ちで、フィリスは隠されていた事実を丁寧に説明した――
――話そのものに、それ程の意外性はなかった。
レンを蝕む病気は、やはり心臓病。
兆候は四月半ばより始まっており、五月を超えて悪化の一途を辿っている。
本人は最近まで薬で病状を抑えて大切な家族にも隠し続けていたが、遂に発作で倒れた……
はやての家に電話があった、あの頃だ。
レンは病院へ搬送されて、緊急入院。
主治医より高町家に告げられた診断結果は、驚くべきものとなった。
悪性の心臓病――余命、一年未満。
常日頃見せていた朗らかさは、薬に支えられた虚構の姿。
今は薬で抑えられているが、次に強い発作に襲われれば命が危ない。
蝕まれた心臓の発作を抑える薬も万能とは程遠く、現在のレンの衰弱が強い副作用を如実に物語っている。
愕然とする高町家に、主治医は緊急の手術が必要と明言する。
心臓の手術は近年医療技術の発達で成功率が上がり、根本的な改善が可能。
手術が成功すれば常人とまでは言わないが、健全な肉体を取り戻す事が出来る。
「それなら真っ先に手術すれば解決だろ? 何を悩んでるんだ、あの馬鹿」
「話は最後まで聞け、宮本」
恭也に窘められて、俺は不本意ながら大人しく聞く。
手術を行えば、確かに心臓病は完治する。
健康な肉体を取り戻せる、以前より元気に生きていく事だって出来る。
――問題は、手術の成功率。
医学が進歩していると言っても、絶対はない。
心臓の手術は、特に高い医療技術と医師の繊細にして高度な腕が必要となる。
失敗すれば――死。
そうでなくても、胸にメスで開けられるのは想像でも恐怖を呼ぶ。
麻酔で眠った先は未来永劫の永眠では、笑うに笑えない。
レンは頑なに手術を拒否して、薬での療養を求めていると言う。
「――ちょっと待てよ。薬で抑えるのは限界があるんだろ?
放ったらかしにしたら、自動的に死ぬんじゃないのか」
「……その通りです……
結論を引き延ばせば延ばす程、身体が弱って成功率がどんどん下がっていきます。
手術には本人の承諾が必要で、レンちゃんには何度も説明しましたが……」
「ビビって断ってる、と」
悲しみに満ちた表情で、フィリスは頷いた。
――死を怖がるのは、人間として当然だ。
レンはまだ二十歳にも満たない子供、未来ある身として存分に生に未練はあるだろう。
絶対的な確信がない限り、成否のかかった手術に身を差し出せない。
その気持ちは分からんでもないが……やはり意気地なしと言うしかない。
ズルズル逃げてばかりでは、いずれ死ぬのだ。
生きる為には、手術を受けるしかない。
祈りや願いで病気が治るなら、この世に医者は必要ない。
多分レン本人も、それは痛いほど分かっている。
分かっているが――踏み出せない。
自分の死を想像して震えてしまう。
衰弱した体と苦痛に満ちた精神では、嫌が応にも否定的なイメージを生み出してしまう。
――中庭で流した涙の意味。
一人ベンチに座って苦悩していた理由を、俺はようやく理解出来た。
「なるほど……それで、たかが半日程度でフィリスが大慌てしてたのか」
「思い悩んだ末に飛び出してしまった――そんなところだろう」
ここから先は、恭也の話――
レンと恭也は子供の頃の知り合いで、レンは昔から心臓が弱かったらしい。
自由に動き回る事すら困難だった幼少時代――
昔の事で恭也自身不確かな思い出らしいが、病状生活も長かったようだ。
儚げな表情をするレンを見ては、子供ながらに不憫に感じていたらしい。
想像も出来ないレンの原型。
俺にとってレンは、天性の武術の才能を遺憾なく発揮する小さな武人だった。
のほほんとした顔の裏に大人びていた顔を持つ、暖かな眼差しの似合う女の子――
――弱りきった今のあいつなんて、正直見たくない。
物干し竿片手に憎たらしい笑顔で向き合う好敵手のままで、居て貰いたいのだ。
"約束は繰越しにしとこか。勝敗がつき次第って事でええやろ?"
……ふざけやがって……
じわじわと、怒りが浸透してくる。
てめえが言ったんだろうが、引き分けだって。
勝負は次だって言ってただろ?
俺は帰って来た――やっと、あの悪夢から帰って来れたんだ!
死ぬ間際の山中で雨風に濡らしつつも、身体を引き摺って下山した。
はやての生んだ闇に苦しめられても、歯を食い縛って自由の風を吹かせた。
喪いかけた宝物を皆の協力で奇跡を生み出して――此処へ、戻ってきたんだ。
皆の居る場所へ――お前が住んでいた、世界へ。
なのに、今度はお前が逃げるのかよ。
冗談じゃない、病魔如きに大事な対戦相手奪われてたまるか。
「――連れ戻そう」
「え……ちょ、ちょっと、良介さん!?」
俺は自分の腕から点滴の針を抜き、用済みの薬をフィリスに無理やり手渡す。
そのまま恭也に顔を向ける。
――交差する視線。
驚きも慌てる事もなく、恭也は静かに話す。
「……心当たりを虱潰しに探すしかないな。
身体は大丈夫か、宮本」
「きょ、恭也さんまで、何を!?」
自分で話しておきながら、狼狽する辺り何ともフィリスらしい。
俺達に相談した時点でこうなる事くらい分かっていただろうに。
恭也の熱い問い掛けに、俺は笑みで返した。
「誰にモノ言ってんだ。寝過ぎで元気が有り余っていたところだ。
ガキ一匹容易く捕まえられるぜ」
「その調子だ。
――俺の考えられる範囲だと我が家、もしくは翠屋。
思い悩んでいるのなら、友人の家は考え難い」
「あの――」
「あくまで経験談だが――
俺は多分一人で行く先もなく、途方に暮れていると思う。
あの馬鹿、絶対考えナッシングで飛び出してる。
俺はこの病院の近辺探すから、お前その心当たりを順に探しに行ってくれるか?
