学校からの帰り道、時間潰しに街をぶらついた。
 何となく、そのまま直帰するのは気が進まなかったから。
 どうせ帰ったら今朝のことで秋葉に小言を言われるんだろうし、家にいたって何かする
ことがある訳でもない。

 今頃秋葉は、きっと渋い顔をしながら俺の帰りを待っているのだろう。
 腕を組みつつ、指先で時を数えながらたまに紅茶でも飲んでいるのだろう。

「はぁ……」

 そう考えれば考える程、どこか申し訳ない気持ちと同時に帰りづらい雰囲気を覚える。
 朝のことも思い出しては、また一つ溜息を浮かべた。
 
 言い訳をするつもりはないが、俺だって悪気があった訳じゃあないのだ。でもほら、人
には口が滑るってこともある。完璧な人間なんていやしないのだから。
 それに、普段は口に出すことはないが、俺も秋葉には感謝していたりする。屋敷に戻し
てくれたことだって、……まぁ、居心地はまぁそんないいとは言えないけど、納得だって
しているのだ。

「俺って、尻に敷かれるタイプかな」

 ふとそんなことを呟いて、ポケットに入れた手を大気に晒した。
 じんわりと湿る程に温まった手に秋の冷気がいやに心地よかった。
 前方、行き当たりにある複合ビルに添えられたデジタル時計はちょうど五の数字を示し
ている。辺りはすっかりと薄暗くなり、夕日の朱の名残も既に遥か向こうだ。ビルはネオ
ンを灯し、ハッピを来たどこぞの店員が看板を持って呼び込みを始めている。

――と、その時だ。
繁華街の中ほど、混雑する人の群れの中に。
俺は、偶然にもあいつを見つけた。

その、……――アルクェイドの後姿を。







【月姫―『始原胎動』―Correctness of ethics―】









『明日もここにいるから』
 その言葉通りの再開とはいかなかったが、俺はこうしてアルクェイドを見つけた。だが、
約束を守ったほうがあいつは喜ぶだろうと思い、俺は声をかけることはしなかった。
 アルクェイドは、俺に気づいている様子はなかった。
 十メートル程離れて後を歩いているのだが、さっきからこちらを振り向く様子は微塵も
ない。
 いや、アルクェイドのことだから、もしかしたら俺のことに気づいているかもしれない。
 何せあいつは吸血鬼だし、身体能力も普通の人と比べて次元が違う。あのネロ・カオス
やシキでさえあいつには畏怖を覚えていたくらいなのだから。
 それに、戦いはもう終わって、アルクェイドもすっかり身体を休めた。だから、俺が殺
してしまった後のような不完全な状態ではない筈だ。

 ――それにしても。

 何と言うか、こうして歩けば歩く程、アルクェイドは人目を引く存在なんだと改めて気
付かされる。
 さっきから呼び込みの人達はひっきりなしに声をかけているし、通り過ぎる人達も老若
男女関係なくほとんどの人が振り返ってはアルクェイドの後姿を眺めている。まぁ確かに、
元々金髪で目立つというのもあるし、外見もかなり可愛いのだから見られることも不思議
ではない。
 まぁ、だからという訳ではないが、ふと俺はそんな女と愛し合ったのだなという事実を
思い出すと、少なからず顔が熱くなるのを感じた。
 アルクェイドは、そのままスタスタと歩いていく。
 
 
 
 人気はどんどんと少なくなり、遂にはその波も途絶えた。
 辺りはすっかりと暗い。まるで世界は闇で、自分が異端者なのではないかと思うほどに。
 
 辿り着いたのは、約束の公園だった。
 ――秋葉の言葉を思い出す。
 俺は昨日の夜、公園で倒れていた。
 それに、先輩は言った。
 俺が、アルクェイドを殺そうとした、と。
 
「――っ」

 ふと浮き出た負の感覚。それを拭う為、痛くなるくらいにかぶりを振った。
 
 そんなこと、ある訳がないと自らの内に言い聞かせる。
 だが、それはどうやら事実だ。変えようがない過去の事実だ。どんなに取り繕おうとも、
それを修正することは出来ない。
 なら俺が、あいつにしてやれることは一つ。
 
 それは、心から謝るほかにない。
 
 俺はアルクェイドが好きで。
 そしてアルクェイドも、俺を好き、な筈で。
 だからこそ、俺はあいつと一緒にいようと決めた。
 だから、そんなあいつの思いも、想いも、無下にすることだけはしちゃいけない。
 
 アルクェイドが、公園の中心に進んだ。
 
 俺は走り、距離を詰めた。
 
「アルクェ――」

 ――だが、そこには誰もいなかった。
 
「え? ……あれ、嘘だろ? アルクェイド!?」

 外だということも忘れ、俺は思い切り叫んだ。
 ぐるりと公園を見渡し、ぽっかりと開いた闇のような木々を一つ一つ注視していく。
 そんな……バカな?
 さっきまで、確かにアルクェイドの姿を見ていたというのに。あれは幻覚だったのか?
いや、それにしては生々しすぎている。間違いようもなく、あれは現実だ。
 
