とらいあんぐるハート3 To a you side 第五楽章 生命の灯火 第二十一話
夜に、静けさが舞い戻る。
闇より深い虚無の霧が消えた今、はやての家は静寂に満ちていた。
孤独という名の、寂しさは消えず――
はやては一人、この広い家の中で寂しく暮らしていた。
あれほどの異変が起きたにも拘らず、住宅街に騒ぎは無い。
闇が消えても――孤独は消えない。
世界から隔絶されたまま、このうつろな一軒家はこれからも孤立していく。
黒い霧を生み出したのは、はやての心、
ジュエルシードは、孤独を外に出しただけだ。
心に寂しさが宿る限り、闇はいつまでもはやてを巣食い続ける。
「…あんなガキに、あれほどの闇を抱えてるとはな…」
"…マイスターだけではありません"
寝そべる俺の頭の中を、鈴が鳴るような綺麗な声が響く。
"人間はその胸の内に、光と闇を抱いて生きていますぅ。
――何時の時代でも、人は変わる事は無いですぅ"
チビのくせに、生意気な口を叩く。
人間という生き物を非難しているのではなく、哀れんでいるような口調。
長い時を刻んだ者が言える、不変の事実。
――なーんて、道徳観念は俺にはこれっぽちもない。
感心なんかしてやらねえ。
「てめえがしっかりしてればいい事だろ、そんなもん」
人間は確かに欲望だらけのアホな生き物だが、変わってないって事は無い。
人間なんぞ、一人一人違う。
遺伝子や肉体的構造は同類でも、心が違えば別の生き物だ。
少なくとも、俺にはこの街で知り合った連中の事がサッパリ分からない。
高町家の連中、月村やノエル、フィリスやさざなみ寮の奴等、フェイトやはやて――
赤の他人の俺に、何であんなに優しく出来るんだろうな。
あんたなら分かるか、運命の女神…?
息を吐く。
――手の中にあるページを広げる。
はやての、願い。
一人ぼっちの少女が望んだ、温もり。
孤独を愛する俺には分からない感情だけど――
「――理解不能な奴を相手にした俺も、大概狂ってるよな…」
異常な夜も、もうすぐ終わる。
明日になれば、きっと元通り。
俺は一人を望み、俺に寄り添ってくれる多くの人達を傷つける。
分かっていても修正しない。
俺はそういう生き方しか出来ない男だから。
"…変な人ですぅ"
呆れたのか、それとも――
チビスケは文句をつけず、実感をこめてそう言った。
ふと、思う。
――俺の事を嫌いながらも、俺を助けてくれた小さな妖精。
――他人を否定しながらも、他人を助けた俺。
考え方どころか生態も違うが、俺達は似ている。
「お前だって充分変だぞ」
笑う。
今夜限りの相棒に、少しだけ感謝して。
チビスケは頭の中で反論しながらも、楽しそうだった。
共に助け合い、目的を果たせた。
その事実だけを嬉しく思いながら――
「おにーちゃん!」
のどかな雰囲気に、のどかな声。
豪快に地面に寝転がる俺の傍らに、女の子が腰掛ける。
見慣れた私服姿――
幼くも可愛い顔を心配に染めて、小さな手の平が俺を懸命に揺り動かす。
「おにーちゃん! おにーちゃん!」
「痛い、痛い!? 馬鹿、やめろ」
「あ、おにーちゃん…
…よかった、グス…」
「いちいち泣くな、お前は」
忘れていた痛みが蘇る。
身体の痛み――胸の奥の、痛み。
もう忘れてしまいそうな子供心が、鈍く疼いた。
「…わざわざ追っかけて来たのか。アリサは?」
「何も言わずにおにーちゃんが飛び出して行ったから、もう帰ってくるなって――すごく怒ってました」
家主のような台詞を吐くな、メイド。
帰らなかったら帰らなかったで、文句が飛び出すくせに。
御嬢様の剣幕が今にも耳に響きそうで、嫌になる。
なのはは小さく目を伏せて、俺の額に――前髪に手を伸ばす。
「おにーちゃん…この髪…」
「――ぐっ」
当たり前だが、変色した髪に驚いているようだ。
何せ、突然黒から銀蒼色だからな…驚かないほうがおかしい。
かといって、どう説明する?
実は本から小さな女の子が飛び出して、そいつと融合しました――って、言うのか?
