第十話「異邦人」
第十話「異邦人」
その人は唐突に俺の前へと現れた。
笑みを携えて。
嘘を孕んで。
再び俺の前へ――――
「痛い……」
秋人は頬を抑え、この痛みを作った人物に向かい呟く。
「当たり前だ。痛いようにしたのだからな」
シグナムはふん、と鼻を鳴らした。
「……不可抗力なのに」
「何か言ったか?」
射抜くような眼光で睨まれ、言いようのない恐怖を感じた。
秋人はシグナムの視線から逃げるように顔を逸らす。
「……別に」
「ならばいい」
そう言うとシグナムはベッドから立ち上がり部屋を出て行った。
頬がじんじんと痛む。
叩かれるようなことはしたかもしれない。
何せシグナムに抱きついていたのだから。
あの後再び眠りについたのだが、今度は秋人がシャマルのように抱きついてしまったのだ。
眠りから覚めたシグナムはそのことに激怒し、眠っている秋人を叩き起こした。
寝ぼけていたせいもあるのだろう。
秋人はさらにシグナムに抱きついてしまった。
流石に堪忍袋の緒が切れたシグナムは頬に苛烈なるビンタを喰らわせた。
頬は真っ赤になり、手形がくっきりと残っている。
ため息を吐く。
酒が残っているせいか頭が痛い。
それに頬も痛い。
最後に心も痛い。
最悪の朝だ。
「どうしました〜?」
元凶が目を覚ました。
目を擦りとても眠そうだ。
そんなシャマルに振り返り、とてもいい笑顔で、
「おはよう、シャマル」
その表情のまま、
「そしておやすみ、シャマル」
ゲンコツを頭に喰らわしてやった。
それも全力で。
朝の一騒動を終え、秋人達は高町家へと来ていた。
朝食に誘われたのだ。
「はやて、昨日はよく眠れたか?」
「うん。昨日はなのはちゃんと一緒のベッドで寝たんや。とても楽しかったわ」
「そうか、それはよかった。……で、アレは何だ?」
秋人が指差した場には赤いものがうずくまっていた。
もぞもぞと緩慢に動き、時折ピクピクと痙攣している。
はやては乾いた笑みを見せ、眼を背けた。
秋人は赤い物体に近づき、声をかける。
耳元で、大声で。
「どうかしたか、ヴィータ!?」
声をかけられたヴィータは頭を抱え、抗議の視線で秋人の睨む。
何か言いたそうだが、それどころではないらしい。
顔も青く、完全な二日酔いだ。
昨日あれほど呑んだのだ、当たり前だろう。
秋人は意地の悪い笑みを浮かべ、次はどうするかと考える。
だが美由希に耳を引っ張られ、やむなく楽しい悪戯の時間は終了を迎える。
ヴィータはホッとしたような表情をした後、再び頭を抱えた。
流石に可哀想になった秋人はヴィータの為に水を汲み、渡してやった。
それを受け取ると、力なくちびちびと飲む。
全て飲み干すと、心なしか顔色がよくなったような気がした。
はやてに促され、ヴィータは渋々と言った表情で礼を言う。
いつもの気概はどこへやら。
思わず苦笑してしまう。
その笑みを見たヴィータは口を尖らせ、むくれてしまった。
それにまた苦笑する。
このままでは永遠にこの繰り返しになると判断した恭也が二人の間に入る。
「秋人、いい加減にしろ。ヴィータさんが困っている」
「いやさ、コイツ面白くて。それにいつもと違い過ぎるんだもん」
そう言うとケラケラと笑う。
恭也はため息を吐くと秋人をいさめた。
だが、その表情は少し嬉しそうだった。
いつも憮然としていた秋人のこういう表情を見れて嬉しいのだろう。
周りを見ると士郎と桃子も笑っていた。
それに気付いた秋人は顔を赤くし、照れ隠しに頬を軽く掻いた。
「秋ちゃんは気に入った相手には、平気で悪戯するからね〜」
「ホンマですか?」
「うん。私もよくやられたよ」
「意外やなぁ。悪戯っ子やなんて」
美由希はクスクスと笑う。
「でも、相手が本当に迷惑とかって感じるとすぐやめるの。可愛いよね〜」
そう言うと、美由希は秋人の頬をツンツンと指で突く。
振り払おうかと思ったが、どうせ逆効果だと感じそのまま放っておく。
だが、なおも突いてくるので足払いをしてやり転ばす。
美由希は小さく「きゃっ!?」と言いすっ転んだ。
盛大に尻もちを着き、恨めしそうに此方を睨んでいる。
それを見届け、鼻を鳴らしながら椅子に座った。
秋人が席に着いたことを確認すると桃子は料理を運び始めた。
トーストやスクランブルエッグといった洋食が並ぶ。
それらは温かい湯気を昇らせており、すきっ腹を刺激する。
どこからか『くぅ〜』と、可愛らしい腹の音が聞こえてきた。
音に視線を移すと、はやてが恥ずかしそうに俯いていた。
音の犯人ははやてらしい。
