私の一日は、一杯の熱いコーヒーから始まる。

そして新聞のチェック。

社会人として、これは肝心だね。

こらそこ! 『社会人じゃなくてニートだろ』とか言わない!

これでも一応働いているんだよ?

……今は休業中だけどね。

まぁ、それは置いておこう。

それでは、私の華麗なる一日をご覧あれ!!










魔法少女リリカルなのは 神に挑む者外伝



「ヴィンセントの華麗なる一日」











朝日が登ろうかという時間。

まだ薄暗い中、ヴィンセントはベッド代わりにしているソファから起き上がった。

カーテンを閉めているため真っ暗だが、そこは暗殺者、夜目は効く方なのだ。

まっすぐに窓の方へと歩き、カーテンを勢いよく開ける。

今まさに太陽が昇ろうとしている瞬間だ。

朝日を浴びながら窓を開け放ち、大声で叫ぶ。



「世界のみなさんのおはよう! 私は今日も元気ですっ!」



窓を閉めると、「うるせえ! いま何時だと思ってんだ!!」などという怒声が聞こえるが、それはスルーし洗面所へ。

長い髪を首の後ろでまとめ上げ、顔を洗う。

水が滴る顔にタオルを当て拭き、鏡に自らを顔を映しニッコリと微笑む。



「うむ。今日もカッコいいぞ、私!」



自画自賛を済ますと、歯を磨く為に歯ブラシを手に取る。

自分の分がないので、いつも秋人のを借りているのだ。

無論、秋人はそのことに気がついていない。

気がついても、寝食を共にしている仲だ、問題はあるまい。

そう勝手に自己完結し、歯ブラシに歯磨き粉をたっぷりと乗せる。

歯ブラシを口に含むと、歯磨き粉のミントの香りが鼻に吹き抜けていく感覚が心地よい。

歯茎に歯ブラシを当て、シャコシャコと丁寧に磨いていく。

次に奥歯だ。

ここはブラシが届きにくいのでより丁寧にしなくてはならない。

一通り磨き終えると、コップに水を注ぎ口に含む。

もちろんこのコップも秋人の物だ。

だが、文句は言わせない。



(気がつかない君が悪いのだよ。フッフッフ)



