とらいあんぐるハート3 To a you side 第五楽章 生命の灯火 第十二話







 豪雨が、俺の頭上から容赦なく降り注いでいる。

響き渡る轟音――背筋に走る雷のような激痛で、目が覚めた。

身体の芯を蝕む炎熱は、雷雨の冷たさで消えていく。

血のすえた臭いは、土と水が覆い隠してくれるのがありがたい。

背中から流れる血液の量は異常だった。

驚くほど、呼吸も小さい。

生きている理由が分からなかった。

無意識に傷を庇っていたのか、右手に生暖かい液体の感触がした。

何分、何時間眠っていたのか。

全身を水と血で濡らして…俺はまだ、生きていた。



なんだってこんなことになった――



天国なんて望んでいない。

平和や平穏なんてくそくらえだ。

一人で生きて、一人で死んでいく。

つまらない生き方だとは思わなかった。

気楽で、気軽で――望むがままに生きて行けると思っていた。

なのに。今の俺は地獄にすら転落出来ない。

高みに行こうとして、気がつけば奈落に転がり落ちていた。

奈落は、空っぽだった。

希望もないが、絶望もない。

失った人間が最後に落ちる、空虚な楽園だった。



もうすぐ、死ぬ。



空は暗黒、地は血で濡れている。

誰にも看取られず死ぬ。

髪は血と雨と泥で汚れてボサボサ。

こけてしまった頬、くぼんでしまった目。

炎が宿ったような灼熱のような痛みに蝕まれて。

人間が大よそ考えうる、最低の死に様だろう。

何も守れず、何も得られず、何も出来ないまま死んでいく。

孤独とは、究極の一人だ。

いいさ、死んでやる。

俺を弄んだ運命の女神。

奴が決して来れない場所まで、走り去ってやるさ。

ざまあ…みろ…



瞼が重い。

息をするのも億劫。



後悔も、安堵も、希望も、絶望も。

何もかも虚無に溶けて消え去っていく。

強烈な眠気に身を任せて、俺は沈んでいった――







心臓の鼓動が、俺の耳朶にしがみつく。








 少しも眠れない。

冷え切った肉体、凍りついた神経、崩壊した心。

歯の根が合わず、ガチガチと震えながら、拳を握り締める。

死にたくて堪らない。

瞼を閉じれば永遠が約束されているのに、俺は舌を噛んで堪えている。

体も心も死んでいるのに、命を手放そうとしない。

まるで、身体と精神の耐久レース――

孤独に満たされた豪雨の山中で一人、俺は戦い続けていた。

意味が分からない。

俺は一人になりたかった。

一人で生きていたあの頃に、戻りたかった。

戻れないのなら死んでもいいとさえ、思っていた。

俺はその極致へ――辿り着いたのではないのか。

ようやく訪れた優しい孤独を、何故拒む?

俺は…



"こんな別れ方――なのはは、嫌!!"



 …なの…は…あの…馬鹿…

あんなちっぽけな存在の慟哭が、死んだ俺を支えている?

嘘だ。



"――諦めないです。
おにーちゃんは、世界でたった一人のおにーちゃんだから"



 一人――たった一人の、存在。

俺が望んでいた一人を、あいつは宝のように大切に想ってくれていた。



高町なのはにとって――



――俺は掛け替えのない"一人"なのだ。



「なの…は…」


 俺は――立ち上がっていた。

立ち上がれる自分に、驚いた。

そんな馬鹿なと、運命の女神まで驚愕している。

死神が慌てて鎌を振ろうとしている。



失せろ。



背中に、拳を叩き続ける。

目が眩むような痛みが走り、眩暈はしたが目が覚めた。

あの世まで、最早後一歩。

濡れた衣服が鉛のように重く、血が圧倒的に不足した身体は青白い。

今度倒れたら――もう立ち上がれない。



"ごめんなさい"