秋人が苦笑するとはやては苦し紛れに言い訳した。
「だ、だって、誰かが朝ご飯作ってくれるなんて今までなかったんやもん!」
頬を真っ赤にしながらそう言うはやて。
その言葉に嘘はない。
恥ずかしそうに、だが本当に嬉しそうにそう言ったからだ。
桃子は微笑みながらはやてに近づき、満面の笑みで言う。
「はやてちゃんが良かったらまた食べにくる?」
「ええんですか!? あ、でも……」
そこまで言うと急に口を紡いでしまうはやて。
その表情は何所か悲しい印象を高町家に与えた。
「遠慮をする必要はないですよ。自分の家だと思って下さって構いませんので」
「そうだよ。遠慮することはないよ?」
「でも……」
恭也、美由希の言葉を聞いてもはやての態度は頑なだった。
今まで黙っていたなのはだがはやての態度を見て、聞きたくはないが今聞くことがはやての為だろうことを聞くことにした。
「はやてちゃんは、私達のことが嫌い?」
「――――! そ、そんなことないよ! わたしは皆のこと大好きやでっ!?」
その言葉を聞き、なのはは胸をなで下ろし笑みを見せた。
ついその笑みに見とれるはやて。
なのはは口を開く。
「じゃあ、また来てくれるよね?」
「え? あ、う、うん。……あれ?」
ぱぁ、っとなのはの表情は華やぐ。
まるで天使の笑みを見ているようだ、とはやては感じた。
はやての言葉を聞いた桃子は「次は何を作ろうかしら」と今から大張りきりである。
美由希も嬉しそうだ。
士郎、恭也も静かにだが喜んでいた。
切りがいいと判断した秋人は皆に告げる。
「なぁ、俺腹減ってるんだけど、そろそろ食べていいか?」
その言葉を聞いたその場の全員はそろって苦笑した。
朝食が終わり、秋人は学校がある為はやて達とは此処でお別れである。
送ろうかと思ったが今はあの時とは違う。
シグナム達、守護騎士が居る。
ならば、何も心配する必要はない。
今まで見てきたが、彼女たちは本当にはやてのことを大事に扱っている。
おかしな間違いはないだろう。
家の前で二手に分かれ、学校へと向かう秋人。
その背でははやてとシャマルが手を振っていた。
秋人は微かに笑みを見せた。
(今日は、いい日だ)
そう感じながら路地を曲がる。
するとそこには、
「やっ。今登校かい?」
四季がアイスキャンディー片手に立っていた。
四季の持つ真っ赤なアイスキャンディーは、危険な薔薇のように真紅だった。
それをペロペロと美味しそうに舐める四季。
その四季に対し、秋人は冷たく言い放つ。
「何か用か? 俺はお前に用はない。退け」
四季は大げさに肩を竦ませがっかりとする。
落胆という表現がぴったりの表情だ。
アイスキャンディーを秋人につきつけ話しだす。
「僕は用があるんだ。どう? 最近は?」
「どうもこうも変わらないさ。いいからそこを退け」
隣を通ろうとするが、四季は通せんぼをするように片手を秋人の前へ差し出す。
四季の顔を見ると、笑みを浮かべていた。
子供のような純真な笑みを。
「少しくらいいいじゃない。これあげるからさ」
四季が取り出したのはアイスキャンディー。
四季とが食べているのと同じ、真っ赤な薔薇だ。
それを一瞥し首を振る。
「ふむ、警戒されているねぇ。当然だけどさ」
そう言いながらクツクツと笑う。
秋人は思った。
子供のようだと。
子供のように裏表がない。
だから、このような表情が出来るのだ。
子供のように純真な笑み。
その笑みは何を孕んでいるのか分からない。
「それで? 今日は何の用だ?」
四季は最初ポカンとしていたが、やがて「ああ」と頷いた。
「まさか、忘れていたのか?」
「うん。君に逢えたことが嬉しくて、ついね」
「そんなことはどうでもいい。何の用だ?」
四季は舐めていたアイスキャンディーを口から外し、くるくると回す。
「学校って、さ」
「うん?」
「楽しい?」
「楽しいも何も、勉強する場だからな。楽しくはないだろう」
「じゃあ、何で毎日行くの?」
「それは……」
「義務教育じゃないよね? 高校だもんね? 何でさ?」
「…………」
考えたことがなかった。
高校は義務教育ではない。
ならば無理に行くこともないのではないか?
金銭的にも厳しいのに、何故行くのだろう?
「分からない?」
「……ああ」
「そっか。僕も分からない」
そう言い再びアイスキャンディーを咥える。
美味しそうに、ペロペロと。
ゴクリ、と咽喉が鳴るのを覚える。
それを見た四季は歪に笑うと、ガリッ、とアイスキャンディーを噛み砕き、それを飲み干した。
何故だろう?
