誰かに救ってほしかったわけではない。
自分のことぐらい自分で後始末つけてみせるし、それが当たり前だと思っていた。
自分の周りにどれだけの人間がいようと孤独に感じたのはきっとそういうこと。自分の中で自分は独りで、周りから見れば俺は背景と同じ。
確信する前に理解していた。常に独りであろうとしたのも当然の事、自分は誰かと何かを共にするような人間ではない。
否、自分は人間ですらない。幾人もの犠牲の上でのうのうと息づくガーディアン。
犠牲になった者、犠牲になった者の家族、犠牲になった者の――――存在そのもの。
それをこれから俺は常に背負い続けなければならない。そういう風に創られたのだから。
 

俺は弱い。どうしようもなく弱い。そんな俺が、そんなにも重い物を背負うことなどできない。
だから、いっそ開き直ってやる事にした。自分はガーディアンだぞと、それがどうしたと。
言ってしまえば楽だった。悪役になりきるのは正義を貫くことの何倍も簡単だ。
自分に罪などないと胸を張って嘘を突き通した。
自分はガーディアンだと誇らしげに唇を噛み締めた。
そんな偽りの感情で自分を騙さなければ自分を保つ事のできない俺に、一体なんの救いがあるのか。
 

誰かに救ってほしかったわけではない。所詮自分は泥にまみれ続ける運命だ。
でも、それではあまりにも不公平だと思った。
なぜこれほどまでに苦悩しなければならないのか。心も体も幼いただの少年の俺が。俺がなにをしたというのか。
 

誰かに救ってほしかったわけではない。
ただ、ただ一つだけでもいいから、希望がほしかった。俺が自分を少しだけでも許せるような希望が。
 

そう、例えば俺と全く同じ――――いや、俺の分身と言っても過言ではない、
 


俺の――――妹
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

遠野家に戻ったのは、きっとすこしだけ未練があったからだ。
もしかしたらものみが門の前で立ちふさがっていて、自分を力づくで相沢家に連れ戻すのではないか――――正確に言うと『連れ戻してくれるのではないか』とすこしだけ心の隅で思っていたに違いない。
そうなれば少しは諦めもついただろうが、どうやらものみはシオンとの交戦後どこに行ったのか分からなくなっていた。
それは祐一が遠野家に自ら戻って来たからだが、正直祐一が遠野家に戻ってくる理由など無かったのだ。
オリハルコン球はもうポケットに入れているし、森に行く前に作った道具でしばらくはやっていけると思う(本来は武器として使うつもりだったが、結局使うことは無かったようだ)。
リュックにそれらを詰め込む以外に荷物をまとめる必要もないし、そもそも相沢家に帰りたくないのならば早々とこの場を立ち去ればいい。
 

シオンが祐一に全てを語り終えた後に言った言葉は一つだけだ。
 

『もしも俺たちの仲間になる気があるなら、ここから西の森に向かえ。定員は二人まで許してやろう』
 

定員は二名まで、というのは全く意味が分からなかったが、それを除いてもその台詞はふざけているとしか言えなかった。
祐一がシオンの仲間になることなどもはやシオンは疑いもしなかっただろう。だからこそあっさりと祐一を逃がし、もし祐一が他の人間に言えばシオン自らも危険に晒すというのに、自らの居場所すらも教えた。
これは挑発だ、と祐一は悟った。祐一がどうするかを陰で見て楽しんでいるに違いないと唇を噛んで理解した。
 

「…………ふん」
 

だがそんなことはシオンの予想通り無意味だ。祐一はもはや相沢家に戻る気などさらさら無いし、となれば十歳の少年が行くべき所など限られてくる。
いくら優秀なハンターといえども心身ともに幼い子供が旅なんぞしていれば当然自警団みたいな連中に「ご同行願おう」とか言われるに決まってる。
 

シオンの下に行けばどうなるか、そういう心配は無かった。そもそも祐一をどうにかするつもりならあの森にいた時点でなにかしているはずだし、わざわざこんな手の込んだ事をする必要もない。
 

