とらいあんぐるハート3 To a you side 第五楽章 生命の灯火 第十八話
ジュエルシードは所有者の願いを叶える魔法の石。
――見返りに求められるのは、所有者の安全。
数々の願いを叶え、数々の危険を与えた危険な奇跡。
美味しい話には裏がある、大人の常識。
子供は違う。
純真に、祈る。
――願いが叶う事を、信じている・・・
我を忘れて、走る。
完治しない背中が痛み出すが、軽く無視する。
俺は既に狂っていた。
狂っていながらも、頭だけは妙に働いていた。
向かう先は――あの公園。
病院を脱走して結構な日数が過ぎている。
フィリスとの間で連絡は通じていても、まさか病院で延々と待っている事は無いだろう。
悲しみに溺れても自分の都合を優先せず、病院の迷惑を考えるのがあいつだ。
足が不自由なはやてに、探しに出れる行動力は無い。
家で一人待つには、寂しさに耐えられない。
一人の人間が最後に縋るのは、思い出。
俺達が出逢ったあの公園で、きっとはやては待っている。
家族だと信じているからこそ――
なのはが――アリサが教えてくれた、待ち続ける事の大切さ。
非力なあいつが唯一持っている、俺には決して持てない強さ。
俺は、屈した。
なのはにも、アリサも手放せなかった。
だからあいつも手放さない、それだけだ。
運命の女神にくれてやるには、はやては上等すぎる。
竹刀を片手に一直線に駆け抜けて、俺は――辿り着く。
一人暮らしの寂しき住居。
小さな翼を失った小鳥が住む、篭。
――ちっぽけな鳥篭に、一匹の渡り鳥が住み着いた。
小鳥の優しさと寄せてくる甘えが、家族を無くした渡り鳥には心地良かった。
やがて渡り鳥は、鎖に繋がれた金色の雛鳥を家に連れて来た。
小鳥は雛鳥と仲良くなり――
――雛鳥を狙う狼に、籠ごと引き裂かれた。
襲われた渡り鳥は、飛び去って逃げた。
壊れた籠を――悲しむ小鳥を見るのが怖くて。
自分の持っていた餌だけを、小鳥に与えて飛び去った。
渡り鳥は、知らなかった。
――餌が猛毒である事に。
荒い息を吐いて、俺は愕然と目の前の光景を見つめる。
月の綺麗な夜。
眩い月光を背景に――
――家が黒い霧に包まれていた。
闇夜の世界に相応しい、惨劇の舞台。
住宅街の家庭の光が、この周囲一帯だけ完全に遮断されている。
家は完全に飲み込まれていた。
笑っちまうほどに、禍々しい奇跡の顕現――
これがお前の運命だと、闇の向こうで女神が笑っている気がした。
血が滲むほど、強く唇を噛んでいる自分がいる。
悔しいのか、悲しいのか――
仮に今夜だけの自然現象だとしたら、世界の悪趣味に笑ってしまう。
竹刀を、思いっきり地面に叩き付けた。
「…俺を、狙えよ…
その石は、俺の物だっただろうがっ!」
真夜中に一人、家の中で黒い霧に包まれて過ごす。
俺には願ってもない世界だ。
ずっと、一人になりたかった。
明るい世界が煩わしかった。
この先の人生、一人気ままに過ごせるなら俺はこの悪夢を喜んで受け入れただろう。
――何故はやてを狙った、運命の女神。
あいつは、一人が誰よりも嫌いだった。
一人ぼっちの自分に絶望していた。
早朝の公園で一人、眠れない夜を寂しく散歩をしているような奴だった。
さぞ、人生はつまらなかっただろう。
希望なんて何一つ見えなかっただろう。
――こんな俺を、家族として受け入れるほどに…あいつは寂しかった…
寂しかったんだ!
ああ、そうさ、認めてやる。
なのはの話は本当だった。
あの石は確かに願いを叶えた。
俺は、此処へ帰ってきた。
自分の意思で。
あいつが望んだ、一番の選択肢を抱えて俺は帰って来た。
…その代償が、これか?
