第十七話「夏風邪にご注意を」










…………。

……まあ。

たまにはいいか。











その日、秋人は風邪をひいた。

熱を計ってみると、三十八度三分。

身体もダルく、ガンガンと内側から叩かれているような頭痛にさいなまれ、終いには眩暈までする。

どれも立派な風邪の症状だ。

学校を休むわけにはいかないと気合で起きたが、すぐにヴィンセントのノーサインが出てしまい、ベッドに寝かされてしまう。

迎えに来た美由希に事情を説明する声が聞こえる中、秋人はケホケホと咳き込んだ。



「あー……」



喉も腫れているようで、その声は少し低い。

ただ黙って天井を眺めていると、天井にある黒い染みが広がっていくような幻覚が見えた。

その染みは部屋全体を包み込み、秋人をも呑み込む。

このまま存在そのものが消えてしまうような気がすると、控え目にドアがノックされ現実に引き戻される。

助かったと思った。

あのまま染みに呑みこまれてしまうと、おそらくだが帰っては来れなかっただろう。

ノックした人物……ヴィンセントに感謝をする。

だが、それはハズレだった。



「大丈夫……?」



ドアの隙間からおずおずと顔を覗かせたのは、高町美由希。

ヴィンセント(あたり)ではなく残念なような、それでいて嬉しいような感情が込み上げてくる。

美由希は静かに部屋に入り、ベッドへと近づき膝を折り座った。

心配そうな表情をしている美由希に対し、秋人は申し訳ない気持ちになる。



「熱はどれくらいあるの?」

「三十……八度三分……」



イガラっぽい喉で必死に声を出し答えると、また咳が出てくる。

その容体に、美由希は眉をへの字に曲げ困った表情をしていた。



「私も休んで、看病した方がいいかな?」



誰に言ったのか分からないような小さな声でそう呟く。

秋人は首を横に振った。

自分のせいで美由希まで巻き込むのは得策ではない。

それにもし、伝染(うつ)ってしまったら、それこそ本末転倒だ。

いくら規則正しい生活をし、身体を鍛えているからといって、伝染(うつ)る時は伝染(うつ)ってしまうのが風邪という病気だ。



「俺のことはいいから……学校行け」



出来るだけ心配させないようにと声を張り言ったが、それが返って心配させてしまったようだ。

秋人の真っ赤な顔を眺め、手を頬に当てる。

美由希の手は冷たく、熱に茹だった頬に気持ちがいい。

しかし、そのせいかは分からないがさらに頭がボーっとしてくる。

しばらくそうしていたが、美由希はおもむろに立ち上がり部屋を後にし、玄関が開かれる音がした。

ようやく学校に行ったかと思い、ため息を吐く。

だが、すぐにドアは開かれた。

美由希だ。

片手に氷枕、片手にタオルと洗面器を持っている。

なるほど、自宅に氷枕を取りに行っただけだったらしい。



「ちょっと頭上げてね」



その言葉に従い頭を上げると、枕の代わりに氷枕を敷く。

頭を下ろすとヒンヤリとした冷気が漂ってきて、冷やされた頭がクリアになっていく。

次に、洗面器に入っている水にタオルを浸し、額に乗せる。

それだけで随分と容体が変わったような気がしてくるから不思議だ。

此処までして、美由希は秋人と時計を交互に眺めているのに気が付いた。

ああ、と理解する。



「学校、行って来い」

「でも……」

「俺のことはいいから……。それに、ヴィンセントさんもいるから……大丈夫だよ」

「……うん」



秋人の説得に応じ、美由希は部屋を後にする。