と、心の中で含み笑いをする。

口に含んだ水をブクブクと往復させ、吐き出す。

ここでのポイントは、あまりやりすぎないことだ。

やりすぎては、歯磨き粉に含まれているフッ素やら何やらが水に流されてしまい、歯磨き粉を使う意味がなくなってしまう。

洗顔と歯磨きを済ませたヴィンセントはキッチンへと移動し、ヤカンに水を入れコンロの火にかける。

お湯が沸く間に、新聞を取りに玄関の外へ。

その時、ちょうど新聞配達人がバイクに乗ってやって来た。

新聞配達人はバイクから降り、ヴィンセントに朝刊を渡しながら挨拶をする。



「おはようございます。今日も早いですね」

「ああ、おはよう。今日も清々しい朝だね。おっと、あまり長く話すと仕事に差し支えてしまうね。すまないすまない。それでは、続きに行ってらっしゃい」



ヴィンセントに見送られる形となり、新聞配達人はバイクにまたがると、一礼をしてからその場を後にした。

新聞配達人を手を振りながら見送ると、ヤカンを火にかけっぱなしだったことを思い出し、慌てて家の中へと駆けこむ。

ヤカンはピーッと音を立てながら湯気を吐き出しており、コンロの火を止めるとその音は止み静かになる。

お湯が沸いたことによりヴィンセントは戸棚の中をあさり、コーヒーの粉末の入った缶を取り出す。

本当は挽きたてのコーヒーが飲みたいのだが、あいにくとそんなことができる設備がなければ買う金もない。

渋々といった感じでドリッパーにフィルターをセットし、粉末を投入する。

今朝は濃い目にしてみよう、などと考えていると、そこではたと気がついた。



「し、しまった……! お湯が湧いてから一分以上経ってしまっているじゃないか!!」



がっくりと膝を床につき、項垂れる。

コーヒーに使うお湯は沸かしたてでないと、抽出温度になってしまう為味が落ちてしまうのだ。

だが、こうしている間にもドンドンとお湯の温度が下がっていってしまう為、緩慢な動作ながらお湯を注ぐ。

粉を中心に、お湯を置くような気持ちでゆっくりと注ぐ……が、気分は落ち込んでいる。

しかしポイントは抑えている為、縁には絶対に注がない。

一度に大量のお湯を注いでしまうと、粉がお湯に浮いてしまい、『旨み』の抽出を嫌ってしまい雑味の多い味になってしまうのだ。

お湯を注いでいると粉がお湯を吸収し、中心部から次第に膨らんでくる。

ある程度まで注ぎ、三十秒ほどは注ぎ足さずに馴染ませることで、コーヒーの組織が拡がりお湯を受け入れる準備ができる。

次に、中心から外に向かい『のの字』を描くように、細くゆっくりと注ぐ。

ムース状に盛り上がった状態を保ち、平らになる前にお湯を注いでいく。

コーヒーが落ち始めたら、縁にかからないように周辺にもゆっくりと注ぎ、のの字を大きくするのがポイントだ。

サーバーにコーヒーが落ち始め、しばらくすると下の方からジワジワと均等に滲み出てくる。

中心からクリーミーな泡がドンドン出てくる。

抽出予定量の半分まで来たら徐々にお湯を多めに注いでいく。

注ぐのを早めても、お湯は細くゆっくりとだ。

ここまで来たらもう味は決まったも同然。

後は、濃度の調整なので少し早めて雑味まで落とさないようにする。

予定の抽出量に達したので、すぐにドリッパーを降ろす。

ここでのポイントは、粉がくぼむ前に降ろすことである。

そうしないと、雑味までサーバー内に落ちてしまうのだ。

サーバーを回し、コーヒーをよくかき混ぜてからマグカップに注ぐ。

このカップは自分が買ってきたお気に入りのマグカップなのだ。

椅子を引き席に着くと、まず香りを楽しむ。



「う〜ん……良い香りだ」



基本ヴィンセントはブラック派なので、砂糖もミルクもいれない。

マグカップに口を近づけ、一口。



「やはり、味が落ちてしまっているね……失敗した……」



たかが一杯のコーヒーにこれほどまで情熱を注ぐ男も珍しいだろうが、それがヴィンセント・クロイツァーという男なのだ。

ヴィンセントは失敗と言っているが、一般人には分からない程度の違いである。

だが、そこは違いの分かる男ヴィンセント。

些細なことでも許せないらしい。

次こそはとびきり美味しいコーヒーを作ろうと心に決め、新聞を開く。

前面からテレビ欄まで、新聞の隅々を穴が開くほど読む。



「ふむ。ドル安で円高か……持っているドルを売ろうかな?」



持ってきたアメリカドルの数を思い出しながら時計を見てみると、もう六時半を過ぎていた。

そろそろ朝食の準備をするとしよう。

だが、その前に朝の一服をしないといけない。

懐に手を伸ばし、黒いタバコの箱とオイルライターを取り出す。

箱から一本取り出し口に咥え、火を点ける。

ヴィンセントが愛飲しているタバコはメンソールが含まれている為、スーとした爽快感が鼻孔を吹き抜けていく。

口腔内にタバコとメンソールの味が広がり、なんともクールだ。

煙を肺一杯に吸い込むと、鼻から噴き出す。

口から出した方が格好いいだろうが、そんなものはこの男には関係ない。



「ああ……鼻がスースーする……」



一人で快感に打ちひしがれるヴィンセント。

そんなことを繰り返している内に根元まで吸ってしまった。

灰皿で火を揉み消すと、次の一本に伸びそうになる手を制し、朝食を作る為にキッチンへと再び立つ。



「さて……何を作ったものか」



エプロンを身につけながら色々と考える。

一人暮らしが長い為、こう見えても料理はお手の物だ。

しかし、結局は面倒臭いという理由でお手軽なシリアルにすることにした。

深皿にコーンフレークを入れ、ミルクを注ぐ。

栄養バランスと見栄えを良くする為にフルーツを少々盛り付けて完成だ。



「おっと。そろそろ秋人君を起こさなければ」



色々している内に時刻は七時過ぎ、そろそろ起こさなければ、わざわざ迎えに来てくれる美由希を待たせてしまうことになりかねない。

エプロンを外しキッチンから離れ、階段を昇る。

秋人の部屋の前までくると最初は静かにトントンとノック。

次にドンドンと。

最後にはガンガンと。

それでも部屋の中からは物音一つしない。

そっとドアノブを捻る。



「む。鍵が。小癪な」



今まで部屋に鍵をかけたことなどなかった秋人だったが、ヴィンセントが住み込むようになってからはかけるようになった。

しかし、このまま開けなければ昼近くまで寝ていることは確実だろう。

仕方なく、ヴィンセントは懐から針金を取り出しその場でクネクネと加工する。

そしてその針金をドアノブの鍵口に差し込み、カチャカチャと動かすと、十秒もしないうちに鍵が開いた。



「フフフ。こんな鍵などないも同然さ。不用心だよ愛しい弟子(マイ・スウィートボーイ)



ニヤつきながら勢いよくドアを開け放つと
――――



「のわぁぁああぁぁぁあぁぁぁっ!!」



ドアノブに結ばれていた紐が切れ、それに連動するようにドアの前に立つ者目掛けて降り注ぐ巨大な壁……もとい本棚。

危うく押し潰されそうになるが、鍛え上げられた肉体を駆使して本棚に向かい立つ。



「ぐっ……ぬおぉぉぉおおぉぉぉぉぉっ!!」



ズシン……と地響きがしたかと思うと、本棚は直立不動の態勢となっていた。

まさかトラップが仕掛けてあるとは思わなかったヴィンセントは、肩で息をしながら我が弟子の眠りへの情熱(だせい)に驚嘆した。

もしや……単に自分が嫌われているからだろうか?

