第二話「サイレント・トーク」
あの人はいつも酒を大量に呑んでいた。
だが、呑み過ぎは身体に悪い。
俺はやめるよう注意した。
でも、あの人は決まってこう言う。
「一度しかない人生だ。好きに生きるのが一番なのさ」
何となくは分かるけど、全ては理解できない。
「君も、いつか分かるようになるよ」
そうだろうか?
俺には多分、一生理解できないことだ。
だって俺は――――。
少女との出会いから一週間が過ぎた。
秋人は暇を見てははやてに会いに行き、話をした。
話しの内容は他愛ないことばかりだったが、二人は心の底から楽しんだ。
やがて夜が近づき、秋人ははやての家を後にした。
独り夜の暗闇を歩く。
雨が近づいているのか、月は分厚い雲に覆われ姿は見えない。
暫く歩くと、予測通り雨が降り出した。
雨は激しく降り注ぎ、前がよく見えない。
「弱くなるまで雨宿りでもするか」
そう呟き、丁度良い木の下に潜り込む。
そこは偶然にもはやてと逢った場所の近くだった。
雨は弱くなるどころか激しさを増してゆき、雷が轟く。
稲光が辺りを一瞬明るくし、轟音が響く。
「――――!」
と、誰かの声が聞こえた。
それはついさっきまで聞いていた声と同じものだ。
秋人は声がした方向に目を凝らす。
そこに、はやてが居た。
傘を右手に持ち、膝にも傘がある。
轟音が響く。
はやては傘を落とし、耳を塞いだ。
秋人は苦笑すると、はやてに駆け寄った。
「何やってるんだ?」
「――――秋人……?」
はやては秋人に気付き顔を上げた。
はやては泣いていた。
雷が怖いのだろう。
秋人は軽く微笑むと、はやての頭を撫でた。
もう怖くない、と心で語りかけながら。
暫く撫でていると目に見えて顔色が良くなったのが分かる。
撫でるのをやめ、秋人は先程から有る疑問をぶつけてみた。
「それで? 何でここに居るんだ?」
この言葉を聴き、はやては膝に置いていた傘を差しだし、
「行き成り降ってきたから濡れてまうと思って来たんや。……迷惑だったかな?」
はやての言葉を聴き、秋人は胸が熱くなった気がした。
嬉しい、ありがとう、と言いたい。
だが、言えない。
心を開けないからではない。
気恥しいのだ。
秋人はもうはやてには心を開いている。
不思議だったが、これははやての持つ才能なのかもしれない。
相手の心の中を暖かくし、解きほぐす。
その、魔法とも言える才能により、秋人の心ははやてに完全に開いていた。
秋人は苦笑した。
「何で笑うんや? わたし、可笑しなこと言ったかな?」
「いや、何でもない」
秋人の言葉に、はやては寂しさを覚えた。
「はやて? どうした?」
「……秋人って、いつも『何でもない』って言うんやね」
「えっ……?」
「ほら、最初に会った時も何でもないって言うてたやんか。それに今だってそうや」
「…………」
「わたしってそんなに頼りないかな? 私には本当のことは言えないんかな?」
言いたい。
だが、言えない。
小さい頃からそうだった。
何かあっても全てを自分の中に押し込め、他人に話さない。
そう、誰にも。
「……わたしは子供やし、足もこんなんや。確かに頼りないかも知れない。けど、秋人には頼って欲しい。
わたしの傍に居てくれると言ってくれた、秋人には……」
「……はやて」
(はやてが、俺に……頼って欲しいって……。……うん)
秋人ははやての目を見定め、静かに語りかけた。
「……怒らないか?」
「えっ……? 話てくれるん? 怒ったりなんかせえへんよ、言ってみて!」
「……面白かった」
「……えっ?」
秋人は笑みを浮かべ、可笑しそうに言葉を漏らす。
「あまりにもコロコロと表情が変わるから面白くてな。つい笑ってしまったんだ」
秋人の言葉にはやてはポカンとした表情をしている。
だが、次の瞬間、顔を赤くした。
怒っているらしい。
「本当に心配したのに、なんてこと言うんや! しかも女の子に向かってその言い方はないやろ!?」
はやては激昂し、秋人に向かい吠える。
だが、秋人はまだ笑っている。
それが更にはやての癇に障ったらしい。
本気で怒ってしまった。
それでも秋人は笑い続ける。
本当に楽しそうに。
それをどれくらい続けただろうか?