だがやはり、後ろ髪が引かれるのか、何度も振り返りながら退室していった。

その後ろ姿を苦笑しながら見送ると、部屋には秋人一人となる。

シンと静まり返る部屋。

まるで世界には自分一人しか存在していないような錯覚に陥りそうになる。

耳に届く音は、自分の心臓の音と時計が時を刻む音のみ。

病気になって弱気になっているせいか、何だか無性に寂しく感じる。

そういえば昔、まだ夏樹が生きている時も風邪をひいたことがあった。

あの時は付きっきりで看病してもらい、普段仕事で忙しい母親を独占できたのが嬉しかったのを覚えている。

今となっては心配をかけただけだというのに、あの時は本当に嬉しかったのだ。

こうしていると、昔のことをよく思い出せた。

夏樹のこと、ヴィンセントに引き取られてからの生活。

そして、高町家との出会い。

警察の手から逃げる為に、単身日本へと逃亡したあの時。

久しぶりの日本だというのに、感傷も何も感じなかったのが印象的だ。

ヴィンセントが見つけてくれた借家へと移り住み少し経った時、ふと昔夏樹と一緒に住んでいた町のことを思い出し、電車を乗り継いで向かった。

街は変貌を遂げており、秋人の思い出の中とはまるで違い、虚しかった。

夏樹と二人で住んでいた安アパートにも向かったが、そこは既に売り払われており駐車場と化していた。

その場にしばらく佇んでいたが、しとしとと雨が降り出したので駅へと向かった。

駅へと向かうその道は、夏樹が亡くなった道だった。

そしてあの雨……思い出すには充分すぎた。

成長したことにより泣くのを我慢できたが、今の家の前へと辿り着いた時には涙が溢れていた。

もうあの頃のように、「ただいま」と言っても何も返ってこない冷たい家。

それが悲しくて、寂しくて、悔しくて……涙がボロボロと溢れ出て来る。

その時に出会ったのだ。

泣いている秋人の肩を叩き、優しく傘を差し向けてくれた女の子。

高町美由希。

見知らぬ女の子に泣いているところなど見せられないと意地を張り、涙を拭い強引に押し込めた。

美由希はずぶ濡れになった秋人の姿を見て、高町家へと招いてくれた。

いきなり娘が連れて来た男の子に桃子は驚いたが、愛しむように頭を拭いてくれたのを覚えている。

お風呂にも入れてくれ、服まで貸してくれた。

夕飯も御馳走してくれると言ってくれたが、秋人は断った。

何故断るのかを聞いてくる美由希たちに、秋人は自分の家は隣だと告げる。

席を立ち帰ろうとする秋人だったが、桃子に強引に席に戻されてしまう。

何度も帰ると言ったが、桃子は有無を言わせぬつもりなのか、箸を握らせてきた。

何度も何度も何度も箸をテーブルに置いたが、その都度箸を握らされ、終いには紐で固定されてしまう。

こうなったら秋人の負けは確定となってしまい、諦めて食事を開始した。

オカズを一品口に含むと、胸に温かなものが溢れて来た。

それは、忘却の彼方へと置いて来てしまった母の味。

味覚が蘇るように味が広がり、心にも広がる。

気が付いた時には、涙を零していた。

美由希たちは心配そうに秋人を見つめたが、当の秋人は必死で夕飯を掻き込んでいた。

一口食べるごとに母が蘇るような気がして、嬉しかったのだ。

数分もしない内にペロリと平らげるが、涙はいつまでも溢れていた。

泣きじゃくりながら「ごちそうさま」と言うと、桃子はニッコリと微笑みながら「お粗末様、美味しかった?」と言ってきたので、
何度も頷くと桃子は本当に嬉しそうに笑みを浮かべてくれた。