だがシオンの仲間にならなければ話は違う。シオンは相沢家に徹底抗戦するだろうし、今度こそ手加減などしてくれないだろう。
 

「つまり、どの道俺に選択肢なんてものは無かったわけだ」
 

諦めたように笑う祐一に絶望感は見られない。あるのはただ諦めと、自分で道を選べない少しだけの悔しさ。
だが道が決まっているのはありがたい。それが絶対に変えられない道ならば尚更だ。その道の通りに歩いてやっても悪くない。
踊らされるのが宿命のようなこの身に今更自我を求める方が間違いだ。そんなこと、シオンに全てを聞かされたときから分かっていた。
 

自分に救いがあるとは思ってもいないし、もはや期待もしない。だがせめて――――
 


「――――香…………奈?」
 


この少女にだけは、なにか救いがあってほしかった。
 

そこは遠野家の玄関を出てすぐの所にある、遠野家の中庭だった。
丁度昨日香奈と祐一がシオンと戦った場所。訳の分からない感情に流されたままにシオンと戦い惨敗したあの場所だ。
昨日の戦いの傷跡は深く刻み込まれている。硬いコンクリートの地面は小規模のクレーターで溢れかえり、まだすこしだけ残る紫色の水溜りに別の赤い液体が痛々しく残っている。
爆発で焦げ付いた地面と乾いた空気、そこはまさしく戦場の名残だった。
深夜の月がライトのように地面を照らし、かろうじて傷跡を癒しているようだった。まあもっとも、その光も今では雨雲に紛れて見え隠れしているが。
 

そしてその丁度中央に、一つの影が見えた。
長いオレンジ色の髪の毛に、大きな瞳。将来どれほどの美人のなるか予測できないほどのその端麗な容姿は、もう決して見間違う事の無い祐一の妹、相沢香奈だった。
 

「…………」
 

話したいことなど、いくらでもあった。
聞きたいことは、山のように積もっている。
何故ここにいるのか。何故シオンのところに行かなかったのか。何故セクトたちから逃げられたのか。何故――――そんなにも『普通の顔』をしていられるのか。
 

だが聞いてどうする。それで何かが変わるわけではないし、何かが変わってしまえば…………それはそれでとても悲しい結果に終わってしまうだろう。
だから素通りする事にした。遠野家に戻ってきたということはおそらく相沢家に戻るつもりなのだろう。どういうわけかセクトの目をくぐりぬけ、この場所に戻ってきたのだ。
シオンやセクトがそんなミスをするとは思えないが(セクトは実際に会ったことはないが、ものみの相手をタイマンでさせられるほどの男だ。弱いはずが無いし、おそらく頭も切れるのだろう)、とにかく香奈は帰って来たのだ、ものみのところに。
 

「……はは」
 

ならそれでいいじゃないか。これで、ものみは心置きなく俺のことなんて放っておいて香奈だけを相手すればいい。そうすれば『赤の他人』の俺のことなんてすぐに忘れてくれる。
 

それが果たして本当に祐一にとって最善なのかは知らないが、結果としてそうなるのは必然だ。
祐一はすこし早めに歩を進め、香奈の左脇を通り抜けようとする。
 


「――――お兄ちゃん」
 


つい数時間前まで聞いていたはずの声は、酷く遠い過去に忘れてきてしまったかのようにおぼろげだった。
 

「お兄ちゃん、ちゃんと無事だったんだね、よかった。あ……でも体中怪我してるね、大丈夫?」
 

香奈は本心で祐一の身を案じていた。確かにシオンとの戦闘で体中ボロボロだし(シオンが言うには祐一の一方的な暴力で、戦闘にすらなっていなかったというが、祐一は全く信じていなかった)、正直もう心の方がやつれて消えそうだった。
泣き出しそうな空と、そのせいで凍えそうな風が祐一と香奈の頬をなぜる。それは今の祐一と同じように、今までの温かさを含まない冷たい風だった。
風が止むと同時に振り返る。
 