ふざけている。
俺には希望、はやてには絶望の見返りをあの石は求めやがった。
俺が望んだ孤独の中を、あいつは今彷徨っている。
はやてが強く願った結果であるというのなら、そんなもの取り消しだ。
生憎、俺は人様に褒められるような男じゃない。
見返りなんて、誰がやるかバーカ。
「はやての願いは破棄してもらうぞ、ジュエルシード!!」
――突撃する。
黒い霧に包まれた世界の中心に、はやてはきっと居る。
俺の帰りを、待っている。
惨劇の舞台へ、上がる――
玄関を通って、俺はたった数日間の我が家へと足を踏み入れた。
――世界が、暗転する。
「ぐがっ、ぐぉぉぉぉぉぉ…!?」
はやて家は、異界だった。
敷地内へ足を踏み入れた途端、闇が俺の全身に覆い被さる。
為す術も無く、背中から押し潰される俺。
肉が圧迫、骨が軋んで悲鳴を上げる。
ワゴン車でも積まれたかのように、急激な重力が俺の全身を捕縛した。
――まるで、ようやく帰った我が子を強く抱き締めるように…
「ぃ…いい、加減にし、やが…れぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
竹刀を杖に、俺は立ち上がる。
半端じゃない重さが圧し掛かっているはずだが、竹刀は健気に耐えてくれた。
雑巾を強く絞ったように、反発力でシャツが破れたが気にしない。
一歩。
激痛。
強制的に着せられた闇の羽衣を引き剥がしたら、皮まで持っていかれたようだ。
背中が眩暈がするほど、痛い…
目が後ろについていなくて、良かった。
――肉と骨が剥き出しに、なっているだろうから。
悪いな、月村。
お前の治療、無駄にしちまった。
でも…お前の好意は、決して無駄にはしない。
助けられた命は、惨めにしがみ付いてでも離さない。
重さと痛みに全身を引き摺り回されながらも、俺は苦心して歩く。
家の間取りはよく覚えている。
照明がなくても、玄関からどう歩けば何処へ辿り着けるか分かった。
地球に優しくない数倍の重力は、歩く度に全身を太鼓のように響かせる。
肺どころか、心臓が苦しい――
血管が圧迫されて破れるのではないかと思うほど、胸の真ん中が救難信号を訴える。
気持ち悪いなんてものじゃない。
死んだら楽になれると、真剣に考えさせられる苦しみだった。
…レンも、こんな苦しみに耐えているのだろうか…?
ならば、俺も負ける訳にはいかない。
あいつが今も生きているなら、俺だって生きる。
会いに行こう、胸を張って。
全てを終わらせて、必ず――
ベットに寝ている弱ったあいつと、今なら少しは痛みを共有出来るから。
楽しみが出来た俺は、苦しみながらも口元が緩んだ。
居間へ、向かう。
――悲劇が起きた、場所へ。
「…これは…」
はやては、確かに其処に居た。
車椅子は重力に負けて、横倒しになっている。
フレームが歪んでいるのを見せられると、自分の骨をイメージして嫌になる。
そんなどうしようもない事を考えてしまうほど、非現実的な光景だった。
――光の膜に包まれている、少女。
邪悪な闇は聖なる光を嫌って、少女の周りを取り囲むのみ。
仄かな白い光に包まれたはやては、瞳を閉じている。
穏やかな顔。
――頬に濃く残る、涙の痕…
「はやて…」
泣き疲れて眠っているように見える。
優しさのない俺に、罪悪感なんて生まれない。
はやてが泣いていた、その事実を受け入れるだけ。
――胸の強い痛みは、きっと重力の仕業だろうから。
俺はそっと手を伸ばして…
"触っては駄目です"
暗黒の霧の中、鋭く響く意思。
聞き覚えのある声に、俺は闇の中で必死に周囲を見渡した。
「まさか――ユーノか!?」
"そうです。
――貴方をずっと待ち続けた、ユーノ・スクライアです"
…根に持つ奴である。
天下に名高い男の小粋なジョークではないか。
「来てたのか、お前」
"貴方のすぐ傍に。見えないと思いますが"
傍に居る!?
気配も、姿も、まるで感じ取れない。
公園と同じく、声だけが不気味に響いている。
竹刀を振り回せば当たるだろうが、闇の圧力が僅かな動作も縛り付ける。
「お前…ハァ、ハァ…何で、此処…ハァ…に…」
"お辛いでしょうから、話は手短に。
なのはがもうすぐ来ます。
その娘は彼女が助けますから、外へ"
――なのはが…?
俺のすぐ後に飛び出しても、俺の全力疾走にはガキの足では追いつけない筈。
第一、どうやってこの場所が分かるんだ?
何にせよ、最初からあいつに頼るつもりはない。
俺は無視して、光の中に手を――
"触っては駄目です!"