慣れない涙で泣き疲れたのか、その後数分もしない内に眠気に襲われ、秋人はテーブルに突っ伏してしまった。

その表情は、母に抱かれて眠る幼子のように安心しきった表情。

士郎に運ばれて客間に寝かされ、秋人は久々に母の夢を見た。

懐かしく、温かな夢を……。



「秋人君。起きているかい?」



ドアを少しノックし、ヴィンセントは秋人の部屋へと足を踏み入れる。

そして安心したような表情をした。



「なんだ。眠っちゃったのか」



風邪で苦しんでいると思ったが、その表情は幸せそうな顔だった。

ついヴィンセントまでも頬が綻んでしまう。

ベッドに近寄り額のタオルを水に濡らし元に戻すと、部屋を後にした。

財布を手に取り、玄関を後にする。

玄関のドアがしまる音で、秋人は目を覚ました。



「寝てたのか……」



時計を確認すると、先程より四つも短針が進んでいる。

眠って汗を流したお陰か、先ほどよりも体調がよくなっている。

だが、今度は汗のせいで気持ちが悪い。

身体を拭く為に風呂場へ行こうと階段を降りると、来客を告げるチャイムが鳴った。

気だるげに頭を掻き、面倒なので居留守を使うことにする。

しかし、秋人が開けてもいないのにもかかわらず、ドアは自分から開かれる。

相沢家の鍵を持っている人物は、ヴィンセントを除くと高町家の人間のみ。

と、いうことは……。



「あら秋人君。起きても大丈夫なの?」



桃子は秋人の姿を見つけると、微笑んだ。

なぜ桃子が? と考えると、美由希が教えたという結論に到る。

おそらく朝、氷枕を取りに戻った時に伝えたのだろう。

桃子は靴を脱ぐとリビングへと向かったので、秋人もそれに続く。

手に持ったビニール袋をキッチンのテーブルの上に置くと、手の平を秋人の額に当て、自分の額にも当てる。



「熱はまだあるみたいね。駄目じゃない寝てなくちゃ」

「いや、汗が気持ち悪くて……着替えようかと」

「そうね。汗を掻いたままだと、悪化するかもしれないし……」



そう言うと桃子は脱衣所へ行き、タオルを持ってきた。

それをお湯で濡らすと、



「拭いてあげるから、パジャマ脱ぎなさい」



さすがに恥ずかしいので首を振るが、桃子は有無を言わせぬ勢いでパジャマを脱がしにかかる。

抵抗を試みたが、風邪で体力が落ちている今の秋人では微々たる効果もない。

あっという間に上半身が裸にされてしまい、汗で濡れた身体に空気が冷たく、少し身震いする。

桃子は秋人を椅子に座らせると、そっとタオル背中に当て、まるで実の子供にするようにゆっくりと、優しく拭く。

それが心地よく、くすぐったくて苦笑する。

だってそうだろう?

血の繋がらぬ桃子が……母に思えたのだから。



「はい。腕を上げてね」



脇も丁寧に拭かれ、いくぶんサッパリとする。

だが、桃子の手が下に行くにつれ、秋人の表情は強張る。



「あの、もういいですから」

「でも、ちゃんと拭かないと気持ち悪いでしょう? 遠慮しないの」

「遠慮じゃなくて……とにかくもういいですから!」



タオルをひったくり、脱衣所に向う。

下半身を拭かれるのは、気心の知れた桃子でもさすがに恥ずかしいからだ。

さっと自分で拭き、パジャマを着替えリビングへ戻ると、桃子は台所で何かを作っていた。

鍋に炊飯器にあまっていたご飯を入れ、水を入れさっと混ぜ火にかける。

鼻歌を歌いながら鍋を見つめているその姿に、母を重ねてしまった。

鍋を火から外す前に溶いた卵を箸に伝わせフタをし、一呼吸おいてから火を止めた。

振り向き、秋人に微笑みかける。



「卵かゆ作ったから、食べなさい」



椅子に座ると、桃子は対面に座った。



「よく冷ましてから食べなさいね。火傷しちゃうから」



そこまで子供扱いしなくてもいいじゃないか。

そうは思うが、言われたとおり息を吹きかけよく冷ましてから口に含む。



「どう? 美味しい?」



風邪で舌が若干鈍っているが、美味しいと思えた。

頷くと、桃子は嬉しそうに微笑みかけてくれた。

素朴な味付けなのに、心に染み込む味。

そして何より……温かい。

それが嬉しく、頬張り続け、すぐに空っぽになってしまった。



「ごちそうさま。美味しかったです」

「そう、よかったわ。じゃあ、そろそろベッドに戻りなさい。私は片付けたら帰るから」

「あっ、片付けくらいなら俺が」

「いいから、寝てなさい。こういう時くらい、男は甘えるものなの。ね?」

「は、はぁ……分かりました。おやすみなさい」

「うん。おやすみなさい。何かあったらすぐに呼ぶのよ? 翠屋にいるけど、すぐに来るわ」



桃子に一礼をしてから二階へと上がり、ベッドにもぐり込む。

腹が膨れたせいか、眠気はすぐにやってきた。

目を閉じ、睡魔に身を委ねる。




















「……ん?」



玄関の扉が開く音がし、秋人は目を覚ました。

ヴィンセントが帰ってきたのだろうと思い時計を確認すると、先ほどよりあまり時は過ぎていないようだ。

控えめにドアがノックされ、静かに扉が開いた。



「何や、起きてたんか。身体は大丈夫?」

「はやて……?」



シグナムにおんぶされる形で部屋に入ってきたのは、八神はやて。

秋人の顔色が思っていたよりいいことに安心したのか、ホッとした表情をした。

それにしても、どうやってここへ来たのだろう?