「そういうお前は、『どこにも怪我が無い』くらい無傷じゃないか。安心したよ」
 

それは祐一が思いつく限り最高の皮肉だった。
香奈の服には汚れ一つ無い。あの草や土が大量に存在する森の中を歩いていたはずの香奈の服に、だ。
そして香奈にはセクト以外の他のシオンの仲間が『迎えに』いったという。セクトにものみの足止めをさせたのは香奈との戦闘時にものみの乱入を恐れての事だったのだろう。
だというのに怪我が無い。それどころか服に汚れすらない。おそらく森に入ってすぐにシオンの仲間と接触し事情と真実を教えてもらったのだろう。香奈はその殆どを信じ、ものみを裏切り(果たしてどちらが裏切ったのかなど断言できないが)、迷うことなくシオンの仲間になった。
そしてその後は森を歩かずに『空でも飛んでいた』のだろう。
 

つまりそういうことだ。香奈はそうしてシオンの仲間になったというのに、どういうわけか今この場所にいる。
その香奈は自分の安否を気遣われていたと勘違いしたのか、祐一に、
 


「うん、心配してくれてありがとうお兄ちゃん。でも、どうして闘ったりしたの? ――――『ものみなんて放っといて』さっさとシオンの仲間になればよかったのに」
 


そんな、トンデモナイことを言った。
 

「…………なん…………だと?」
 

聞き間違いでないはずがない。香奈が、あの香奈が、そんなことを言う訳がない。
 

「ミリアムっていう奴から全部聞いたの、私たちのこと」
 

「……そうかい。そりゃさぞかしたまげただろうな」
 

違う。俺が聞きたいことはそんなことじゃない。今、今香奈が言った言葉の訂正だ。
ガチガチと頭の中で激鉄が次々と作動するような感覚を噛み潰しながら、祐一はなんとか平静を装って香奈に目を向ける。
 

「うん、驚いた。以外だったけど、私、その時生まれてきて二番目に嬉しかった。だって、私とお兄ちゃんを繋げることでこれほど深いものってないじゃない?」
 

香奈はそれこそ神の信託を聞いた信者のような顔で言う。それがどれほどの間違いかも気付かずに、暗示をかけられたわけでもないのに、ただ純粋にそう信じている。
 

「私達はただの兄妹じゃないの。本当なら一人出来れば大成功のはずのガーディアン製造法で、最高の才能を持って生まれた全てにおいて完璧な兄妹。そしてその二人は幼くして互いに愛を知り、互いのことを知った。これを――――運命以外の言葉で言い表すことなんて、出来ないよ」
 

香奈は歌うように言う。いや、それはそこら辺にある歌よりもずっと甘美で優しい。互いの幸せだけを歌い、互いに互いを見つめようと囁きかける。
こんな、夜の寒い風の吹く場所ではなくもっと温かい場所へと行こうと手を差し伸べてくれている。それは、今の祐一にとってなによりも求めていたものだった。
 

だが、
 

「――――違う」
 

そんなものは間違いだ。幻想だ。祐一ですらそれをすぐに理解したというのに――――
 

「え、何が?」
 

――――どうしてお前は…………
 

「香奈は…………ものみをそんな風に言ったりしない」
 

「え? 『ものみがどうしたの?』」
 

「――――っ!」
 

パンッ、と乾いた空気に風船が破裂したような音が聞こえた。
何が起きたのか全く理解できずに地面に倒れこむ香奈と、口をキッと閉じて歯を食いしばる祐一。左頬をしたたかに打たれた香奈よりも、打った祐一のほうがおそらくずっと痛かっただろう。
痛みよりも先に疑問が来た。殴られた痛みなんてものはどうでもいい。重要なのは祐一が自分の頬を打った理由と、その事実だった。
また冷たい風が吹く。その中で空気のように生気を失くし目を見開く香奈を、祐一が悔しそうに見下ろす。
 

