>第二十四話「昔話」
第二十四話「昔話」
そう、これは昔話にすぎない。
たとえ今がどうであれ、過去の話。
今じゃもう、誰にも変えられない真実だ。
キミは、こんな運命を受け入れられるかい?
ザフィーラたちは怪我を負った秋人を、一度八神家へ搬送した。
病院へ連れて行っても、面倒事にしかならないと判断してのことだ。
搬送している間もシャマルが治癒魔法をかけ続けていたが、秋人の顔色は一向に良くならない。
一応血は止まったようだが、いかんせん、血が足りない。
輸血をしようにも、そんな設備や輸血パックなどあるはずがない。
今は、ベッドに寝かせて回復を待つことしかできない。
それが、何よりも歯がゆい。
美由希を含めた一同は、一階にあるリビングへと集まっていた。
みんな一様に深刻な顔をしている。
秋人のことを訝しんでいたシグナムでさえ心配そうな表情だ。
当り前だろう。
たとえ一度とはいえ助けてもらった身、言わば仲間だ。
心配にならないはずがない。
「こんなことなら……私も共に出向いていれば」
シグナムの独白に似た呟き。
だが、たとえシグナムが共に出向いていたとしても、結果は覆らなかっただろう。
なにせ自分たちが辿り着いた時にはもう、秋人は血まみれで倒れていたのだから。
「アキト……大丈夫だよな?」
人一倍心配そうにシャマルに詰め寄るヴィータの顔色は良くない。
兄と慕っていた秋人が倒れたのだ、当り前だろう。
「治癒魔法はキチンとかけたけど……それがどれくらいの効力があるかは……」
秋人の治療を担当したシャマルも、不安を隠し切れていない。
むしろ、このまま秋人が死んでしまったらシャマルは責任を感じ……自らの手で。
いや、それはさせない。
それでは逃げだ。
我々には現実を直視し、生き続ける義務がある。
「秋人……」
はやての表情にも陰りが見える。
チラリとしか見ていないが、秋人の顔を見た時には気を失いそうになったほどだ。
もはや家族と言ってもいい秋人の瀕死の姿。
衝撃を受けたのははやてたちだけではない。
一番まじかで見てしまったこの人物こそが、一番ショックを受けていることは明白。
自分たちよりも秋人と付き合いの長い――――高町美由希。
美由希は顔面を蒼白にしたまま虚ろな瞳をしている。
一瞬にして魔法の存在を知り、魔法の危険性を知り、魔法という幻想が砕かれた。
そのショックは計り知れない。
ましてや秋人が魔導師だったのだ。
暗殺者というだけでも異常だというのに、魔導師。
訳が分からないことになっているだろう。
それほどに美由希には知らせたくなかったのだ、秋人は。
魔法という幻想を崩したくなくて、必死で隠していた。
それなのに、それはたった一瞬にして崩された。
“四宮四季”という人物の手によって。
あの男の目的、思想、願望が分からない。
なぜ、秋人と同じ顔をしているのか。
なぜ、秋人と接触を図ったのか。
なぜ、秋人を斬ってしまったことで動揺していたのか。
分からないことだらけだ。
やはり、全ての鍵を握る人物はあの男しか居ないのだろうか?
「こんな時に、おっさんは何で居ないんだよ……!」
ヴィンセント・クロイツァー。
秋人の身元引受人にして秋人の師匠。
いつもひょうひょうとしているかと思ったら、仮面を外したかのように真面目になる男。
しかし、図ったかのように今は姿をくらましている。
黒幕はあの男なのか?
ヴィンセントが全て仕組んだ?
思えば妙な話だ。
ヴィンセントが現われてから全ては動きだした。
まるで、空いていた隙間に歯車を差しこんだように動きだした周囲。
その歯車は秋人なのか? それとも四季なのか? それとも、自分自身なのか?
今さらになって気づく。
自分たちはヴィンセントという人物のことをあまりにも知らなすぎる。
いつの間にか当たり前のように居て、当り前のように姿を消す。
それはまるで――――影。
居るのが当たり前の存在。
気づかないのが当たり前の存在。
(調べてみるか……)
ザフィーラは静かにその場を後にした。
ザフィーラは秋人の家の前にまで来て、ドアノブを捻る。
鍵がかかっていない。
秋人が締め忘れたのか、それとも相当に慌てていたのか、それは分からない。
だが、これは重畳だ。
まずは秋人の部屋を調べることにした。
本が異様に多い部屋。
それも神話関係の本ばかり。
本を一冊一冊調べるが、何も手掛かりといえるものは得られない。
ふと手に取った一冊の本。
アルバムだろうか?
