とらいあんぐるハート3 To a you side 第一楽章 流浪の剣士 第十二話
昨日の晴天が嘘のように、今朝の空模様はひどい。
冬の終わり特有の寒々しい朝の冷たさは新鮮さを欠いて、空気が濁っていた。
地域的に晴れが多い海鳴町だが、今日は珍しい曇りの空だった。
今にも雨か雪がふりそうな程雲は重々しく浮かんでおり、風も今日ばかりは荒々しい気分のようだ。
住宅街を彩る木々は音を立てて揺れており、街の様相を変質させている。
時刻は午前八時。
騒動の夜が終わり日付が変わって、高町家では重苦しい朝を迎えていた。
普段は高町家は家族の仲の良さもあってか、朝はとても賑やかで暖かい雰囲気を見せる。
誰かが明るいからとかではなく、一人一人が家族を形成して成り立っているのであった。
しかし、今朝は事情が違った。
いつもの団欒さは影を潜め、居間に集う面々は皆真剣な表情で座り込んでいる。
「・・・そうか・・・」
高町一家が日常集まる居間には大きなソファーが置かれており、そこには今朝訪れた来客の顔があった。
誰であろう前先道場師範・前先健三郎その人である。
居間に並ぶ面々はそれぞれ恭也・美由希・健三郎・高瀬の四人。
隣のダイニングにはフィアッセやレンもいて、遠巻きに心配そうに様子を伺っていた。
厳しい表情を崩さない健三郎の前には、真剣な表情で恭也が座っている。
昨晩より徹夜で起きているために、生来の凛々しさに精彩がない。
ため息交じりに呟いた健三郎に、恭也は苦渋の声で謝罪する。
「すいません。俺がもっとしっかりしていれば、犯人を捕まえる事は出来たのですが・・・」
事の起こりは、昨晩恭也が見回りに出ていた時だった。
近頃連続して起きている通り魔事件に警戒を強め、住民達が結成した見回り組に参加していたのである。
定められたルートに沿って延々と歩き、何もないまま交代時間が訪れようとしていたその時に事件が起きた。
曲がり角を曲がって公道に出た時、目を見張る光景が広がっていたのだ。
頭から血を流して倒れている人間と木刀を片手に佇んでいた一人の男。
月明かりの下で、男の手に握り締める木刀からは血が滴っていた・・・
状況が状況を生み、男は取り押さえようとした者を叩きふせて、逃亡してしまった。
その後恭也は警察に行き、事情聴取を行った後に帰っていたのである。
弟子をやられて今朝方訪問した健三郎達に全てを話し、恭也は頭を下げた。
「君が悔いる事はない。君達のお陰で、近藤君は命を取り留めたんだ。
私の方こそ礼を言わねばならん。本当にありがとう」
昨晩の被害者である近藤と呼ばれる若者は救急車で運ばれて、現在はベットの上である。
命は助かったようだが、それでも重傷である。
見回りをしていながら、結果として事件を未然に防げなかった事に恭也は責任を感じていた。
健三郎の労いの言葉にも黙って首を振るばかりで、恭也は面を上げようとしなかった。
重い沈黙が居間に漂う中で、恭也の隣で黙っていた美由希が口を開いた。
「・・・あの〜、本当に宮本さんがやったんでしょうか」
表情には信じられないといった不信な色が出ており、恭也の話を聞いて困惑している様子である。
美由希の言葉に、健三郎の隣に座る高瀬は顔を上げて声を張り上げる。
「あの男に決まっています!私がきちんとこの目で見ました!
それにあの男は私の言葉を聞き入れず、暴力をふるったんですよ!」
昨晩良介が木切れをふるった箇所には包帯が巻かれており、胸元より痛々しい様子を見せていた。
応急手当に過ぎないので、後に病院へいく事になっている。
高瀬の感情のこもった言葉に気負いしながらも、美由希は言葉を重ねる。
「でもどうして宮本さんがそんな事を・・・?
私は宮本さんの事はあまりよくは知りませんけど、闇討ちをするような人には見えませんでした」
医務室での良介の対話を思い出して、美由希は意見を述べる。
ぶっきらぼうで愛想のいい人間ではなかったが、剣に対する意欲は本物だった。
美由希はそう感じたからこそ好印象を持ち、出来うるなら再会をしたいと思っていたのである。
美由希は突然の成り行きに、今でも混乱気味であった。
そんな美由希に高瀬がさらに反論しようとして、健三郎が口を出した。
「私も正直信じられない気持ちでいっぱいだよ。
あの若者は我が道場に正面から乗り込み、木切れ一本で挑んで来たのだ。
近年、私はあのような若者を見た事がない。
天下という大きな夢を語って、実に堂々とした態度だった。
嬉しくもあったし、期待すらかけていた。それがまさかこのような事になるとは・・・」
老齢な剣士の厳格な風貌には、失望がありありと浮かんでいた。
美由希は健三郎の気持ちを察して、それ以上何も言えず黙り込んだ。
そこへ、
「恭也、警察の方が見えているわよ。昨晩の事を詳しく聞きたいって」
高町桃子、恭也と美由希の母親である。
覗かせた顔はまだ若々しさを保っており、二十代で通用する活力が瞳に宿っていた。
桃子は正確には二人とは血の繋がりはないが、恭也と美由希は本当の母親のように慕っている女性である。
日頃は明るさ笑顔が絶えない桃子ではあるが、思いもよらぬ来客の方々に緊張気味であった。
「警察?もう全部話したんだけど・・・」
そう言って恭也は健三郎達に視線を向けると、健三郎はおっとと顔を上げる。
「長居をしてしまったようだね。
では、我々はそろそろお暇させていただこう」
健三郎が腰を上げると、隣の高瀬も慌てて立ち上がろうとする。
