相沢家、十時半。
相沢家の人間さえもあまりしらない、屋敷の裏の外れにある、小さな広場があった。
祐一はそこをお気に入りの場所に決めたらしい。近くの木材を変化させてベンチを作り、何時もそこに座ってボーっとしている。
使用人たちがたまに竹箒を持って庭を掃除している時に通りかかるときもあるが、たとえ通りかかったとしても気付くかどうかは分からないほどの場所だ。
一人で物思いにふけるのが好きな祐一にとってはまさに絶好の場所ということになる。
特に今は夜で、本当ならばあまり部屋から出てはいけないのだが、部屋にいると香奈がまたベタベタとくっついてくるので、今はベンチに腰を下ろして一人だけの時間を堪能しているのだった。
 

「お兄ちゃん!」
 

だと言うのに、何故こいつはこんな所まで追いかけてくるのだろうか……?
後ろから自分を指す意味の言葉を言われたが、振り返る事はしなかった。
 

「む〜……」
 

後ろから怒ってますという声が聞こえてくる。
それでも無視する。
よぅし、と声が聞こえて、いきなり視界が無くなった。
すぐに、後ろから誰かが自分の目の前を両手で覆っているのだと分かった。
 

「だ〜れだ♪」
 

「ゲリラ」
 

「ひ、ひっどい……」
 

後ろで誰か――言うまでもなく、香奈が楽しそうに落ち込む。
祐一は無表情のまま香奈の方を向く。
 

「何か用か?」
 

「ううん、ただお兄ちゃんの傍にいたかっただけ」
 

「あぁ、そう」
 

いかんせん、香奈に悪気がないのがまたタチが悪い。香奈はなぜか、祐一にベタベタとくっついてくるのだ。
 

「部屋にいないからビックリしちゃったよ。私いつも十時頃に寝るから」
 

「さっさと寝てろ」
 

「せっかく初めて一緒に夜を共にする日なんだから、せめて一緒に寝ようよ」
 

「お前がそれを言うと違う意味に聞こえて嫌だ」
 

これも一応悪気があって言っているわけではないのだろう。
 

「なあ、なんでそんなに俺にちょっかいを出す?」
 

祐一には、それがあまりに気がかりでならなかった。
香奈は、少し考えた後、難しそうにう〜んと唸る。
 

「なんだでだろ……あのね、お兄ちゃんに初めて会ったときも、なんだか、初めて会った気がしなかったの。なんていうか、昔から知ってたような気がして……」
 

「…………」
 

「でね、なんだか私たち、一緒になるために生まれてきたんじゃないかっていう感じがして、なんていうのかな、とにかく、会う前からお兄ちゃんのことがずっと好きだったみたいなの」
 

「それは暗示だな」
 

祐一が不吉な事を前置きも何も無しに直球で言う。
暗示とは、別名『摺りこみ』と呼ばれ、一種の催眠術だ。特殊な方法で、相手に全く別のことを『思い込ませる』というものだ。
これは、慣れた者ならば眼力だけで発動する事も可能だ。当然祐一はそんな事はできない。が、SSランクを所持している相沢聖一ならばもしかしたら可能かもしれない。
だから、祐一の推測はこうだ。聖一は、祐一と香奈を結婚でもさせるために香奈に暗示をかけた。恐らく祐一にかけることは困難だと判断したのだろう。一度失敗してしまえばそれで祐一にはその手は通じなくなってしまうからだ。
だが、香奈はむ〜と唸りながら、小さく首を横に振った。
 