「うるせえ! …ハァ…ハァ…
こいつは…ぐ…俺が…」
立ち止まったせいで、忘れていた痛みが蘇る。
鍛えた身体と日本中を旅した体力が、今の俺を支えているだけ。
眩暈がするほど、辛い。
あくまで制止を無視しようとする俺を哀れんでか、ユーノは必死で語りかける。
"――ジュエルシードは、強い願いほど力を発揮する。
彼女の願いは――彼女自身を押し潰すほど強いんです"
「だったら、すぐに――!?」
"聞いて下さい。おかしいと思いませんか?
この闇がジュエルシードの力なら――
――闇を遮断するこの光は、何の力ですか?"
最初から感じていた、違和感。
光の膜。
はやての願いがジュエルシードを発動させたのなら、この光は何なんだ?
注意深く見て、俺はようやく気付いた。
――両手で強く抱き締めている、あの本。
鎖に繋がれた古の書物を、はやては大切に抱えていた。
"迂闊に触れるべきではありません。
彼女自身の力か、書物の力か――はっきりさせるまで。
最悪、この光は貴方を外敵と見なすかもしれません"
「…」
――ユーノの言う事は、確かに正論だ。
厄介事には迂闊に触らず、危険から避難して、面倒事を誰かに押し付ける。
俺の生き方だった。
他人から非難されても、俺は聞く耳持たず俺第一で生きてきた。
悩みなんて、何も無かった。
毎日気軽だった。
――何もないまま、延々と生きてきた…
他人だらけの各地を、ぼんやりと通り過ぎて歩いていた。
誰が死のうが生きようが、どうでも良かった。
悲しい事も、辛い事も――楽しい事も無かった。
思い出なんて何一つない。
生きているだけの、人生。
嫌ではなかった。
「悪いな、ユーノ」
でも――
――決して、幸せでもなかった…
「俺は――人の言う事なんて、聞かない男なんだよ!」
"――! やめっ――!?"
光の中に――両腕を突き刺す。
死に物狂いで伸ばした手は…はやてを掴めなかった。
光は頑なに俺を拒み、侵入した手を焼く。
溶けた爪の先は少女の白い指ではなく――
――本の背表紙に触れた。
「ぐあああああああああああっァァァァァァ!!!???」
"手を離して!!"
「い、嫌…ウガァァァァァァ!?」
両腕が、沸騰する――
灼熱に震える白い光。
瞼を這い回る黒い霧。
燃え上がる血。
ジュエルシードの闇が俺の手を伝って、本を侵食する。
本は俺の血を滲ませて、鳴動。
ジュエルシード。
古い本。
血…液…
――暴発。
凄まじい光の洪水に飲み込まれて、俺のちっぽけな身体が吹き飛ぶ。
窓ガラスを粉々に吹き飛ばして、中庭に思いっきり叩き付けられた。
コンクリートの固い感触に、顔を思いっきり擦られる。
「…あ…ぐ…」
あっという間に、ぼろ雑巾。
馬鹿な意地の結果が、この有様――
背中は血で濡れて、身体中ズタズタの傷だらけ。
口を動かすだけで唇が痛み、汚い鼻血で庭を汚している。
瞼が切れたのか、右目から生暖かい液体が流れている。
転がっている竹刀が、惨めさを誘う。
「く…そ…」
ガードレールは掴めても、はやては掴めなかった。
両手は――見る影もない…
あるのは、弱々しい意識。
ちっぽけな戦意。
――俺の傍に転がる、竹刀。
「…俺は…まけねぇ…」
柄を、咥える。
噛み切らんばかりに強く齧って、俺は起き上がった。
使えるものは、何でも使う。
手が駄目なら、口で持ってでも戦ってやる。
死に体――
勝ち目なんて、ない。
闇は中庭に転がる俺を目掛けて、広がり続ける。
負けない。
体裁なんて、もうどうでもいい。
つまんねえ奇跡に捻じ伏せられる、俺じゃない。
幽霊も、魔法も、何一つ信じてやらねえ。
俺は、立体映像がいればいい。
人を楽しませる手品で十分。
くだらねえ非現実は、俺の現実で押し返してやる。
両腕がもう使えなくても、俺は――
「…ん…?」
肉が熱く焦げる臭いを発する手は、はやてを掴めなかった。
あの時掴んだのは、確か――
『…ぐるじい…ですぅ…』
――ボロボロの背表紙と、一枚の白いページ。
感覚のない手の中で、ページに浮かぶ小粒な女の子が目を回していた。
<第十九話へ続く>
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