写真が沢山あるが、ザフィーラには異様に感じられた。
秋人の写真ばかりなのである。
いや、それは当り前なのだが……。
「……なぜ、秋人しか写っていない?」
秋人の両親のことはそれとなく聞いている。
だったら、一枚くらい母親と共に写っている写真があってもおかしくないにもかかわらず、あるのは秋人一人だけの写真。
どんなに目を凝らして探しても、写っているのは秋人だけ。
それも子供の頃ばかり。
これではまるで……意図的に集めたと言ってもおかしくないではないか。
そしておかしなことにも気がつく。
色あせている。
修復した後があるが、どれも色あせている写真ばかりだ。
まるで三十年以上経った写真のようなものばかり。
これは本当に、
「秋人……なのか?」
写真の人物は全て、独りで写っているばかり。
秋人の部屋では収穫はないと諦め、次にリビングへと移動する。
ここでヴィンセントは寝起きしていたはずだ。
それなのにもかかわらず……。
「……痕跡が全くない」
人が一人家に住めば、その人物が残した痕跡の一つや二つは簡単に見つかる。
なのに、それが全くない。
ヴィンセント愛用のマグカップも、ヴィンセントが好んで愛飲していたコーヒーも、全て消えている。
残されているものといえば、この……一枚の仮面のみ。
目の部分だけ丸く開いた、一切感情を表さないと意思表示したかのような仮面。
それが唯一テーブルの上に置いてある。
念の為と調べてみるが、一切魔力など特別な力は感じられない。
単に忘れた?
いや、それはない。
ここまで周到に自分の痕跡を消しているのだ、それはありえない。
では、これは秋人に対するある種のメッセージなのだろうか?
では、それの意味するものとは?
……分からない。
そもそもなぜ、ヴィンセントは秋人の前に現れた?
これまでメールだけで会話していたはずであるにもかかわらず、急に姿を現した。
かと思えば、急に姿を消した。
それの意味することとは?
「勝手に他人の家に上がり込むとは……感心しないね」
「貴様に言われたくはない。ヴィンセント」
振り返ってみると、いつもとは全く違う雰囲気をしているヴィンセントが居た。
ひょうひょうとした雰囲気はなく、張り詰めた一本の糸のような気配をしている。
「全く……鍵を閉めろと言ったはずなんだけどね」
やれやれと、肩を竦める。
「貴様……今、秋人がどうなっているのか知っているのかッ!」
「ああ、知っているとも。四季に内臓まで斬られて瀕死の重傷だ」
「……何とも思わないのか?」
「何とも思わない? ハハ、キミはおかしなことを言うね」
何とも思っていないかのような振る舞いに、思わず拳が前に出てしまう。
しかし、ヴィンセントはそれをいともたやすくかわした。
距離を取ると、懐に手を入れ、タバコを取り出し口に咥え火を点ける。
そして煙を吐き出すと、絞り出すように、
「心配に決まっているじゃないか……!」
初めて、この男の素顔を見た気がした。
仮面ごしではない、本当の顔。
「少し……話をしよう。長くなるから椅子にかけなさい」
ヴィンセントが座ったのを確認し、対面に腰かける。
「どこから話せばいいやら……」などと呟きながら、ヴィンセントはタバコをふかしている。
目を瞑り、しばらくしてから開き、同時に口を開いた。
「昔話を始めよう」
それは昔の話。
まだ冬二が生きていた時代にまでさかのぼる。
冬の日。
日に日に弱っていく少女の身体。
闇医者に幾度となく診せたが、治療には莫大な金が必要とのこと。
その為に、今日もいつもと同じように人を殺し金を得る。
こんな汚い金で生き長らえたくはない、と少女は言ったが男にはこんなことでしか金を得られない。
いや、これ以外に金を得るやり方を知らない。
だから人を殺す。
大切な人を生かす為に無関係な人を殺す。
矛盾している。
そんなこと、とっくに分かっている。
それに転々としながらでは、こんなことでしか金を得る手段がないのも事実。
各地を転々とする理由。
それは追手が居るから。
あの魔性の女……ニャルラトホテップが居るから。
彼女は冬二たちを組織に戻そうと追ってきている。
もしかしたら、もう傍まで忍び寄っているのかもしれない。
そろそろこの地も危ないのかもしれない。
だが少女の容体を考えるとそうもいかず、この地に留まってから二週間が過ぎ去った。
冬が過ぎ去り春が来た。
しかし、少女の容体は一向に良くならない。
ニャルラトホテップはもうこの街にまで来ているのだろうか?