今の四季の瞳は似ていた気がする。
秋人の瞳に。
「――――ふぅ。食べ終わっちゃった。もう時間かな? じゃあ、またね」
「あ、ああ……」
四季はそう言うと背を向け歩き出した。
そして立ち止まり、此方を見据える。
「今度は、一緒に食べようね?」
何故だろう?
顔が同じだからだろうか?
もう一人の自分を見ているような気分になるのは。
子供が親に懇願するような表情に見えるのは。
「返事はなし、か。当然だよね。フフフ……」
そう言いながら、四季は消えていった。
「…………」
悲しそうな背中は、秋人だった。
子供
友達が居らず、親も居ない孤独の背中。
それを、何も言えずに見送った秋人は卑怯なのだろうか?
同じ背中を持つ者同士、何かを話せばよかったのだろうか?
分からない。
今の秋人には……。
チャイムが鳴る。
もう学校は終了のようだ。
靴を履き換えた秋人は、一応教室に顔を出すことにした。
「あっ! 秋ちゃん、遅い! ……何か遭ったの?」
最初は怒っていたくせに、秋人の表情を見るなり心配そうな顔をする。
全く、本当に人がいい奴だ。
秋人は苦笑する。
その笑みを見た美由希は首を傾げた。
「何でもないさ。ただ、サボりたくなっただけだよ」
そう言う秋人の表情は精彩さに欠けていた。
本当は悩んでいた。
学校に行く必要が本当にあるのだろうかと。
「秋ちゃん、顔色が悪いよ? 大丈夫?」
美由希はそう言うと顔を近づけてきた。
秋人は美由希を突き飛ばす格好で身体から離す。
「秋ちゃん……?」
「あ……すまない。何でもないんだ、本当に」
そう言うと微笑むを見せる。
力なく、弱々しい笑みを。
そんな秋人の腕をとり、美由希は言った。
「帰ろう? 体調が悪いのかもしれないから」
力なく頷き、秋人達はその場を後にした。
他愛ない話。
昨日の話。
そんなことを話しながら帰ったが、ほとんど覚えていない。
言葉は空を切り、風に散って消えていった。
空返事を返す秋人に何度も話しかけるが、返ってくる答えは全て同じ。
美由希はため息を吐いた。
どうしたんだろう?
昨日はこんな調子じゃなかった。
今日の朝もだ。
ならば、登校中に何か遭ったのだろうか?
秋人にとって何か悪いことが。
何度も聞こうとしたが、秋人の雰囲気がそうさせてくれない。
秋人は空をボーと眺めている。
何かを考えるように、遠くを。
何も映していないような瞳の秋人に、美由希は何も聞けない。
そんなことを考えている間に家についてしまった。
「じゃあな」と別れを告げる秋人。
だが、心配になり付いていく。
高々一軒隣なだけだが、今の秋人は見ていて危なっかしい。
「何でだ? お前は家に帰れよ」
「いいの。私が付いていきたいの!」
「? おかしな奴」
何とでも言えばいい。
私は決めたのだ。
脚がなくなったとしても付いて行ってやる。
玄関を開けリビングへと足を向ける。
不意に秋人の脚が止まった。
どうしたの? と声をかけようとすると、秋人は踵を返し外へと出て行ってしまった。
おかしいと感じ秋人が見たであろう景色を眺める。
「やぁ」
知らない人が居た。
ひょうきんなドクロの仮面を頭の横に付けた外国人だ。
慌てて秋人を追いかける。
「俺の家、だよな……?」
秋人は表札を何度も確認していた。
声をかける。
「秋ちゃん、あの人って……誰?」
しかし、求めた答えは返ってこず、ブツブツと何かを呟く秋人。
一つ頷くと秋人はまた家の中へと足を向けた。
美由希もその後ろに続く。
だが、景色は変わることがなかった。
ドクロの仮面が美味しそうに紅茶を飲んでいる。
美由希は叫ぶ。
「だ、誰ですか!? 警察を呼びますよ!」
ドクロの仮面は首を傾げる。
私はおかしなことを言っただろうか?
いや、おかしいのはこの人の方だ。
私は正常だ。
と、自分に言い聞かせる。
「秋ちゃん! 早く警察に!」
だが、秋人は呆然とドクロの仮面を眺めている。
何度呼びかけようとも、揺すろうとも、秋人は動かない。
しかし、やがてポツリと呟いた。
「ヴィンセントさん……?」
ヴィンセント?
何故、その名前が此処で出てくるのだ?
その人は確かまだ外国に居るはず……。
ドクロの仮面は満足そうに頷く。
マイ・スイートボーイ
「やぁ、愛しい 弟子」
おかしい。
私が正常な筈なのに、異端のような気がする。
ああ、神様。
居ても居なくても構いません。
私の言葉をお聞きください。
世界は終わったのですか?
あとがき
鬼丸さんと逢いました、どうもシエンです。
先日、とある場所へ行くとチャット内で話したところ、鬼丸さんも近くなどで会おうということになり、逢いました。
五時間ほど遊びまして、楽しかったです。
ではまた次回。
作者さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル、投稿小説感想板、