雨はあがり、月も顔を出していた。
雨があがったことに気付いたはやては、ふと空を見上げた。
その瞬間に、秋人はポツリと呟いた。
「来てくれてありがとうな、はやて」
「? 今何か言った?」
「いや、何も。フフ……」
「嘘や! 何か言ったやろ、観念して教えるんや!」
「嫌だね。誰が教えるもんかよ」
「教えるんや! それにさっきのもまだ許してないんやで!」
はやてはふくれっ面で抗議するが、どこか楽しそうだった。
初めてなのだろう。
誰かと喧嘩をするのも、こうしてじゃれ合うのも。
「楽しそうだね?」
と、誰かに声をかけられた。
振り返ると男が立っていた。
その男を見て、秋人は背中にはやてを隠した。
はやてはキョトンとしているが、秋人は背筋に嫌な汗をかいていた。
緊張している。
ただ事ではない様子にはやては声をかけるが、答えは返ってこない。
秋人の緊張はさらに増してゆく。
男はただ黙って秋人を見つめていた。
(……なんだコイツは? 気配が……まるでない?)
男に人間らしい気配は微塵も感じられない。
だが、秋人はこの感覚を知っている。
そう、この感覚は――――。
(……同業者、か)
秋人の同業者、それは必然的に暗殺者ということになる。
誰かに雇われ殺しに来たのか?
しかし、それはおかしい。
秋人はまだ誰かを殺しいなければ、どこかの組織に属している訳でもない。
狙われる理由がないのだ。
男がゆっくりと近づいてくる。
月明かりに照らされたその顔は――――。
「なっ……お、れ……?」
男と秋人の顔は全く同じだった。
眼筋、鼻筋、唇の形、さらには髪型までも同じだ。
男は笑みを浮かべて話し掛けてきた。
「やぁ。こうして会うのは初めましてだね。なぁ、秋人?」
「――――!? ……何故、俺の名を……?」
「何も不思議なことじゃない。僕と君の仲じゃないか」
「ふざけるな! 俺はお前なんか知らない!」
その言葉を聞くと、目に見えて男の顔色が変わった。
「……そう、か。知らないのか。それは残念だな……」
男は落胆し、表情を曇らせる。
やっと人間らしさが出てきた気がした。
だが、秋人は気を許したりはしない。
秋人が言葉を発しようとした時、男は顔を上げ、一言。
「これでは……意味がない」
言葉を続ける。
「君は僕を知らなくてはならない。僕を知れ、秋人。誰よりも僕を見ろっ」
「何を、言っている……?」
「今は分からなくてもいいよ。でも、いずれ君は知るだろう。僕という存在の意味を」
そう言うと男は秋人達に近づく。
秋人は構えるが、男は苦笑し通り過ぎる。
男は通り過ぎる間際に、秋人の耳元で囁いた。
「崩壊の時は近い。覚悟しておくんだね」
男が過ぎ去ってから小一時間が経っていた。
しかし、秋人は同じ恰好のまま動けないでいた。
そんな秋人にはやてが声をかけようとしたが、声を出すよりも速く、秋人が膝を着いた。
息を荒げ、肩で息をする秋人。
「秋人……」
「……アレは誰だ……?」
アレは秋人と同じ顔立ち、声だった。
(アレは俺だった。では、俺は何だ?)
男は秋人を知っていた。
だが、秋人はあの男を知らない。
どこかで出会ったのだろうか?
……いや、それはない。
あんな男は見たこともない。
男はこうも言っていた「俺とお前の仲じゃないか」と。
それは親しい者に言う言葉。
男は秋人も知らない秋人を知っているような口ぶりだった。
では、秋人の知らない秋人が居ると言うのだろうか?