「お前は……お前は……何様のつもりだ」
 

震える唇で何とか声を絞り出す。悔しかった。ただどうしようもなく悔しかった。それに、これではあまりにもものみが――可哀想だった。
 

俺は仕方が無い。俺はどうしようもなくバカで弱いからものみを傷付ける事しかできないんだ。
祐一はぐらついた心で自分を刺す。同時に、心から香奈に憤怒する。
 

「何故だ……何故お前は……」
 

確かにものみは嘘をついてきた。ずっと嘘をついて祐一達を騙し続けてきたかもしれない。
だが思い出してみろ。ものみの笑顔を、ものみの優しさを、ものみの温かさを。
確かに香奈はものみと正式に会ってからは日が浅いかもしれない。だがそんなこととは関係無しに香奈はものみと一緒にいたはずだ。
 

――――共に笑い、共に過ごした日々を、どうして簡単に忘れる事が出来るのか。
香奈はものみという人間のことを確かによく理解してはいないかもしれない。だが祐一は知っている。ものみが祐一に向けてくれた微笑も、ものみと一緒に笑いあった日々も。
自分のことを愛していると言ってくれたものみの顔も、それを知って尚ものみから逃げた祐一の後悔も。
 

嘘なんかではない。ものみと笑いあった日々は、決して嘘なんかではない。
だから、それだけは絶対に、香奈にだけは忘れてほしくなかった。
 

「…………お兄…………ちゃん?」
 

香奈は茫然と祐一を見上げる。叩かれた痛みよりも、自分が叩かれたというその事実の方が大きかったようだ。
未だに信じられないというその表情は、すこしの絶望を含んでいた。
 

「どうして…………? お兄ちゃんは…………私と一緒にいてくれるんじゃないの?」
 

「…………?」
 

香奈の言葉に、なんのことか分からずに祐一は眉をしかめた。
有り得ない話だ。祐一はシオンの所へ行き、香奈が相沢家に戻ってきたのだから香奈をシオンのところへ行かす気など毛頭ない。だからここで二人は別れる事になるはずだ。
だというのに香奈は自分の考えが根っから覆されたかのような表情で祐一を見る。
全く心当たりのない香奈の言葉に、祐一は少なからず戸惑いを覚えた。
 

「もしかしてお兄ちゃん…………シオンから聞いてないの?」
 

「…………シオンから…………?」
 

シオンから聞いたことなど山のようにある。この流れで思いつくシオンの言葉なんて、いったいどれを選べばいいのかわからない。
香奈が信じられないといったように祐一を見た後で、今度は祐一が聞いた。
 

「じゃあ、お前はシオンから何を聞いた?」
 

「私……私は……」
 

香奈はそこですこし考えた後、
 

「『相沢祐一が俺たちの居場所を知ってるから、あいつと一緒にいたけりゃあいつと一緒に俺たちの所に来い』…………って。遠野家で待ってれば絶対来るって言われてここで待ってたの」
 

「………………………………」
 

――――『定員は二人まで許してやろう』
 

不意にそんな言葉が頭を過ぎって、祐一は全てを理解した。
 

ギリッ、と歯をまるで噛み砕くかのように強く噛む。両手をそれぞれ血が出るまで強く掴み、血管が切れるのではないかと思うほど腕に力を入れた。
 

「――――――――くそっ」
 

心の中だけで叫んだはずの言葉は、かすれたように口から飛び出ていた。
こんなことは初めからわかっていたし、初めて会ったときからそうだと分かっていた。だが、祐一はこのとき改めて思いなおす。
 