冬二とバイアティスは二人で相談し、この地を離れることを決めた。
今は夜中、出発するならば人目のない今がいいだろう。
強行軍になることは覚悟の上で、そのことを少女に告げる。
少女は力なく頷いた。
もう、言葉を発することも辛くなっているのだ。
その顔を見るだけで、冬二の心は締め付けられるようだ。
バイアティスは何も言わずに、少女をおぶさり、部屋を出る。
と。
「やっと見つけたわよ。シュブ=ニグラスにバイアティス。それに、アブホース」
部屋を出たところに居た女は笑った。
その女を、三人はよく知っている。
ニャルラトホテップ。
冬二は二人を庇うように前に出て、ニャルラトホテップを見据える。
「何の用だ。僕たちはもうお前らとは関係ない。さっさと帰れ」
「そうもいかないのよ。あなたたちにはまだ利用価値がある。それをおいそれと見逃すとでも思う?」
思わない。
利用できるものは何でも利用するのが『グレート・オールド・ワン』という組織だ。
所詮、三人は鎖に繋がれたままだったのである。
どんなに逃げても、遠くへ行っても、目の届かない場所へ隠れても、鎖がある限り見つかってしまう。
断ち切れない因果という名の鎖。
冬二は覚悟を決めたような瞳をし、そっと後ろに居るバイアティスに話しかける。
「……逃げろ」
コクリ……と頷き、後ろに向かって走り出し、窓を破り逃げる。
しかし、ニャルラトホテップは笑ったまま動こうとしない。
まさか……。
「ああ、大丈夫よ。来ているのは私だけだから。他の追っ手なんか居やしないわ」
「……本当に用があったのは僕という訳か」
「そう言うこと……!」
そう言い放つと、ニャルラトホテップは首にかけていたロケットを手に取り、起動させると、歪な杖となり、まとっていた服は黒い男性用のスーツとなる。
冬二もそれに倣い、首にかけてあったペンダントを手に取り、ロイガーを起動させる。
『おい。大丈夫なのか? 相手はニャルラトホテップだぞ?』
「うるさい黙れ。いいから僕の騎士甲冑を」
『……分かった』
『……けど』と言いながら、ロイガーは冬二の騎士甲冑を生成する。
灰色の光に包まれ、出てきた時には白と黒の衣服をまとい、その上には紫のラインの入った灰色のコートをまとっていた。
腕や足を数本のベルトで締めており、まるでそれは拘束具のような印象を受ける。
『死ぬなよ』
「分かっている」
左手に装着されたロイガーの爪を手刀の形にし、喉元目掛けて突きさすが、それは杖によって阻まれてしまった。
ニャルラトホテップはバックステップをしながらいくつもの魔力弾を放ってくる。
それを全て爪で切り裂いていくが、これが罠だということに気がついた。
前方を見ると、杖の先に魔力を溜めたニャルラトホテップの姿。
とっさに魔力を風に変換し、風の膜を身体にまとう。
大型の魔力弾が放たれると、それは冬二を巻き込みながら壁を打ち砕く。
幸いにもここは二階、落ちても受け身を取ればなんてことはない。
すぐに体勢を立て直しニャルラトホテップを睨みつける。
相手は空を飛んでいた。
空戦魔導師。
しかし、こっちは陸戦。
分が悪い。
しかし、時間を稼ぐ意味も込めてここで粘らねば、少女たちにも手が伸びてしまうかもしれない。
ロイガーをヒュフドラフォルムに変形させ、爪を伸ばし攻撃するが、それはいとも容易くかわされてしまう。
また魔力弾が迫ってくる。
避けるが、それはあまりにも簡単過ぎた。
まるで遊んでいるかのような違和感を覚える。
「ロイガー」
『ミョルニルフォルム』
左腕のロイガーが巨大な腕となり、肘の辺りに付いているブースターを噴かせ相手に向かい飛ぶ。
しかし、相手は空戦に特化した魔導師、簡単にかわされてしまう。
「ロイガー!」
『ブリューナクフォルム』
ロイガーの手首から先が外れ、外れた手首部分から柄が伸び槍となり、それをニャルラトホテップに投げつける。
ニャルラトホテップは後ろを向いている。
今なら当たるはず。
しかし、それはかすりもせずに地面に突き刺さってしまった。
空中に投げ出される形となった冬二に、ニャルラトホテップは魔力弾を発射。
冬二は魔力を風に変換し、嵐壁を展開させ難を逃れるが、それは一時しのぎにすぎない。
重力に囚われて地面に叩きつけられるのと同時にロイガーへと駆け、槍を手にする。
追撃とばかりに魔力弾が飛んでくる。
それを槍で叩き落としながら隙をうかがうが、そんなものはどこにもない。
ふと気づく背後の違和感。