だとしたらそれは――――誰だ?
「俺は……誰だ……?」
ダン、と地面を殴りつける。
力一杯殴った拳からは血が滲んでいた。
ドクドクと流れ出る血。
その血は、ある事を思い出させた。
あの忌まわしい事件を。
喉の奥から胃液が昇り、吐き気を覚える。
それを何とか制し、呼吸を整えようとする。
そんな秋人を見ていたはやてがポツリと言った。
「秋人は自分が誰か知りたいんか?」
自分を知りたいのか。
はやてはそう言った。
(はやては知っているのか? 俺が誰なのかを)
藁をも掴みたい状態の中で、答えを知っている者が居た。
秋人は立ち上がり、はやての肩を掴んだ。
「教えてくれ、俺は誰なんだ!?」
肩を揺さぶる。
秋人の目は正気を失っているように虚ろになっていた。
はやてはその目を見つめ、
「秋人は、秋人や」
そう言った。
「俺は、俺……?」
「そうや。わたしの目の前に居るのは正真正銘『相沢秋人』や。それはわたしが保証する」
「相沢、秋人……」
「秋人はどんな事が遭っても秋人なんや。それは忘れたらあかん」
救われた気がした。
はやてにそう言ってもらえ、心の底から安堵出来た。
(俺は俺、か。当たり前だよな。でも、俺は今そのことを知った。……フフ、これではどっちが年上か分からんな)
「どうしたん、笑ったりして?」
「いや、何でも……」
そこで言葉を区切り、はやての言葉を思い出す。
――――秋人には頼って欲しい。
「……お前がいい子だってことだ」
「? それどういうことや?」
はやての疑問に秋人は笑いながら、
「そう言うことにしておけ!」
はやての頭をクシャクシャと撫でた。
はやてを家に送り届けてから、自宅に向かう。
ふと、家の窓を見ると、明かりが漏れていた。
電気を消し忘れたか? などと考えるが、戸締りなどは万全の筈だ。
では誰が、と考えた時にある人物の顔が浮かんだ。
あの人物なら、秋人の家の鍵を持っているし、勝手に上がる事もする。
そう合点がいくと秋人は玄関を開けた。
「ただいま」
「おかえり〜」
玄関に入るや否や、声をかけられた。
秋人は苦笑した。
家に誰か居ると安心するというのは本当らしい。
秋人は不法侵入者に向かい言葉を返す。
「ただいま、美由希」
高町美由希がそこに居た。
美由希はニコニコと微笑みながら立っている。
その笑みは早く気付いてと言わんばかりだ。
秋人は頬を掻きながら美由希の恰好を指摘した。
「それで、その格好は何だ?」
美由希は待っていました、と言わんばかりに頬笑み、
「秋ちゃんの為にご飯作ってたんだよ」
その瞬間、秋人の表情が固まった。
逃げろ。
頭の中でサイレンが鳴り響いている。
危険だ。
頭の中のもう一人の自分は泣き叫んでいる。
「さようなら……」
「ここが秋ちゃんの家だよ。さっ、行こう!」
美由希に腕を掴まれ、脱走ミッションは失敗した。
ズルズルと引きずられ、リビングへと連れて行かれる。
椅子に座らされる秋人。
美由希は嬉しそうに鼻歌を歌いながら、テーブルに料理を運ぶ。
逃げる間もなく、料理達は秋人の目の前に並んだ。
「持病の癪が……」
「秋ちゃん健康体でしょ。そんなのないよ。はい、食べて」
箸を渡される。
が、秋人は箸を落とした。
態とではない。
震えているのだ。
美由希は秋人の箸を新しいのに変えて渡してきた。
震える手でそれを受け取り、美由希を見た。
心配そうに、だけど嬉しそうに見つめている。
「…………」
その目は反則だと思う。
秋人は意を決し料理を掴み、口に放り込んだ。
何度か咀嚼し、飲み込む。
「どう、かな?」
「……美味い」
その言葉を聞いた瞬間、美由希の表情は華やいだ。
相当嬉しかったらしい。
美由希の料理の腕はそれなりに上手い。
だが、秋人には食べにくい過去があるのだ。
昔、美由希の料理を食べ気絶した。
