爆音一発、半径三メートル以内の魔物は全て残さず消滅した。
奇跡的に僅かに残った『それ』の残骸は適当にそこらに散らばり、天野ものみはそれを踏み潰しながらさらに呪符を投げつけた。
犬か猿か鳥か蛇か猫か猪かライオンか豹か象か昆虫か。
四方八方ものみを取り囲むように群がってくる合計百匹を超えるのではないかと思うほどの魔物の群れは、しかし一度もものみの半径五メートル以内に入れずにいた。
ものみが投げつける札はなにかの自然現象発生装置か。
右では爆炎が舞い、左では氷河が出来、後ろでは雷鳴が落ち、前方の地面は地割れしていた。
近寄れるはずもない。もはや近寄った所でそこでどうするか考えて留まってしまうだろう。奇跡的にものみの近くに辿り着いた。さて、どうしよう。
ものみはあろうことか前進し、使われ続けているはずの呪符は、しかし次の瞬間にはものみの両手の指にびっしりと敷き詰められていた。
ものみは終始無言、無表情、加えて、もしかすると無感情なのかもしれない。ただものみは祐一と香奈の無事だけを気にしながら目の前の雑魚どもを一掃しているのである。
もはや魔物にはどうすることもできない。
離れることは出来ない。それは命令違反だ。
近付くことは出来ない。それは自殺行為だ。
目の前にいるのはなんだ。それは――――きっと鬼か悪魔か、どちらにしても大した違いはあるまい。
爆音が響く中で、ものみは始めて、自ら手を下した。すっかり怯えきった魔物の頭蓋を踏み潰す。結局、それが最後の一匹だった。
ものみの前進は止まらない。そいつを踏み潰したのなど、ものみの前進の直線上にそいつがいたから地面を踏む感覚で踏みつけたのと変わりはない。
ものみが向かう先はもう決まっている。それは香奈だ。
シオン達がものみ達を監視していようが、とりあえず一時凌ぎでもそれを分担させる事が出来るならばそれに越したことはないと浜野は言っていた。
ようするにそういうことだ。ものみと浜野の意見は一致していたのだ。
おそらく外から何らかの方法でものみ経ちの行動を監視していたのだ。そしてそれを報告するためには一旦あの少年の下へ帰らなくてはならない。だからこそあの少年はここ一番のところで祐一との戦いの時にものみの接近に気付かずに対処が出来なかったという訳だ。
つまり、入り口付近で四人がバラバラに別れた時点で監視は少年の下へ戻り、それを報告するのだろう。そしてものみはその瞬間から香奈を探し出したのだ。
祐一も心配だったが、だが祐一を探すなど愚かな行為だ。あの少年が祐一を狙っているのならば、祐一を囮にして不意を付くしかない。そのためには香奈と浜野の強力が必要なのだ。
そう、ものみはあくまでもあの少年に勝つつもりなのだ。いくらこれからも祐一をあの少年が狙ってくる可能性があるとしても、それが決して勝つ事が出来ないほどの相手ならばものみは決して戦いを望んだりはせずに、相沢聖一と瑠海の助けを求めるだろう。
勝つ可能性があるからこそものみはここにいて、確実に祐一を助けて見せるからこそ香奈だけを専念して探しているのだ。
そう、祐一がもうなんらかの形で戦闘になっていることなど確かめるまでもない。自ら籠に飛び込んできた鳥をむざむざ逃がす訳も無く、きっと今まさにあの少年にでも戦闘を迫られていることだろう。
ものみが爆発などが聞こえたらそこに行けと命じたのもそのためだ。少年達は祐一だけを狙ってくるならばどこで核爆弾が落ちようが気にすることはない。
だからこそ狙われている祐一以外の、浜野と香奈だけを集めるように爆発を連打させたのだ。
あれだけの爆発があればもうすぐに香奈と浜野が駆けつけてくるはずだ。そうすればあとは三人で、また新たな監視が付く前に少年を討つ。
ものみは、自分の命が燃え尽きようとも祐一を助けるつもりだ。
それは、自らが尊敬してやまない相沢の夫婦と、そしてある種の愛情を持つあの相沢祐一と相沢香奈の為に。
「待っていてください、祐一様。必ず助けてみせます」
ものみが思わず口に出た本心を言うと、途端に身体がバネのように跳ねた。
「――――!」
ダン、と近くの木に背を任せる。それは決して、なにかに吹き飛ばされたわけでも地面に地雷が埋め込まれていたわけでもない。
それは単に、ものみのありえないほどの戦闘反射が反応したからだった。
天野家の人間は昔からこの戦闘反射だけは世界一だった。
背後から銃弾を撃たれようとも、それが不意打ちであったとしても、天野の戦闘反射とそれに対応できるほどの身体能力があれば避けてみせるだろう。