いいや、それはない。

共に過ごした時がそれを証明しているではないか。

秋人が最後まで大切に残していたから揚げを食べてしまったことや、
秋人が少ない小遣いで買ってきたゲームソフトを勝手に売ってスロットに使ってしまったことなど些細なことにすぎないじゃないか。

そうさ、そうに違いない。

私は嫌われてなどいない。

そういうことで、心を鬼にしてでも起こさなければ。

他にトラップがないか探りながら慎重に足を運び、枕元までやってきた。

身体を揺さぶりながら、優しく声をかける。



「秋人君、起きなさい。朝だよ」



しかし返事はない。

聞こえるのは微かな寝息だけだ。

次に布団を剥ぎ取ってみるが、身体を丸くするだけで起きる気配はない。

こうなったら……だが、それでは面白みがない。

では……。

秋人の耳元に口を近づけ、おおよそこの男からは出ないと思われる甘い声で囁く。



イッヒ・リーベン・ディッヒ(あいしているよ)

「キモッ!!」

「グッドモーニング! 秋人君!!」

「朝から嫌な声を聞かすな! それにアメリカ人なら英語で喋れ! ドイツ語で起こすな!!」

「それ……君たち日本人が一番言っちゃいけないことだと思うなぁ」

「何か言いましたか? 言ったのか? ああん!?」



寝起きで機嫌が悪いのか、それとも起こし方が悪かったのか秋人の機嫌は最悪だった。

ヴィンセントは肩ですくめながらも、努めて冷静に言葉を返した。



「何も言っていないさ。それより、顔を洗って歯を磨いてきなさい。朝食の準備は整ってある」



そう言い残すと、ヴィンセントは颯爽と……去らなかった。

ジーっと秋人を見つめている。



「……二度寝なんかしませんから」

「それならいいんだ。じゃあ、早く降りてきなさい」



そう言うと、ヴィンセントは部屋を出てドアを閉めると階段を下り、キッチンの壁に頭をぶつけながら何か呟いていた。



「キモって……キモってなにさ……」



しばらくそうしていると、不思議な顔をした秋人が声をかけてきた。



「な、何やっているんですか?」

「なぁんでもないさっ」



さっきまでの落ち込みようが嘘のようにハツラツとした笑顔を見せる。

納得いかないといった顔をしていた秋人だが、いつものことだと諦めたように食卓につき、食事を始める。

簡単なシルアルだったので、数分もしないうちに食べ終えてしまい、食後の一服とばかりにタバコを取り出す秋人。

タバコの銘柄はヴィンセントと同じだった。

いざ火を点けようとしたところで、チャイムの音が鳴り響く。

秋人は舌打ちをしながらタバコを仕舞いこみ、玄関へと赴いた。



「おはよう、秋ちゃん」



そこでは、いつもの太陽のような笑顔をした美由希。

しかし、一服できなかったのでその笑顔が少しばかり憎い。

しかめっ面をしている秋人に疑問を覚えたのか、美由希が何か言おうとしたところ、秋人の後ろから男の声がした。

ヴィンセントだ。



「おはよう。美由希君」



ニカッと笑って見せる。

歯が光っているのはお約束だろう。



「おはようございます。ヴィンセントさん。今日も決まってますね」

「ハハハ。そうだろうそうだろう。だが、そう言う美由希君こそ今日も可愛いじゃないか。いや……いつもより特に可愛いね!」



どこがズレた会話を続けている二人にうんざりしたのか、秋人は二人の会話を断ち切り美由希の手を取り家を後にした。

繋がれた手を微笑ましそうに見つめるヴィンセントだが、その目は少し悲しそうだった。

まるで、その手が二度と繋がれることがなくなる日が来ることを知っているような……そんな目で。




















秋人を見送ると途端にやることがなくなってしまう。

そういうことで、八神家へとお邪魔していた。

本当に邪魔そうだ。

しかし、一応は客ということでお茶を出すシャマル。

お茶を啜り、一言。



「ふむ……もう少し茶葉を蒸らした方が美味しくなるよ。あと、カップは絵柄が見えるように出すのがマナーさ」