「アルクェイド! なぁいるんだろ!? アルクェイド!」
 
 再び名を呼びつつ、俺は広場から公園内に視線を撒き散らした。
 
 ――と。
 
「そんなに大声出したら、変な人だと思われちゃうよ」

 はっと瞬間的に声の方を見た。
 そして、そこ――つまりは群生の闇と化した木々に向かって声をかける。
 
「そこにいるのか? ……アルクェイド」
「うん。いるよ」

 声は、それらのどれかからすぐに返ってきた。
 
「何で隠れたんだ。別に、隠れることもないだろ」
「……ううん、駄目。ごめんね、やっぱりあたし志貴と会うことは出来ない」
「……何でだ。まさか、昨日のことか? 違う、あれは俺が全て悪いんだ。だから、謝ら
なくちゃいけないのは俺の方なんだよ」
「そうじゃないの、志貴。そうじゃないんだよ」

 アルクェイドの声は、ざわざわと鳴らす葉々に挟まれ上手く聞き取ることが出来ない。
 近づきたかったが、アルクェイドは小刻みに場を移しているようでそれも叶わなかった。
 
「じゃあ何でだ。昨日のことが原因じゃないのなら、他に何があるってんだ」
「……違うよ志貴。違うって言うのは、志貴は悪くないってこと」

 さざめくような声。
 それはまるで、この葉々が鳴らす音のようで。
 俺は、いたたまれなさから思わず叫んでしまっていた。
 
「何言ってるんだ、じゃあおまえが悪いとでも言うのか!? そんな訳ない! 俺の、俺
の中にある血が原因だからじゃないか!」
「……ううん」

 声は、遅れて返ってきた。
 
「やっぱり、あたしが吸血鬼だから。それが一番の原因」
「そんなこと――」
「ねぇ、志貴。退魔の力って、何で作られたかわかる?」

 アルクェイドは俺の声を遮って話しかけてくる。
 燻るようなもどかしさに拳を握りしめながら、俺はソコと思われる場所に目をくれた。
 
「何でって……そのままだろう」
「そう。普通の人々が異端に抗う為。一つ生まれたら、驚くような速度でどんどん増えて
いったわ。この辺りだけでも、四つも家系があった。ソレ程、昔の人にとってあたし達み
たいなのは化け物でしかなかったのよ。……ま、それは今でもそうなんだけどね。あはは、
わかってはいたことだけど、さ」
「……」
「だから、志貴は悪くない。あたし達がいたから、志貴はそんな特異な血を持って生まれ
てきちゃったんだから。……――やっぱり、あたしが悪いの」
「……」
「もう知ってるんでしょ? 昨日のこと。どうせ、あのおせっかい女が喋ったに決まって
るんだから。ほんと、おせっかい。
 だからね、志貴。顔を合わせちゃったら、きっとまた昨日みたいなことが起こる。…
…もう、会わないほうがいいと思うんだ」
「……」

 何か言おうにも、言葉が続かなかった。
 それは、アルクェイドの言わんとしていることを肯定してしまうことになるというのに。
 俺は、知らず知らずに顔を俯かせてしまっていた。
 アルクェイドの気持ちが、痛いほどに伝わってきて。俺が思っていた以上に、こいつは
俺のことを想ってくれていて。
 だから、その強さに俺は身体を震わせることしか出来なかった。
 
「ねぇ、志貴。死なないって、どういうことだと思う」

 ふと、アルクェイドが問いかけてきた。
 
「え?」

 俺は、蜃気楼のような面持で空を見る。風が止む。
 死なないって、こと? それは。
 ――それは?
 
「よくさ、人間は不老不死が欲しいとか言うよね」

 アルクェイドの声が、瞬間のしじまを解いた。
 
「でもさ、本当はそんなもの必要ないんだよ。そんなの、限りを見ないだけの幻想に過ぎ
ないの。不老不死なんて、それ程いいもんじゃない。……ううん。むしろ、最低。知って
いる人がいなくなったのに、大切な人がいなくなったのに、それでも生きることを強要さ
れる。確か、この国には生き地獄って言葉があったよね。本当、その通りなんだよ」
「――そう、なのかもしれない、な」
「でしょう?」

 あはは、とカラけた笑い声が聞こえた。
 
「命には限りがあるから、生きようとする心が芽生える。生命には終わりがあるから、悔
いを残さない為にと意志が生まれる。それがなかったら、それがなくなってしまったら、
……そう、きっと、人形になってしまう」
「人形?」
「うん。あた――」
「――あたしみたいな、とかだけは言うなよ」
「……志貴?」