そして今まさにそれが反応したのだ。それが意味することはただ一つだけだった。
ドガァ! と凄まじい音と同時に先程までものみがいた地面が爆発した。
「な……」
ものみは驚愕の声をあげた。ものみが無意識に反応したと言う事は、完璧な不意打ちだったのだ、だが、それでも隠し切れないほどの殺気と、焦るようなその爆発に、ものみの身体が反応したのだ。
「――――よくかわしたものだ、天野ものみ」
――その声には、視界が凍解するほど覚えがあった。
音も無く上空七メートルもの木の上から飛び降りた男は、ものみの前方五メートルに距離を構えた。
「――そん、な」
ものみは昼間に幽霊を見たような顔で男を見る。ありえない話ではなかった。だがそれでもそれは、どうしても受け入れたくない真実だった。
「なにを驚く必要がある、俺がシオンの仲間だということぐらい予想がつかなかったのか、天野ものみ?」
男、浜野と名乗っていたそいつは、楽しそうにものみを見据えた。
「その歳にしてはずいぶんと出来ると踏んでいたのだがな。どうやらそういう点では相沢祐一には劣っているようだな。あいつは俺がシオンの仲間だとなかなか早くに気が付いていたようだが」
浜野が何を言っているのかなど東京大学の数学式よりも理解できない。ただ、なんとなく頭に浮かんだ疑問は、自分にとって最も最悪な状況を連想させた。
「そんな…………じゃあ、貴方が」
「当たり前だ。よく考えればわかること。お前らに感知されないほどの監視を四六時中続けることなど出来るはずもないだろうが。ならどうするか。簡単だ、外がダメなら中から監視すればいいだけの事」
つまり――そういうことだったのだ。
不審に思わなかったわけではない。遠野家に浜野なんて男がいたことすら記憶に無かった。しかし志貴や秋葉があまりにも自然にいるからそう思っていただけ。
祐一はそれに早くに気付き、そして後ろからの不意打ちなどを避けるためにバラバラに行動しようという浜野の提案に乗っただけのこと。結果として浜野はものみとの一騎打ちをすることになったわけなのだ。
おかしいといえばもう一つだ。祐一がものみに攻撃を仕掛けた時、次の攻撃が来るまでにかかった時間はおよそ数秒。しかしその間に浜野はそこへ駆けつけ祐一の攻撃を止めた。それはつまりものみを助けにきたのではなく、ただ単に祐一を監視していたら面白い行動を取ったから止めに行っただけの話。
「加えて言ってやると、相沢祐一と相沢香奈を呼んだのはもちろん俺だ。お前みたいな奴がついてくることは――――まあ予想してなかった訳ではないが、そのせいですこしずつ予定がずれた」
「では、貴方は遠野家の人間に……」
「ああ、一人残らず暗示を掛けた。簡単だったよ、ようは眼と眼と合わせればいいんだからな。最初は遠野家の主の……え〜っと……なんだったか……ま、まき……? うん、まあそんな感じの名前の奴に会って、そいつに暗示を掛けた。あとはお前らに言った通りの設定で遠野家に侵入しただけさ」
暗示――別名『摺りこみ』と呼ばれる、相手に何かを思いこませる高等な神秘を、浜野はどうやら眼力だけで発動させることが出来るようだ。
だが、それならばおかしなことが一つ存在する。なぜ浜野は祐一と香奈に暗示を掛けなかったのか。
先程浜野は、相沢祐一は自分があの少年――つまりシオンになんらかの関係があると踏んでいると言っていた。
それはつまり、浜野が祐一に暗示を掛けなかったということだ。もし掛けているのならばそんなことを思わせる隙間さえ与えないだろう。
よほど不可思議だという顔をしていたのだろう。浜野は、ものみの考えを全て読み込んだように一人納得していた。
しかし、浜野はそんな疑問などもはや愚問だとでもいうかのように軽く一笑。
浜野は見下したかのように――――
「相沢香奈には暗示は効きにくい。そして、相沢祐一に暗示は百パーセント『効かない』。ほら、何を疑問に思っている?」
――――そのことを知っているのは、お前達だけではないんだぞ、と言った。
「――――――――」
声が、出なかった。今浜野はなんと言ったのか。
一度祐一や香奈に暗示をかけようとして失敗したのならば分かる。だが、浜野は初めからそんなことは知っていたとでも言っているようだった。
祐一や香奈に暗示が効かないことを『前もって知っている』ということは、つまりシオンとは――そういうことなのか?