――――シオンは、最高に糞野郎だ。
 

「…………そうかよ…………そういうことかよ」
 

全て理解した祐一は、自分の人生を変えた今日一日の中でも、これほどまでに怒ったことはないだろう。
祐一は、頭の中でシオンの考えを整理する。
 

つまり言ってしまえばシオンは香奈などどうでもよかったわけだ。
香奈もものみも、全て祐一を完全にシオンの仲間にするための道具に使ったようなもの。そうまでして祐一を仲間に加える事にどれほどの価値があるのかは分からないが、とにかくシオンは香奈ではなく祐一だけを仲間にするつもりだったのだ。
香奈をさらえばものみが今度は祐一を探すのは当然。そしてものみが到着する数分前に既にものみ達のやった真実を言えば祐一がものみを否定するのも当然。まあ祐一が完全にものみを否定しなかったから最後はシオンが出てきたわけだが。
 

そして無事祐一と香奈がシオンの仲間になった場合、祐一が香奈のことを思ってシオンの下から逃げ出す可能性もないわけではない。香奈は祐一の案を蹴るような真似は絶対にしないし、そうなれば二人を捕らえるのはいくらシオンでも難しい(祐一のデロップほど脱出や脱走に適したものもそうはない)。
だからこそ、シオンはあっさりと香奈を切り捨てた。問答無用で香奈がシオンの仲間になるのならば祐一がどうこうできる問題ではないが、香奈が相沢家に戻ることが出来る状態で祐一が香奈をシオンの仲間にするとは思えない。
だからこそ祐一は香奈を完全に否定するしかないし、両親もものみも香奈さえも否定した祐一にシオンに逆らおうなどという意志はもはや無い。それこそが、シオンが望む最高の形なのだ。
 

だからこそシオンはわざと『定員は二名まで許す』などと言って祐一を挑発した。『一人でこい』などと言われていれば祐一は仕方ないと割り切れるが、香奈の同行を許可していれば、祐一は完全に自分の意志で香奈を否定しなければならない。
 

――――それが、一体どれほど辛い事かシオンは知った上で笑いながら祐一にその選択肢を渡したのだ。
 

「…………畜生…………」
 

「お兄ちゃん……?」
 

香奈は祐一が自分を否定するとは夢にも思っていない。シオンの言った意味を理解できないままに、祐一は自分を選ぶと確信している。
――その恐ろしく澄んだ純粋な眼差しを、どうして否定する事ができるのか。
 

「香奈…………」
 

何が何にとって最も最善なのかなんて分からない。その場その場で最善と思ったものを選ぶしかない祐一にとって、分かれ道ほど悩むものはない。
香奈を受け入れるのか否定するのか、それだけではない。それは未来に向かって進み、結果を生む。ここで選ぶ結果が一体どれほどの人間を苦しめるのか、一体どれほど――自分の大切な人が苦しむのかわからない。
間違う訳にはいかない。決まっている答えをわざわざ捻じ曲げてまで香奈と一緒にいたいと思ってはいけない。それが――――自分が否定してしまった人へのせめてもの謝罪。
故に――
 


「――――さよならだ、香奈」
 


祐一の答えなど、初めから決まっていたのだ。
 

香奈の動きが止まる。
 

「…………何……が…………?」
 

「俺はシオンのところへ行く。だからお前は……ここに残れ」
 

「な、何言って――!」
 

「香奈」
 

祐一が香奈の言葉を遮る。香奈は途切れ途切れの声で、信じられないことを聞いたように祐一を見る。
なによりも、祐一が自分を否定したということが痛かった。訳の分からない気持ちが心臓から血管を通って口から出るような気がして、香奈は思わず口に手を当てる。
中庭に吹く冷たい風にさえ動じないほど香奈の体は高揚し、今すぐにでも祐一に掴みかからんとするようだ。
 