 ……――こいつは。
 ……この、大バカやろうは。
 
 ぐしゃぐしゃと髪を掻く。荒くかぶりを振ると、自分が頭に来ていることに気付いた。

「あーもー、あったまきたこのバカ女!」
「なっ――!」

 どこにいるかもわからないアルクェイドへと、四方八方に顔を向けながら叫んだ。こう
なりゃやけだと、闇の中に駆け込みアルクェイドの姿を探し回る。幾ら目が慣れようと、
どうやったって見えないのは承知の上だった。
 それでも俺は、辺りを見回しながら、時に枝にぶつかりながら走り回った。

 すると、どこか近くで「むー」と唸る声が聞こえた。
 それは、上空。多分に、枝の上からであった。
 
「ひどいよ志貴。あたしは志貴の為を思って言ってるのに。それなのにバカってのはない
んじゃない?」
「バカだからバカって言ったんだ。この大バカ女」
「あ、ひどい! バカって言ったほうがバカなんだからねこのバカ志貴!」
「いーや、おまえの方がバカだね! 絶対にだ!」
「何でよ!」

 ――何で?
 ――――はは。そんなもん、決まってる。
 
「俺が、おまえのことを好きだからだ!」
「っ! ……な、何それ! そんなの答えになってない!」
「答えだよ! 俺はおまえを信じてるのに、おまえは俺を信じてない!」
「! ――……」
「ネロの時だって、シキの時だって、何とかなった。それなのに、今度は駄目だと最初っ
から決めつけてる。だからお前はバカだって言ったんだ!」
「だ、だって……」
「昨日のことか? そうだよ、それはもう昨日のことだ。今じゃない。それなら未来を考
えた方が何倍もマシだろ? なぁ、アルクェイド、何でそんなに臆病になってるんだよ。
何で解決策がどこかにあるって考えられないんだ。そんなに俺は頼りないのか」
「違う!」

 はっ、と。
 場が静まり返る程の覇気を、アルクェイドが吐いた。
 シンと静まる世界。不思議と、葉擦れの音も聞こえない。
 息が荒い。握り締めていた手は、開くと筋に少し痛みが走る。
 そうして一度大きく息をつくと、俺はソコと思われる木の根本に近づいていった。
 幹に手をかける。ひやりとした木の感触に、次第に思考はクリアになった。
 
「アルクェイド。……ここか?」

 空一杯に広がる一面の闇を見ながら問いかける。
 すると、その答えはすぐに返ってきた。
 
「うん」

 ふわ、と。  急に、背後からぎゅうと抱きしめられた。
 でも、確かめるまでもない。驚くこともない。
 アルクェイドの感触を、俺が忘れる筈がないのだから。
 肩の辺りに、アルクェイドの額が当たっている。腰に回された手が、力強く締め付けて
くるのを感じる。
 不思議と、心の内が見えない何かに満たされていく。
 
「あーあ、来ちゃった」
「そうだな、来てくれた」
「知らないんだからね、あたし」
「覚悟はしてるつもりだよ」
「ううん。覚悟なんて、しなくていいよ」
「……何でだ?」
「あたしが、絶対に何とかしてみせるから」

 ふふふ、と。
 何故か、気味の悪い笑みをアルクェイドが浮かべた。
 
「……えーっと、その。アルクェイ、ド?」
「あの女にでも色々聞き出してやろうかな。あ、それ面白いかもしれない。今まで散々ち
ょっかい出してきたんだし、一つくらい仕返ししたって罰当たらないよねー」
「お、おいアルクェイド! 先輩は――」

 そう言いつつ振り返った時、ふと何か柔らかいモノが口に触れた。
 言葉は遮られる。零距離の隙間に、さらりと金色の髪が揺れる。そのまま数える刻、刹
那。開かれた目に、真紅の輪が見えた。
 密着していた身体が離れる。闇の中に、白の肌が妖しく映る。
 
「ふふふ。久しぶりー」

 言って、アルクェイドは心から楽しそうに笑った。
 それを見て、俺も何ごとかを言う気もなくし共に笑った。
 
「絶対に、何とかしてみせるんだからね」

 アルクェイドが俺の手を掴み、小走りに駆け出す。

「……あぁ」

 もはや見慣れたその後姿に、俺は確かな誓いを持って返す。
 木々の向こう、街灯の灯りがやがて二人の姿を明確に晒していく。
 より鮮明に映るアルクェイドの姿。より鮮明に思い出すアルクェイドとの記憶。
 つい二日前までは当たり前だった光景なのに、こうして触れ合うのは何故だかとても
懐かしいモノに思えて。
 やがて木々を抜け広場に出ると、アルクェイドは俺へと振り返る。
 二人、互いの目を見つめながら、そして互いに笑いながら、――アルクェイドは、最後
もう一度口付けを交わして、去っていった。

 最後に、「明日もここにいるから」と、言って。
 
 ――どくん。
 
 ……――この、高鳴りは。
 





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