月村に頼めば、車で送ってくれる筈だから」
「ちょっと――」
「……背に腹は変えられないか……月村には迷惑をかけてしまうな」
「私の――」
「大丈夫、あいつは俺のと――家来だから。
俺がちょっと命令すれば、どうかお車を使って下さいって頭を下げるぜ」
「話も――」
「お前達の関係が未だによく分からないな……まあいい。
連絡手段はどうする」
「聞いて――」
「なのはの携帯を借りるから、見つかったら連絡くれ。
お前も携帯くらいは持ってるだろ?
番号を教えてくれ」
「やれやれ、忙しない事だな。さて――」
「そういう訳だから――」
俺と恭也は同時に振り返って、医務室の主に口を揃えて言った。
「「外出許可を下さい、先生」」
「……もういいです……好きにして下さい……」
――協力しているのに、何故か泣いている御医者様が其処に居た。
「うおっ!?
こ、この中を出て行ったのか、あのコンビニ……」
昼間から続いた雨が、夕方に強まり集中豪雨と化している。
黙認で許可を取った俺は病室へ戻り、メロン様の残骸を半泣きで馬鹿共に投げつけた上で、私服に着替えて勝手口へ。
病院貸し出しの傘を手にしたのはいいが、無用の長物だったかもしれない。
勝手口から続く歩道を容赦なく叩く雨粒は、まるで弾丸――
入り口付近に立っているだけで、風飛沫は顔に向かって飛んで来る。
身体が本調子ではないのは、俺とて同じ。
ノエルが病室へ届けてくれた愛用の竹刀を手にした所で、自然には流石に勝てない。
一応もう一つ、武器はあるにはあるんだが――
「凄い雨ですぅ、頑張って下さいね〜」
――役立たずはそう言って、俺のポケットの中に隠れる。
雨風の中に投げつけてやりたい。
てっきり戸棚の中に隠れたままだと思ってたら、チビは先回りして待ち伏せていやがった。
話を聞いて、こっそり窓から周回してやって来たらしい。
手伝うと張り切ってた分際で、強い雨脚だけでもう避難。
何しに来たのか死ぬほど問いつめてやりたいが、今は時間がない。
「……しょうがねえ……行くか」
せめてなのはから借りた携帯が濡れないように、チビに預ける。
多少濡れるのを覚悟の上で、出て行くしかない。
あのガキ……無事で居ろよ、畜生。
舌打ちして、俺は傘を広げて飛び出した。
途端広がる傘の真上から伝わる、激しい雨音。
強風に煽られる程軟弱な身体ではないが、傘がどれほど耐えられるか心配になってきた。
心なしか早足で歩き、俺は病院の敷地から出て行く。
そのまま歩道を真っ直ぐに歩いて――
――ん……?
道路の真ん中で立ち尽くす、小さな人影。
豪雨の中傘も差さず、大雨に濡れた容姿を剥き出しにしている。
日常を侵食する、非日常。
雨雲に満たされた空の下で、黒装束を身に纏った少女が立っていた。
「フェ……フェイト!?
お前、何で此処――に……」
言葉を、飲み込む――
丁寧に結っていたリボンが解かれ、砂金のような綺麗な金髪が風に流れている。
その表情を満たすのは――無。
雨に洗い流されたかのように、整った容貌の一切に感情が消えていた。
俺を見つめる眼差しは……初めて出逢ったあの時のように、暗く寂しい。
過去の俺が、立っていた。
孤独を拠り所とした、空っぽな自分が――
言葉を無くす俺に、フェイトが思い掛けない言葉を口にする。
「人を、探しているのですか?」
何で、知っている?
そもそも何でお前が此処に居るんだ、フェイト。
あの時助けてくれたのはお前だろう、ありがとう。
――そんな感謝の言葉が胸に過ぎっては、消えていく。
少女の凍てついた視線が、俺を凍りつかせる。
フェイトは、静かに目を閉じた。
「貴方の探し人が何処に居るのか、私は知っています」
「へ――それは」
「貴方さえ望むのならば案内しますが――どうしますか?」
――思えば。
この時、俺はもっと警戒するべきだった。
日常に再び舞い降りた非日常を、容易く受け入れるべきではなかった。
フェイトはこの時、問いかけていた。
来るか、来ないか――連れて行くと断定せず、俺に意思を託していた。
選ぶ権利を。
――初めて、フェイト自身が見せてくれた心を。
俺は。
レンを喪いたくないばかりに、彼女の小さな思い遣りを踏み躙ってしまった。
ようやく乗り越えた、絶望と悲しみが彩る悪夢へ――俺は再び足を踏み入れてしまったのだから。
<第三十五話へ続く>
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