訓練所から帰って来た祐一は、またものみに勝てなかった、と自室に向かう廊下を歩きながら思っていた。
機嫌が悪い。実際、祐一ものみに勝った事が一度も無い。しかも手加減されてだ。
物心付いた時から天才天才と呼ばれ続けてきた祐一もやはりストレスが溜まってくるというものだろう。廊下に敷き詰められた紅い絨毯を踏む足にも力が入ってしまうというものだ。
いつも聖一と瑠海が仕事でいないし、この屋敷に祐一よりも強い奴といったらごく少数しかいなく、しかもその中で一番強いのがよりによって、符術師のものみなのだ。
祐一の訓練相手には申し分ない実力なのだが、いつもニコニコと笑いながら戦闘して、符術を扱い、腕一本だけの符術だけで、しかも手加減されていつも負けるのだ。最低だ。
いっそ本当に殺す気で行ってみようかと考える。いや、殺す気で行ったとしても勝てるかどうか分からない。まあ、それが今現在の祐一とものみの変えようのない差な訳で。
ため息をつきながら自室の部屋のドアを開けた。
 

「あ、お帰りなさい、お兄ちゃん」
 

部屋の自分のベッドになぜか先程の少女、香奈が座っていた。
 

「すまん、部屋間違えた」
 

即行で部屋のドアを閉めた。周りをキョロキョロと見てみる。間違いない、ここは自分の部屋の前だ。しかし、中には何故か香奈がいた。
テレポーテーションしちゃったのか?
 

「ここであってるよお兄ちゃん」
 

ドアをガチャっと開けながら香奈が後ろから言ってきた。
 

「今日から私とお兄ちゃん一緒の部屋に住むといいよってお父さんが言ってたの」
 

「父さんを連れてこい。尋問だ」
 

祐一が鬱陶しげに言う。それはそうだ。今日初めて出会ったばかりの女の子、しかも超美少女と同室で過ごせと言っているのだ、あの馬鹿オヤジは。
しかしもう既に準備は万全なのか、少女の私物と思われる物はこの部屋にずらりと並べられていた。主に本や衣服などだが、それでも自分の部屋に少女の私物が置かれるのはたまったものではない。
しかも、この部屋にベッドが一つしかないということは、一緒に寝ろと言うことだろう。ベットを二つ置くことぐらいはこの部屋の面積を考えれば朝飯前だし、二段ベットにすればもっと問題は無くなる。しかし、あえてあの男はもう10歳になる男女に「一緒に寝ろ」と言っているのである。死刑をする価値はありそうだ。
 

「お父さんは今お部屋でなんかやってるよ?」
 

「……くそ」
 

祐一はまた鬱陶しそうに言った。聖一は部屋にこもるとなにかを熱心にやっている。物凄い気迫で取り組んでいるから、どうにも止められないのだ。
ちらちと少女を見る。まだ女の子に興味を持つような歳ではないし、そもそも祐一は女性にはほとんど感心が無い。だが、いくらなんでも自分とほとんど同じと思われる歳の女の子を部屋から追い出すなんて事は流石に出来ない。
それに、そもそも言っても聞かなさそうな感じだ。
 

「……分かったよ」
 

祐一が言うと、少女がぱぁっと顔を明るくした。なんだか、とても面倒なことになりそうだった。
 

 
 
 
 
 
 

「やあ!」
 

「遅い」
 

「はあ!」
 

「甘い」
 

「てや!」
 

「単調すぎ」
 

香奈が剣を振るたびに、祐一がそれをいなしながら言う。
訓練所でものみの監視の下、祐一と香奈は互いに特訓をさせられていた。
といっても、やはり天才の祐一にはこの少女は太刀打ち出来ないようで、ランクで言えばBランクの代は確実にあるであろうその実力も、もうそろそろAランクの代に突入かといわれている祐一の前では無力だった。
それにはまあ、香奈は剣よりも魔法のほうが得意だということもあるが、さすがに屋敷の中で魔法など撃ったらとんでもない事になってしまう。
 

「あ!」
 

祐一の手刀に落とされた剣が地面に落ちると同時に、香奈ははぁはぁと荒い息をする。
祐一はそれを冷ややかに見ているだけだった。
 

「む〜……」
 

香奈が祐一を睨む。なんだよ、と言う風に祐一が香奈を睨む。
 

「ちょっとくらい手加減してよ」
 

香奈が不満たらたらというように口を尖らせる。
いやもう全然手加減してるんですよ? と祐一は言いたかったが、まあ言ってどうにかなるものでもないので(単に面倒なだけだが)、それは言わなかった。
 