その過去があるせいで、今になっても美由希の料理が怖いのだ。
「よかった〜。秋ちゃん怖い顔ばっかりしているから、美味しくないのかと思った」
「……あの頃よりは美味い」
その言葉を聞き美由希は苦笑した。
「それは秋ちゃんが悪いんだよ。なのはと一緒にやってたおままごとで、ドロ団子を本当に食べるから」
「……言うな」
昔話をしながら、不機嫌に料理を平らげる秋人だった。
「それで、本当は何しに来たんだ?」
洗い物が終わり、二人はソファでくつろいでいたが、美由希がそわそわと落ち着きがないので秋人から切り出した。
美由希はペロッと舌を出しながら、持ってきていたカバンからある物を取り出す。
「教科書?」
差し出されたのは数学の教科書とノートだった。
それを見て「ああ」と納得した。
「どこが分からないんだ?」
「えっと……ここ……」
「ここは…………こう、だろ?」
「あっ、そうか! ありがとう」
「いいさ、これくらい」
美由希はここ最近、秋人に勉強を見て貰っていた。
決して美由希の頭が悪い訳ではない。
切欠が欲しかったのだ。
だが、今では秋人に勉強を教えて貰っていた。
秋人は特待生なのだ。
学費が払えないので奨学金を貰う為に必死で勉強をした。
結果、特待生として認められ、奨学金を手にすることが出来た。
それは、ここに居る少女の支えがあったからと言っても過言ではない。
夜中まで頑張る秋人にとお茶を淹れてくれたり、鍛錬に忙しい恭也に頼み込み、家庭教師として勉強を見てもらったりと、便宜を図ってくれた。
それに今では、クラスに馴染めない秋人とクラスメートの橋渡し役までかってくれている。
秋人は自然に感謝の言葉を口にした。
「色々とありがとうな、美由希」
秋人の言葉を聞き美由希の動きが止まる。
「どうした?」等と声をかけるが動かない。
一分はたっぷりと経っただろうか?
美由希は急に動き出し、秋人の肩を掴む。
「ど、どうしたの? いつもの秋ちゃんらしくないよ!? もしかして私の料理のせいで……」
「お、落ちつけ! お前の料理は美味かった!」
それでも美由希の混乱は止まらない。
秋人は頬を掻きながら美由希が静まるのを待った。
暫くし、美由希の混乱はやっと治まった。
美由希は頬を赤くしながら、秋人に訊ねた。
「何で、行き成りありがとうなんて言ったの?」
「……ただ何となくだ」
「嘘! 最近少しだけど明るくなったし、学校から帰ったらどこかに行っているし、何が遭ったの!?」
「明るくなった?」
「うん。何だか前の秋ちゃんじゃないみたいに明るくなったよ」
「そう、か」
「ねぇ、何が遭ったの?」
「……実は――――」
秋人ははやてと出会ったことを美由希に話した。
美由希は驚き、また混乱しそうになったが、なんとか堪え、秋人の言葉を聞く。
話を聞き終えると、美由希は我がことのように、嬉しそうに笑った。
「よかったね。秋ちゃん」
「…………」
美由希の言葉がこそばゆく感じ、頬を掻く。
「でも、その子なのはと同じくらいなんだよね?」
高町なのは
高町家の次女。
心優しい少女だ。
「ん? ああ、そうだな」
「じゃあ、なのはに紹介してみようよ」
「……そうだな、俺よりなのはの方が話も合うだろうしな」
こうして、なのはとはやては出会うこととなった。
この先に何が待っているのかを知らずに……。
あとがき
痴漢されました、どうもシエンです。
今回の話でなのはとはやてが逢うことが決定しました。
……ヴィルケン達と逢わせてみたいなぁ。
逢わしてみたらどうなるのかを想像している、馬鹿でございます。
それでは、また次回お逢いしましょう。
作者さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル、投稿小説感想板、