そんな事を真顔で言う知り合いがいたら、俺は最後の情けに救急車と警察を呼ぶぞ。
つーか、知り合いたくねえ。
仕方なく、説明してやる。
「ヘアースタイルだ」
「嘘です!? おにーちゃんの髪は、さっきまで短くて――」
「よく聞け、世間知らずの少女よ。
世の中にはカツラと呼ばれる便利な――いたたたた、引っ張るな!?」
「痛いって今、言いました!」
「ばっ、馬鹿野郎! 前の短い髪がカツラなんだ。
これが地毛」
「カツラに入らないほど、フサフサです今の髪!?
…うー、すごく綺麗で羨ましいかも…」
撫でるな、気持ち悪い。
髪が綺麗だと褒められても、男の俺には嬉しくも何とも無い。
(元に戻るんだろうな、この髪)
"何ですか、その言い方!?
この方も褒めて下さっているじゃないですかぁー!"
頭の中で喧嘩しながら、俺はなのはの手を払う。
あまり撫でられると、鳥肌が立つ。
なのはすごく残念そうに――それでいて、不思議そうに俺を見る。
なのはらしからぬ、深い瞳の色。
俺を真っ直ぐに射抜いた。
「それに…その目の色も…」
「――目…どういう?」
「はい、真っ赤に輝いています。
見つめていると、吸い込まれそうです…」
(…本当か?)
"はいですぅ、紅い瞳になっていますよぉ"
――真っ白な炎。
痛みに焦がされて消滅する寸前だった俺を助けてくれたのも、紅い瞳だった。
月村忍。
あいつの瞳に見つめられ、微笑みに心を照らされて俺は救われた。
癪だが、俺だけでは融合化に耐えられなかった。
――あいつは一体…
今晩は、本当に狂い続けている。
俺の信じる世界は歪み、ちっぽけな価値観が崩れ落ちる。
幻想は吹き飛ばしたが、謎はまだまだ残っていた。
名探偵は俺の進路先ではないので、無視しまくるつもりだけど。
「…おにーちゃんは、もしかして…」
「何だよ」
「――ううん、何でもないです。
おにーちゃんはずっとおにーちゃんのままですよね」
俺は俺のまま、か――
なのはの言葉が、心に穏やかに響いた。
そうだな…
「当たり前だろ。俺はずっと俺だ」
傷ついて、狂って、壊れても――俺は、ずっと俺のままでいる。
最後まで俺を貫き通せたら、きっと神様にだって勝てる。
相手が、女神でも――
"はやての願い"を握り締め、俺は強く誓った。
「――ユーノ…? ああ、さっきまでいたぞ」
「本当ですか!? ユーノくーんー!
…。
…返事が無いです…」
「可哀想に。無視されたな」
「ふえええ、そんな…」
月明かりを照明に、俺達ははやての家へ入った。
土足でもいいと言ったのだが、なのははきちんと靴を脱ぐ。
むしろ俺は帰ってほしいのだが、一緒に行くと言って聞かない小娘。
基本的になのはは素直な良い娘なので、手間はかからない。
俺の後ろを大人しくついてくるので、話し相手にでもなってもらった。
「…さっきまで分相応にも俺様に意見しやがったんだが、いつのまにかいなくなってたな…」
大方、怖くなって逃げたのだろう。
どういうガキか顔も知らないが、けしからん奴である。
頑張り続けた俺を見習ってほしいもんだ。
"…もしかして、さっきの動物さんじゃないですかぁ?"
(動物…? ああ、何かそんな事言ってたなお前。
あのな、珍獣のお前と違って動物は喋らないの)
"ひ、酷いですぅ。女の子なのにぃー"
抗議の嵐が飛んで来たが、無視してなのはと話す。
ユーノと聞いて、思い出した事があった。
あいつは確かこう言っていた――
"その娘は彼女が助けますから、外へ"、と。
なのはの話と総合して考える。
俺様は見事に勝利したが、ユーノは暴走したジュエルシードを抑える力が無かった。
助けを求めたユーノの声に、なのはが応えた――
連絡手段を魔――携帯電話と仮定する。
俺ははやての家の場所を、こいつに教えていない。
なのに、なのはは正確に此処へやって来た。
ユーノはもしかしてこいつに――
「なのは。お前…この家で起きた事を、知ってるな?」
俺は後ろを見ないが、なのはが強張る気配を察した。
――そして、小さく頷いたのも。
「ジュエルシードの話は、本当だったんだな…
正直今でも信じられないけど」
「なのはも最初はそうでした。
どこか他人事のように思っていて…それで――
――多くの人に、迷惑をかけて…」
ジュエルシードの総数は21個。
なのはもまた、孤独の闇を前にした俺のような心境にかつて立たされたのだろうか?