「いやしかし、祐一様と同じ年齢でここまで闘えていれば充分ですよ」
 

ものみが香奈を慰める。なによなによ、と香奈がものみを見る。
まあ、香奈は確かに10歳にしてはあまりに実力が高すぎる場所にいた。祐一はやはり超天才だが、香奈も天才の位置には達していると思われる。
それゆえに、恐らく香奈は今まで同年代に負けた事がないのだろう。だから、祐一にここまであっさりと負けるのは許せないという感覚があるのだ。
だがまあ、祐一にしてみればそんなもん知るかというところだ。
もともと祐一は子守は嫌いなのだ。動物にしろ植物にしろ、何かの面倒を見るというのはゴメンこうむりたいといったところだ。それはもちろん、香奈も例外ではない。
 

「む〜、明日は絶対に勝ってやる!」
 

誰が明日またやってやるって言ったよ? そう言おうとしてやめた。どうせまた明日せがんでくるのだろうし、どちらにしても聖一からの命令だったのだ。
二人仲良く強くなってくれ、と聖一と瑠海はにこやかに言っていたが、その魂胆はもうお見通しだ。
恐らく香奈と祐一を結婚させて相沢家を継がせる気なのだろう。実力もピカイチ。容姿はお互い完璧。歳も同じで幼い頃から一緒。まさに人生薔薇色。
だとすれば祐一と香奈の部屋が一緒なのも納得がいく。さっさと子供作っちゃいなと10歳の子供に言っているのだ。とんでもねぇ。
祐一は剣を仕舞うとそのまま夕食を食べるために食堂へ向かう。そもそも本当はそのつもりで廊下を歩いていたというのに香奈に捕まって勝負を申し込まれた。
勿論無言で断ったのだが(この場合無視という)、そこにものみが来て聖一からの命令だと事情を説明して今に至るというわけだ。
香奈は未だにむ〜む〜言っていたが、それを放っておいてとりあえず自室へ向かう。
もちろん祐一は今の流行などに敏感ではないし、そもそもそんなものは知らない。
服は全て聖一や瑠海、それにものみが買ってきたのもなどをクローゼットに放り込んできている程度だ。
髪も無造作に伸ばし、邪魔になってきたら無造作にばっさりと切り落とすような髪型。
自分の服も髪型も顔もそれほど気にはしていないが、いくらなんでも訓練の後で汗にぬれた自分の体を洗う事ぐらいはするし、一日一回だけ許される入浴は祐一のこの上ない楽しみになっていた。
というのも、この屋敷の入浴時間は決まっており、最初に女が入り、その後に男が入る事になっている。しかし、女と男の入る時間の間に、祐一の入る、祐一専用の時間が設けられている。これは珍しく、祐一が直々に頼んだことだ。それはつまり、この入浴の時間だけが、自室にいてもものみがちょこちょこと顔を出しに来て、今日からは香奈と一緒に住まなければならなくなり、食堂にいても訓練所にいても常に誰かと一緒の空間にいなければならない祐一にとって唯一一人だけになる事が出来る空間なのである。
部屋のクローゼットから着替えを取り出し(その時に香奈の衣服が自分と一緒のクローゼットにはいっていたのが気に入らなかった)、風呂場に向かう。
 

着替えを籠に入れて風呂場に入る。
とりあえず髪と身体を洗い湯船に浸かる。
風呂は確かに好きだが、しかし頭にタオルを乗せて「いい湯だなアハハン」と歌うわけがない。いつも湯船に使ってじっと固まっているだけである。
いつもは何も考えずに居心地のいいこの空間を堪能するのだが、今日はすこし物思いに耽っていた。というよりも、ひとつの疑問に対して。
相沢香奈、あれはどこかおかしい。
いや、頭がとか性格がとかではなく、自分とあの香奈という少女の関係や立場などがおかしいのだ。
普通に考えて、香奈は優秀だ。優秀かどうかで居場所が変わる相沢にとって、香奈ほどの人材は非常に喜ばしい収穫だ。
普通は七歳から十歳までの三年間で様子を見て、それでその後についていろいろと検討をして、そこでもし最低レベルの結果を出していたのならば分家に預けられるということもある。
もちろん祐一は天才と呼ばれていたから、七歳から0の状態から強くなるために訓練を始めるというのに、五歳で十ほどのレベルにいて、さて滝にでも打たれようかというところまでいたのだ。まあこれは異例なのだが。
だとしても香奈も相当なレベルだ。七歳から十歳までの間に実力テストと言う風に試験を受けさせる事はある。だが大抵はCランクがいいところ。Bランクになど手は出さない(そう考えると祐一はちょっとおかしいぐらいだが)。
しかしそれで、しかも女でBランクに行っているということは、非常に優秀だということだ。
では何故、香奈は分家に預けられていたのか?
何かを隠しているかどうかは分からないが、とにかく、あの香奈という少女が何を考えているのか全く分からなかった。
 