振り向いた時にはもう遅かった。
時間差で放たれた魔力弾の直撃を受け、冬二の意識は闇に落ちた。
倒れた冬二にロイガーが叫んでいるが、それは届かず、そんな冬二にニャルラトホテップは杖をしまいながら近づく。
「まぁ、覚醒ていないあなたなんて、こんなものよね」
冬二の襟を掴み、引きずりながら二人はその場を去った。
二人の戦いの傷跡が残っている街を、初めて見た冬二の敗北を、冬二の姿をバイアティスは見届け、彼も姿を消した。
その数日後……少女は死んだ。
最後に愛おしい彼の名を呟いて。
情報屋から聞いた話だが、冬二も死んだらしい。
しかし、彼は生きているらしい。
矛盾した情報。
もっとよく聞いてみると、彼のクローンが生まれたというのだ。
しかし、現代の技術ではクローンはそう長くは生きられない。
それを承知の上でやったことは……やはり冬二の中にあるアレが目的だったに違いない。
冬二の中に眠りし――――ロストロギア『アザトース』。
実しやかに囁かれている地『アルハザード』より生まれ出でしオーバーテクノロジー。
太古の昔、今は失われた秘術の眠る地よりアザトースは生まれた。
それは形のある『物』ではなかった。
“形のない遺伝子”とでも言えばいいのだろうか。
それは人体に組み込まれ、遺伝子レベルで融合を果たした。
曰く、その被験体に選ばれた者が今居る宇宙の創った。
曰く、並行世界間の移動が可能。
曰く、不死の存在。
どれも嘘か誠かは分からないが、危険なものには違いない。
アザトースは遺伝的に子孫に受け継がれてきたが、全ての子が覚醒するわけではない。
何らかの条件が整わななければ、覚醒はしないとのこと。
冬二は覚醒していなかった。
しかしその能力を見透かされ、将来性を見越してグレート・オールド・ワンは冬二を引き込んだ。
宇宙の不浄全ての母にして父という名を与えられ、無理やり人を殺す術を教え込まれた。
それまでは普通の学生として暮らしていた冬二は、当然混乱した。
だが、それは時が過ぎるにつれて鳴りを潜め、裏の世界では名高い暗殺者となってしまった。
決して望んでなどいなかった。
なのに、これが運命と言わんばかりに冬二は人を殺した。
最初の殺人では肩が震え、嘔吐した。
だが、それを繰り返すうちにそれもなくなってしまった。
冬二が組織に馴染み始めたころ、ある少女が冬二の前に現れた。
千匹の仔を孕む森の黒山羊と名付けられた少女。
少女は盲目だった。
にもかかわらず、人を殺す術には長けている。
少女は必要なこと以外話さず、心を閉ざしていた。
そんな彼女に、冬二は興味心からことあるごとに話しかけ、近づき、心の距離を縮めた。
それをバイアティスは、こんな荒んだ世界の中で唯一美しいものだと信じ、仮面の奥で微かに笑い、二人を優しく見守った。
彼と彼女は互いに愛し合い、いくども愛を語り合った。
だが、ここでもまた、運命が邪魔をする。
少女が原因不明の病に侵されててしまったのだ。
現代医療では完治は不可能な病。
進行を遅らせるのにも莫大な金がかかる。
組織は使い物にならなくなった少女の廃棄を決定し処分しようとしたが、冬二の手引きによりそれは阻止された。
バイアティスも冬二に誘われ共に逃げた。
しかし、金を得るには人を殺すしかない。
それしか金を得る手段を知らないのだ、三人とも全員。
そして冬二は少女を休ませ、夜な夜な家を開け人を殺した。
殺した人間はブラックマニュアルに乗っているような犯罪者ばかりだったが、当然解釈に苛まれた。
だが、それしか手がなかった。
冬二とバイアティスは人を殺し殺し、殺した。
それでも手に入る金は微々たる物。
これでは少女の病を遅らせるために医療を受けさせることなどできない。
しかし、少女は幸せだった。
愛する者たちに囲まれて過ごせることが。
それと同時に、諦めていた。
これは罰なのだと。
決して奪ってはならない人を命を奪ってきた自分への罰。
少女は諦めを口にしたが、冬二は諦めなかった。
それでは、一体何の為に人を殺してきたのかが分からなくなってしまう。
冬二は、これは己に科せられた罪なのだと感じるようになった。
自分の中にロストロギアなどなかったら。
自分が見つからなかったら。
自分が――――彼女に近づかなかったら。
それらのどれかが違うだけで、少女の運命は変わっていたも知れない。
冬二は己を悔やみ、憎しみ、追い込んだ。
そんな冬二を、バイアティスは何も言わずに見守るだけだった。