「は、はあ……」



冷や汗を流しながら答えるシャマル。

言っていることが正論なだけに反論できず、少し悔しい。

その様子を、隣に座っているはやては苦笑いで眺めていた。

ふと気づくヴィンセントの視線。

なんだろう? と思い声をかけてみると、



「あ、いや……その、ね。似ているなって思ってしまって」

「似てるって、誰にです?」

「私の娘にさ」

「娘さんにですか、そうですか……」



一瞬の静寂。



「ええぇっ!?」



その場に居たはやて、ヴォルゲンリッターたちの驚愕の声が響いた。

当り前だろう。

人格は滅茶苦茶。

人間性は破綻。

経済性もない。

計画性はもっとない。

そんなダメ人間であるヴィンセントに娘が居るのだ。

驚かないのは、悟りを開いている人物のみであろう。



「む、娘さんって、人間ですよね!?」

「ああ、そうさ」

「おっさん! 嘘吐いても何も出ないぞ! アタシのアイスもやらないぞ!?」

「アイスは君が食べなさい。ただし食べすぎには注意だ」

「み、みみみみみみんな落ち着け! こ、これは訓練ではない。繰り返す、これは訓練ではないぞ!」

「避難訓練は学校で教えてくれるよ。でも、家でやるとは感心だ」



すっかり取りみだしたヴォルゲンリッターの女性陣。

そんな中で唯一冷静なザフィーラが声をかける。



「ヴィンセント……妄想などではないのだな?」

「ああ。本当に居るさ。実在している」



その場に居る者たちは近くに居る者と向かい合い、ひそひそと何やら話しあっている。

そんな中でヴィンセントはただ一人、ため息を吐いた。

不思議に思ったはやてが声をかけてくる。



「あの……どうかしたんですか?」

「ああ、いや……居た(・・)と言ったほうが、正しいかなって思ってね」

「え……? それって……」



しばらく黙ったのち、静かに口を開いた。



「妻とは離婚したんだ。親権は向こうが持っている。それに、私は見ての通りの人間だ。娘に合わす顔などないさ」



先ほどまで全員が空襲にでもあったかのように慌てていたのが嘘のように、潮騒の音が聞こえてきそうなほどに静まり返る。

全員が何と言っていいか分からない。

慰める。

どうやって?

いつのもように笑わせる。

どうやって?

叱咤激励をする。

どうやって?

……結局何も浮かばない自分たちが恨めしい。

しかし、そんなみんなの顔を見たのか見ていないのか……ヴィンセントは軽く笑った。



「だがしかし。後悔はしていない。いや、それは嘘になるが……まあいい。今の私には息子や娘とも言える存在がたくさん居るのだからね!」



そう言うと、はやてやヴォルゲンリッターを眺める。

ワザと明るく振舞っているのだろうが、自分たちのことを息子や娘と言ってもらえて少し嬉しい。

親の居ない彼女たちにとって、親とはどのような存在とは知らないのだ。

だが、ヴィンセントが親ならば毎日が楽しそうだ。

毎日引っかき回されて……何かあったら頭を撫ぜてもらって……時には親子で川の字で眠る。

思い描いていた父親像とはあまりにもかけ離れているが、ヴィンセントならいい父親になるだろうと思う。

人格は仕方ないとしても、人間性は基本悪い人ではない。

経済性は自分たちが何とかすればいい。

計画性はみんなで相談すればいい。

私たちがフォローすれば、そこには立派な
――――親子が誕生する。

はやては思わず涙を流してしまった。

シグナムやシャマルは頬を染め、ヴィータは照れ隠しの為なのか髪を弄くる。

ザフィーラは興味がなさそうにしているが、尻尾が微かに揺れていた。

はやては思う。

天国のお父さんお母さん。

私たち家族に……新しい父親ができました。






その後、感動の波が引き昼食となったが、ヴィンセントが見ているという状況であり、父兄参観でも行われているような異様な緊張の中で調理を行った為、
はやてにしては珍しくおかしな味の料理が出来上がってしまった。