「お兄ちゃ〜〜ん、入るよ〜?」
 


ガララ、と音を立てて、香奈が風呂に入ってきた。
ああ、やっぱりこいつが何を考えているのかがわからない。
用があるのならば、せめて『服ぐらい着てこい』。それでは、一緒に風呂に入るみたいではないか。
香奈はえへへ〜、と、恥ずかしくもなんともないという風に笑いながら、風呂の水をガバッと身体に浴びて、祐一の近くに寄ってきた。
 

「お兄ちゃん、一緒に入っていい?」
 

「いいと言う奴がいたら俺はとりあえずそいつを殴る」
 

祐一は香奈のほうなど全く見ずに言う。照れくさいだとかではない、呆れているからだ。
 

「父さんからの命令か?」
 

「ううん、私が自分から入ろうと思ったの」
 

「よし、帰れ」
 

祐一がぴしゃりという。
しかし、香奈は祐一の言葉など無視して、湯船に浸かる。
 

「でもお父さんが、まだ香奈専用の風呂の時間は作ってないぞって。女の人達もう入っちゃったから。まさか男の人達と一緒に入れないでしょ?」
 

「じゃあ今日は入るな」
 

「訓練して汗かいてる女の子にそれはないんじゃないかな?」
 

実際、香奈が風呂に入ろうが入るまいが、それはどうでもいいのだ。とりあえず、祐一の一人の時間を取らないでくれということだ。
部屋でも一緒にいなければいけないのに、風呂場でも一緒にいなければいけないなど、とんでもない。
 

祐一は魔法陣を描くと、湯船に手を付ける。
水がカッと光り、すこし濁った布状の物体が出来ていた。
 

「とりあえずこれ身体に巻いとけ」
 

香奈に渡す。いくらなんでも全裸で一緒に異性といるなど、有り得ない。
祐一も自分の腰に巻く。こういうときはこのデロップは便利だ。
香奈は身体に巻くと、「何か変な感じだね〜」と笑いながら言う。「うるさい」と一言言う。それでも全然表情を変えないのだが。
 

「ねえねえ」
 

「なんだ」
 

祐一は香奈の方を見ないで言う。
 

「お兄ちゃんは、私のこと好き?」
 

「……?」
 

祐一は何のことか分からなかったが、香奈の表情がやけに真剣だから、まあ真面目に答えてやろうと思った。
 

「今日会ったばかりだから分からない」
 

「……そっか」
 

香奈がすこし落ち込んだように言った。
しかしすぐに明るい声で言う。
 

「じゃあさ、これから次第では私たち恋人にもなれるよね!?」
 

またえへへ〜と笑う。
そのままそっと身体を祐一に寄せる。
 

やっぱり、こいつが何を考えているのか、全く分からない。
分からないけど、まあ、こういうのもたまにはいいんじゃないかと、湯船に浸かりながら、祐一は微かに思っていた。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

後書き
 

どうも、テストで五教科合計点数300点無くて目ん玉飛び出そうになったハーモニカです。
 

一話から十九話まで書き直しました。書き方も変わったり、誤字脱字があったりなので。
話はあまり変わってません。が、この後の話の変更はありました。
 

あと、とりあえずこの過去編はなるべく速く終わらせようと思います。
舞踏会とか志貴編はもう飛ばします。まじで。
だって、それを計算したところ、30話行く可能性が出てきましたので。
この相沢家編だけで終わりにします。
 

その後は、かなり迫力ある展開にしますので。
 

では、これからも応援よろしくお願いします!


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