「ものみにはもう香奈しかいない。だから、香奈がものみの傍にいなくちゃならないんだ」
 

「ものみなんてどうだっていい! 私はお兄ちゃんと――!」
 

「俺はシオンの所へ行く。香奈にシオンの所に行かせるような真似はできない」
 

「私はシオンの所に行くんじゃない、私はお兄ちゃんと一緒にいたいだけなのっ!」
 

「なんで?」
 

「そんなの――――好きだからに決まってるじゃない!」
 

香奈の声はほとんど叫び声になっていた。自分のことを否定された怒りと、自分のことを否定された悲しみとが相違し、それは無意識の内に祐一の心を刺す。
 

香奈の一言一言が痛かった。できるならこの場で抱きしめたかった。シオンなんて殴り飛ばして、相沢家に戻りたかった。――――もう一度だけでも、ものみの笑顔を見たかった。
 

「――――違う」
 

そう、そんなのは幻想だ。そんなことが許されていいはずがない。ならばここでできることは――香奈を否定する事だけだ。
 

「お前が俺を好きになるはずなんてない」
 

「…………え」
 

「じゃあ聞くが、どうして俺のことを好きになった? 会って一日目どころか、会って数十分だ。互いに互いの事を何も知らない状態で、そんなことがあるはずがない」
 

そう、それは祐一が香奈に対して常に抱いていた疑問。一目惚れというわけではなく、香奈の場合は衝動的なもののようだ。香奈の中にある本能的な部分が、祐一を好きだと叫んだのだ。
そう、それはつまり――
 

「単刀直入に言うと、それはお前がガーディアンだからだ」
 

香奈が『作られた存在だから』ということに他ならない。
 

「俺らの両親は俺達に『互いを好きになる』っていうプログラムを書き込んだんだろうな。俺達の容姿を最高級のものにして、ハンターとしての才能も一流になるように『設定』する。そんな二人が相沢家を継いだらどうなる? 後にどれほどの子供が生まれてくる?」
 

――――違う。
 

「…………そん、な…………」
 

「俺達はそういう風にプログラムされて創られた、いわばロボットと同じさ。まあ、シオン達は俺たちを『人形』って呼んでたけどな」
 

――――違う。
 

「――――違うっ!」
 

香奈が大声で祐一の言葉を否定する。キッと眉を吊り上げ、今まで見せた事が無いほど真剣な表情で祐一を向き合った。
そう、違う。祐一が言っていることは間違っている。それは、祐一自身よく分かっている。
ものみだって言っていた。二人はただ純粋に二人を愛していただけで、二人にそれ以上の事など求めはしなかった。
祐一や香奈が端麗な容姿を持っているのも、素晴らしい才能を持っているの、言ってみれば偶然だ。偶然そういう風に生まれて、偶然それが当たり前に思っていただけ。
 

ただ、普通の子供ならば泣いて喜ぶことでも、この二人にはそれがあまりにも悲しかった。
 

「たとえ私達がガーディアンでも、私達の心は私達のものだよ!」
 

「それこそ違う。ガーディアンを創る側はそういう心や容姿、性格や髪の毛の色まで全て創る事ができる。俺達の心も、所詮創りものなんだ」
 

「そんなの関係無い! 私の気持ちが間違ってるなんて、たとえお兄ちゃんでも言わせない!」
 

「どうしてわからないんだ香奈、俺達はガーディアンなんだよ!」
 

「それが、そんなことが何だっていうの!? それはそんなにいけないことなの!? 誰だって何かを犠牲にしてるよ! それが今回たまたま私たちの番だっただけじゃない! ものみ達は、ただ私達がほしかっただけじゃない!」
 

「――――っ」
 

祐一の瞳が揺れる。
 

「――言う、な」
 

そんなことを。そんな、『祐一も分かりきっている』ことを、わざわざあてつけるように言わないでくれ。
分かっている。香奈は退かない。絶対に退く事はないし、絶対に自分の想いが間違いだとは気付かない。
自分の想いが伝わる事はないし、香奈はそれを絶対に認めない。
当然だ、香奈には目的がある。やるべきことがあって、それをする為にするべきことをするだけ。香奈はただ祐一と一緒にいたいだけ。祐一の傍にいたいだけなのだ。
単純故に強固なその意志は、何も持たない不安定な祐一で砕けるほど簡単なものではない。
だから、心で勝てない祐一にできることなど本当に僅かだ。
 