さすがのヴィータも箸の手が止まる、しかしヴィンセントはそれらを美味しいと言いながら全て平らげてしまった。



「……ありがとうなぁ」

「フッ。何を言っているんだい。娘の料理を食べる。これほど至福の時もないさ」



食事が終ると、食後のお茶を飲みながらみんなで談笑し、笑いあった。

その姿は、一見おかしな光景に見えるかもしれないが、見る人が見れば親子だと思う姿だった。




















八神家を後にし、ヴィンセントは臨海公園へとやって来ていた。

ベンチに座ると懐に手を入れタバコの箱を取り出し一本口に咥える。

そして火を点けようとした時、



「こぉらぁ!! ここは禁煙区域じゃと何度言ったら分かるんじゃ!!」



突然の怒声。

ビックリしてそちらを視線を向けると、ヨボヨボの老人が仁王立ちでヴィンセントを睨みつけていた。

タバコを箱に戻し懐に仕舞うと、立ち上がり老人に向かい一礼する。



「これはすいませんでした。ご老体のお言葉を忘れるとは……このヴィンセント一生の不覚です」

「喝ァーッ!!」



そう奇声をあげると、老人は頭を垂れているヴィンセントの頭を殴りつけた。

とてもではないが、老人のそれとは思えない。



「何度言ったら分かるんじゃ、貴様は。ワシのことは師匠と呼べとあれほど言ったじゃろうがっ」



殴られた個所を擦りながら、「すいませんでした!」と本気で謝る。

しかし老人は許す気がないようで、くどくどと説教を垂れている。

その間、ヴィンセントはずっと頭を下げっぱなしであったが、一気に捲くし立て過ぎたのか老人は肩で息をしていた。



「師匠。よろしかったらお茶を買ってきましょう」

「おお。お前にしては気がきくのう」

「いえ。これも師匠を思ってのこと」



そう言うと、走って自販機の前まで行き小銭を入れ、お茶のボタンを押し、ついでに自分の分も買った。

そしてまた走って老人が待つベンチへと戻る。

老人はぷかぷかとタバコの煙を吹かしていた。



「……師匠。買って参りました」

「おお。すまないのう。……ぷはぁ〜」



そのあまりにも美味しそうにタバコを吸う姿に、ゴクリと唾が喉を滑り落ちる。

しかし、師匠の手前タバコを吸うなどできない。

それがあまりにも理不尽なことだとしても。

タバコを吸いたいと葛藤しながらベンチに座りお茶を一口含み、気分を落ち着かせようとするがそれは逆効果だったようで欲求は募るばかり。

何度も懐に手が伸びそうになるのを堪える。



「……そんなに吸いたいのなら吸えばええ」



ヴィンセントの気持ちを汲んでくれたのか、老人はタバコを吸うのを許可してくれた。

さっそくとばかりにタバコを取り出し一本口に咥えると、老人はマッチを擦りこちらに寄こしてくる。

その火によってタバコに火が点き、肺一杯に吸い込む。



「……ふぅ」



美味しかった。

やはりタバコは吸いたい時に吸うのが一番なのだと実感する。

一時期は禁煙などと考えたが、それは一日……いや、一時間と持たなかった。

それにしても今の禁煙令はなんだ?