しかし、もう……見守ることさえできない。
冬二も、少女の居ないこの世界で、一体自分は何をすればいい?
全てが分からず、バイアティスはフラフラと夜道を歩いていた。
「何を悩んでいるんだい?」
空から聞こえた男の声。
そちらに視線を向けると、屋根の上に男が居た。
酒の飲みながら月を見て、誰かに話しかけている。
「悩んでいるなら行動することだ。そうすれば、大抵は後悔しなくてすむ」
「…………」
それはバイアティスに対して言っているのか、はたまたただの酔っ払いの独り言かは分からないが、バイアティスは決心した。
組織に戻り、真実を知ろうと。
バイアティスがその場を後にしたのを見届けると、男は酒瓶を傾けた。
魔天楼の一角にあるビル。
そこがグレート・オールド・ワンの巣窟だった。
バイアティスはセキュリティに引っかからないように慎重に歩を進め、ついに辿り着いた。
『プロジェクトF・A』と書かれたプレートが掲げられた一室に。
ドアには鍵がかかっていなかった。
押しボタンを押すと、上のレールに吊られたドアがスライドし、中に入れた。
滅菌室のようなドアだと思ったが、そんなことはどうでもいい。
目の前に広がるこの光景に比べれば。
「…………」
声を出さずに驚く。
そこには、ポットが整然と並んでいた。
そのどれにもあるものが入っている。
……崩れた肉壊が。
かろうじで人の原形らしきものがうかがえるものもあれば、完全に人のものではないものもある。
これは一体……。
「どう? これが私の研究成果よ」
振り向くと、そこには誇らしげに腕を組んだニャルラトホテップの姿があった。
バイアティスの素顔は仮面をしているのでうかがえないのだが、驚いていると判断して笑っている。
コツコツとヒールを鳴らしながらバイアティスに近づいてくる。
身構えるが、そんなことにはお構いなしに通り過ぎていった。
しばらく先に進むと、突然振り向き、
「こっちよ。ここにあるのは、残骸だけ……本当の成果はこっち」
「来なさい」と言うと、さらに奥に進んでいく。
何かの罠かと思ったが、真実を知りたく、ニャルラトホテップの後に続く。
コツコツと靴の音が反響する狭い通路を抜けると、そこには二つのポットがあった。
その中に入っているのは二人の――――少年。
目を瞑っているが、時折身じろぎをするかのように動くことから生きていることがうかがえる。
「どうかしら? これが、あなたが探していた答え。冬二のクローンの成功体よ。培養液に浸けて成長促進剤やらを打ち込んでいるから、赤ん坊ではないけど。
あなたは冬二の赤ん坊の頃の方が見たかったかしら?」
「…………」
「あら? どうして、寿命が短いクローンをわざわざ創ったのかって顔……まぁ、仮面をしているから分からないけど、そんなことを聞きたそうね」
無言で頷く。
女は笑いを堪え切れないような表情を一瞬し、答えた。
「ある男から情報が入ったのよ。完璧なクローンを創るにはどうすればいいかって。まっ、まだ未完成の技術だったからあんな肉壊が生まれてしまったのだけれども 」
それは誰だ、と問おうとするが、声が出ない。
いや、元々バイアティスは声が出せない。
いつも素顔を隠しているのも、過去に受けた拷問によって醜くなってしまった顔を隠す為である。
バイアティスの無言の問いかけに応えるかのように、女は自分から喋った。
「クローン技術を提供したのは、ここではない別の次元に存在しているミッドという土地からもたらされた。
私たちに技術をもたらした男の名は――――ジェイル・スカリエッティ」
今度は別の疑問が生まれる。
なぜ、わざわざ別の次元に存在している者が地球に干渉し、技術を提供してきたのか。
この疑問にも、ニャルラトホテップは親切にも答えてくれた。
まるで、自由研究を発表する子供のような顔をして。
「スカリエッティが何を考えているのかなんて簡単でしょう? そう。アザトースを手に入れたかったからよ。
でも、アザトースの持ち主は各地に散り散りになってしまい、そう簡単には見つからない。中には魔力も持たない者も居るでしょうしね。
そこで目をつけたのが、『グレート・オールド・ワン』。うちは、色々な次元世界の依頼も受注しているから情報が漏れたんでしょう。
しかし、こっちもアザトースは手元に置いておきたい。それに、冬二は覚醒(めざめ)ていなかったし、子供の方が何かと言うことを聞くから便利でしょう?