「違うの、そういうのじゃなくて、えっと、なんていうか、私たち、生まれたときから一緒にいたような気がして……」
 

「それが暗示だって言ってるんだ。生まれたときの記憶なんてあるわけがないだろ」
 

「違うの、そういうことじゃなくって――!」
 

違うと言っておきながら、とりあえず具体的に何が違うのかは言えないようだ。香奈はむ〜と唸る。
 

「お兄ちゃん、運命って信じる?」
 

「……何故?」
 

祐一が訝しげに聞く。十歳の少年少女が『運命』などという神秘的な響きのする言葉を真剣に問いただすのはすこし違和感があったが。
 

「なんだかね、お兄ちゃんと一緒になることは、神様が決めた運命なんじゃないかって思うの」
 

香奈が、不安そうに言う。おそらく祐一に拒絶される事を恐れているのだろう。
祐一は、しばらく黙った後、言った。
 

「まあ、信じてもいいかな」
 

別に香奈を意識していったわけではない。祐一自身が、確かにそう思ったのだ。
本当に? と言う風に香奈が祐一の方を向く。ああ、と祐一が言った。
 

「俺がここにいるのも、俺が生きているのも、全部その神様の所為だとしたら、生きていくのは非常に楽だ。何をしても運命には逆らえないんだからな。俺の全てを神様とやらが決めてくれるのなら、これほど生きていきやすい世界はない」
 

祐一が無表情で言う。とりあえず、祐一はこういう奴だということだ。
む〜、と香奈が頬を膨らます。
 

「もういいだろ、帰るぞ」
 

祐一がベンチから立ち上がる。そのまま自室に向かって歩き出す。
香奈はその後ろを付いていきながら、なにか言いようのない不安だけ心に残していた。
 

 
 
 
 
 
 

「突然だけど、あなた達に仕事が来たわ」
 

あれから四日たった日だった。それぞれの仕事を終わらせた瑠海と聖一に呼び出された。
広い居間のような場所に香奈と祐一は訳の分からないまま呼び出されたかと思えば、いきなりそんなことを言われた。
 

「二人だけにか?」
 

実際の所、もう既に何度も仕事に出ている祐一と香奈だ。別に仕事が来る事自体はそれほど珍しいことではない。
 

「いいえ、ものみにも行ってもらうわ」
 

祐一が、高級そうな灰色のソファに座っている瑠海の後ろに視線を泳がせる。瑠海の真後ろでニコニコと笑いながらものみが手を振っていた。
 

「ものみはランク持ってないんじゃなかったのか?」
 

「ええ、でも一応あなた達の護衛で」
 

「護衛? 今回はそんなにヤバイのか?」
 

「ん〜、そうね」
 

どういったものかしら、と瑠海が腕を組む。
祐一の隣でちょこんと座っていた香奈が間に割り込んだ。
 

「ねえねえ、先にその仕事の話をしてよ」
 

香奈が言うと、瑠海がそうねと聖一に視線を移した。
聖一は一度頷くと、口を開いた。
 

「お前達は遠野家に行ってもらう」
 

遠野家、という言葉に祐一が少し反応がする。
遠野家には何度か行ったことがある。遠野家はかなりの金持ちで通っている。ハンターを送り出す家庭ではないが、それなりに他国の人間とも交流があり、当然相沢家とも関わりがあった。
祐一はその家の長男長女共に面識があった。長男のほうが遠野志貴で、長女のほうは遠野秋葉だったはずだ。
志貴とは友人関係に当たる。秋葉とも会ったことがあり、『お兄さん』と呼ばれ親しまれているほどだ。
 

「で、その遠野家でなにをするんだ?」
 

「いや、遠野家で何かをするわけじゃない。遠野家でまずそこの依頼人に会ってくれ。名前は浜野裕也というらしい。その人と一緒に、ある森を調査してもらう。なんでもそこで数々の神隠しが起きてるらしくてな」
 

「神隠し? そんなもの、俺が行って大丈夫なのか?」
 

いくら祐一が強いと言っても、まだハンターの経験は豊富とは言えない。それは香奈も同じだし、ものみがいくら強いといっても、ものみもまだ十五、六歳だ。それほど役に立つとは思えない。
その浜野とかいう男がどんな奴かは知らないが、とにかくその浜野という男が頼りにならない場合は、非常に困難な仕事だといえる。
神隠しということは、まだ明確には分かっていないことが多すぎるということだ。
 

「まあ大丈夫だろう。それに、遠野家が直々にお前たち二人を指名してきた。この辺はまあ、あの二人がやったんだろうな」
 

聖一が楽しそうに言う。あの二人、というのは要するに志貴と秋葉ということだ。
大方、相沢家に仕事を頼むついでに祐一に会っておこうと言う魂胆だろう。ついでに香奈にも興味があるだろうし。なんせ秋葉が信望を寄せている祐一の妹なのだから。
まさに志貴の妹である秋葉は自分にその子を重ねたに違いない。これ幸いと二人を仕事に呼んだわけだ。まあ呼んだのは浜野という男らしいが。
 