これでは、タバコを吸う人は悪人みたいではないか。

今度抗議しようと誓うヴィンセント。

そんなことを誓っていると、老人がこちらを見ていることに気がつく。



「どうか、なさいましたか?」

「いやのう……お前さん、今日何かいいことでもあったのかい? 実に楽しそうだ」



この老人には隠し事はできないようだ、と苦笑しながら今日あったことを包み隠さずに話す。

老人は目を細めながらそれを聞き「よかったなぁ」と、まるで自分のことのように喜んでくれた。



「お前の人生は波風が多すぎたが、ようやく凪の時期が訪れたか」

「……いいえ。どうやら違うようです。まだ、真の凪の時ではない。……まだこれからですよ」

「そうかえ……まあ、ワシは見ての通りこの身体じゃ。戦えはせんが、応援くらいならするぞ」



その温かい言葉に頷き、



「ありがとうございます」



本心からそう言った。

と。



「もう! こんな所に居た!」

「ほえ? おお、美智子さん今日の晩御飯はなんだい?」

「私は美智子じゃありません! さあ、老人ホームに戻りますよ!」

「ま、待っとくれ。ワシゃぁ息子に人生とは何ぞやと説いて……」

「山仲さんは独身でしょうが! さあ、帰りましょう」



引きずられるようにして老人――山仲氏――は帰っていった。

そんな彼を眺めながら、ヴィンセントはポツリと、



「そうか……あのご老体は山仲さんと言うのか」



実は初めて会った二人であった。




















時刻は三時。

ヴィンセントは我が家へと続く道を辿っていた。

しかし、目的地は相沢家ではない。

いつもいつも後回しになってしまっていた、高町家へのお礼を言いに行くのだ。

その為に商店街で買ったお酒やら何やらを両手に抱えている。

しばらく歩くと、武家屋敷を思わせる家に辿り着く。

その隣を見ると相沢家。

間違いない、ここが高町家だ。

決して挨拶をしに来るのが面倒くさかった訳ではない。

だが、本来なら日本に来たら真っ先に来なくてはならない筈である。

なにせ息子と言ってもいい子がお世話になったのだ。

それは当然のことだろう。

しかし遅くなった。

理由は特にない。

決して忘れていたなどではない。

そう、断じて。

そう自分に言い聞かせ、玄関のチャイムを押す。

しばらく待っていると門が開き、見目麗しい女性が現われる。

ヴィンセントの目が怪しく光る。

歯を光らせながらのスマイルを見せていた。



「こんにちは、お嬢さん。突然の訪問すみません」

「はあ、どちらさまでしょう?」

「これは失礼! 私、秋人君の身元引受人のヴィンセントと申します」



そう聞くと、女性は「秋人君の?」と小さく呟く。

信じてもらえていないようだ。

悲しいことに。



「ええ、本日は秋人君がお世話になったお礼を申そうと思い参上しました。お母様はご在宅でしょうか?」

「母はここにはいませんが……」

「おや、不在ですか? それは困った、是非とも桃子さんにはお礼を言いたかったのですが……」



そこでようやくヴィンセントが尋ねてきた人物のことが分かり、女性は「あのー……」と苦笑しながら話しかけてきた。



「桃子は私ですよ」

「なんですって!? こんなにもお美しいお方がお母様ですと!? 信じられない……」

「嫌ですよ、お世辞を言っても何も出ませんよ?」

「お世辞だなんてとんでもない! 私は事実を言ったまでです。あなたの前では、小野小町や楊貴妃も、クレオパトラ七世でさえも、裸足で逃げてしまうことでしょう」



少しワザとらしかっただろうか?

しかし、桃子はまんざらでもないような顔で頬をほんのりと赤く染めていた。

これはチャンスと言うものだろうか?

そんなことを心の中で考えているヴィンセントの顔をジッと見つめ、桃子は言った。



「本当に秋人君が言っていたヴィンセントさんのようですね。ふふ、本当に秋人君の言っていた通りだわ」



そう言うと口元を押さえクスクスと微笑む。

言っていた通り……さすが我が弟子、いいことを言ったようだ、と気が良くなる。

が。



「本当に楽しい方だわ。ふふふ」

「た、楽しいですか……」



少し落胆する。

どうせなら、格好いい! とか、最高の人物です! とか言っていて欲しかったが……あの秋人にそんなものを求めるのがそもそもの間違いだろう。

秋人が帰ってきたら鍛練と言う名のお仕置きをしてやろうと心に誓う心の狭いヴィンセント。

完全に脈はないと判断したヴィンセントは両手に持っていた包みを渡すと、何故か自分のホクロの数を知らせてからその場を颯爽と去っていった。

こんなのだから妻と別れ、あまつさえ子供の親権を取られてしまったということを全く理解していないヴィンセントは、
もはや我が家と言い張っている相沢家の門を開き家の中へと消えていった。

ヴィンセントを見送った桃子はしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがてポツリと、



「本当におかしな方。でも……秋人君のことを話している時の顔は凄く優しかったわね……」






時刻は夕刻。

そろそろ来る頃だろう。

最近はこの待ち時間が楽しくて仕方ない。

ピンポーンと、チャイムが鳴ると、ヴィンセントは嬉々として玄関へと赴き扉を開ける。



「こんばんは。ヴィンセントさん」

「やあ。朝ぶりだね、美由希君。さあ、こんな所で立ち話もなんだ、中へ入りなさい」

「お邪魔しまーす」



靴を脱ぎ、綺麗にそろえる美由希。

こういう小さなものの積み重ねがヴィンセントの好感を上げていく。

ふと気づく美由希の右手にぶら下がっているビニール袋。

袋から飛び出しているネギから判断して、今夜の食材のようだ。

今の相沢家では、朝食はヴィンセントが作り、昼食は八神家でご馳走に、そして夕飯は美由希が作っている状況だ。

わざわざ美由希に作って貰わなくても、いっそ高町家でご馳走になればいいと思うのだが……頑なに秋人がそうさせない。

どうせ、碌でもないことをすると思って行かせないのだろう。

だったらこっちも強硬手段に出るまでだ。

いつか必ず、高町家で夕飯をご馳走になってやる。

以前、美由希がお土産として持ってきてくれたシュークリームを作るほどの腕前だ、期待を裏切るようなことは絶対にないだろう。

そう考えると、思わず顔がニヤけてしまう。



「あの、どうかしたんですか? 一人で笑ったりして」

「ん? ああ、気にしないでくれ。少し考え事をね」



「そうですか」と言うと、美由希は早速調理に取りかかった。

ヴィンセントはソファに座りながら美由希の後ろ姿を眺める

……あの桃子の娘のはずならば、料理の腕は相当のものだと思っていた。

しかし、それは裏切られた。

一番最初に食べた時は、レバニラ炒めだと言われて出されたがレバーもニラも見当たらず、ただ黒い物体が転がっていたのを思い出す。

あんな思いはしたくないとヴィンセントは秘かに美由希に調理の特訓をさせたのだが、成果は著しくない。

しかし、一応人が食べても大丈夫な物を作れるレベルにまでは達してくれた。

そんな苦労をするくらいなら作らせなければいいと言う者もいるだろう。

しかし、あの真剣な目を見てしまってはそれはできない。

出来るはずがない。

それは勝負に挑む者の目。

彼女は料理という名の真剣勝負の舞台に立っているのだ。

対戦相手は食材各種。

手にする武器は包丁一本。

さあ、今宵の勝負(りょうり)はいかに……!