風邪をひいたということは、ヴィンセントが教えたからだとしても、玄関には鍵が掛かっていたはずである。

桃子が締め忘れたのだろうか?

秋人の疑問に気がついたのか、はやてはポケットからある物を取り出す。



「ヴィンセントさんに貰ったんや。いつでも入れるようにって」



まったくあの人は……とは思うものの、少し気がきくと思ったのも事実。

いつの間に合鍵を作ったのかは後で問いただすとしよう。

シグナムははやての命を聞き、秋人に近づく。

はやては手を伸ばし、秋人の額に触れ、自分の額にも手合せ安心した表情をした。



「うん。熱はそないに高くないみたいやな。でも、一応計ってみて」



ベッドの傍に置いてあった体温計を手に取り、秋人に手渡す。

それを受け取り脇に挟み、しばらく待つと、アラームが鳴った。

デジタル表示を見ると、三十七度五分、微熱に下がってた。



「ヴィンセントさんに聞いたのよりは下がっているみたいやな。この調子や。あっ、ごはん食べた? 食べたくないっていっても、食べなアカンで?」

「昼は、桃子さんに作ってもらった。大丈夫、ちゃんと食べたよ」




その言葉を聞き、はやては「遅かったか」と悔しそうに言った。

気になり訊ねてみると、はやては苦笑いをしながら、



「シャマルがな、どうしてもおかゆを作るって聞かなくて。それで今まで練習してたんや。それで今……」

「作っているのか……」



不安そうな秋人に、はやては慌てて言葉を付け足した。



「で、でも、大丈夫やで? 人が食べても大丈夫(・・・・・・・・・)なレベルやから」

「それが一番不安なんだが……」



シャマルの料理の腕は、秋人も知っている。

この間の料理以降、何度か食べたのだが、その腕は一向に上達していない。

胸に一抹の不安が集う。

風邪で体温が上がっているからか、それとも恐怖によってか……汗が一筋流れる。

はやては真剣な表情で、不安げな秋人に話しかけてきた。



「でも、食べてあげてな? シャマルが一生懸命作るんやから」

「それは……分かってる。まあ、死にはしないだろう。……寝込むことにはなるかも知れんが」

「その時は、わたしらが看病したるから安心しい!」

「嬉しくないなぁ……」



はやての曖昧な笑い声が響く中、ドアが乱暴にノックされる。

このノックの仕方はヴィータだろう。

適当に答えると、ドアが開かれ、予測通りヴィータがいた。

その後ろに、土鍋(きょうふ)を持ったシャマルも……。

シャマルは土鍋を持ったまま近づき、ベッドの傍に座る。



「おかゆを作ってきました。辛いでしょうけど、起きてくれますか?」

「嫌だと言ったら……?」



シャマルは含み笑いを見せ、無邪気な顔をし、



「私が口移しで食べさせてあげます」

「起きます」



即答だった。

目論見通りだったのだろうが、策士は軽く落ち込んでいた。



「うぅ……複雑です」

「いや、お前が言わせたんだろうが」

「けど、そういう時は嘘でも『ああ、そうしてくれ。シャマル、俺は嬉しいぜ。ああ、この想いをどう伝えたらいいのだろうか……』って言うものでしょう?」



シャマルは楽しそうにそう言った。

声まで変える器用さだ。

その器用さを、ぜひ料理の腕に反映してもらいたい。

……それは酷というものだが。



「もういいから。さっさとレンゲ寄こせ」

「食べさせてあげましょうか?」

「断る」

「ふふっ。照れているんですね。いやですよ、もう」



しなを作りながら、レンゲを渡された。

これで不味かったら、殴ってやると心に誓う。

おかゆをすくい、冷ましてから口に含む。

もぐもぐと咀嚼している間、シャマルは不安そうな表情で見つめていた。

ごくん、と飲み込む。



「ど、どうですか?」



秋人はシャマルを睨みつけ……笑みを浮かべた。

その笑みを見た瞬間、シャマルの表情は華やぐ。