「ものみもいるから大丈夫だろ?」
 

「がってん、任せてください!」
 

ものみがガッツポーズを作る。
そういうところが非常に心配なんだがと祐一は言いたかったが、まあ言わなかった。
 

「よし、じゃあ今から一時間以内に用意をして向かってくれ。俺たちもまた新しい仕事がきてるから」
 

聖一が鬱陶しそうに言う。仕事が終わった途端にまた新しい仕事が入っているのだ。いくらなんでも嫌になるのは仕方がないだろう。
だがこんなもの、いつもの二人ならば日常茶番事なのだ。
 

「……了解」
 

祐一も聖一のように鬱陶しそうに言うと、ソファから立ち上がった。
 

 
 
 
 
 
 

その頃、相沢家のすぐ目の前の電信柱の上に二つの影があった。
黒いロングコートを羽織った金色の髪をした、ものみよりも年下と思われる少年と、肩に大きな鷹を乗せた、隣の少年と大差ない年齢と思われる少年。
その二人が、相沢家の前の電信柱の上から相沢家の中を見ていた。
だが、その二人に誰かが気付くことはない。それは相沢家の相沢聖一や相沢瑠海の実力をもってしても感知する事の出来ないほど気配を薄くし、さらに下から電信柱の上を覗き込んだとしても、少年達の周りには強力な結界が張っており、上を見た人物の目に少年達は映るが、それでもその人物の脳には二人の姿はインプットされはしない仕組みになっている。
 

「……あれが相沢祐一に、相沢香奈か?」
 

肩に鷹を乗せた少年が言う。
 

「ああ、あの二人を仲間に出来れば俺達の未来も安泰するぜ」
 

金髪の少年が何ともじじくさいことを言う。ふん、と鷹をのせた少年が笑う。
 

「あの二人がそれほど重要な人物とは思えんが? 実力もそれほどたいした事はなかろう?」
 

「今はな。それに、俺が用があるのはあいつらの『中身』の方だ」
 

金髪の少年が楽しそうに言う。ふん、と鷹を乗せた少年が笑った。
 

「あいつらはこれから遠野家に行く。そのあと『あの森』に行くそうだから、追跡するぞ」
 

「そう簡単にいくのか?」
 

鷹を乗せた少年が金髪の少年に聞く。
 

「お前なら充分できるだろ? あの森には魔物も沢山いる。鷹が1匹飛んでたからって誰も不審がらないさ」
 

「なるほどな」
 

鷹を乗せた少年が納得したように言う。
くえ〜、と鷹が大きく鳴く。それと同時に、相沢家の中から三人の人間が出てくる。
その時、金髪の少年が小さく笑ったように、少年の目には映った。
 

「よし、俺らも行くぞ。相沢祐一があっちに行ったときに俺がいなけりゃ話にならない」
 

「了解」
 

少年が言うと同時に、肩の鷹が一瞬紅くなる。
それと同時に、ぶわっと十倍近く大きくなる。二人の少年はその上に乗ると、そのまま空に向けて鷹が羽ばたいていった。
その時地面に落ちる数枚の鷹の羽の存在に気付いた人間はいなかった。
 

思えばこれが、相沢祐一の運命の分岐点だったに、違いない。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

後書き
 

どうも、最近イチゴジャムのヨーグルトにはまっているハーモニカです。
 

さて、祐一の過去編もようやく進んできました。私の計算によればおそらく十話とちょっとで終わる予定です。できるだけ十話行く前に終わらせたいですが。
第二部を書いてる間に浮かんでくるのは第三部と第四部の話ばかりです。なかなか戦闘が書けない第二部では、第三部のことを想像しただけでうずうずしてきます。
くそぅ、早く書きてぇ。第三部と第四部では飽きるほど戦闘を書けるので。
おそらく、20話以上いくでしょう。多分。まあ予定ですけど。
それにしても、十歳にしてはあまりにクールすぎるだろ祐一、という考えが何時までたっても離れませんね。
 

では、これからも応援よろしくお願いします!



作者ハーモニカさんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル掲示板に下さると嬉しいです。