「私も――私も連れてって!」
 

「――――俺は…………お前を連れていけない」
 

「どうして!」
 


「お前は――――弱いからだ」
 


それは、逃げ場のなくなった祐一の最後の悪あがきだった。
 

「……え……」
 

「俺がシオンのところへ行けば、おそらくそれで精一杯になってしまう。だから、弱いやつの御守なんてできない」
 

「そ――そんなことない!」
 

香奈は今度こそ本当に怒りを露にして叫ぶ。
 

「私は弱くなんてない!」
 

そう、香奈が弱いはずがない。悲惨な現実を突きつけられようと常に前を向いて、一つのことに対して苦もなく走り続けられる香奈の、いったいどこが弱いというのか。
本当に弱いのは、現実を前にして逃げ出した祐一に他ならない。
 

「――じゃあ、俺に勝てるか?」
 

「……そ、それは……」
 

遠野家に来る前に相沢家で何度か模擬戦に近いものをものみの監督の下行った事がある。香奈が執拗に挑んできて、その度に祐一が勝利を収めていた。
実力では祐一が勝っている。それは間違いない。香奈は全属性の魔法を中級まで全て扱う事ができるという稀代の才を持っているが、それでも祐一にはまだ及ばない。
 

「じゃあ手っ取り早くこうしよう。お前が俺に勝てたら、俺は何も言わない。お前の好きにするといい」
 

「…………そのかわり負けたら、おとなしく相沢家に残れっていうの……?」
 

「…………そうだ」
 

吐き捨てるように祐一が言った。
拳を握り締めて我慢する。一時の感情に流されてはいけないと頭の中で繰り返し続ける。
それはきっとセクトのかける暗示よりも遥かに威力があり、しかしそれでも祐一の心を完全に書き換えることなどできなかった。
香奈が愛しい。ずっと傍にいたい。香奈が祐一を想うのと同じくらいには、祐一だって香奈のことを大切に思っている。
だが二人の下した決断は真逆で、それ故に二人は別々の道を歩むしかなくなった。
 

「やだ……やだよ……」
 

香奈が嗚咽を漏らす。その数だけ祐一の心を根こそぎ奪い取っていくようで、それがどうしても歯がゆかった。
 

「なんで…………どうしてこんな……」
 

「…………答えが欲しければ――――」
 

一瞬の閃光。祐一の手にはオリハルコン球をデロップ【変化】で変化させた剣が握られていた。
何処までも黒く光るその剣は、そのままこの夜の闇と共に二人を飲み込んでしまいそうだった。
 

「――――来い」
 


――何度目かの冷たい風が吹く。二人にとって、合図はそれで充分だった。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

後書き
 

どうも、後書きの最初のこの冒頭が、ある大物kanonSS作家さんに酷似していることにようやく気付いたハーモニカです。
 

いや、本当にその人の真似をした訳ではありません。私が真似したのは、漫画スパ○ラルの小日向くるみの挑戦(小説の方ではありません)の冒頭の「いやどうも」見て何故か爆笑してしまったので、それからです。
…………結局真似してるんですけどね。
真似するのは参考にするのと違い、作家にあるまじき行為なんですがね……。まあスクラップみたいなの書いてる時点でもうなにも言えませんが(笑
第三部からはこれやめますね。
 

さて、長かった過去編も次回がラスト! 本当長かった。やばかった。こんなに長くなるなんて誰が予想しただろうか?
今一番悩んでいるのは、第三部をどうするかなんですがね(笑
第三部を何処まで書いてどう終わらせるかで、第四部が丸々変わってしまう可能性もありますからね。慎重に行かなければ……。
 

とりあえず私はオリキャラ四人の内の一人を出せればそれだけで成仏ものなんですがね(爆
 

では、これからも応援よろしくお願いします!


作者ハーモニカさんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板に下さると嬉しいです。