だから二人創ったのよ。二人の――――冬二を」
「…………」
「冬二はどうしたかって? そんな物、とっくに廃棄したわよ」
胸の奥から湧いて出てくるもの。
これが何なのかはバイアティス自身知らない。
それは俗に『怒り』と呼ばれるものだった。
懐に忍ばせていたハンドガンを取り出しニャルラトホテップに、いや、冬二と言う名のロストロギアに対して撃ち放つ。
銃弾はポットに当たったが、ヒビ一つ入っていない。
次々に銃を撃ち、カートリッジがゼロになってもヒビ一つ入らなかった。
予備のカートリッジを取り出すバイアティスだが、ふと目に入ったのはニャルラトホテップの笑み。
その様がさぞ滑稽だったのだろう。
口に手を当てクスクスと笑っている。
「そんなことをしても弾の無駄よ。このポッドは魔力で念入りに強化した特別なポットなんだから。大砲でもブチ込まない限りヒビ一つ入りはしないわ」
「…………」
「そんな顔しないの……って、顔は分からないんだっけ? でも、これで分かったでしょう? あなたが何をしようが、結局は無駄なのよ。あなたには何もできやしない」
「…………」
悔しい。
憎い。
恨めしい。
愚かな自分が。
あの狡猾なニャルラトホテップが何の対策もなしに自分を招いたりはしない。
分かっていた。
けど、何か一つくらいはできるだろうと思っていた自分が居た。
なのに……何もできない。
ニャルラトホテップの言うとおり、本当に何もできなかった。
気がついたら背後には幾人もの人が居て、バイアティスは取り囲まれ、監禁室に閉じ込められてしまった。
最後に聞いたのは、あの女の声。
「そこで感じていなさい。世界が終る様を、ね」
いったい何日経ったのだろう?
照明一つない部屋では、体内時計が狂う。
身体は鎖で縛られ、身動きさえ満足にできない状態。
たとえ訓練されているとはいえ、食事も満足に与えられていない今の現状では仕方がないと言えた。
時折響く靴の音。
しかし、決して自分が居る部屋の前で止まる者は居ない。
「……?」
しかし、今日に限っては違った。
靴の音が止み、確かに部屋の前に誰かが居る。
コンコン……とドアをノックする音が響く。
「…………」
声を出したいが、潰れている喉では出しようもなかった。
(何とか……声を……)
絞り出すようにしてみたが、出てくるのは「ァ……」と言う擦れた声だけ。
このままでは去ってしまうと思われたが、ドアの前に居る者は立ち去らずに、何かを弄っているのかカチャカチャという音を立てている。
数秒……いや、数分だろうか。
それは判別できないがドアは静かに開き、久方ぶりの光がバイアティスの目を焼く。
しばらく目を閉じ光に大分目が慣れてくると、逆光の中に誰かが居た。
「やぁ。元気かい?」
(この男は……あの時の)
あの時の酔っ払い。
バイアティスにここへ向かう決心を与えてくれた人物。
男は靴を鳴らしながらバイアティスに近づき、身体を拘束していた鎖を解き、チューブに入った携帯食糧を渡した。
それを貪るように胃に入れると、ふと疑問に思った。
監禁室のドアはセキュリティがかかっていて、どんなに卓越したピッキングスキルを持っていたとしても開けることは不可能のはず。
なぜ、この男は開けられたのか。
なぜ、この男がここに居るのか。
なぜ、助けてくれたのか。
その疑問が分かったかのように、男は答えた。
「私がキミをここへ行かせたんだ。そしてこうなることは分かっていた。だったら、助けに来るのは当然だろう?