本当に嬉しそうだ。

秋人は次々とおかゆを口に運び、あっという間に空っぽになってしまった。



「ごちそうさま。美味かったぞ。それなりにな」



最後のは照れ隠しだろう。

シャマルは嬉しそうに食器をシンクに置きに行った。

その足取りは羽のように軽やかだ。

バタン……とドアが閉まると、秋人はベッドに突っ伏した。



「はぁはぁはぁ……っ、くはぁ……」



額には油汗が浮かび、口を手で押さえ、何とも苦しそうだ。

そんな秋人の背中を、はやては優しくさする。



「我慢しとったんやなぁ。でも……ありがとうな」



はやてはすまなそうに、それでいて嬉しそうに話しかけてきた。



「シャマルな。アレで本当に一生懸命頑張ったんやで。風邪をひいて苦しんでいる秋人に、美味しいおかゆを作るんやって」

「……ああ、それは伝わった。美味かったのは、本当だ。味付けはともかくな」

「あはは……でも、もう一つ教えたことはマスターしたで?」

「もう一つ?」

「うん! 楽しみにしててな。もうすぐやから」



はやては楽しそうに笑う。

その表情から見て、安心していていいようだ。

と、またドアが開かれる。



「お待たせしましたー。デザートですよ」



シャマルが手に持っているのは、楊枝が刺さったリンゴ。

所々歪だが、ちゃんと塩水に浸けていたのか、変色はしていない。

それを一つ手に取り、秋人に手渡す。



「美味しいリンゴですから、食べてくださいね」

「ああ、いただくよ」



歯を当てると、シャリっといういい音が鳴る。

塩によって引き出されたリンゴの甘みが口いっぱいに広がり、ついでリンゴの仄かな香りが鼻を通り抜ける。

飲み込むと、自然と次を口に含んでいた。

その光景を眺め、シャマルは嬉しそうに微笑んだ。

その笑みが照れくさく、秋人はみんなにも食べるよう勧めた。

まずヴィータが手に取り、かぶり付く。

次にはやてとシグナム。

はやてを除いた二人は驚きを隠せないようで、驚嘆しながらシャマルを褒めた。

照れくさいようで、シャマルは頬を掻く。

秋人とはやては視線を合せ、ぐっと親指を立て、笑いあった。






その後、眠りすぎて眠ることができない秋人の話し相手にはやてたちはなり、時刻は六時過ぎ。

そろそろ来る頃だろう。

秋人がそう思ったその時チャイムが鳴り、玄関が開かれる。

トタトタと階段を上る足音が聞こえ、ドアがノックされる。

部屋の中を覗き込んだ人物は、美由希だ。

秋人が元気なことに安心のため息を吐き、部屋に入ってくる。



「もう、起きて大丈夫なの?」

「ああ。さっき熱計ったら、もう平熱だった。明日から学校行けるぞ」



美由希は小さな声で「よかった」と呟く。

心底心配していたらしい。

この調子では、学校でも心配して勉強が手に付かなかったに違いない。

そう考えると、自然と苦笑していた。

秋人が笑っていることが気に食わないのか、美由希は頬を膨らませた。

だが、はやてたちがいることに気がついたのか、慌てて挨拶をする。



「はやてちゃんたち、こんばんは」

「美由希さん。こんばんは」

「あの靴、はやてちゃんたちだったんだ」

「うん。ヴィンセントさんに、秋人が風邪ひいたって聞いて飛んできたんや」



そう言われて、やっと気がついた。

ヴィンセントがいないことに。



「秋ちゃん。ヴィンセントさんは?」

「そういえばまだ帰ってきてないな。どうしたんだろう?」




その疑問に、ヴィータが呆れ顔で答えた。



「あのおっさんなら、ザフィーラと一緒に出かけていったぞ。山にハイキングしに行くんだってさ」



その場に誰かのため息が響いた。

もしかしたら、はやてたちに秋人のことを伝えたのは、自分が遊ぶためなのかもしれない。

そう考えると、なんだか無性に腹が立ってきた。