圧倒的な力に怯んで、でも傷ついてる奴を見捨てられなくて――
互いに、無言。
なのははこの家で起きた暴走を、何故鎮圧出来たのか聞こうとしない。
俺の髪と、瞳の変化――
真実に触れるのを怖がっているのか、それとも…
…視界が、揺れる。
激しい地響きが木霊して、俺は――自分が、廊下に膝をついた事に気付いた。
「おにーちゃん、しっかりし――!?
ち、血が…せ、背中…」
「…かすり傷だ、こんなもん」
電池切れは、近い――
重傷を負った身体で病院脱走、山中で雨の洪水を浴びて失神。
無茶な回復後の休息無しの行動、激しいバトルと無理やりの融合。
――身体も、心も、ボロボロだった。
支えているのは、みっともない見栄。
責任感や友情とは程遠い、身勝手な気持ち。
幻想に立ち向かう為だけに、この身は現実に挑んでいる。
暗闇で隠れていた怪我も、ついになのはに見つかった。
「すぐに病院に!?
ううん、ユーノ君がいればすぐに回復の――」
「耳元でがなり立てるな、傷に響く。
かすり傷だって言ってるだろ」
まだ、終わってない。
せめてはやての無事を確認してから、倒れればいい。
(…ガタが来たか、そろそろ)
"一回で融合に成功したんですから、貴方にしては上出来ですぅ。
だ、だから、もう――休んでくださいですぅ"
素直に言えないところも、また俺に似ている。
重度の火傷だった手はこいつは治してくれたが、背中は血を止めただけ。
吹き飛ばされた衝撃で、全身が傷だらけだった。
痛みが苛み始めたのを見ると、チビスケも限界なのだろう。
早くしなければ――
重い身体を引き摺る俺に、なのははもう何も言わず隣を歩く。
涙を、必死で堪えて。
こいつも強くなった、素直にそう思う。
そのまま歩き続けていると――
"リョウスケ、マイスターが!"
「! はやて」
割れた窓から、カーテンがたなびいている。
家の中は思っていたより無事で、家具類も倒れているだけだ。
居間の中央には横倒しになった車椅子。
――床に倒れているはやて。
俺は駆け寄って、口元に手を当てる。
「息は、してるな…はぁ…」
"う〜、マイスター…よかったですぅ、よかったですぅ…
貴方が強引なアクセスや書の改変なんかしたので、どうなる事かと…"
(俺の中で泣くな)
はやては、穏やかに眠っていた。
静かなその表情に、悪夢は去ったのだと信じたい。
――はやての願い…俺との生活。
こいつの孤独を消せるのは、世界中で俺一人。
俺は…
"何やってるですかぁ!?
早く危険な石を回収してくださいですぅ!"
――おっと、そうだった。
俺は胸に抱えている本を脇にどけて、はやての身体を調べる。
ポケットに隠している様子はない。
だとすると…丹念に、調べてみる。
「おにーちゃん、何やってるんですか!?」
"そうです、そうですぅ!
服を脱がしてどうする気ですかぁ、この獣ぉー!"
(前世からのコンビか、お前らは!)
頭の中と外の非難に、頭が痛くなる。
良心大好きッ娘共め。
俺はシカトして、調べを進める。
ガキの痩せた身体に最初から興味はない。
「あー、上着とか脱がしちゃ駄目ですよー!」
"ブラに手を触れてどうするんですかぁー!"
「やかましいわ、お前ら!」
「…ら?」
細かい事を気にするな、なのはさん。
それにしてもこいつら、息が合いすぎだ。
なのはにチビスケの存在がばれたら、一瞬で友達になりそうだ。
怖い未来に震えながら調べると、懐に紛れ込んでいた。
――あれ…?
「紅く…なってる…?」
暗闇の中で輝く――紅。
闇を照らす高貴なルビー色の光が、俺の手の中に納まっていた。
"…信じられません…
凄い魔力を感じますぅ…"
覗きこむなのはも、同じく絶句。
驚愕の眼差しで、俺の持つジュエルシードを見つめている。
どういう事なんだ、これは?
覚えている限り、ジュエルシードは蒼い宝石だ。
願いを叶えるなり、力を発揮すれば原色に戻る仕組みだったりするのだろうか?
頼むから、これ以上謎を増やさないでくれ。
俺は嘆息して、ジュエルシードを手に――!?
…。
(…おい、チビスケ)
"わたしはミヤです! ミーヤー!"
(俺の身体は後、どの程度もつ?)
"突然何を――あっ"
割れた窓の外――月明かりの下。
幻想的な風景に、一人の少女が立っていた。
「…フェイト…それに――てめえっ!」
黒衣の死神の傍らで――
――地獄の魔犬が不敵な笑みを浮かべて立っていた。
<第二十一話へ続く>
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