「ただいま」



と、一人で盛り上がっていると聞き慣れた声が玄関から響いてきた。

座っていたソファから起き出し、玄関へと赴く。



「おかえり。秋人君」



秋人を出迎えるのはもはや日課だ。

そしてスルーされるのも日課になりつつある。

秋人は無言で二階へ上がり着替えて戻ってくる間、ヴィンセントはその場で突っ立っていたが、秋人にさらに無視される。

さすがに悲しくなり秋人の服の裾を掴むと、鬱陶しそうに秋人がヴィンセントに視線を合わせてきた。



「……ただいま」

「おかえり!」



満面の笑みで秋人に言う。

その笑みは、親に構って欲しくて我がままを言い、やっと構ってもらった子供の笑みのようだった。

そんな寸劇を済まし、二人はリビングへと足を向ける。



「あっ、秋ちゃんおかえりー」

「ああ、ただいま」



簡単な挨拶を済ますと、秋人はソファに座りテレビをつける。

その横にヴィンセントも座る。

二人してボォーと頬杖をつきながらテレビを眺めている内に時計の秒針は一秒、また一秒と刻々と過ぎていく。

しばらくそうしていると、何やら変な臭いが漂っていることに気がついた。



「……時に美由希君。一体何を作っているのかな〜?」

「え? チャーハンですけど?」

「私の知識が間違っていなければ……チャーハンにケチャップは入れない!」

「ええぇ!?」



(くっ……私の力では、美由希君の調理レベル向上は無理なのか……!!)



ソファの上で項垂れるヴィンセント。

その隣に居る秋人は、もう慣れたもので微動だにしなかった。

横目で秋人を見つめボヤく。



「秋人君……君っていつもあんなの食べていたんだね……尊敬するよ」

「慣れです。慣れれば毒も美食に変わる。……アンタが昔俺にそうしたようにね」



そういえば、毒の耐性をつけさせる為だと言って毒を少量料理に混ぜていたことがあった。

時には量を間違えて死にそうになっていたのがいい思い出だ。

しかし、それは昔の話だ。



(そろそろもう一度やらないといけないな。時の流れと共に耐性が落ちているだろうから)



危ないことをさらっと考えるあたりヴィンセントらしいと言えばらしいが……秋人からしたら迷惑千万だ。

しかし、いくら何を言ったとしてもやるのだろう。

ヴィンセントとはそういう男だ、秋人が一番よく知っている。

身をもって知っている。

心に深く刻んでいる。



「出来たよー。二人とも席について」



美由希の掛け声。

どうやら出来てしまったらしい。

ヴィンセントは腹を括り、いざ戦場へ。

秋人は普通に席に座り、レンゲを持ってスタンバイしていた。



「では……いただきます」

「いただきます」

「はい。召し上がれ」



レンゲを持つ手が震える。

何なのだろう……この真っ赤なチャーハンは。

キムチチャーハンに見えなくもなく酸っぱい臭いもするが、キムチは一切入っていない。



(ええい、せっかく美由希君が作ってくれた物だ。食べなければ男じゃないじゃないか……!)



覚悟を決めて一口含み、もぐもぐと咀嚼する。

無言での食事が続き、ついには空っぽになる。



「うん……美味しかったよ。このチキンライス(・・・・・・)



調理工程はどう見てもチャーハンのものだったのだが、食べた物はどう味わっても、何度味わってもチキンライスだった。

その言葉に美由希はショックを受けたらしく、少し顔色がよくない。

どう声をかければいいか迷っていると、秋人が一言。



「次は美味くチャーハンを作ればいい。ただそれだけだ」

「……うん!」



まさに鶴の一声だった。

その一言だけで美由希の顔色は良くなり、満面の笑みさえ見せている。

その光景をヴィンセントはただ茫然と眺めていた。

秋人は秋人で、勝利の一服とばかりにタバコを吹かしていた。



(次こそは……次こそは負けないぞ。秋人君!!)