だがそれでは、構ってもらいたい子供のようだと感じ、口には出さず、飲み込む。

その場の空気の悪さに気まずくなった美由希は、明るい声で言った。



「そ、そうだ! 夕飯まだだよね? 作ってあげるよ」



その申し出大変ありがたい。

だが……。



「あー……ごめん。さっきはやてに作ってもらった」

「そうなんだ……じゃあ、身体拭いてあげるよ」

「それはシャマルが……」

「じゃあ、洗濯!」

「シグナムとヴィータが……」

「じゃあ、私は何をすればいいの!?」

「知るかっ」



美由希はやることがないことに落胆し、その場に膝をついた。

何かをブツブツ呟いてまでいる。

さすがに可哀想になり、声をかける。



「そんなに落ち込むな。俺は、お前が何もしてくれなくても、傍にいてくれるだけでありがたいからさ。……っ」



言ってから気がついた。

これではまるで告白ではないか。

慌てて付け加える。



「暇にならないからいいという意味だからな? 勘違いするんじゃないぞ?」



どう受け取ったのかは分からないが、美由希は満面の笑顔で頷く。

その笑みに、秋人の胸で何かがざわめいた。

顔が火照るのが分かり、照れ隠しに大声で言う。



「さ、さあ! 夜も遅いんだから、お前らもう帰れ」

「でも……」

「なあ……?」



はやてと美由希は顔を合せ、困惑した表情をする。



「デモもムービーもない! いいから帰れ」



その必死の言葉に、今まで黙っていたシグナムがはやてに進言する。



「主。相沢の言う通りにしましょう。話し疲れたのでしょうから」

「そう……やね。ごめんな、無理言ってもうて」

「い、いや……別に」

「でも、調子が悪うなったら言うんやで? 夜中でも電話してきて大丈夫やから」

「ああ……ありがとう」

「うん。ほなな。美由希さんもまたな」



はやてたちはその場を後にし、残されたのは秋人と美由希のみとなる。

美由希は何も言わず、ただ黙っているのみ。

秋人が声をかけようとしたら、急に立ち上がり、



「じゃあ、私も帰るね」

「あ、ああ……」

「ちゃんと寝ていないと駄目だよ? じゃあね」



去り際に見た美由希の頬が、ほんのりと赤かったのは気のせいだろうか?

部屋には秋人一人となり、とても静かだ。

今まで人が沢山いたことにより、急に一人となると寂しいものがある。



「……今まで独りだったくせに。なに感傷的になっているんだか……」



ベッドに横たわり、天井を見上げる。

天井の染みが見えるが、それは朝のように大きくはならなかった。

それはなぜか? と考えると、答えは自ずと分かった。

独りじゃないから。

風邪をひけば、お見舞いに来てくれるような大切な仲間がいるから……だからだ。

苦笑する。

今日の俺はおかしいようだ。

なにせ、こんなにもアイツらのことを考えるのだから……。

今まで人のことなど考えたことがなかったが、今ならば考えることができる。

いや、『これからは』だろう。

そう、仲間が傍にいる限り、ずっと
――――



「ただいま〜」



やかましい声が聞こえてきた。

ヴィンセントが帰宅したようだ。

秋人は身体を起こし、一階へと移動する。

そこには土塗れでドロドロの格好をしたヴィンセントとザフィーラがいた。



「おや? 起きてきて大丈夫なのかい?」

「大丈夫です。ええ大丈夫ですとも。アンタがいない間に美由希やはやて、桃子さんが看病してくれましたから」



明らかに棘のある物言いに、ヴィンセントは首を傾げる。



「どうかしたのかい? えらく機嫌が悪いみたいだけど……?」

「なんでもありません! アンタには関係ないっ」

「そ、そうかい? ああ、そうだ。これを君に」



ヴィンセントが差し出したのは、それまた土に塗れた透明な袋だった。

透けて見えるのは、その辺に生えていそうな雑草。

おちょくっているのだろうか?