気を使って帰ろうとする二人の様子に、桃子は慌てて言った。
「待ってください。せっかく来たばかりですから、お茶でも飲んでいってください。
先生には美由希や恭也もお世話になっていますから」
桃子の申し出に、健三郎は迷いがちに答える。
「しかし、警察が来られているのなら邪魔になるでしょう。
詳しい話はお聞きできましたし、我々はこれで・・・・」
「ん〜、出来ればご一緒に話を聞かせてくださるとありがたいのですが」
突然の涼やかな女性の声に、一同ははっとして出入り口を見やる。
短く切り揃えられているシルバーブロンドの髪に、神秘的な顔立ち。
ややワイルドな大人の魅力を醸し出す一人の女性がそこにいた。
「勝手にお邪魔して申し訳ない。話が聞こえたもので、つい・・・・」
「リスティ!?リスティなの!?」
椅子を蹴り倒さんばかりに勢いよく立ち上がって、ダイニングからフィアッセが驚愕の声を上げる。
対する女性は余裕を持って、黒い手袋をしている手を上げて答えた。
「ハイ、フィアッセ。元気にしてた?」
「うん!リスティも元気そうだね」
満面の笑顔を浮かべて喜び合う二人の女性。
完全に置き去りにされている恭也達は、茫然自失で二人を交互に見合っていた。
「ふむ・・・その後車に乗って逃げていった、と。
男が窓から乗り込んだのはどちらからか分かるかな?運転席か助手席か」
「遠目からでしたけど、運転席だったと思います。
運転手と一言二言話して、そのまま窓から入っていきました」
ソファーの前のテーブルには、桃子が入れた特製のコーヒーが並んでいる。
リスティ・槙原と名乗った銀髪の女性は、自分の身分と簡単な紹介をした。
厳密に言うと警察関係者ではなく、民間人として協力を行っているとの事。
フィアッセとは友人関係にあり、長年の付き合いとの事。
今回の通り魔事件では早期解決に向けて、警察側より要請された事。
ようやく掴めそうな犯人への手がかりを求めて、関係者である恭也の元へやって来た事。
事情聴取の書類を読んでも分かる事なのだが、関係者本人の生の声が一番というのがリスティ弁だった。
フィアッセの頼みもあって恭也は再度全ての事情を話すと、リスティは思案げに幾度か質問を行った。
「窓から直接か・・・随分強引だな。
運転手と揉めていたような感じとかはあった?」
「俺もその時は必死だったので、そこまで詳しくは・・・・
ただ数分も経たない内に赤信号を無視して、走り去っていきました」
「なるほど・・・」
黒い手帳に向かって、速やかにペンを走らせる。
仕事に熱心なその表情は、リスティの魅力を引き立ててやまない。
事実朴念仁の恭也はさて置いて、高瀬はリスティの横顔に見惚れていた。
彼女自身は気がついてはいないようだが。
「リスティ、何か分かりそう?」
恐る恐るフィアッセが尋ねると、リスティは表情を厳しくして答えた。
「容疑者、正確には重要参考人かな?の宮本 良介。
調べてみないと分からないけど、多分この町の人間じゃないと思う。
とすると、特定に時間がかかるかもしれない。それに・・・」
「何が気にかかる事があるのですか?」
健三郎が落ち着いた口調で問い掛けると、リスティはええと頷いた。
相手が立場のある年上の男性とだけあって、彼女も口調を改めた。
「道場破りの一件で前先さんのお弟子さんを狙ったというのであれば、確かに動機は十分です。
ですが、そうなると他の被害者への動機が不透明となります。
通り魔の被害者はお弟子さんだけではありません」
この町で起きている通り魔の被害者は一人ではない。
日夜に渡って襲われており、被害者が増えていっているのだ。
もし良介が犯人だと言うのであれば、他の被害者をなぜ襲ったのかの理由付けができない。
元々犯人ではないのだから当然とも言えるのだが、少なくとも高瀬は納得できなかった。
「ですが、私は実際に見ているんです!
あの男は間違いなく凶器を持って近藤の傍に立っていました!」
「立っていただけでしょう。襲い掛かる現場は見ていないのではありませんか?」
特徴的な色をしている透明な瞳を向けると、高瀬はうっと黙り込んだ。
だがそれも一瞬で、怪我まで負わされた高瀬は反論に出る。
「実際、僕は怪我を負わされました!
それに今回のみの犯行ということも考えられませんか」
「・・・否定はできません。
いずれにせよ本部の意向では宮本 良介を犯人とみなして、現在も足取りを追っています。
高町君の話だと、車を強奪した可能性もありますから」
逃げ切れなくなり、公道の車へと向かって運転席の窓から中へ飛び乗る。
運転手と何事か揉めた後、急速に車はスタートした。
事実だけを聞けば、良介が運転手を脅してカージャックしたようにも見える。
リスティは務めて事務的な話し方で、とつとつと現状を語った。
黙って話を聞いていた恭也は、そんなリスティに視線を向ける。
「昨日パトカーが車を追っていきましたが、その後の経過はどうなったんですか?」
恭也の質問に、リスティはちょっと困った顔で答えた。
「検問を張ったんだけど、結局成果は出ず。
振り切られて、その後行方不明になったんだ。
今も各所の交通網をチェックはしているから、まだ町からは出て行っていない筈だよ」
「そうですか・・・・・」
恭也はその後何も話さなかった。
だがその瞳には強い光を輝いており、恭也は一つの決心をしていた。
<第十三話へ続く>
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