 その声が、狂おしいまでに死んだ心を揺さぶった。

金髪の少女の残影が、山中で霧のように漂っている。

行かなければ――

俺は生への一歩を踏み出した。



歩ける――



見捨てた身体が、まだ動いてくれる。

俺は瞳を熱く潤ませた。

修行を積んだ意味が、確かな形で蘇った。

心も身体も、主の俺が見捨てたのに――こいつらはまだ、俺に応えてくれた。



強くなりたい――



心の底から今、俺は願った。

理由なんて、どうでもいい。

今、俺は生きている。

――どうでも良かったんだ、強くなる理由なんて。

生きていけるなら。



"…出て行ったかと思って心配したけど、帰ってきてくれてよかった"



 あいつは理由もなく、一人だった。

疑問も挟めないほどに、あいつはずっと孤独だった。

足を失って、自由は消えて――それでも、あいつはまだ生きている。



俺より、よっぽど強かった。



 そんなあいつが、俺の前では弱さを見せる。

甘えるように心を寄せて、頼りにしてくれる。

あいつを笑う資格なんて、俺にはなかった。

水溜りを跳ね飛ばし、泥だらけの靴で山道を降りた。

ガードレールにぶつかって転げそうになるが、耐える。

国道が見えてきた――



――血を、吐いた。



限界は近い。

でも、何処までが限界なんて分からない。

一人だから、分からない。

自分が強いのか弱いのか、一人では見える筈がない。



"約束は繰越しにしとこか。勝敗がつき次第って事でええやろ?"



 ――あいつとの修行が、今の俺を支えてくれた。

ボロボロの身体に刻まれた槍の痕が、俺を鍛えてくれた。

あの山中で、俺を支えてくれた。

今の俺とあいつは、同じ。

共に、死に掛けている。

何時死んでもおかしくない。

俺とあいつは――今も戦っている。

互いの生存を賭けて。


――負けられない。


  生きる理由なんて、今はそれで良かった。

帰ろうとしている自分が、少しだけ可笑しかった。

こんな俺にも、帰る家は残されている。



"いってらっしゃい、良介!"



 少女の微笑みが、空虚な俺の心に灯火となって照らす。

幽霊ならば、あの世でまた会えるかもしれない。

――なんだ…


血に濡れた唇で、俺は笑う。



あの世でも、俺は一人にはなれないじゃないか。



ならば――生きていたほうがマシだ。


希望が、俺を地獄へ誘う。


緩んだ心が足の踏ん張りを殺し、俺は急激な落下感に襲われた。

急激に近づく、地面――

俺はガードレールにしがみついて、膝をついた。

倒れたら、死ぬ。

日は沈み、豪雨で発生した濃霧が夜の暗さを包んでいる。

町まで、遠い――

忘れていた痛みが、襲い掛かる。

激痛による灼熱の炎が俺を再び包む。

痛覚神経が歪む。

頭がラッパのように、痛みを鳴り響かせる。

完全に、トチ狂っていた。


現実はどこまでも残酷だった。


運命の女神は、俺に勝利を許さない。

死神は、今更抵抗する俺を嘲笑する。

神も悪魔も、惨めに這い蹲る俺を馬鹿にした。


猛る。


怒りの炎が燃え上がった。

俺は、生きる。

もう、足は動かない。

ならば、最後の最後まで生きる事を諦めない。

ガードレールを掴む手だけが、俺の生を支えていた。


暗闇の中で――世界の中で、たった一人の勝負。


一人の俺。

襲い掛かる死から、俺は懸命に逃げている。

思い出す。

懐かしい、日々。

死神のように真っ黒な服を纏った男から、俺は逃げていた。

あの時、俺が逃げられたのは――



――光が、瞼を焦がした。



猛烈な現実感を抱いて、こちらへ向かう一台の車。

強烈なライトが、闇夜に沈む俺の姿を克明に映し出す。

真っ黒な高級車が俺の横で停車して、ドアが開いた。



「――、――!」



 声が聞こえる――

悲痛な声だった。

顔はもう、見えない。



ガードレールを掴む手だけが、ただ熱い…



理性が真っ白に吹き飛んで、俺は今度こそ意識を放棄した。

























































<第十二話へ続く>







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