そして、監禁室のセキュリティは数年前から変わっていない。開けるのは簡単さ」
「いくら監禁室だからって、セキュリティを数年前と同じにしておくのって傲慢だよね」と言いながら、男は笑う。
一通り笑い終えると男は「さて」と言い、真面目な顔つきとなる。
「キミはこれからどうする? どうしたい? どう行動する? 答えなさい」
そんなものは、当に決まっている。
バイアティスの決心が伝わったのか、男は頷いた。
「そう。それでいい」
男は懐に手を入れ、二丁の銃を取り出した。
没収されたバイアティスの物だ。
「ここへ来る前に倉庫に寄っておいたんだ。管理がずさんだったお陰で簡単に見つかったよ。ああ、弾も沢山持ってきたからね」
カートリッジに入った弾薬も渡され、準備は整った。
体調は万全とは言えないが、やれないことはない。
「仮面越しだが、いい眼だ。その眼を見て安心した。正直、私一人ではここの連中を相手に戦うのは厳しい。キミは頼もしい仲間だ」
仲間……その言葉を久し振りに聞いた気がした。
かつては冬二が言っていた言葉を、この男から聞くとは思わなかった。
正直胡散臭い男だが、今は誰よりも頼りになると、確信できた。
監禁室を二人して出て、まっすぐに冬二のクローンが居る部屋にまでやってくる。
男の指示通りに道を来たら、不思議なことに警備員と遭遇しなかった。
そして今もこのフロアには誰も居ない。
やるなら今しかないだろう。
しかし、ドアのボタンを押そうとするバイアティスの手を、男は制した。
「ここはブロックされている。セキュリティも最高レベルで、解除できなかった。それに、解除コードもリアルタイムで更新されているからお手上げさ」
ならどうすると言うのだろうか?
バイアティスは男の言葉を待った。
「だから――――こうするのさ!!」
男は懐からナイフを取り出した。
おそらくデバイスだろう。
魔導師ではないバイアティスにはよく分からない物だが、相当な威力を秘めているのが感じられる。
デバイスが何かを呟くと、ドアは細切れになっていた。
一体今何をしたと言うのだろうか?
「気になるかい? でも、説明は後だ。今は、アブホースのクローンを先に潰すのが先決さ」
潰す……。
その言葉を聞いた瞬間、胸が締め付けられた気がした。
本当にいいのだろうか?
後悔しないか?
たとえクローンだとしても、相手は冬二だぞ?
などと自問自答を繰り返している内に、例のフロアまで辿り着いてしまった。
目の前に居るのは、ポットに入った双子の冬二。
先日見た時よりも成長し、今では小学生ほどに成長していた。
冬二の面影とダブる。
男はポットに触れると顔をしかめ、手元のコンソールに視線を注ぐ。
「さて……まずはプロテクトを解除しないとね」
男はコンソールを叩き、プロテクトの解除にかかる。
しかし――――
「何かやっていると思ったけど、まさかここまで入り込むとはね」
耳障りな声。
間違いない、この声は、
「キミこそ、いい加減その格好を止めたらどうだい? カリス」
「その名で呼ぶな、シュグオラン!! 今の私はカリナだ!! カリナ・D・ゲースデだ!!」
「おやおや。私がここに居た時はまだ男の子だったというのに……今では立派な女性気取りかい?」
「黙れ! 私は男ではない、女だ!!」
「こらこら。女だと言うのならその声は駄目だ。男の声になっているよ」
「あ……くっ……!」
ニャルラトホテップは男――シュグオラン――の指摘により、喉を押さえ冷静さを取り戻そうとしていた。
「さて。私たちは今忙しいんだ。組織に戻れとかいうくだらない戯言なら今度にしてくれないかな?」
「……フンッ。そんなこと、もうとっくに諦めているわよ」
どうにか冷静さを取り戻したらしいニャルラトホテップは女性の声でシュグオランに語りかける。
ニャルラトホテップの冷静さに何かあると判断したシュグオランは手を止め、ニャルラトホテップに振り向く。
「ここのプロテクトはグレート・オールド・ワンの中でも最高レベルに設定されている。あなたがどんなに優れた者だとしても突破は無理よ」