「ま――さか」
「ああ、ちなみにな。俺がこうしてお前との話に興じてやってるのも勿論意味があるぞ。例えば、シオンが相沢祐一と相沢香奈に『全てを教える』ための時間を稼いでいる――とかな」
――瞬間、全ての思考が閉じて、内から溢れるように違う感情が流れ込んできた。
「――死ぬ前に、一つ訊かせろ」
それは、あまりにも冷たい、ものみの声だった。
「お前達の目的はなんだ? こんなことをして、お前達に何の得がある」
「目的、ね。悪いがそれは言えないな。シオンが言っていいぞって言うなら言ってやってもいいけどな」
「そう、じゃあ――もう死んでいいよ」
ものみの手に握られた呪符が飛ぶ。それは一瞬の閃光の後、標的を爆発の海へと叩き込んだ。
周りの木などまるで無かったもののように吹き飛び、地面はえぐれ、大気を揺らし、それでも標的は無事だった。
「ハッ、意外と血の気の多い」
「黙って、その声がいちいち癇に障る」
「そう言うな、まだ自己紹介も済ましてないだろうに」
浜野はまるで鳥のように高く飛び上がると、そのままなにか得体の知れないものを打ち込んできた。
それは透明な、しかし視覚で充分捉えられる物だった。いや、『物』というのは憚られる。何故ならそれは固体ではなく『気体』。人間が常に身に纏う『空気』そのものなのだから。
「自己紹介か。年齢などは伏せさせてもらおうか。これと言って取り得の無いごく一般的な庶民さ」
ごく一般的な庶民が打ち出す攻撃は、大きな振動の波としてものみを襲う。スピードも文句はない。それに、正直これだけが芸当ではないだろう。
それを、ものみは風のように受け流すと、新たに指に挟んだ呪符と浜野へと投げつけた。
「出来ることといえば、暗示と、それと人に化ける人化の秘術、あとは『あらゆる物を振動させる』能力くらいだな。ああ、それと名前だがな――」
浜野は、目の前に迫る、それだけで一撃必殺の呪符を目の前にして、尚笑ってみせた。
両腕の手の平から発せられる攻撃は、そのまま一直線にものみの放った呪符へと飛んでいく。
「――セクト・リフォルム。お前を殺す男の名だ、覚えておいて損は無いぞ」
爆音が当たりを支配する頃には、男の姿は別人へと変わっていた。
後書き
どうも、この前見知らぬ女の子を不良から助けてあげたんですけど、一昨日その子に告白されました。
もちろんOKして、次の日遊園地に行ってきました。彼女と一緒にジェットコースターに乗ったりして、とっても楽しかったですよ。その日の最後の仕上げに観覧者に乗って沈む夕日を背にキスしました。すごいでしょ。まあ嘘なんですけどね。
はい、ということで! (すみませんすみませんすみませんすみませんすみMなんせんすみませんすみみあまんせすみませんすみいみあんSん)。
さて、ということでどこからともなく表れたセクト君。このキャラは未だにがっちりと設定が決まっていませんね。がっちりとは決まっていませんが、しかし決まっている設定は全然動きません。
っていうか多分薄々気付いてたと思います、皆さん。
だってあからさま怪しいじゃないですか。浜野って誰だよ!
と思ったら実はヒカトモで使われていた事が発覚(気付かなかった)。多分超脇役だと思います。
さて、スクラップ第二部ももう大分大詰めになってきています。特に感動というほどのものでもありませんが。
ものみとセクトの戦いが終わったらもうほとんどラストです。
期待……させていいものかどうか。
では、これからも応援よろしくお願いします。
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