頭にきて、その袋を手で払った。



「ああ! なにをするんだい!?」

「アンタ……こんなものを採るために出かけて行ったのか?」

「うん、そうだよ」

「フザケルなっ!」



普段ヴィンセントを咎めるような声とは違う、明らかな怒りの声。

その怒声にヴィンセントは茫然とした表情をし、悲しみに濡れた顔で床に落ちた袋を拾った。

小さな声で「ごめん」と言い、秋人の横を通り抜ける。



「……くそっ」



まだ怒りが収まらないのか、壁を殴りつける。

力任せに殴ったため、拳が痛い。

その痛みがさらに怒りを呼び寄せる。

もう一度殴ろうかと思い腕を引くと、誰かに腕を掴まれた。

振り向くと、そこには人間形態になったザフィーラがいた。

そして……秋人の頬を殴りつけた。

その勢いで吹き飛び、床に叩きつけられる。

いきなり何をするんだと、仕返ししようとしたところ、ザフィーラは静かに口を開いた。



「あの草は、病に効く薬草だ」



表面上は穏やかだが、その声には怒りが含まれていた。



「お前のためにヴィンセント自ら山に入り、探し出したのだ。それをお前は……」

「…………」

「ヴィンセントは地面に這いつくばりながらあの薬草を探し出した。お前の病が早く治るようにと、必死でな」

「だって……」

「言い訳はするな。なんと言おうとも、お前はヴィンセントの真心を踏みにじったのだ」



何も言えない。

言えるわけがない。

あのヴィンセントが、自分のために必死になって探してくれたのに、それを拒否してしまった。

身体中の力が抜け、放心してしまう。

そんな秋人に、ザフィーラはため息を吐き、



「後悔しているのならば、行動しろ。そして二度と繰り返すな」



そう言い残し、ザフィーラは相沢家を後にした。

玄関に座り込み、ザフィーラの言葉を反芻する。



――――後悔しているのならば、行動しろ。そして二度と繰り返すな。



秋人はゆっくりと立ち上がり、リビングへと足を向ける。

ソファにぐったりと座っているヴィンセントに近づき、頭を下げる。

先ほどのやり取りが聞こえていたのだろう。

ヴィンセントは秋人をジッと見つめている。



「……ごめんなさい」

「いや、私が悪いのさ。何も言わずに出て行った私がね」

「ごめんなさい……」

「だから気にしないでいいよ」

「ごめん、なさい……」

「秋人君……?」

「ごめん……なさい……」



秋人は泣きながら謝っていた。

自らが犯した過ちを恥じるように、ヴィンセントの真心に感謝するように。



「……もう大丈夫だと思うけど。一応、薬草呑むかい?」

「はい……!」



その言葉にヴィンセントは軽く微笑み、薬草をお茶にして出してくれた。

苦く、とてもではないが美味しくはなかった。

だが、それは今日口に入れた何よりも美味しく感じた。



「さあ、呑んだら寝なさい。明日は元気になっているだろうから」

「はい。おやすみなさい」

「うん。おやすみ」




















翌日。



「ゲホゲホッ。風邪ひいたー。死ぬー」



秋人の風邪が伝染(うつ)ったのか、それとも薬草を採るために山へ行き、汗を掻いたのがいけなかったのかは分からないが、今度はヴィンセントが倒れた。

秋人は苦笑しながら看病をし、眠ったところで八神家へと出かけた。

はやてたちにヴィンセントが風邪をひいたことを伝え、ザフィーラと共に出かける。

ヴィータがどこへ行くのかと訊ねてくるので、笑顔で
――――



「山へハイキングに」




















 あとがき

最近スランプです、どうもシエンです。

いやー、筆が乗らないこと乗らないこと……もうビックリです。

スランプ解消の為と言ってはなんですが今、神に挑む者の外伝を書いています。

そのタイトルは……魔法少女リリカルなのは 神に挑む者 「ヴィンセント(・・・・・・)の華麗なる一日」です。

……馬鹿か私は。

でもですね? 不思議なことに筆が進むんですよ。

一日でメモ帳で十Kbなんてできましたし……何ででしょうねぇ(遠い目)

それでは、また次回お会いしましょう。






拍手返信

※シエンさんへ
面白いです!個人的にははやてより美由希とくっついてもらいたいなあとか思ってます。

>ありがとうございます! そのお言葉だけでスランプが吹き飛びそうです。
はやてより美由希ですか……チャットでも『はやてより美由希とくっついた方が秋人格好いい』と言われました(汗)
とらハ3では、美由希が一番大好きです。
リリなのでは、はやてが一番大好きなんです。
どうすればいいんだ!?


作者さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板
に下さると嬉しいです。