「そうかい……なら、こうするしかないのか……!」
またしても懐に手を入れ、デバイスを取り出すシュグオラン。
対してニャルラトホテップも胸元のロケットを手に取り、杖を形成する。
シュグオランのデバイスはカトラスとなり、およそ尋常ではない速度でニャルラトホテップに接近した。
カトラスの一撃を杖で受け止められ、シュグオランは軽く舌打ちをした。
しかし、ここは狭い一室。
ニャルラトホテップの得意な空中戦はできない。
シュグオランは一度距離を取ると、デバイスに話しかける。
「アトラク=ナクア」
『ヴーアミタドレスフォ――――』
「させない!!」
完全に変形し終える前に、ニャルラトホテップの魔力弾が迫る。
しかし、シュグオランは笑っていた。
まるでこれが計算通りと言わんばかりの笑みを。
何事もなかったかのように魔力弾を避けるシュグオラン。
その後ろには――――ポットがあった。
魔力弾はバイアティスがいくら撃ってもビクともしなかったポットにヒビを入れ、やがては砕けた。
呆然とするニャルラトホテップをよそに、シュグオランは笑みを堪え切れないようだ。
「やっぱり思った通りだった。アレに触れて分かったよ。ポットを覆っていた魔力はキミのもの……だったら、同じ魔力ならば貫通すると踏んだが、まさにその通り!
さぁ、続けて撃ちなさい。今度は隣のポットをね!!」
まさかそんな仕掛けだったとは思わなかった、バイアティスは、ただ茫然としていたが、シュグオランはそんなバイアティスに指示を与えた。
「さぁ、そのクローンを殺すんだ。チャンスは今しかない」
「…………」
「止めなさい!!」
「キミは黙っていろ!」
再び始まる魔法を使用した決戦。
今度は直通弾ではなく、誘導弾を使用しての攻撃をするニャルラトホテップ。
シュグオランはそれをカトラスで斬りながらも接近し攻撃を繰り返す。
デバイスの変形を待ってくれない魔力弾の嵐の中で、シュグオランは接近戦に持ち込むしかない。
それを知っていて、ニャルラトホテップは魔力弾を放ち続ける。
「…………」
自分の手にあるのは銃。
これでまだ覚醒していない冬二のクローンの頭部を撃てば確実に殺せる。
だが、本当にいいのだろうか?
一時とはいえ、たしかに仲間だった。
自分は仲間を手にかけてしまうのか?
それでいいのだろうか?
本当に――――後悔しないか?
「…………」
悩みに悩んだ末、バイアティスは冬二のクローンを抱えて逃げた。
デバイスフォルム
ブリューナクフォルム
手首から先が外れ、外れた手首部分から柄が伸び、槍になる。槍の先端部は、五本の爪で構成されている。
あとがき
生まれたての風よ、私は帰ってきたぞォッ!! どうもシエンです。
いやあ、遅れに遅れて誠に申し訳ありません。
親知らずの激痛に耐えかね手術していたり、椎間板ヘルニアのせいで足が痺れていたり、バイト先で無茶なシフトを組まされていたりと……多々ありますが遅れました。
投稿小説掲示版にケイさんが書いたラジオ風小説にコメントという形でヴィンセントを使わせてもらいましたが――“有名な変態さん”として認識されていたんですか、あの人は?
最初に言い出したヤツは出てこい――抱きしめてやる(ぇ
話は変わりますが、……オリキャラ多すぎですね、すいません。
そして、完全な中二病です。
重ね重ねすいません。
では、また次回お会いしましょう。
追記――あまりにも迷惑メールが多いので、この度――また変えてしまってすいません――メルアドを変えました。
何かありましたら、新しい方にお願いいたします。
拍手はリョウさんの手によって分けれらています。
誰宛てに送ったのか、または作品名を明記して送ってくださると助かります。
宛先や作品名などが明記されていないと、どこに送っていいのかが分からなくなるそうです。
ご協力のほど、お願いいたします。
作者さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル、投稿小説感想板、