勝手なライバル心を燃やすヴィンセントだった。






美由希が帰り二人だけとなった食卓で、ヴィンセントはキッチンの貯蔵庫からある物を取り出した。



「一緒に呑もうと思ってね、買って来たんだ」

「……ジン、ですか。俺、それ苦手なんですよ」

「ハッハー、秋人君は子供だなぁ」

「ジンはアルコール度数が高すぎるんです。子供じゃありません」



「ハハハ」と笑いながらグラスを二つ用意し、氷を入れ酒を注ぐ。

それを秋人に手渡し、対面に腰をかける。

タバコを吸いながらジンを呑み続ける二人。

だが不意に、ヴィンセントが口を開いた。



「なあ、秋人君。君は大きくなるのに何人の人の世話になったと思う?」

「えっ……さあ、分かりません」



突然のことで驚いたのか、秋人は分からないと言った顔をしている。

それもそうだろう。

いきなり言ったのだから。

だが、こういう時でないと出来ない話もある。

ヴィンセントはグラスを傾けた。

カラン、と氷が動きグラスが静かに鳴る。



「全員だよ」

「全員?」

「そう、全人類だ」



グラスに口を付け、ジンを喉に流し込む。

アルコールが喉を焼く感触が楽しい。



「でも、そんなに多くの人には世話になってませんよ?」

「なにも直接じゃない。例えば、肉屋で豚肉を買ったとするだろう? じゃあ、その豚を育てたのは誰だい? 育てた人を養ったのは誰だい?」

「…………」

「こう考えると、誰も一人では大きくなれないんだよ」 



空になったグラスに新たに注ぎ、ため息を吐く。



「一人で大人になったと思っている奴は、私から言わせれば子供と同じだ」



そう締め括ると、グイッとグラスを傾け一気に飲み干す。

そして席を立ち、



「少し酔ったようだ。風に当たってくるよ」



ベランダに移動したヴィンセントは、先ほど言った自分の台詞を思い出していた。

苦笑する。

自分から出たとは思えない台詞だが、秋人にはいつか伝えなくてはと思っていたことでもある。

夜風が吹きつけ、軽く身震いする。

と。



「風邪、ひきますよ」



肩にかかる毛布の感触。

そして、隣には愛おしい秋人。

秋人の手には湯気を立てる物が二つあった。



「これ……ヴィンセントさんみたく淹れられませんでしたけど」



そう言う秋人の頬は酒に酔っている為か少し赤い。

ヴィンセントは無言でコーヒーを受け取ると、一口啜った。

おそらく抽出温度を間違えたのだろう。

雑味が多すぎる味だったが、それは自分で淹れるコーヒーよりも何倍も美味しいと感じられた。

苦笑しながら秋人の頭を撫ぜる。



「とても美味しいよ。さすがは私の弟子だ」



そう言ってやると、秋人の頬はさらに赤く染まる。

照れ隠しの為か、夜空に目を逸らす。

ヴィンセントもそれを追うと、視線の先では満天の星空が輝いていた。



「……もう、夜は怖くないのかい?」

「もう、大丈夫ですよ。……ヴィンセントさんのお陰です」



その昔、秋人は夜を極端に怖がっていた。

理由はただ一つ。

独りになってしまうから。

震え怯える秋人に、ヴィンセントは耳元で語りかけながら……手をとった。



――――ほら。もう独りじゃない。私が居る。どんな時でも、君の傍には私が居るよ。



その言葉を聞いた秋人の瞳からは頬には涙が一筋流れ、ヴィンセントに抱きつきワンワン鳴いた。

思えば、昔からクサイ台詞ばかり言っている。



「……ありがとうございます」

「いいってことさ。だって……」



私の傍にも君が居る。

声には出さなかったが、それは本心から出た言葉だった。

さすがに恥ずかしくなってきたのか、ヴィンセントは、



「さ、さあ。もう寝よう。明日も学校だよ」



そう言いながらベランダから離れ、一階にあるソファで寝転ぶ。

天井を眺めていると、今日一日の出来事が思い起こされた。



(……うむ。今日もいい一日だった)



明日もきっといい日の筈だ。

そう願いながら、ヴィンセントは瞼を閉じた。




















朝日が登ろうかという時間。

まだ薄暗い中、ヴィンセントはベッド代わりにしているソファから起き上がった。

まだ昨日の酒が残っているのか、多少足がふらつくが問題ない。

まっすぐに窓の方へと歩き、カーテンを勢いよく開ける。

今まさに太陽が昇ろうとしている瞬間だ。

朝日を浴びながら窓を開け放ち、大声で叫ぶ。



「世界のみなさんのおはよう! 私は今日も元気ですっ!」




















 あとがき

ヴィンセント祭りです、どうもシエンです。

魔法少女リリカルなのは 神に挑む者外伝 「ヴィンセントの華麗なる一日」いかがだったでしょうか?

私は、書いていてとても楽しかったです。

また機会があれば、今度は違うキャラで外伝を書いてみたいと思います。

それにしてもヴィンセント……いいキャラです。

実に書きやすいです。

もうビックリです。

それでは、失礼します。



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